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はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

青い玻璃の子馬 その7

2019年05月01日 10時48分37秒 | 青い玻璃の子馬
しらじらしい、うんざりするほど静かな夜が過ぎた。
馬超が帰ると、習氏は、何事もなかったかのように、ふつうに、やはり表情になにも浮かばせずに馬超を出迎えた。
そうして用意された夕餉を口にし、たんたんと時間を過ごしていく。
おたがいに、朝のことは、ひとことも触れない。
家人たちも、馬超が火山のように突然に怒りを爆発させる主人であると知っていたから、これをおそれてか、それとも、習氏が、馬超の留守に、みなによく言い聞かせていたものか、ふたりを気にするそぶりさえ見せない。
なにもない朝だったのかと、錯覚するほどである。
最悪の一日であった。
夢見からして悲しかった。
遠出に行こうとすれば、玻璃細工が落ちたせいで、習氏と娘を怒鳴らなければならなくなるし、落ち込んで気に入った場所に行けば行ったで、崖っぷちに立っている自分に気付き、そしてそれをたしなめてくれた娘を不用意に傷つけたうえ、ぼう然としていたら、なぜだかまたあらわれた趙子龍に、変にかん違いされたらしく、
「俺の地所を変なふうに利用するのなら、いっそ買い上げてくれ」
などと嫌味を言われる始末。
あの風景は気に入ったので、売ってくれるというのなら買ってやってもよかったが、しかし、馬超が、実際に自分の意思で動かせる金というのは、必要最低限のものしかない。
気前のよすぎる馬超の放埓な浪費ぶりにあきれた習氏が、金銭管理を完全に行っており、馬超には必要な額しか与えないからだ。
そこも、馬超が習氏に対し、複雑な感情を抱いている原因のひとつでもある。

に、しても、翊軍将軍め、ぺらぺらといらぬことを、周囲に言いふらさぬであろうな。
あれは口の重い男だから大丈夫だと思う。
思うが、たしかに口は重いけれども、注意せねばならぬことには、軍師将軍には、かわったことは、あますことなくすべて伝える男だ、という点だ。
あれは軍師の飼い犬だから注意しろと、そう言ったのは魏延だったか。
あれも癖のある男だが、翊軍将軍よりは、まだわかりやすい。
一度、酒席を共にしたいと申し込まれていたな、そういえば。
すっかりわすれて、返事をしていない。
あの魏延という男、軍師将軍との仲は、なぜだか最悪だという。どうでもいいことだが。
とにもかくにも、軍師将軍は、噂話を好むような者ではないから、たとえ翊軍将軍から、わたしの話を聞いたとしても、変な気を揉むひつようはないか。
そうだ、そもそも、気にすることからしておかしかろう。
だいたい、なんにもないのだからして。

そうしていろいろ考えながら、更衣をすませ、湯あみをすませ、あとは寝るばかりとなった馬超であるが、自室に戻る途中で、家人たちのひそひそ声が耳にはいってきた。
「やはり、奥方様とて黙っておられなかったのでしょうよ。旦那様がね、湯浴みにはいられたとたん、衣裳をおよこし、といって、わたしの手から取り上げて、着物をさぐりだしたのですよ」
「それは、旦那様が持ってらした、玻璃細工をさがしていたのかしら」
「そうでしょうよ。旦那様が、まだ身につけているのを確認したら、奥方様も安心なさったようで、このことは、旦那様には決していわないように、と言い置かれて、行ってしまったの」
「このおうち、大丈夫かしら。いまの奥方様が良い方だからお勤めできているけれど、お妾が増えて、しかもこのうちにすむ、なんてことになったら、たいへんだわ」
「さすがによそに家を与えるでしょうよ。奥方様、お気の毒にねぇ。ただでさえ、正夫人ではないと、世間からも侮られてしまっているのに」
「だれでもよかった、なんて、みんなの前で言わなくてもねぇ」
「あたしがもし言われたなら、すぐに荷物をまとめて出て行っているところだわよ。ここは、奥方様はよいけれど、旦那様はおそろしくて、あたしは苦手だわ」
「旦那様が好きでお勤めしていた人たちも、今朝の一件で、考え直したって言っていたわよ。まったく、なかなかいいお勤め先というのはないものね」

馬超は、家人たちに気づかれないように、自分でも情けないと思いながらも、足音を殺して、廊下を渡り、自室へともどった。
青い子馬の玻璃細工は、すっかり、いもしない『あたらしい妾』に贈られることになっているらしい。

