テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

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マリー・アントワネット

2007-11-28 | 時代劇・西部劇・歴史劇
(2006/ソフィア・コッポラ監督・脚本/キルステン・ダンスト、ジェイソン・シュワルツマン、リップ・トーン、ジュディ・デイヴィス、アーシア・アルジェント、マリアンヌ・フェイスフル/123分)


 F・F・コッポラさんの娘さんが脚本・監督、そして製作にも加わっていて、勿論、製作総指揮にはお父上のお名前も。そんな話題が先行していた作品で、元々父親の映画が好きじゃない私としては全然観る気がなかったのですが、娘がレンタルしてきましたので観てみました。
 14歳で政略のためにオーストリアからフランス王家へ嫁いだマリー・アントワネットの、結婚直前から断頭台の露と消える直前までを描いた作品です。

 前半、幼い王女が愛犬や馴染みのお付きの者達と長旅の末に別れ、慣れない外国の王太子妃となり、着替えから入浴、食事、そして就寝まで、四六時中監視されているような生活を強いられていくところは、同情的な描き方であり分かり易いです。
 政略結婚には両国ともに世継ぎの誕生を望んでいる背景があるわけですが、肝心の王太子には全くその気がない。ベッドを共にしても、キスもしない。太子の趣味が鍵作りというから、今風に言えばオタク、性的に幼稚な男性として描かれているようでした。夫婦でオペラの観劇に行った際に、マリーが慣習を破って俳優達に拍手を送り、観衆達がそれに従った夜には、少しだけですが彼女にスキンシップを試みます。強い女性に惹かれる所も幼稚っぽい男性ですね。

 世継ぎの誕生はオーストリアにとってはフランスとの『同盟の確立』であり、『子供が出来ないうちは、あなたの王太子妃の立場は不安定なのよ。』、『王太子をその気にさせるのが、あなたの勤め。』などと母親は手紙を寄こし、それがまたマリーを苦しめます。
 女性としての自分に関心を示さない夫と、それを誰にも相談できない妻。逃げ出すわけにも行かず、若い妻は食べ物やファッションへの贅沢三昧でストレス解消をはかる。オープニングと共にロックな音楽をちりばめて、マリーについても現代的な解釈がなされています。

 王太子の弟夫婦に先に赤ん坊が生まれ、ますます宮廷内の彼女に対する悪口もあからさまになっていきますが、父親のルイ15世が亡くなり、マリーの夫が正式にフランス国王ルイ16世となった後、ようやくマリーにも赤ん坊が出来ます。
 親に期待されているとやる気が無く、親から解放されるとその気になるという亭主も現代風ですかな。

*

 『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、マリー・アントワネットは1755年11月2日に生まれ、1793年10月16日に亡くなっています。享年38歳ですね。

 映画は、18歳で王妃となってからの20年間は月日の流れを感じさせるような工夫もなく、だらだらと描いていました。画面も平坦であり、登場人物の心理描写も浅いままで流れていきます。マリーとスウェーデンの公爵との浮気などもありますが、これ以降は早送りで観てしまうほどつまらないシーンの連続でした。

 2006年のアカデミー賞では衣裳デザイン賞(ミレーナ・カノネロ)を受賞したそうですが、カンヌ国際映画祭のパルム・ドールのノミネートには合点がいきませんなぁ。

 マリーの母親役がマリアンヌ・フェイスフル。「あの胸にもういちど(1968)」のあの可憐なセクシー女性が、歴史物の似合う貫禄のおばさんになっておりました

・お薦め度【★=前半はいいんですが後半で台無し、あまりお薦めしません】 テアトル十瑠
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赤い河

2006-02-04 | 時代劇・西部劇・歴史劇
(1948/ハワード・ホークス製作・監督/ジョン・ウェイン、モンゴメリー・クリフト、ウォルター・ブレナン、ジョン・アイアランド、ジョーン・ドルー、シェリー・ウィンタース、ハリー・ケリー、ハリー・ケリー・Jr/133分)


 71年のピーター・ボグダノビッチの「ラストショー」で、閉館となるテキサスの小さな町の映画館の、最後の上映作品がこの「赤い河」だった。“古き良き西部の終焉を象徴する映画”との解説がされていたが、さて、ハワード・ホークスの「赤い河」はどんな映画だったっけと35年前に思ったもんだ。
 小学生の頃に『日曜洋画劇場』で見た作品で、キャトル・ドライブ(cattle drive)の雰囲気とスタンピード(stampede)の迫力、そして西部劇には似つかわしくないモンティ・クリフトが出ていたのが印象に残っていた。
 「ラスト・ショー」の後に観るとどんな気分がするか、もう一度見なければと思いながら、そのままになってしまっていた。あれから35年。やっとこさ宿題に手をつけることが出来ました。

 テキサス開拓史の伝説を紐解く・・・みたいな雰囲気で始まる。アメリカの歴史に詳しければ、伝説がどれくらい信憑性があるか分かっただろうに等と思いながら見始めた。
 ちょっと長めの導入部は南北戦争の前で、後段は戦争後の話になる。

