はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

実験小説 塔 その35

2019年02月27日 10時32分54秒 | 実験小説 塔


「よい天気だな。それにご覧よ、あの雪をいただいた山の嶺の美しさといったらないな。あの雄大さは、蜀の靄にけぶったなかにある山の風景とは趣がちがい、清清しさがあるではないか。
ほら、鷹だよ。なんと心地よくすいすいと飛ぶものであろうか。わたしに詩才があったなら、いま見ている光景をうまく詩にしてみせるのに」
「それだけあれやこれやと気が付いて、それぞれに褒めちぎることができるのだから、才能はあるのではないか」
「大甘な評価をどうもありがとう。しかし詩人であったなら、それぞれを表現するのに的確な言葉が、ぱっと出てくるのだろう。わたしの言葉は、どうも陳腐でいけない」
「わかりやすいだろう。あんたは軍師なのだから、詩人のようにしゃべる必要はないさ」
「あなたという人は、天性の育て名人だな。しかも誉めて伸ばすのが実にうまい。だからこそ、わたしはここまでやってこられたのだが。
ところでね、子龍、昨日、野宿をした際に、夜中に狼の声が聞こえてこなかったかな」
「狼ではなかろう。人里に近すぎる。あれはきっと、どこぞで飼われている番犬が鳴いていたのだ。狼ではない」
「そうか。あの鳴き声にふと目がさめて、そのあと、妙に寝付けなかった。あなたはずいぶんぐっすり眠っていたな」
「おいおい、寝ていなかったなどと不安なことを言ってくれるな。体調はだいじょうぶなのであろうな」
「悪くはない。日が高くなってきて、居眠りをはじめたら起こしてくれ」
「たわけ。馬上で居眠りなんぞするな。あんたはとろいから、きっと居眠りしたとたんに馬から転げ落ちる」
「そんなことはない。馬の上では、やはり緊張するから、落ちたりはしないよ」
「いいや、あんたみたいな自信家こそがあぶない。居眠りしても、落ちる前に目が覚めるだろう、などと考えているから、思い切りぐうぐうと寝てしまい、馬から転げ落ち、首を骨折。あわれ、あの世行き」
「嫌なことを言う。よろしい。寝なければよいのだろう」
「岩壁から太守の城まで、往復するのに四日。期限まで十分だ。それより、無理をしないほうがいいだろう。日が高くなって眠くなったら、素直にどこかで休めばよいさ」
「とはいえ、太守がいまこうしているときも苦しんでいると思うと、気が引ける。いまだから告白するが、野宿は嫌いだよ。狼や虎が怖いのではなくて、人間が怖くなる。人里知れぬ山奥での野宿ならばともかく、人里から近いところでの野宿は、だれかが明かりを目指してやってくるのではないかと思えて、おそろしい。野盗がきたらどうしようとか、つまらない想像をしてしまう」
「たしかにそれはあるな。狼や虎よりも、人間のほうがはるかに性質が悪い」
「でも、あなたが一緒だからな。人間だろうと、本当なら怖くないのだけれど、やはり疲れているのかな。けれど、早く薬を取りにいかねばなるまい。石を使わなくても助けられるのであれば、全力で薬を手に入れるさ」





「なんだ、かまえていたよりも、ずいぶんあっさりと受け取れたものだな。ふっかけられるかなとも思ったのだが」
「ほかにも竜骨を買い求めてあつまっている者たちがいるようだよ。さっき並んでいるときに、隣り合わせになった者に話を聞いたのだが、ここの薬は、効き目がよいうえに、都で買うよりも安価なのだそうだ。その男は、ここの竜骨でなければどうしてもという、主人のたっての依頼で、遠路はるばるやってきたらしい」
「万が一のために買っておくのもよいかもな」
「おや、それならば、わたしのほうでいくらか融資しよう。もういちど並んでくるから待っていてくれ。遠慮をするな。ではな。

まだ昼だというのに、犬? いや、狼のような声だな。

ああ、やはり狼の声に聞こえますか。ところでお手前はどちらから? 

左様か、わたしは襄陽ですよ。このあたりは狼が出るのですか。人里には出てくることはない……そうですか、わたしは昨夜、狼の声をこの近くで聞いたのです。気のせいではなかったのだな。

太守がかわったおかげで平和になって、このあたりも今年はだいぶ豊作で山のほうも実りがあったから、餌がほしくて、人里にやってくる狼はいない、と。そういうものですか、どうも狼には疎くて。何度か旅をしたことはありますが、群盗に遭遇したことはあるのですが、狼には襲われたことがないですな。

へえ、意外に臆病なものなのですね。それでは、こちらがうかつな真似をせぬかぎり、襲ってくることは少ない、と。なるほど、下手に人間を害すれば、自分たちが狩られることをわかっているのか。
そういえば、わたしのところに来る報告も、猿が出ただの鹿が出ただのという報告はくるけれど、狼が出て被害があった、というのは滅多にないな。もともと蜀に狼は少ないのだっけ。そのかわり、なんだか変な模様の熊がいるんだった。