自分が湯あみをしているあいだに、習氏が、玻璃細工の所在をたしかめていた、と聞いて、馬超としては複雑な気持ちになった。
まったく無関心ではないのだ。
無関心すぎる、ということに集中して怒りをぶつけてきただけに、家人たちから漏れ聞いたそのことばは、馬超の良心を、またもいじめた。

まったく、朝から晩まで、ろくなことがない。
いつからだ? 夢を見たせい? 
そもそも夢を見たのは、玻璃細工を見たからだろう。
とすると、あの玻璃細工はどうしたものか。
だれにもやるつもりはない。
かといって手元に置いておく気にはなれない。
一度でも、董氏が触れたことのあるものだというのなら形見にもなろうが、そうではないのである。

寝台に横になり、目をつむると、崖のふちで目を瞑って受けた、風の心地よさが思い出された。
平原を駆け抜けてきた風に似ていた。
あそこからなら、空でも飛べそうな。
もちろん、人は空を飛べない。
だが、玻璃細工の馬をあそこから投げたなら、翼が生えて、高く天へのぼっていってくれるのではないだろうか。
人は落ちたという。

青翠の父親は、気の毒に、あそこで命を落としたのだな。
そういえば、翊軍将軍も、そんなことを口にしていたようだが。
父親があそこで命を失い、自身もまた、視力をあそこで失った。
そんな悲しい場所に、足を運びつづける女。

そうして、馬超は、ある予感に突き動かされ、がばりと布団から起き上がった。

あの女は、わたしがいることを迷惑がっていた。
わたしがいなかったら、あそこでなにをするつもりだったのだ?
男たちに襲われながらも、諦めきった目をみせていた女。
人生を捨ててしまっている女。
まさか。

馬超は、朝になると、やはり朝餉もそこそこに、身づくろいだけすませると、従者もつけずに、趙雲の地所へと馬を走らせた。





馬は、肝心なときに嘶くといけないし、第一目立つので、ふもとの里の家にあずけておき、自分だけが山に入った。
青草の上に、それこそ敵をまつかのように腹ばいになって、静かに待ちつづける。

確信があった。
そうして、青草を通して土の冷たさが腹にとどき、なにやら体全体が冷えてきたころになり、青草をさくさくと踏みしだいてくる、軽やかな足音が聞こえてきた。
草のあいだから、気配を殺して、そっと様子をさぐる。
杖をつきながらも、慣れたように山道を登ってくる。
青翠だ。
今日は、声をかけなかった。
声をかけてはならない。
馬超は、気配を殺し、じっと青翠の様子を見つめる。
青翠は、崖のところまでやってくると、きょろきょろとあたりを見まわし、耳を澄ませる。慎重に、何度も。
そうして、納得したのだろう、山道から逸れてしまうため、木々にぶつからないよう、杖と、空いた手をうまく使って先に進む。
やがて、風の吹きつけてくる、その強さでわかったのだろう、足を止めて、持っていた杖を傍らに投げ捨て、まるで鳥が羽根をひろげるように、自身も腕を広げた。袖が、まるで翼のように見えた。
息を殺して見つめていると、青翠は、その姿勢のまま、すこしづつ、すこしづつ、慎重に前へ、前へと足を進める。

やはり。
馬超は、自身の読みが当たったことに、感謝した。
そうして、体を起こす。
背後で、馬超が起き上がる音が聞こえていてもおかしくないのだが、青翠は、いまから自分が飛び込むことになるであろう空に向かって集中しているせいか、振りかえるどころか、足を止める気配もない。
青翠の足が崖のぎりぎりにまで進んだとき、馬超は背後より、その姿をとらえ、そのまま、引きはがすようにして崖から遠ざける。
青翠は、突然に背後から現れた者が何者かわからないこともあり、はげしく抵抗してくる。
「放しなさい! やめて!」
足をばたつかせ、それでもなお、前へ、崖のほうへと進もうとする。
思いもかけない細身の女の抵抗に、馬超は舌打ちしながらも、青翠をなんとか、山道のところまで引き戻すことができた。
そのあいだ、蹴り飛ばされたり、ひっかかれたり、いろいろされたが、馬超のほうも夢中である。
そうして、もう大丈夫だろうというところで、青草の上に青翠を放り出す形で手を放した。