▼(ネタバレ注意 ~ あらすじ)
 カリフォルニアに向かう幌馬車隊に途中から参加したダンソン(ウェイン)と連れのグルート(ブレナン)は、テキサスの真ん中で緑豊かな平地を見つけ其処に定住する事を決める。牛数頭を連れての旅で、ダンソンには、アメリカ一の牛牧場を作るという夢があったのだ。幌馬車隊で知り合い愛し合った女性もいたが、女には過酷すぎると考えたダンソンは、一緒に残るという彼女を無理矢理幌馬車隊と共にカリフォルニアへ向かわせる。後で迎えに行くという考えもあったので、彼女に母親の形見のブレスレットを渡した。
 ところがこの後、幌馬車隊はインディアンに襲われ、その夜にはダンソン達の所にもインディアンがやって来る。インディアンの一人が、ダンソンのブレスレットをしていたので、彼女が殺されたことを察する。そして、幌馬車隊の唯一の生き残りの少年マシュー(クリフト)を見つけ、ダンソンは牛と共に彼を引き取ることにする。

 それから14年後。大きく成長したマシューは拳銃の名手であり、ダンソンの優秀な右腕となっていた。南北戦争からも無事に帰ってきたところだった。
 南北戦争で牛以外の財産を大きく失ってしまったダンソン。牛は一万頭にも登ろうかという数がいたが販路がなく、このままではにっちもさっちもいかなくなると考えたダンソンは、鉄道の通っているミズーリまで牛を運ぶ計画を立てる。それは誰も聞いたことのないビッグ・トレイル(big trail)だった。
 マシュー、グルート以下、数十人のカウボーイを雇っての過酷な旅が始まる。

 インディアンの襲撃。牛の暴走。そして、険しい道のり。
 途中に入ってくる情報により、マシュー達は目的地を変更しようと進言するも、ダンソンは当初の計画を曲げようとしない。ついにはダンソンとの契約を破って逃げ出す者が出てくる。食料を持って脱走した者を捕まえたダンソンは、縛り首にすると言い出し、それまで命令には逆らわなかったマシューまでもが拳銃を向ける。
 孤立無援になるダンソン。
 マシュー達は全部の牛を連れて、新しい目的地に向かう。隊を離れたダンソンは、マシューへの復讐を胸に誓うのであった・・・。
▲(解除)

 上記のあらすじを“ネタバレ注意”にしたのは、それ以上の複雑な内容がないからで、西部劇ファンならこのストーリーを読んだだけで大体の中身はわかるでしょう。ダンソンは唯我独尊を地でいく西部の頑固者で、ドラマとして唯一微妙だなと思わせるのはマシューとの関係くらいのもの。
 ホークス監督は、女性に関しても12月に観た「ハタリ!」同様に定型的で、ありふれた描き方です。ダンソンとマシューの仲を取り持つヒロインも、大団円のために添えられたのではないかともいえる人物でした。

 荒野の広がり、青空にポッカリ浮かんでいる白い雲、幌馬車隊、牛の群、空き缶を使った射撃の腕試し、幌馬車を円形に組んでのインディアンとの銃撃戦等々。懐かしい西部劇の情景が好きな人にはたまらない映画でしょうな。

 先月亡くなったシェリー・ウィンタースはこの時28歳。セリフもなく、一瞬しか出てきません。キャトル・ドライブの途中でダンソン達が助けた、インディアンに襲われた幌馬車隊の一員で、スッキリとスマートな体型でした。

 「スミス都へ行く」のハリー・ケリーは、マシュー達が辿り着いた町で牛の買い付けをしてくれる商人の役。アゴに手を当てる仕草が“議長”と同じでしたな。
 ハリー・ケリー・Jrの名は西部劇では有名ですが、実は私は顔は分からないんですよネ。

 ウォルター・ブレナン。TVで観た時の、吹き替えの甲高い声を思い出すなあ。「リオ・ブラボー(1959)」にも出てましたな。

 音楽は「リオ・ブラボー」と同じくディミトリ・ティオムキン。テーマ曲は、“リオ”でディーン・マーチンが唄っていた「♪ライフルと愛馬」によく似ているんだけど、これって同じものなの? ご存じの方、教えて下さい。

・お薦め度【★★★=西部劇ファンなら、一度は見ましょう】 テアトル十瑠



[2.21 追記]

 <オールド・ムービー・パラダイス!>のFROSTさんが、テーマ曲について「リオ・ブラボー」の記事の中で答えを出されていました。やはり、同じモノだそうです。
コメント (13)
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テキサスの五人の仲間

2006-01-14 | 時代劇・西部劇・歴史劇
(1965/フィルダー・クック製作・監督/ヘンリー・フォンダ、ジョアン・ウッドワード、ジェイソン・ロバーズ、バージェス・メレディス、チャールズ・ビックフォード、ケヴィン・マッカーシー、ジョン・クォーレン、ロバート・ミドルトン/95分)


