OH江戸ライフ

パクス・トクガワーナ♪
とりあえず江戸時代っぽいものが好きなのです♡

明治天皇すり替え説 ①

2016-10-10 | 人物

エドアルド・キヨッソーネが描いた絵を写真撮影したもの:明治21年(1888年)


明治5年(1872)4月、内田九一撮影の束帯姿の明治天皇


明治5年(1872)洋装の明治天皇


では、本題に入る前にいつものようにおさらいから。

明治天皇:
日本の第122代天皇
孝明天皇第二皇子
生母は、権大納言・中山忠能の娘・中山慶子


嘉永5年9月22日(1852年11月3日) 京都石薬師 中山邸にて生誕
同  年9月29日 父・孝明天皇から祐宮(さちのみや)という幼名を賜る
          以降、安政3年(1856年9月29日)宮中に移るまで中山邸で育つ。
万延元年(1860)7月10日 儲君(=皇太子)と定められ、准后・九条夙子の実子とされる
同  年    9月28日 親王宣下を受け、「睦仁」の諱名を賜る
元治元年(1864)7月19日 長州藩兵が御所を攻撃し、敗退(禁門の変)
          20日夜、宮中に不審者が三百人以上侵入し、パニくった睦仁親王が卒倒
         のちに、長州藩と呼応したと嫌疑で外祖父・中山忠能に蟄居処分下る
慶応2年(1867)12月25日 父・孝明天皇崩御
慶応3年(1867)1月9日 満14歳で皇位に即く
         元服前の践祚であったので立太子礼を経ず天皇に
慶応4年(1868)1月15日 元服
同  年    8月27日 京都御所にて即位の礼を執り行い、即位したことを内外に宣下
       (大嘗祭は明治4年11月17日(1871年12月28日)東京で挙行)
同  年    12月28日 一条美子(=昭憲皇太后)を皇后に冊立



っていうのが、ウィキペディアから拾った即位までの流れです。

ところが、なんとこの明治天皇がニセものだという説があるんです

いわく、
「徳川幕府に信をおき、徹底的に長州を憎んだ孝明天皇がジャマになった岩倉具視ら倒幕派は孝明天皇を暗殺し、ほどなく皇太子・睦仁親王も殺害し、長州領内にいた南朝の血統(?)を引く奇兵隊士・大室寅之祐を替玉にして、皇位を乗っ取る形で薩長は南朝革命をおこなったというもの

これを知ったきっかけは、明治期の廃仏毀釈運動を調べていたときに、
――天皇家は孝明帝まで仏教徒だったが、明治4年「皇霊を宮中に遷祀する詔」により、「上古以来宮中に祀られていた仏堂・仏具・経典等、また天皇・皇后の念持仏など一切を天皇家の菩提寺である泉涌寺に遷し、その代わりとして神棚が宮中に置かれて、宮中より仏教色を一掃した――
という一文を見つけてしまったのですっ

そこで、泉涌寺さんのHPを見てみると、
「開山俊芿が泉涌寺堂塔伽藍建立の勧縁疏に後鳥羽上皇、後高倉院が賛同され資を寄せられ~(中略)~。
 仁治3年(1242)1月、四条天皇が12才で崩御されると当山で御葬儀が行われ、御陵が開山大師御廟近くで営まれ、当山に天皇の御影や尊牌が奉安されて、皇室の御寺としての寺格が備えられた。
 その後、応安7年(1374)1月、後光厳院をここで御火葬申してから以後九代の天皇の御火葬所となり、後水尾天皇から孝明天皇までの江戸時代の全ての天皇、皇妃の御陵もここに造営された」

ま、早い話、孝明天皇までの歴代天皇はみんな仏式で葬儀がおこなわれ、供養されていたというわけです。

(泉涌寺蔵:孝明天皇御尊影)

それが明治4年になると、突然、「仏教やめまーす」って、おい……

「自分の父親が仏式で葬られてるのに、そんな簡単に仏教を否定できるんかい???」と思っていたとき、見つけちゃったんですよ、コレを

(俗にいう「フルベッキ写真」 この青年が大室寅之祐だとか)

「たしかに、赤の他人だったら、その家の宗派も祖霊も関係ないわな」な気持ちになったところで、こんな写真まで発見

説明書きには、「即位前の明治天皇」と。

「えぇ、この子がのちの明治帝???」なうえに、前述の
「禁門の変のとき、睦仁親王は卒倒」のエピソードが加わり、
「ほれ、この華奢で弱虫な公家の子どもと、のちの明治帝、全然キャラちがうでしょ?」
「この写真に写っている大室寅之祐が、明治天皇に成りすましたんです」だって

マジすかーっ

しかも、ウィキさんに貼られている孝明天皇の肖像画がコチラ。
なんでも死後数十年たってから描かれたものだとか

これ、さっきの泉涌寺所蔵の御尊影とはあまりにちがいすぎるー 


泉涌寺のは華奢な公家顔なのに、明治になって描かれたこっちの肖像画は骨太ガッチリ系。
すり替えた人間と似てないとマズイから、ツジツマあわせのためにでっちあげた絵疑惑です。

てなことで、すっかり「おお、言われてみれば」な気持ちになっちまいましたよ

ところが、
「いや、ちょっと待てよ」と、ヘソまがりのゴマは土壇場で踏みとどまったのですが、つづきは長くなりそうなので、またこんど

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