とたん、猛然と、青翠は身を起こすと、見えない目でもって、自分の邪魔をした者が、どこにいるのかを探しながら、怒鳴った。
「なにをなさるの? どうして邪魔をしたの!」
「どうしても、こうしてもなかろう! なぜ死ぬ?」
その声で、ようやく誰だかわかったのだろう。
青翠は、顔を鬼のように怖くして、噛みつくようにして馬超に言った。
「またあなたなの! わたしを待ち伏せしていたのですか!」
「いい読みをしていただろう。おまえは、ここにただの散策に来ていたのではない。死ぬためにここにきていたのだ。高大人とやらが自分を迎えに来る前に、死のうとしてな!」
青翠は黙りこみ、口をつぐんだ。どうやらそのとおりであったようだ。
馬超は、息をつき、そしてつづける。
「なぜ、死ぬ必要がある。それほどに己の運命が悲しいか」
「知った風な口を利かないでください! あなたなどに、なにが判るというのです!」
言いながら、青翠は、這ったまま、なおも崖のほうを目指そうとする。
馬超は、またも青翠を止めるべく、手を伸ばさねばならなかった。
「待て! 待てというのだ!」
「放して! どうせ、この身は死んだも同然! 父が助けてくれた命とはいえ、生きていても、目の見えぬ厄介者として生涯を過ごさねばならぬばかりか、辱めを受けつづけて生きねばならないというのに、なぜ生きていなければならないのですか!」

この世の無情への苛立ちか、それとも死への執着か、青翠は、はげしく暴れながらも、なおも崖を目指して動こうとする。
馬超は、地べたに這いずり回るような形でも、なおも死を目指す娘の姿に苛立ち、馬乗りになる形で、娘の動きを止めた。
それでもなお、娘は暴れ、奇声を発しながら、手足をばたつかせ、両手で、自分の上に乗っている男を、殴ったり、ツメで引っかいたりして見せる。
こうなると獣のようである。
いや、はたから見れば、いつぞやの男たちのように、この娘を襲おうとしているようではないか。
青翠があまりに暴れるので、着物ははだけて、なまめかしく白い肩があらわになる。
ええい、くそ、と悪態をつきつつ、馬超は、片手で暴れる女の手首を掴み上げ、もう片方の手で、あらわになった肌をもとに戻すべく、頬を引っかかれながらも、襟元を戻してやった。
われながら、なにをしているのかと呆れるところであるが、頬の肉に食い込むツメの痛さに我慢しつつ、苦労して着物を直してやると、とたん、娘はなにを思ったか、急におとなしくなった。

暴れるのを止めると、まるで放心したように、だらりと手足を地面に投げたまま、青翠は、何者もうつさない双眸から、涙をぼろぼろとこぼした。
青翠の表情が、あまりに虚ろなために、馬超は、逆に心配になってきた。
気が触れてしまったのではないだろうか。
馬乗りになっていた姿勢から、体を離し、地面の上に仰向けになり、嗚咽することもなく、涙を流すだけの青翠に、おそるおそる、馬超は声をかける。
「おい?」
頬を触ると、それまで馬超も長いあいだ、地面の上に伏せていたせいか、体が冷えていたため、頬の温かさが感動的ですらあった。
この温かさこそが、生きているということなのだろう。
「わたしは、なぜ生きねばならないのですか」
娘は泣きながら、問いかけてくる。
「教えてくださいまし。なぜ生きねばならないのです。生きていれば、必ずよいことがあるなどと、陳腐なことはおっしゃらないでください。そんなことはないということは、このわたしが身をもって知っております。
もともと闇の中に住んでいるのです。死ぬことが親不孝だというのですか。父がわたしを助けたのは、あのような老人の慰み者にするためではなかったはずです。
わたしを少しでも哀れだと思うのなら、わたしをあの崖から投げ落としてください!」
「馬鹿なことを申すな。わたしを人殺しにするつもりか! おまえに何の咎があって、崖から投げ落とさねばならぬ!」
「わたしの咎なら、ございます。わたしが父を殺した。花を摘んで欲しいなどというわがままさえ口にしなければ、父はいまも、きっとお元気であったはず! 
わたしが父を殺した罰が、この運命だというのならば、だれに頼めば許してくれるというのですか。わたしにとっては、世の中は、決して明けることのない夜でありつづけるのです。だから、殺してください!」
そういって、娘は投げ出した手をようやく動かし、顔を覆って、声をあげて泣き出した。

明けることのない夜か。
娘の言葉を引き継いで、馬超の心も暗くなってくる。
仇討ちの名のもと、虐げられつづけてきた辺境の一族が、いっせいに蜂起した。そこには、長年にわたり蓄積された怨念と、悲憤があった。
いや、それだけを底力に、爆発的な力を見せて、馬超たちは戦ったのだ。
戦略はなかった。ただ大地を駆け、敵を殲滅すれば、勝てると思っていた。
その果てに待っていたのは、破滅であった。
なのに、この身は生きて、いまも大地のうえにある。

つづく……


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