 面白い。先月、NHKBSで放送されていたのを録画したもの。終盤まで見たら、ずっと昔に見たような気がした。フィルダー・クックの名前が記憶にあったのは、この映画のせいだろう。
 西部劇だが、インディアンも出てこなければガンファイトもない。テキサスの町で、西部の大金持ちの五人が年に一度の賭けポーカーをするという話。前回の「スティング」に絡めて見たわけではない。偶然なんだが、紅一点の女優はポール・ニューマン夫人のジョアン・ウッドワードだった。

*

 葬儀屋(ビックフォード)の霊柩馬車が西部の荒野を走っているところから映画はスタートする。年に一度の賭けポーカーをやるために仲間を乗せていこうとしているのだ。開始時刻も決まっているから、弁護士(マッカーシー)は裁判の途中で抜け出すし、牧場主(ロバーズ)は娘の結婚式の真っ最中なのに抜け出す。
 町のホテルには家畜仲買業の男ともう一人(ミドルトン)待っていて、ホテルの奥の間で計五人による西部一の大勝負が始まる。

 昼の12時半に始まった勝負が翌朝を迎えた頃、ホテルに一台の旅の馬車が着く。乗っていたのは夫婦と男の子が一人。支配人は家族向きではないと宿泊を断ろうとするが、『長旅だったので』と亭主(フォンダ)は頼み込んで一部屋借りることになる。
 この親子連れの父親は、実は大のポーカー好きでかつて大損をしたことがあるらしい。ポーカーの大勝負をやっていると聞いて、亭主は見るだけだからと、馬の蹄鉄の修理を奥さん(ウッドワード)に任せてポーカー部屋に入ってしまう。
 見ていると、大した手でもないのに結構なお金が動いているので、ついに父親は自分も入れてくれと言い出す。1000ドルだけのつもりで始めてみると、上手くいかない。ついには、鞄の中の3000ドルにも手を付けてしまう。それは新しく買ったテキサスの土地で、一からやり直す為の資金として何年も貯めてきたお金だったのだ。

 大きな役が出来た父親は、なけなしのお金をつぎ込むが、他の5人も手札がいいようで誰も降りない。ついには、コールしようにも出来ない程の金額になってしまう。持っていた時計や馬車までも売ろうとするが、それでも追いつかない。
 蹄鉄の修理から帰ってきた奥さんは、亭主がポーカーで負けている事を知り愕然とする。その時亭主は持病の心臓発作を起こしてしまい、奥さんが代打ちをしなければいけなくなってしまうのだった。
 ポーカーのことを何も知らない奥さんは、メンバーにポーカーのルールを聞き、ゲームを続けるにはお金が必要だと言われて、町の銀行を教えてくれと言う。他のメンバーを引き連れて、堅物の頭取がいる銀行に行くが、はたしてお金は借りれるのか? そしてゲームの行方は・・・?


▼(ネタバレ注意)
 お金を借りるには担保がいるわけだが、この奥さんが出した担保が面白い。でも、これは秘密です。

(更に、ネタバレ再注意)
 コレ、実は最後に「スティング」ばりの大どんでん返しが待っていて、しかしながら、“どんでん返し”があると言っただけで勘のいい人は薄々気付くかも知れないと思って、ここまで黙っておりました。でも、やっぱりその中身は書きますまい。「スティング」と同じく2回目も見なければと思ってしまう映画です。

 話術の面白さは一級品です。カメラワークが特徴的で臨場感いっぱい、更に芸達者な役者陣なので、これは気持ちよく騙されました。ただ、ラストがちょっと引きずり過ぎの感はありましたが・・・。

 これは原題【 A BIG HAND FOR THE LITTLE LADY 】より邦題が面白いです。その訳も今は言えない。
▲(解除)

*

 小粒な話ではありますが、出演者は顔なじみの人が多いです。
 葬儀屋のビックフォードは「大いなる西部」の大牧場主。ジェイソン・ロバーズはボギーの再来と言われて、未亡人のローレン・バコールと結婚までした人。ロバート・ミドルトンは「必死の逃亡者」の大男の役でした。

 フィルダー・クックのフィルモ・グラフィーを見ていたら、「父の帰る日<TVM>(1971)」というのがありました。
 「allcinema ONLINE」の解説によると、<1930年代のヴァージニア州の山村を舞台に、大家族の日々を描いた長寿TVシリーズ「わが家は11人」(THE WALTONS)の基となったTVムービー。E・ハムナー・Jrが自身の原作を脚色、P・ニールが家族の中心である母親に扮した感動編。>とのこと。P・ニールとはパトリシア・ニールのことです。
 コレ、(最近はやってないですが)NHKの“海外秀作ドラマシリーズ”で放送された作品だと思います。中身は忘れましたが、雪山が舞台の話で面白かったという印象が残っています。

