hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●静嘉堂文庫美術館「響き合う名宝ー曜変、琳派の輝き」

2022-12-17 | Art

静嘉堂文庫美術館 2022/10/1(土)〜12/18(日)

「静嘉堂創設130周年・新美術館開館記念展Ⅰ 響きあう名宝―曜変・琳派のかがやき―」

 

この度、世田谷から丸の内へ移転。

開館記念ということで、岩崎弥太郎、小彌太親子が集めた、茶道具・琳派・中国書画、陶磁器・刀剣など、国宝、重要文化財が目白押しの貴重な機会。

人数制限されているので大混雑というわけではありませんが、列に並んでゆっくり進みながら観る、たまに「立ち止まらないでお進みください」とスタッフの声掛けがある、といった状態でした。

特に、曜変天目茶碗は黒山の人だかり。前に見たことがありますので、今回は残念ながらあきらめました。ひとめ見ちゃったらたいへん。吸い込まれて進みたくなくなるのは分かっていますから。

 

今回は、酒井抱一「波図屏風」をお目当てにやってきたのです。

念願かなって、やっと実物を見られました。

しかもなぜか、他の部屋に比べて、この琳派の部屋だけはすいていました。波図屏風とその隣の(伝)尾形光琳「鹿鶴図屏風」の前は、並ぶひともなく、前後左右からゆっくり見られました。

 

酒井抱一(1761~1829)「波図屏風」1815年 (撮影禁止なので、画像は日曜美術館から)

大きな画面に、銀の闇、冷涼さ。”月下波図”といってもいいのでは。

酒井抱一のこんなに荒ぶる筆を見た記憶がなく、圧倒されました。

割れ、かすれをものともしない太く強い筆跡は、藁筆を用いたらしい。

白波には胡粉を用いています。

そして、ところどころに少し白緑。夜の海の冷たさ、海水の実感を感じました。

地は、銀箔。銀が黒ずむことなく、まだ輝きを保っていて、状態が良いのに感激しました。

偶然ではなく、抱一は黒ずみを防ぐため、銀地のうえに薄墨をはいておいたのだそうです。薄墨の水が流れたような跡も少し見えました。

 

抱一は光琳の波に着想を得て、この波図を描いたと言われているそうです。

波の波形など共通する部分もあり、確かにそうかもしれない。光琳の「風神雷神図」を踏襲して抱一も描いたように、「波を描く」ことで光琳の足跡を追ったかもしれない。

でも、素人目には、抱一には、光琳にはない波の実感が強い気がするのです。

波の実感で思いだされるのは、むしろ、円山応挙(1733~1795)のいくつかの波涛図です。

抱一は応挙ほど写実感を追求していないけれども、光琳よりむしろ応挙的な現感覚が強いような。。

抱一の右隻には、上から襲うように沸き立つ波、遠くから白波をたてて押し寄せる波。左隻には、幾重にも繰り返し押し寄せてはうねる波。波頭を立てては砕ける波。

抱一は海を遠くまで見渡しつつ、足元間近に波と水を実感している。どこかでそんな荒い海を体験をしたのだろうか?。

玉蟲敏子「都市の中の絵ー酒井抱一の絵事とその遺響」には、江戸からあまり出ることのなかった抱一だけれど、「江の島詣でを欠かさなかった」と。

江の島とか七里ヶ浜だった可能性大かも?!。

そして、この本には、光琳から100年を経た抱一の生きる江戸後期という時代性に触れていました。「明清画のしんねりとした波型の残影が認められる」と。

 

それにしても、応挙の波涛図を思い起こし、両方を頭に浮かべるにつけ、抱一の波図には月光の意図があるように、いっそう強く感じられました。

そしてますます、描かれていない月の光が際立って、思い出されてくる。描いたモチーフの向こうに、描かれてはいない物語と感情を感じてしまう。やはり抱一だと感じた次第でした。

そして筆一本でこの世界を生み出してしまう、暗さと月の光まで見せてしまう、水墨画ってすごい、と改めて思いました。

 

この屏風については、注文主であろう本多太夫なる人物にあてた書簡も残っています。実家の姫路藩、酒井雅楽頭家の家老と推察される人物らしいですが、抱一も会心の作だったようで、「自慢心にて御めにかけ候」と書いています。心身ともに自己を波の間に持っていき、2度とは描けない絵なのでしょう。

 

だらだらして描いてしまったけれど、この展覧会のもう一つのお目当て。

沈南蘋「老圃秋容図」 清時代 1731年

虫を狙うぶちネコがかわいくて。

とびかかる0.5秒前みたいに、もう前足も上がっています。顔もかわいい。

夏の終わりか、朝顔、菊、トロロアオイも見えます。

虫はたいへんだけれど、のんびり平和な日常の絵。ネコが吉祥画題というのもうなずけます。

 

他には、抱一の「絵手鑑」の画帖も見ものでした。琳派風、水墨など、さまざまな描き方を使いこなしていました。

赤が美しい蔦紅葉を繊細に描いたかと思えば、黒い楽茶碗などは、あの無骨さ、黒い塗りの質感まで、ざっくりと墨だけで再現し得てていました。釉薬のたれたところも、墨のにじみでうまく表していて、思わず恐れ入りましたよ。

茄子も魅惑的。

 

弟子の鈴木其一は「雪月花三美人図」の三幅。花も着物の模様も細密に美しく、絵の具の発色の良さにも見惚れました。

 

静嘉堂文庫が入る明治生命館は、1934年(昭和9年)に竣工。岡田信一郎設計。戦後はアメリカ極東空軍司令部として接収され、マッカーサーも何度も会議に訪れたそうです。

今回はいけませんでしたが、ショップも大きくなり、地下にはカフェやレストランもあるので、便利になりました。

通路側の壁には、俵屋宗達の源氏物語澪標図屏風がモニターで次々と大きく展示されていて、細部まで見られます。

東京駅周辺がますます魅力的になりました。