(1956/ロバート・アルドリッチ製作・監督/ジャック・パランス、エディ・アルバート、リー・マーヴィン、ウィリアム・スミサーズ、ロバート・ストラウス、バディ・イブセン、ペーター・ヴァン・アイク/108分)
60年代のお茶の間の人気番組だった戦争ドラマ「コンバット」にも多分有ったに違いないと思わせる、臆病で統率能力のない中隊長と、規律を重んじながらも部下を無駄死にさせたくない小隊長との対立を描いた作品。
骨太の男性的作風の作品が多いが、「何がジェーンに起ったか? (1962)」や「ふるえて眠れ (1965)」などの異常心理を描くこともあったアルドリッチ(オルドリッチとも言う)の、両方の特色が生かされた映画でありましょう。
中隊長のクーニー大尉には「ローマの休日」でグレゴリー・ペックの同僚の人の良いカメラマンを演じたエディ・アルバート。
冒頭、ドイツ軍の拠点を攻めようとするも反撃にあって敗走を始めた部下の為に小隊長が援護射撃を要請するも、躊躇するばかりで、ついには無線機の受話器を放り出してしまうほどに気弱な中隊長として登場します。彼には同郷の上司がおり、その中佐は彼の父親とも懇意にしていて、この中佐のご機嫌さえ損なわなければなんとかなると思っている。戦時の縦社会に情を持ち込んで、部下の命など省みない馬鹿な男なんですね。終盤で、こんなロクデナシが出来上がった背景の一端が暴露されますが、家庭の偏った躾が生んだ歪んだ人生でありました。
『今度、臆病風を吹かせて部下を一人でも見捨てたら貴様を殺す!』とまで言ってのけた小隊長のコスタ中尉には、「シェーン」で黒ずくめの情け無用のガンマンを演じたジャック・パランス。
「コンバット」のサンダース軍曹を思わせる熱くて冷静な男です。
クーニーの上司、バートレット中佐を演じるのが、アルドリッチのご贔屓俳優リー・マーヴィン。
中佐はクーニーの無能ぶりを知っているのに、彼を更迭しようとはしない。何故か?
中佐は戦争が終われば、故郷で政治家になろうとしており、故郷で判事をしているクーニーの父親の人脈が欲しいのです。既に戦争は末期を迎えていたし、クーニーについてはとにかく表沙汰になるような問題が起こさなければそれで良いと思っているわけです。
コスタの同僚に別の小隊を率いているウッドラフ中尉(スミサーズ)もおり、彼もクーニーには憤りを覚えているが、直接クーニーに怒りをぶつけることはせず、バートレットにクーニーを本部付けの事務官にするようにと直訴します。
クーニーの父親の性格を知っているバートレットは、あくまでも最前線にクーニーをおいて置くと、ウッドラフの意見を退けるが、戦争は9分9厘終わった様なモノなので、これ以上クーニーに悩まされることはないだろうと付け加える。
ところが、その舌の根も乾かない内に、新たな攻撃命令が出されるのでした・・・。
序盤でクーニーの無能ぶりを紹介して観客を驚かせた後、その後バートレット、コスタ、ウッドラフを含めた4者の関係も紹介して、コスタとクーニーの一触即発のハラハラな関係を見せつけ、更にはクーニーの更迭が無くなった為に冒頭のような危険がもう一度起こるであろう事を予感させる。この予感は見事に的中し、新しい戦闘作戦がクライマックスへの序章になります。
その作戦は、戦火にまみれているある町を占拠するべく侵攻するというモノで、ドイツ軍が待ち伏せしている可能性もある。コスタの小隊が先陣を切って攻め入ろうとするが、いざ突撃となる直前で町の中で待ち伏せしているドイツ兵のショットを入れるというショック演出が上手いです。
この戦闘で又してもクーニーはコスタを裏切り、終盤へと繋がっていく。
町で待ち伏せしていたドイツ軍は大量の戦車や大砲を使って、クーニー等が待機している町まで反撃にやって来て、その場所は死守しなければいけないのに、クーニーは最大限の臆病風を吹かせて、ついにはバートレットにも殴られてしまう。
この終盤は、攻め入るドイツ軍との戦闘とコスタのクーニーへの復讐がミックスされた怒濤の展開となる期待を抱かせますが、展開がモタモタした感があり、いまいち乗り切れません。ここで★一つ減点となりました。
ヴェネチア国際映画祭でイタリア批評家賞を受賞。

骨太の男性的作風の作品が多いが、「何がジェーンに起ったか? (1962)」や「ふるえて眠れ (1965)」などの異常心理を描くこともあったアルドリッチ(オルドリッチとも言う)の、両方の特色が生かされた映画でありましょう。
中隊長のクーニー大尉には「ローマの休日」でグレゴリー・ペックの同僚の人の良いカメラマンを演じたエディ・アルバート。
冒頭、ドイツ軍の拠点を攻めようとするも反撃にあって敗走を始めた部下の為に小隊長が援護射撃を要請するも、躊躇するばかりで、ついには無線機の受話器を放り出してしまうほどに気弱な中隊長として登場します。彼には同郷の上司がおり、その中佐は彼の父親とも懇意にしていて、この中佐のご機嫌さえ損なわなければなんとかなると思っている。戦時の縦社会に情を持ち込んで、部下の命など省みない馬鹿な男なんですね。終盤で、こんなロクデナシが出来上がった背景の一端が暴露されますが、家庭の偏った躾が生んだ歪んだ人生でありました。
『今度、臆病風を吹かせて部下を一人でも見捨てたら貴様を殺す!』とまで言ってのけた小隊長のコスタ中尉には、「シェーン」で黒ずくめの情け無用のガンマンを演じたジャック・パランス。
「コンバット」のサンダース軍曹を思わせる熱くて冷静な男です。
クーニーの上司、バートレット中佐を演じるのが、アルドリッチのご贔屓俳優リー・マーヴィン。
中佐はクーニーの無能ぶりを知っているのに、彼を更迭しようとはしない。何故か?