・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠
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グラディエーター

2005-06-06 | 時代劇・西部劇・歴史劇
(2000/リドリー・スコット監督/ラッセル・クロウ、ホアキン・フェニックス、コニー・ニールセン、オリヴァー・リード、リチャード・ハリス)


 西暦180年の古代ローマ帝国が舞台の作品。この時代の歴史に疎く、「ロード・オブ・ザ・リング」のような刀と弓矢の戦いのシーンが長く続くのも好きではないので今まで敬遠していたんだが、中古販売のビデオを買ってやっと観ました。
 CGを使っただろう古い時代の風景や、古代の建物、街並み等、それらしさが充分に味わえて、ストーリーも一人の男の復讐劇が軸となっているので分かり易く面白い作品だった。
 昔の特殊撮影と違って、今のCG画面は通常撮影部分との境界がわからない分、気楽に楽しめますな。
 見終わって、こういう今のCG技術を見せたら、ウィリアム・ワイラーヒッチコックなんかはどんな映像を創り出すだろうか、なんて思ってしまった。

 さて、映画の話。時の皇帝はマルクス・アウレリウス(ハリス)。彼にはコモデゥス(フェニックス)という不肖の息子がいたが、野心だけの人間で政治が任されないと、歴戦の強者でローマ帝国を愛するマキシマス将軍(クロウ)に次期政権を譲ろうとする。ところが、その事を察知したコモデゥスは実の父親の皇帝を暗殺、マキシマスも部下に殺すよう命じる。
 強い身体能力と機転によってマキシマスは難を逃れるのだが・・・。

 “グラディエーター(剣闘士)”というのは、当時の見せ物であった人間同士、時には人間対野獣の命を懸けた戦いに出させられる奴隷のこと。ポケモンでいえば、ピカチュウーなどのモンスターですな。
 将軍マキシマスは、この奴隷にまで身を落とすのだが、その後、彼のコモデゥス皇帝への復讐がどう進んで行くかがこの映画の見所。

▼(ネタバレ注意)
 処刑の危機を逃れたマキシマスは、故郷に残してきた妻子の元へ急ぐが、到着前に二人とも無惨に殺される。傷を負い、哀しみにくれたマキシマスは“グラディエーター”となり、その強靱な戦闘能力でメキメキと頭角を現す。
 コモデゥスは“第2のネロ”と呼ばれた暴君らしいのだが、アウレリウスが禁止していた“グラディエーター”の競技会を再開、やがてマキシマスはローマのコロセウムに姿を現し、コモデゥスとも相対することとなる。

 コモデゥスにはルッシラという姉がいて、弟は彼女に肉親以上の愛情をもっているように描かれている。この時代にはこのような近親相姦的な話も沢山あるようですな。この映画では、それは弟の一方的な想いのようで、例えば暗闇が怖いとか言っては添い寝を頼むという具合。ルッシラの亭主は一人息子を残して既に亡くなっているが、案外この弟が殺したのかもしれない。コモデゥスは姉の美貌に惹かれながらも、父の暗殺を悟られているのではないかという心配から、何かと疑いの目で見るようになっていて、それはルッシラにとっては、針のむしろの上で生活しているようなものだった。
 ルッシラとマキシマスとはかつては恋人同士でもあったようで、マキシマスが死んでないと分かってからは、更にコモデゥスの監視の目が厳しくなる。

 ルッシラを演じているのはデンマーク生まれのコニー・ニールセン。序盤ではヘラヘラとして悪女の雰囲気だったが、父親が亡くなってからは、危険な弟との生活に疲れて、緊張している様が見事に出ていました。彼女は賞には絡んでいないようですが、私はちょっと気になりましたな。ロビン・ウィリアムスの「ストーカー」に被害者として出ているようなので観たくなりました。
▲(解除)

 こういう歴史物には往々にして懐かしい俳優が出ているもので、アウレリウス皇帝にはリチャード・ハリス、“グラディエーター”の飼い主にはオリバー・リードが、そしてデヴィッド・ヘミングスも何役かは分からないが出ているらしい。

 ハリスはイギリスの山崎努みたいだと思っているんだが、近年は「ハリー・ポッターと秘密の部屋(2002)」での魔法学校の校長先生役が有名ですな。この校長先生の撮影終了後に病気になり亡くなったそうです。
 リードについては、映画を見ているときには彼だと分からなかった。「第三の男」などで有名なキャロル・リード監督の甥っ子で、TVで観た「吸血狼男(1960)」が強烈だった。その後マイケル・ウィナー監督の作品に数本出て、男らしい雰囲気が作品とマッチしていて、特に評論家筋には人気があったように記憶している。惜しいことにリードもこの作品の撮影中に亡くなったそうです。

