3
法正は屋敷にもどると、忠実な家令に命じて、成都中の荒くれものを集めるようにいった。
家令は、とつぜんのことに、ほんのすこしだけ驚いた顔をしたが、それも一瞬のこと。
この短気な主人に、「なぜ」と問うのは命取りだと知っているので、かしこまりました、とだけ言って、すぐさま命令を実行にうつした。
法正は、部屋着に着替えて、奥の書斎で、大好きな香を炉でくゆらせながら、落ち着いてかんがえる。
『古城だと』
考えれば考えるほど、おかしな話である。
なんでいまさら、南華老仙が劉備、法正、孔明のもとにそれぞれあらわれて、天下一品の宝のありかを教えてくれたのか。
南華老仙が、曹操、孫権、劉備と、ついでに公孫氏あたりをくらべて、劉備がいちばん天下を取るにふさわしいと認めてくれたのか。
それならば素直にうれしいというべきだが、法正は不満である。
仮に南華老仙が民草の苦しみを見かねているというのなら、ふつうに天下一品の宝とやらを劉備か自分に手渡ししてくれればよいではないか。
夢の中の法正は、南華老仙が目のまえに現れたというだけで泡を食ってしまい、そのあたりをつっこむことができなかった。
いま、劉備に『古城へ潜って宝を取ってこい』といわれると、夢でもっとしっかりつっこめばよかったと、悔やまれてならない。
『南華老仙はケチだな』
そう思うしかない。
いや、えらい仙人だから、簡単に手に取れる宝は粗末に扱うに違いない、だからもったいぶったほうがいいと考えたのだろうか。
どちらにしろ、手間なのは困る。
古城とやらが、どれほどのものなのかは知らないが、どうせサソリや蝙蝠やゲジゲジのいるようなじめじめした場所だろう。
最初にそこに手をつっこむのは嫌だから、念のために人を集めておいたほうがいい。
そして、軍師将軍と争いになったなら、競争にかこつけて荒くれものに襲わせて、ついでにやつの命も奪ってしまえ。
蜀に二人の策士はいらない。わたしひとりで十分だ。
仮にやつをどさくさに紛れて消せなかったとしても、宝を得てしまえばこっちのもの。
主公は完全にわが味方になるであろう。
そうすれば、やつを蜀から追っ払って、荊州にでも行かせればいい。
そうだ、それがいいかんがえだ。益州と荊州からそれぞれ中原を目指して軍をすすめ、都を奪ったあと、呉を平らげる。
そして、適当な罪をでっちあげて、やつを亡きものにすれば、完璧だ。
そこまで夢想して、法正は、ニヤリ、と笑った。
本人としては、満面の笑みを浮かべたつもりなのだが、どうしても、悪い笑い方になってしまう。
母親に、気味が悪いからよせと何度も叱られた笑い方だ。
母親は、死の床でも、法正の行く末を気にして、笑い方には注意しろと遺言して、逝った。
直す努力はしたのかというと、これまた、まったくしていない。
笑い方がなんだという。
世に笑わない絶世の美女がいたのだから、笑うのが下手な天才策士がいてもおかしくなかろう。
そう思っている。
「ご主人さま、お客さまでございます」
「だれじゃ」
「魏文長さまがお見えです」
法正は、おもわず、ふん、と鼻を鳴らしていた。
『嗅覚の鋭い男だの。もう、うまい話をかぎつけたか』
魏延は入蜀のさい、何度か作戦行動を共にした男である。
寒門の出身だが勇猛果敢で知恵もそこそこ回るので便利だ。
しかも、孔明に対し悪感情を持っているという共通点がある。
しかし、野心がつよく、それを隠さない点がいささか気になる。
通せ、と命じると、ほどなく、魏延がのしのしと書斎に入ってきた。
七尺五寸ほどの立派な体躯をした男で、非常に男臭い面構えをしている。
孔明に反骨と呼ばれたが、反骨とは頭骨がやや後ろに飛び出しているように見える相で、なるほど、気にしているらしく、髪を結わずに下ろして、それを目立たなく見えるよう工夫していた。
「水臭いですぞ」
と、あらかた挨拶が終わったあと、魏延は率直に言ってきた。
「なんのことかな」
法正がとぼけると、魏延はぐっと上半身を乗り出してきた。
「南華老仙の古城のはなしです。古城の地下に、天下一品の宝が眠っている、その宝は天下を取れる宝。そして、それを取ってきた者こそが、主公の第一の軍師として選ばれると」
「よく知っておるのう。どこで聞いたのだ」
嫌味ではなく感心していうと、魏延はくくっ、と人の悪そうな笑い方をした。
わたしの笑い方もたいがいだが、こいつも一緒だな、と呆れる。
「密談のさい、そとに控えていた宦官のひとりに聞いたのです」
「その者の名は」
「それを教えたなら、孝直どのは処罰されるでしょう」