中佐は戦争が終われば、故郷で政治家になろうとしており、故郷で判事をしているクーニーの父親の人脈が欲しいのです。既に戦争は末期を迎えていたし、クーニーについてはとにかく表沙汰になるような問題が起こさなければそれで良いと思っているわけです。
コスタの同僚に別の小隊を率いているウッドラフ中尉(スミサーズ)もおり、彼もクーニーには憤りを覚えているが、直接クーニーに怒りをぶつけることはせず、バートレットにクーニーを本部付けの事務官にするようにと直訴します。
クーニーの父親の性格を知っているバートレットは、あくまでも最前線にクーニーをおいて置くと、ウッドラフの意見を退けるが、戦争は9分9厘終わった様なモノなので、これ以上クーニーに悩まされることはないだろうと付け加える。
ところが、その舌の根も乾かない内に、新たな攻撃命令が出されるのでした・・・。
序盤でクーニーの無能ぶりを紹介して観客を驚かせた後、その後バートレット、コスタ、ウッドラフを含めた4者の関係も紹介して、コスタとクーニーの一触即発のハラハラな関係を見せつけ、更にはクーニーの更迭が無くなった為に冒頭のような危険がもう一度起こるであろう事を予感させる。この予感は見事に的中し、新しい戦闘作戦がクライマックスへの序章になります。
その作戦は、戦火にまみれているある町を占拠するべく侵攻するというモノで、ドイツ軍が待ち伏せしている可能性もある。コスタの小隊が先陣を切って攻め入ろうとするが、いざ突撃となる直前で町の中で待ち伏せしているドイツ兵のショットを入れるというショック演出が上手いです。
この戦闘で又してもクーニーはコスタを裏切り、終盤へと繋がっていく。
町で待ち伏せしていたドイツ軍は大量の戦車や大砲を使って、クーニー等が待機している町まで反撃にやって来て、その場所は死守しなければいけないのに、クーニーは最大限の臆病風を吹かせて、ついにはバートレットにも殴られてしまう。
この終盤は、攻め入るドイツ軍との戦闘とコスタのクーニーへの復讐がミックスされた怒濤の展開となる期待を抱かせますが、展開がモタモタした感があり、いまいち乗り切れません。ここで★一つ減点となりました。
ヴェネチア国際映画祭でイタリア批評家賞を受賞。
・お薦め度【★★★=一見の価値あり】 

ジーッと画面をにらんでいました。
戦争ものではありますが現代の縦社会機構にも通じる示唆に満ちた佳作と感じました。
ただ、十瑠さんが感じたモタモタ感は
私の場合、“語り過ぎ”ちゃってるよこの作品!・・・なんですよね~
脚本のなんとか・ボーさん、「熱いトタン屋根の猫」の脚本家でしょ。
舞台でしたらね~語ってもいいんですけれど
映画はスパッと省略の良さってもんがね~・・・
「シェーン」での黒ずくめの殺し屋、
ジャック・パランス入魂のお芝居が
印象に残りました。^^
E・アルバートみたいな上司って
なんか・・今でもいそうじゃないですか~・・・(- -)^^
この当時は、キューブリック監督の「突撃」とか、ドン・シーゲル監督の「突撃隊」とか、戦争の虚しさを描いた秀作がいくつもありますね。
そうなんですか。
終盤は、段取りが芝居臭いところがあって、パランスの出方なんかが特にそうで、ちょっと戦場の臨場感が薄まった感もありましたね。
前半はとっても好きなんですよ。
>E・アルバートみたいな上司って、なんか・・今でもいそうじゃないですか~
最近麻薬で捕まった男たちなんかがイイ例かも・・・(^^)
「突撃」は1年くらい前に観ました。面白かったけど、掴み切れてないので書けませんでした。
「突撃隊」も随分前に吹き替えで観て、好きになった作品です。
戦争の虚しさというか、極限状態の中で現れてくる多様な人間性を描いた作品のように思いますネ。