 悪役コモデゥスを演じているのは、リヴァー・フェニックスの弟のホアキン。「サイン(2002)」ではメル・ギブソンの弟役でしたな。

 R・スコット監督は、この映画以外にも「テルマ&ルイーズ(1991)」「ブラックホーク・ダウン(2001)」で、アカデミー監督賞にノミネートされているが、受賞はまだない。最新作「キングダム・オブ・ヘブン(2005)」も12世紀が舞台の歴史劇とのこと。

 尚、「グラディエーター」は2000年度のアカデミー賞で、作品賞主演男優賞他5部門でオスカーを獲った。

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大いなる勇者

2005-04-27 | 時代劇・西部劇・歴史劇
(1972/シドニー・ポラック監督/ロバート・レッドフォード、ステファン・ギラシュ、アリン・アン・マクレリー、ウィル・ギア、マット・クラーク)


 数ヶ月前にNHK-BSで流れたのを録画していたもの。30年前に見て以来<ジェレマイア・ジョンソン【原題:JEREMIAH JOHNSON】>という名前は忘れたことがない。♪ジェレマイア~ ジョンソン~♪という唄のフレーズも。

 レッドフォードとシドニー・ポラックという名コンビの2作目の作品。今や名監督の一人だが、ポラックさん昔っからイイ映画作ってました。
 “異色の西部劇”と呼ぶんでしょうなあ。

 時代はよく分からないが、主人公ジョンソンが初めてロッキーの山に入っていく時に履いていたのが、南北戦争の時の兵隊ズボンのようなので、19世紀の話なんだろう。彼が山に入っていく理由も明らかには語られていない。ただ、文明や人間に背を向けて山に入ったのは明らかで、更に、山での狩猟生活に対する覚悟があったことも分かる。

 この白人ジョンソンが、先に山に入って生きている白人の先輩達に生活の術や先住民(インディアン)とのつき合い方などを習い、色々な経験をしていく姿が描かれている。若者の成長記録ではない。立派な大人が、厳しい自然と調和して生きていこうとする話で、一種のサバイバル・ストーリーの様にも見える。

 成り行きで、孤児となった男の子を引き取ったり、インディアンの女性と生活するようになったりして、いつしか、川のそばの山を背にした平たい土地に家まで建てる。それは、ジョンソンの理想の生活になりそうだったのだが・・・。

▼(ネタバレ注意)
 孤児の男の子は、インディアンに襲われた開拓者一家の生き残り。母親も生きていたが、その他の子供たちが残虐に殺されたため気がふれていて、生き残った男の子をジョンソンに託す。
 一緒に暮らすインディアンの女性は、ある部族の長の娘で、ジョンソンが迂闊に贈り物をした為に、お返しにと嫁さんにいただいたもの。つまり、赤の他人の三人が一から幸せを築いたのだ。
 そんな一家の所に、山中で立ち往生している白人入植者の一団を助けるために道案内をしてくれと白人達がやってくる。その道中で、あるインディアン部族の神聖な墓場を汚したために、ジョンソンの家族は殺される。
 ここの、ジョンソンの落胆ぶりは痛ましい。
 その後、たまたまその殺戮者達と遭遇したため、ジョンソンは復讐を果たすが、一人を殺し損ねたため、その後は刺客に狙われることになる。
▲(解除)

 ロッキーの雄大な自然が画面一杯に映し出されていて、見ているうちになにか哲学的な気分になってくる映画。原作があるとのことなので、その辺は読んだ方がいいかも。

 30年ぶりで、ストーリーはほとんど忘れていた。雪山のシーンばかりが印象に残っていたが、勿論、数年に渉る話なので、雪以外のシーンもある。
 ある映画サイトを覗くと、コレを見て号泣したという男性がいた。確かにそういうシーンもある。男が感動する作品ですな。

 ユタの山の中に“サンダンス”という広大な土地を持っているというレッドフォード。二枚目とは無縁で、髭をぼうぼうに伸ばしてジョンソンを演じています。

 レッドフォード=ポラックのコンビのこの他の作品には、「雨のニューオリンズ(1965)」「追憶(1973)」「コンドル(1975)」「出逢い(1979)」など沢山ありますが、一番有名なのはアカデミー作品賞を獲った「愛と哀しみの果て(1985)」でしょう。
 考えてみたら、「雨のニューオリンズ」は観てなかった。今度観てみよう。
 「コンドル」はスパイもののサスペンス。「追憶」は相手役(バーブラ・ストライサンド)が難点だが、主題歌が忘れられんです。

*

追記:道案内を頼む白人達の先頭に宣教師がいるが、横着な人間として描かれている。又、インディアンのお嫁さん(スワンという名だった)は、その部族がフランス人にキリスト教を教えられたため食事の前に十字を切ったりするが、ジョンソンはやめて欲しいようなことを言う。ジョンソンが、宗教に関して懐疑的であったことが伺えますな。確かに、大自然を相手にした時には神の存在など関係ないのかも知れない。(04.29 Fri)

・お薦め度【★★★=一度は見ましょう、私は二度見ましたが】 テアトル十瑠
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さすらいのカウボーイ