「当然じゃ」
「ならば、教えられませぬ。わが貴重な情報源ですからな」
「ふん、はしっこいやつよ。で、古城の宝の分け前をもらいに来たというわけか」
「ひどいおっしゃりようだ。しかし、ありていに言えばそうですな」
「古城といっても、どうせ、蝙蝠の巣窟のような暗い洞穴であろうよ。そこに宝があるかどうかもわからぬ。それでもわたしに同道したいと申すか」
「もちろん。それこそ、虎穴に入らずんば虎子を得ず。行動を起こさねば、なにを得ることも敵いませぬ」
「正規の兵は動かせぬぞ」
「それも承知。魏に漢中という喉元を抑えられている以上、正規の兵を本当かどうかわからぬ宝のために動かすことはできますまい」
「そこまでわかっているのなら、よし、同道をゆるす。主公にもその旨、通しておこう」
「ありがとうございます。して、ほかに人を集めますか」
「すでにわたしが手配済みだ」
「さすが太守。手回しがよい。それでは、人集めはお任せいたします。では、それがしも古城へ潜る準備に入りましょう」
「そうしてくれ。あと、集めた兵の指揮は、貴殿にあたってもらうことになるぞ。それでもよいな」
「大勢がからむとなると、分け前が減りませぬか」
「なにも出ない可能性もあるのだ。その心配は、宝を見てからせよ」
「そうですな、いささか先走りすぎました」
そう言って、魏延はひとりで大笑いしたあと、帰っていった。
残った法正は、仲間が増えたというのに、もやもやした気持ちを抱えていた。
魏延という男については、あらかた理解しているつもりなのだが、どうも寝首をかかれそうな気がして仕方ないのだ。
『ほかに信頼できる将がいればよいのに』
だれかいないかと、頭に思い浮かべようとするが、だれも浮かばない。
法正は、自分が人を信用していないので、人から自分が信用されているかもしれない、ということはまったく想像できなくなっていた。
『もし宝を見つけたとして、魏延が手柄も宝も寄こせといわれたら』
そこまで考えて、法正は軽く首を振った。
『それこそ、ないかもしれない宝のために、ばかばかしい想像だな』
家人に用意してもらった茶を一服飲んでから、法正は静かに、劉備に魏延のことを話す算段を頭の中で組み立てはじめた。
つづく
(Ⓒ牧知花 2021/07/17)
法正は屋敷にもどると、忠実な家令に命じて、成都中の荒くれものを集めるようにいった。
家令は、とつぜんのことに、ほんのすこしだけ驚いた顔をしたが、それも一瞬のこと。
この短気な主人に、「なぜ」と問うのは命取りだと知っているので、かしこまりました、とだけ言って、すぐさま命令を実行にうつした。
法正は、部屋着に着替えて、奥の書斎で、大好きな香を炉でくゆらせながら、落ち着いてかんがえる。
『古城だと』
考えれば考えるほど、おかしな話である。
なんでいまさら、南華老仙が劉備、法正、孔明のもとにそれぞれあらわれて、天下一品の宝のありかを教えてくれたのか。
南華老仙が、曹操、孫権、劉備と、ついでに公孫氏あたりをくらべて、劉備がいちばん天下を取るにふさわしいと認めてくれたのか。
それならば素直にうれしいというべきだが、法正は不満である。
仮に南華老仙が民草の苦しみを見かねているというのなら、ふつうに天下一品の宝とやらを劉備か自分に手渡ししてくれればよいではないか。
夢の中の法正は、南華老仙が目のまえに現れたというだけで泡を食ってしまい、そのあたりをつっこむことができなかった。
いま、劉備に『古城へ潜って宝を取ってこい』といわれると、夢でもっとしっかりつっこめばよかったと、悔やまれてならない。
『南華老仙はケチだな』
そう思うしかない。
いや、えらい仙人だから、簡単に手に取れる宝は粗末に扱うに違いない、だからもったいぶったほうがいいと考えたのだろうか。
どちらにしろ、手間なのは困る。
古城とやらが、どれほどのものなのかは知らないが、どうせサソリや蝙蝠やゲジゲジのいるようなじめじめした場所だろう。
最初にそこに手をつっこむのは嫌だから、念のために人を集めておいたほうがいい。
そして、軍師将軍と争いになったなら、競争にかこつけて荒くれものに襲わせて、ついでにやつの命も奪ってしまえ。
蜀に二人の策士はいらない。わたしひとりで十分だ。
仮にやつをどさくさに紛れて消せなかったとしても、宝を得てしまえばこっちのもの。
主公は完全にわが味方になるであろう。
そうすれば、やつを蜀から追っ払って、荊州にでも行かせればいい。
そうだ、それがいいかんがえだ。益州と荊州からそれぞれ中原を目指して軍をすすめ、都を奪ったあと、呉を平らげる。
