はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

希望の鐘 2

2018年07月07日 09時34分28秒 | 希望の鐘
「いきなりすごいやつだな、おまえは。ああ、腹が痛い」
と、蹴られたところをさすりつつ、文偉は立ち上がる。文偉と偉度の年はさほど変わらないため、文偉は人懐っこい性格を発揮して、偉度に対し、最初から親友のように親しげな口を利いている。
なぜこんな素早い芸当が出来るのだ、と突っ込まれたらやっかいだと思っていた偉度であるが、呑気は文偉はそこには突っ込まずに、目を回している休昭のほうに言った。
「おい、起きろ、休昭。賊じゃない、偉度だ。女神のくせして、これしきで倒れてどうする」
「女神?」
床に伸びている貴公子然とした休昭は、たしかに父親に似ず、柔和な顔立ちをしているが、しかし女神などとはお世辞にも言えない。
「おまえたち、もしかしてこうやって逢引をしている、怪しい関係か」
冗談ではなく本気で偉度が尋ねると、それまで気絶していた休昭が、がばりと起き上がった。
「人を変態のように言うな! わたしたちは芝居の練習をしていたのだよ!」
「芝居? 演芸大会があるということだが、それか」
「そうだ。主公がおっしゃったことであるし、われら無名の書生としては、ここが名を売るよい機会であるから、芝居を披露しようということになったのだ」
「で、女神? どこの女神だ? 気絶の女神か?」
「ちがう。心栄えの立派な若者が、天帝のおめがねにかなって、娘に姿をかえた女神を妻にするのだが、途中で正体が知れて、天に帰ってしまう、という、あの芝居をするのだ」
やっと文偉が、いつもの粗末さかげんに加えて、腰蓑に籠を提げた漁夫の格好をしているのに気づき、偉度は合点した。
「ああ、あの、実は正体が、虎だか鶴だか亀だか狸だか、ともかく人ではなかった、という、よくある御伽噺か。で、文偉がその『心栄えの立派な若者』で、休昭が『女神』? しかしなぜ左将軍府で芝居の練習なんぞしているのだ。おまえらの勤め先はここではなかろう」
「仕方なかろう。みなにはナイショなのだ。幼宰さまにはご了解いただいているし、軍師もご存知のはずだぞ。というか、休昭が、女装している姿をだれにも見られたくない、とわがままをいうものだから」
「女装、ねぇ」
女装というよりは、白い布を被っただけの董允の姿に呆れつつ、偉度は短刀をしまいながら、言った。
「そういえば、荊州にいたときも、似たような芝居をしたことがあったな。薄気味悪い女装を披露してさ」
「へえ? おまえがやったのか?」
「いいや。最初は趙将軍と軍師で、ということで話が進んでいたのだが、お二人が強烈に嫌がったものだから、結局、籤を引くことになったのだ。考えてみれば、身の丈八尺の美女なんてぞっとする」
「そうか? 軍師なら、きっとお似合いだったと思うのだがな」
「おまえたちが思っているほど、あのひとは女顔じゃないぞ。まあ、それはともかく、籤の結果、立派な若者に馬良、嫁に張飛どの」
文偉と休昭の両方から、同時に「うわー」という声が挙がった。
「見たかったような、見たくなかったような」
「見たほうは悪夢にうなされたがな。しかし、こうも遅くまで芝居の稽古とは感心せぬな。帰らなくていいのか」
「しかし、まったく台詞がおぼえられぬのだよ」
見てやる、と偉度が言うと、文偉と休昭は、しぶしぶながらも台本を片手に、芝居をはじめた。

文偉「おお、これはなんという美しい人か。お嬢さん、いったいどうなさったのですか(棒読み)」
休昭「あなたさまのお心に打たれました。どうぞ妻にしてください(棒読み)」
偉度「盛り上がらぬこと、甚だしいな」

偉度の容赦ない感想に、文偉と休昭は同時に口を尖らせた。
「じゃあ、おまえはできるのか」
偉度は鼻を鳴らして、傲然と胸を張る。
「もともとの素材がちがうしね。わたしが女装したら、すくなくとも五人は虜にしてやれる自信があるぞ」
「それって、自慢できることか」
「ふん、どちらにしろ、演芸大会に出るのはわたしじゃない。まあ、せいぜい頑張るのだね。当日は、笑いに行ってやるよ」
休昭が怒って、暴れだしたのを、文偉が懸命になだめているのを尻目に、部屋を出ようとした偉度であるが、戸口が開かない。
「おや、なにかつっかえているのだろうか」
と、見るが、桟のところには特に何もないのであった。困ったな、とつぶやく偉度に、文偉は言った。
「なんだ、左将軍府に勤めているくせに知らぬのか。この部屋は、内部からは開かない仕掛けになっているのだよ。劉璋時代に、この部屋は、政敵を閉じ込めて脅すために使われていた、特殊な部屋だったとか」
なるほど、と偉度は周囲を見回した。
孔明をはじめ、だれかがこの部屋を使ったところを見たことがないし、見たところ、ただの物置としてしか用を成していないらしい。
脅迫などといった陰湿な手を使うことを拒む孔明が、この部屋を使うこともなければ、使わせるはずもないのであった。
「それでは、おまえたちは、どうやってこの部屋から出る」
「そこはそれ。希望の鐘」
といいつつ、文偉は部屋の隅っこに置いてあった、青銅の、杯をひっくり返したような大きさの鐘を取り出した。
「宿直の爺さまを、これで呼び出すのさ。帰るのだろう」
「急ぎ、軍師のところへ行かねばならぬからな。おまえたちは、まだ残るのか」
「うむ。盛り上がらぬといわれては、こちらも立つ瀬がない。見ておれ、当日には、みなが思わず踊りだすほど見事な芝居をみせてくれよう」
「期待してないで待っていよう。さあ、希望の鐘とやらを鳴らしてくれぬか」
ほいきた、と文偉は手にした鐘をがらんごろんと、なんとなく陰湿な音をさせて派手にならした。

鐘の音は、しんと静まり返った闇を抜け、左将軍府に響き渡った…

はずなのであるが。
「爺さんがこない」
と、つぶやいてから、偉度は、はっとした。
「宿直の爺さん、孫が産気づいたといって、さっき飛び出して行ったばかりだぞ!」
「なに? まことか? 俺たちがここに入るときは、なにも言ってなかったのに!」
「それはそうだ。孫が産気づくことを早々に予知できるものか。さて、困った。となると、この鍵束もこの部屋では役にたたぬというわけか…」
と、偉度は、爺さんからもらった鍵束を見下ろした。
「つまり?」
顔をひきつらせて尋ねてくる休昭に、偉度は答えた。
「つまり、わたしたちは、朝までこの部屋に閉じ込められる、というわけさ。いや、待てよ、爺さんの甥というのが代わりにやってくるのであった。それまで、しばらくここで我慢するか」

つづく……


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