2005-04-07 | 時代劇・西部劇・歴史劇
(1971/監督:ピーター・フォンダ/ピーター・フォンダ、ウォーレン・オーツ、ヴァーナ・ブルーム、ロバート・プラット)


 NHKBS2の世界名画劇場で夕べ放映された。1971年製作というから、もう34年前の作品だ。公開は72年。つまり33年ぶりに観たことになる。当時も今もイイ映画だと思う。
 ヘンリー・フォンダの息子でジェーンの弟、ピーター・フォンダの第一回監督作品。ピーターは39年生まれだから、32歳の時の作品になる。「イージー・ライダー(1969)」の感覚派らしく、美しく凝った映像が流れるが、男と女の心理の違いも巧みに描写出来ていて、やるなぁと思いましたな。

 西部を旅する3人の男たち。ハリー、アーチ、ダン。馬の背に揺られて、好きな時に寝て、好きな時に釣りをする気ままな旅だ。若いダンはこれから西海岸のカリフォルニアに行こうと言い、アーチも大海原が見たいという。
 ふと立ち寄った寂れた町で、遠くに見える山を見て、以前来たことがあるのにハリーは気付いた。ハリーはアーチに言う。『旅が虚しくなった。7年前に捨ててきた妻子の元に帰ろうと思う。』

 その夜、女のことでトラブったダンが町の男に殺される。ダンの馬を盗むのが目的の美人局だったことはすぐに分かった。ダンを埋葬したハリーとアーチは、翌朝ダンの馬を取り返し、悪い奴らの足に拳銃の弾をお見舞いして町を出ていった。

 7年ぶりの再会。10歳年上の妻ハンナは、髭面のハリーに気が付かなかった。赤ん坊の時に捨ててきた女の子は可愛らしい少女に成長していて、ハンナは娘には父親は死んだと言い聞かせていた。
 ハリーは妻が簡単に受け入れてくれるとは思っていなかったようで、とにかく働かせてくれと頼む。働きぶりを見せて、本気で帰る気になったことを分かってもらおうというわけだ。
 ついてきたアーチも成り行きでハリーと一緒に納屋に寝泊まりして、農場を手伝うことになる・・・。

▼(ネタバレ注意)
 ある日、ハリーとアーチが町に買い物に行くと、ハンナに関する噂を耳にする。女手一つなので繁忙期には手伝いの男を雇うんだが、時にはその男たちと男女の関係をもっているというものだ。
 アーチはしゃべるなと言ったが、ハリーはハンナに噂について問う。ハンナはあっさり認めるが、勿論、其処には自分を捨てたハリーに対する復讐の気持ちもあった。
 翌朝早く、ハリーは馬で出かける。ハンナは又出ていったのかと後悔したが、実はハリーは町に出かけていって、<ハンナの農場では、今後は労働者は不要だ>という張り紙をしにいったのだ。
 昼間、ハンナのもとに町の女性が尋ねてくる。『旦那さんが戻ったのね。会いたいわ。いつかお二人で町に出てきてね。』などと話すので、ハンナもハリーが本気でココにとどまることを考えていると分かった。

 そんな二人を見て、アーチは旅に出ることを決心する。ハリーは止める。ハンナに『出ていくように言ったのか?』と問うが、ハンナは否定する。『でも、望んだな。』
 ハンナは言う。アーチは気楽な男の世界の体現者で、ハリーの憧れのようなもの。女性ではないが、浮気相手のようなものだ。だから、ここで一緒に暮らすのはオカシイ。男が浮気相手を家に入れているようなものなのだと。
 ハリー親子がアーチを見送る。親子3人でポーチに立って見送る姿は、まさに幸せを絵に描いたようだった。

 しかし、それから数日後、ハリーの元に一人の男が訪ねてくる。アーチの馬に乗り、しかもアーチの手の指を持っていた。例のダンを殺した町の男がアーチを捕まえたのだ。迎えに来なければ、アーチの指が一日一本ずつ無くなると言う。
 必至に止めるハンナだったが、『必ず帰ってくるから』と言い残して、ハリーは友人の救出に向かう・・・。
 ラスト。ハリーの馬だけを引いて帰ってきたアーチの姿に全てを悟るハンナ。
▲(解除)

 単純なストーリーだったと記憶していたが、最初の旅が3人連れだったことは忘れていた。ウォ-レン・オーツ(アーチ)との二人旅で、フォンダだけが家に帰る、そして、かつての仲間の窮地を救いに行く。そういう話だったように覚えていた。

 2001年にディレクターズ・カット版が製作されていたのも知らなかった。オリジナルとの違いについては分からない。
 記憶違いでなければ、冒頭の旅の途中での釣りの時に女性の死体が針に引っかかるんだが、昔観た作品では確か若い女性のもので、釣り糸を切ったハリーに向かって『まだ、使えるじゃないか。』と連れの男がしゃべったと思った。今回は少女の死体になっていたようで、釣り糸を切ったハリーに向かって、『どうして引き上げないんだ』とダンが言う。『引いてもバラバラになるだけだ』とハリーは答えた。