ああ、蜀にすこしばかり滞在しておりましてね、いるのですよ、見かけは熊そっくりなのですが、姿はなんともとぼけた、白と黒のおとなしい動物が。体が大きいのでぎょっとしますが、あれも臆病でね。モーという、鉄を食らうというどうぶつです。わたしが影からこっそり見たときは、鉄は食べておりませんでしたね。
そのかわり、器用なもので、前足をつかって笹をもいで、それを行儀の良いことに、きちんと川の水にひたして洗ってから食べるのです。なかなか感心したどうぶつですよ、あれは。地元の者のほうがよくわかっておりまして、大人しいうえに、見かけによらず機敏でなかなか捕まらないし、畑を荒らすことも稀だし、なにせ見ただけで戦意が失せる姿をしておりますから、山の神なんじゃないかな、ということで放っているそうです。

どうでしょうね、それは狼のほうが強いでしょう。ああ、また聞こえた。夜に聞くとぞっとする声ですが、こうして聞くと、雉の声とおなじくらいに寂しげなものですね。仲間とはぐれて人里に迷いこんでしまったのかもしれない。

順番がまわってきましたね。それではごきげんよう。

え? 二回も買ってくれた人には特別な品物をくれるって? ずいぶんと気前がよいではないか。
別室へ行くのか。待った。連れがいるので呼んできてよいだろうか。

と、言ったとたんに背中に感じるこれは、もしかしなくても刃物?」





「わたしの欠点というのは、自分で自分の容姿が好きではないから、公の場に出るのではないかぎり、自分の容姿が人に対してどんなふうに映るかを、あえて考えないところだな。しかも旅をしているということで油断した。失敗した」
「だったら、つぎに生れ変われることがあれば、ごくごく平凡な容姿で生まれてこられるように祈るのだな」
「羌族にも転生思想があるのか、勉強になる。ありがとう、自称・二代目神威将軍どの」
「その強がりも、これきりで聞けなくなるというのはすこし寂しいものだ。ちなみに教えてやるが、羌族とおまえたちはすべてひとくくりにして考えたがるが、部族によって生活習慣や信仰はちがう。おまえたちが石をつかって逃げた村の部族ではひとつの神しか信仰しなかったが、俺の故郷では多くの神を崇めた」
「そうなのか。それほど違うというと、なにか歴史的に深刻な背景を想像してしまう。もともとまったく別の部族同士が、戦などでむりやり統一されたということだろうか」
「そんなところだろう。俺もそこまで詳しくは知らん。祖先神アパペゴの語る伝説を聞けば、俺たちの祖先が、じつに多くの敵と戦ったことがわかる。敵のすべてが地上から滅んだわけではあるまい。みな、すこしづつわれらの中に組みいられて行ったのだ」
「そうだろうな。イ族もたしかそんなことを言っていた。この広い大地には、かつてさまざまな民族があったが、つよい力をもつ部族が、ほかの部族を吸収して大きくなっていったのだとな。わたしの祖先とて、いつの時期にか漢族に吸収された、部族のひとつであったようだ。というより、神代よりその血統を純粋なままに守っている部族、あるいは家などというものがあるのか、疑問だ」
「ならば、その疑問に俺が答えてやろう。俺の家は、太古よりその血を汚すことなく守り続けてきた。祖先はムチェジュによって創られた、選ばれたる者なのだ」
「それはびっくりだ」
「おまえたち漢族が羌とひとくくりにして呼ぶわれらとて、文字を持たないというだけで、多くの歴史を持っているということだ。文字を尊ぶおまえたちは、俺たちがよほど野蛮に見えるのだろう。母丘太守とやらは、俺たちのためと言いながら、むりやり、おまえたちの文化を押しつけてくる。このまま黙って従っておれば、俺たちは誇りをうしなう。だから戦うのだ」
「戦うにしても、卑怯ではないか。客を装って太守の城に入り込んだ、そこまではまあ、戦略としてはよかろう。しかし、襲うにあたり、その身の動きをにぶらせるために、あらかじめ毒を盛っておいたなど、いささか用意周到にすぎる」
「汚いというか。どちらが汚いのだ! 平和をもたらすためという名目で、俺たちを手なづけようとするからだ!」
「しかし、太守はおまえたちの宗教そのものを禁止したり、羌族の衣服を禁止したりするような真似はしていないのだろう。文字というものは、文化交流の最たるものだ。文字がわからねば、意思疎通もむずかしい。
もしわたしがおまえの軍師であったなら、こうして語ることばだけではなく、読み書きもおぼえるように、おまえに進言するのだがな。彼を知り、己を知れば、百戦危うからず、だぞ」
「御託はいい。石を出せ」
「あんまり人のいうことに耳を貸さないと、あとで痛い目にあうぞ。せっかくいいことを言ったのに。
いや、うちの主公が聞きすぎる人なのかな。なんだか懐かしくなってきた」

つづく……


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