そして、適当な罪をでっちあげて、やつを亡きものにすれば、完璧だ。
そこまで夢想して、法正は、ニヤリ、と笑った。
本人としては、満面の笑みを浮かべたつもりなのだが、どうしても、悪い笑い方になってしまう。
母親に、気味が悪いからよせと何度も叱られた笑い方だ。
母親は、死の床でも、法正の行く末を気にして、笑い方には注意しろと遺言して、逝った。
直す努力はしたのかというと、これまた、まったくしていない。
笑い方がなんだという。
世に笑わない絶世の美女がいたのだから、笑うのが下手な天才策士がいてもおかしくなかろう。
そう思っている。
「ご主人さま、お客さまでございます」
「だれじゃ」
「魏文長さまがお見えです」
法正は、おもわず、ふん、と鼻を鳴らしていた。
『嗅覚の鋭い男だの。もう、うまい話をかぎつけたか』
魏延は入蜀のさい、何度か作戦行動を共にした男である。
寒門の出身だが勇猛果敢で知恵もそこそこ回るので便利だ。
しかも、孔明に対し悪感情を持っているという共通点がある。
しかし、野心がつよく、それを隠さない点がいささか気になる。
通せ、と命じると、ほどなく、魏延がのしのしと書斎に入ってきた。
七尺五寸ほどの立派な体躯をした男で、非常に男臭い面構えをしている。
孔明に反骨と呼ばれたが、反骨とは頭骨がやや後ろに飛び出しているように見える相で、なるほど、気にしているらしく、髪を結わずに下ろして、それを目立たなく見えるよう工夫していた。
「水臭いですぞ」
と、あらかた挨拶が終わったあと、魏延は率直に言ってきた。
「なんのことかな」
法正がとぼけると、魏延はぐっと上半身を乗り出してきた。
「南華老仙の古城のはなしです。古城の地下に、天下一品の宝が眠っている、その宝は天下を取れる宝。そして、それを取ってきた者こそが、主公の第一の軍師として選ばれると」
「よく知っておるのう。どこで聞いたのだ」
嫌味ではなく感心していうと、魏延はくくっ、と人の悪そうな笑い方をした。
わたしの笑い方もたいがいだが、こいつも一緒だな、と呆れる。
「密談のさい、そとに控えていた宦官のひとりに聞いたのです」
「その者の名は」
「それを教えたなら、孝直どのは処罰されるでしょう」
「当然じゃ」
「ならば、教えられませぬ。わが貴重な情報源ですからな」
「ふん、はしっこいやつよ。で、古城の宝の分け前をもらいに来たというわけか」
「ひどいおっしゃりようだ。しかし、ありていに言えばそうですな」
「古城といっても、どうせ、蝙蝠の巣窟のような暗い洞穴であろうよ。そこに宝があるかどうかもわからぬ。それでもわたしに同道したいと申すか」
「もちろん。それこそ、虎穴に入らずんば虎子を得ず。行動を起こさねば、なにを得ることも敵いませぬ」
「正規の兵は動かせぬぞ」
「それも承知。魏に漢中という喉元を抑えられている以上、正規の兵を本当かどうかわからぬ宝のために動かすことはできますまい」
「そこまでわかっているのなら、よし、同道をゆるす。主公にもその旨、通しておこう」
「ありがとうございます。して、ほかに人を集めますか」
「すでにわたしが手配済みだ」
「さすが太守。手回しがよい。それでは、人集めはお任せいたします。では、それがしも古城へ潜る準備に入りましょう」
「そうしてくれ。あと、集めた兵の指揮は、貴殿にあたってもらうことになるぞ。それでもよいな」
「大勢がからむとなると、分け前が減りませぬか」
「なにも出ない可能性もあるのだ。その心配は、宝を見てからせよ」
「そうですな、いささか先走りすぎました」
そう言って、魏延はひとりで大笑いしたあと、帰っていった。
残った法正は、仲間が増えたというのに、もやもやした気持ちを抱えていた。
魏延という男については、あらかた理解しているつもりなのだが、どうも寝首をかかれそうな気がして仕方ないのだ。
『ほかに信頼できる将がいればよいのに』
だれかいないかと、頭に思い浮かべようとするが、だれも浮かばない。
法正は、自分が人を信用していないので、人から自分が信用されているかもしれない、ということはまったく想像できなくなっていた。
『もし宝を見つけたとして、魏延が手柄も宝も寄こせといわれたら』
そこまで考えて、法正は軽く首を振った。
『それこそ、ないかもしれない宝のために、ばかばかしい想像だな』
家人に用意してもらった茶を一服飲んでから、法正は静かに、劉備に魏延のことを話す算段を頭の中で組み立てはじめた。
つづく
(Ⓒ牧知花 2021/07/17)