 イーストウッドの「許されざる者」を観たときこの映画を思い出した。流れ者が捨ててきた妻子のもとに帰るが、かつての仲間の窮地を救いにまた出ていくと言う設定がそっくりだった。

 カメラは、ヴィルモス・ジグモント。同じ年に撮ったウォーレン・ビーティーの「ギャンブラー(1971)」でも、豊かな自然の描写に光を取り入れて、印象深い映像を創った。この作品では、更にストップモーションや、スローモーション等の表現を使っていたが、浮いた技術にはなっておらず、ストーリーと見事にマッチしていた。
 バンジョーやギターを使ったブルース・ラングホーンの音楽も、ゆっくりとしたリズムで西部の香りを漂わせている。

 ピーター・フォンダの演出は、夫婦間の微妙な心理描写は上手かったが、ガンファイトのシーンなどは、リアルを追求しすぎたのか、どちらかと言えばまともすぎて、あっさりした感じになったのが残念だった。
 90分という短さに少し驚いた。

オフィシャル・サイト
http://www.crest-inter.co.jp/line_up/sasurai/index.html

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明日に向って撃て!

2005-03-08 | 時代劇・西部劇・歴史劇
(1969/ジョージ・ロイ・ヒル監督/ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロス)


 思い出の作品から。
 2002年12月に亡くなった(享年80歳)、ジョージ・ロイ・ヒル監督の大ヒット西部劇。ジョン・フォードハワード・ホークスとはひと味もふた味も違う新感覚の西部劇で、アメリカン・ニューシネマの一作とされている。
 途中で流れるB・J・トーマスの「雨にぬれても」は、ハル・デヴィットバート・バカラックの作品で、この年のアカデミー賞の音楽部門を受賞し、こちらも大ヒットした。

 「卒業」でファンとなったダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスのうち、K・ロスの方を追っていて巡りあった作品だ。そして、ここでレッドフォードと出会い彼の作品を過去に遡ったりして観るようになった。
 キャシーとボブは同じ年に「夕陽に向って走れ」でも共演したが、名前は似ていても全然違う作品で、二人が絡むシーンもほとんどない。

 さて、「雨にぬれても」が流れるのは、P・ニューマンとK・ロスが自転車に乗って遊んでいるシーンである。詳しくは知らないが、自転車が出てくるくらいだから西部開拓時代も終わりの頃の話なんだろう。
 原題は「BUTCH CASSIDY AND THE SUNDANCE KID=ブッチ・キャシディとサンダンス・キッド」。なんでも、西部史に名高い実在したアウトローということで、映画では、人を撃ったことのないガンマン、ブッチをニューマンが、早撃ち名人のキッドをレッドフォードが演じている。当時のパンフレットには本物の写真も載っていたが、ブッチはP・ニューマンとは似ても似つかぬ、ジャガイモのような顔の御仁で、キッドの方は鼻髭の似合ったいい男だった。エッタも出ていたが、忘れた。キャシーより丸顔だったような気がする。

 二人は堅気の仕事がしたくないガンマンで、悪仲間と一緒に列車を襲い、運ばれている銀行のお金を盗む。計画を立てるのはいつもブッチだ。彼は、更にこの列車が折り返して帰るところも襲おうと言う。銀行側も、まさか同じ列車を二度も襲うギャングはいないだろうと思っているから、というのがブッチの考えだ。ところが、この帰りの列車には銀行が雇ったのか、大勢の追っ手が乗っていて、ブッチの仲間は散り散りに逃げることとなる。
 追っ手の先頭で指揮を執っているのは、白いカンカン帽の男。キッドと二人になって逃げるブッチだったが、カンカン帽は的確に二人だけに照準を絞っているように追いつめてくる。
 このシーンは、カンカン帽側からのショットはなく、常に追われている側からの映像しかないので、緊迫感が持続する。このシーンでのロング・ショットは当時の語り草となったし、崖の上に追いつめられた二人が川に飛び込むシーンでは、サンダンス・キッドの秘密が明かされる。

 これに懲りた二人は、新天地を求めて南米ボリビアへ行く。サンダンスの彼女エッタは、なんと学校の教師をしていたらしいんだが、南米で言葉の通じない二人を心配して一緒に付いていく。ボリビアではまともな仕事をするつもりの二人だったのだが・・・。

 これ以上書くとネタバレ全開となりますのでヤメときましょう。
 音は流れてもストップ・モーションで終わったラストシーンが、ニューシネマらしいアイデアでした。good job!

 髭の似合ったレッドフォードが髭を落とし、反対に髭をつけたニューマンが再びコンビを組んだのが、ロイ・ヒル監督の73年の作品「スティング」で、これも大好きな作品だが、これでロイ・ヒル監督はオスカーを獲った。

 「明日に向って撃て!」は英国アカデミー賞では、1970年の作品賞、主演男優賞(ロバート・レッドフォード、ポール・ニューマン)、主演女優賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、編集賞、音響賞など、総なめといっていいように受賞したらしい。
 米国アカデミーでは、脚本賞(ウィリアム・ゴールドマン)と撮影賞(コンラッド・L・ホール)は獲ったものの、監督賞はノミネートに終わった。

 そういえばこの映画の撮影後、キャシーはコンラッド・L・ホールと同棲を始めたとの噂があったなあ。ネットで調べると、なんと1984年にサム・エリオットと4度目の結婚をし、一児をもうけたとのことだ。 84年といえば41歳か。頑張るなあ。サム・エリオットはこの映画にも出ていたのに、その時はスルーしちゃったのねえ。

・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠
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たそがれ清兵衛

2004-02-03 | 時代劇・西部劇・歴史劇
(2002/山田洋次監督/真田広之、宮沢りえ、小林稔侍、大杉漣、吹越満、深浦加奈子、赤塚真人、桜井センリ、尾美としのり、田中泯、岸恵子、丹波哲郎)


 山田洋次監督初めての時代劇だという。時は幕末、京都では浪人があふれ治安が悪い、それこそ明治維新直前の時代で、しかし場所はそんな維新とは関係のなさそうな東北庄内地方の話である。今でいえば新潟県か。

 海坂藩の下級武士井口清兵衛(真田広之)は、城内では蔵の帳簿係のような部署で働いており、毎日、夕方の下城の太鼓が鳴ると、同僚の酒の誘いも断って、付き添いの下男と一緒に自宅へ帰る。このあたりの描写は今までの時代劇にはなかったところで、まるで髷を結ったサラリーマンの様である。お役所に勤めている感じなのであろうか。下城の太鼓は、まさしく退社のチャイムである。

 さて、清兵衛が急いで帰るのには理由があって、数年前に妻を病気で亡くし、二人の女の子とボケの始まった老母の面倒を見なくてはいけないからだ。
 帳簿係の同僚は、付き合いの悪い清兵衛を、陰では”たそがれ清兵衛”と揶揄して呼んでいる。

 清兵衛には、殿様のお供で京都や江戸に行くこともある、上級武士の友人(吹越満)がいるが、ある日、彼の妹が酒乱の亭主(大杉漣)と別れて自分の家に出戻ってきていると伝える。宮沢りえ扮する飯沼朋江である。
 幼なじみの朋江は、気晴らしのつもりもあろうが、奥さんのいなくなった清兵衛の家へ遊びに行き、幼い子供たちと遊んだり、和裁を教えたりする。

 ある晩、清兵衛が朋江を友人の家へ送っていくと、かつての亭主が酒に酔って『朋江を出せ』と暴れている場面に遭遇する。朋江を殴り始めた元亭主を止めようとした清兵衛は、いきがかり上、その男と果たし合いをすることとなる。
 実は剣道の達人であった清兵衛は、この果たし合いで酒乱男を叩きのめすが、その噂が広まり、のちのち清兵衛を窮地に陥らせる・・・。

 山田洋次監督作品だが、ここにはお笑いはない。帳簿係の同僚達の風景は、お気楽サラリーマンを思わせて少しは頬がほころぶシーンもあるにはあるが、篭作りの内職をする清兵衛の姿も出てくるので、<昔も今も、人生色々だな>と感じさせる所でもある。
 美しい田舎の川を餓死した農民が流れていくシーンにも、リアル感があふれ、古い時代の生活の過酷さが忍ばれる。

 清兵衛の末娘(岸恵子)が年をとって、かつての父や母を語っているという設定で物語は進んでいく。ここに違和感があるという人もいるが、私は全然感じなかった。

 緩やかな前半と、緊迫感あふれる後半。色々な要素がぎっしりつまった、名作です

 2003年度日本アカデミー賞では、作品賞をはじめ、主演男優賞主演女優賞など多部門で栄冠に輝いた。
 更に、アメリカアカデミー賞でも、外国語映画賞にノミネートされた。発表は今月の29日。

・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】 テアトル十瑠
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荒野の七人

2003-09-02 | 時代劇・西部劇・歴史劇
(1960/ジョン・スタージェス監督/ユル・ブリンナー、ステティーブ・マックイーン、イーライ・ウォーラック、ジェームズ・コバーン、ロバート・ヴォーン、チャールズ・ブロンソン、ホルスト・ブッフホルツ)


 チャールズ・ブロンソンが亡くなったので、見てみた。流石にもう古くさい。黒澤映画の西部劇版。
 ブリンナー、マックイーン以外のガンマンの説明が不足しているように感じた。昔はこれでよかったのかなあ。ガンマンの死に方も今となってはありきたり。

 スタージェスは、「大脱走」の方が断然面白い。面白さがあせてない。「老人と海」も大好きだ。

・お薦め度【★★=悪くはないけどネ、感覚は旧い】 テアトル十瑠
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