さて、少々時間をさかのぼる。
趙雲は、孔明を迎えにいくべく、出立の支度をすると、その屋敷に向かった。
しかし諸葛家の門番は、趙雲の姿を見て、怪訝そうに眉をしかめた。
「軍師は、趙将軍の自邸にお泊りになったのでは?」
「なんだと?」
「ゆうべ、趙将軍のところから、使いが参りまして…」
と、みなまで言わず、門番の顔色が変わった。
同時に、趙雲の心臓が跳ねた。
まさか。
門番は、やはりこれも偉度によって躾けられた家人であったから、察しのいいところで、自分たちが失態をしたことに気づいたのだ。
そうして、怯えた声で尋ねてくる。
「軍師は、そちらにいらっしゃらなかったのですか?」
「おらぬ。使いというのは、何者だ?」
「いつもの男でございました」
いつもの男、というのは、荊州時代から趙雲が使っている男である。
その男、そういえば、今日は姿を見ていない。
そしてさらに、孔明の馬車を引いていた御者も、屋敷にもどっていないという。
孔明のすべてを理解しているわけではないが、家人に嘘をついてまで、泊まりに行く先があるとはおもえない。
焦る気持ちを抑えつつ偉度に連絡を取ると、さすがに行動がはやく、偉度は成都を出ようとしていた御者と、趙雲の家の家人を捕まえて、屯所へ引っ立ててきた。
屯所に駆けつけると、すでに二人はすべてを吐いたあとであった。
趙雲の顔を見るなり、偉度は前置きもなしに早口で、二人を罵る。
「呆れるじゃありませんか。たった一晩で、こいつら揃って気がちがってしまったらしい。こいつら、魏にそそのかされて、軍師を攫って、連中に渡した、というのですよ。
呆れたことに、連れて行った場所はどこだとおもいます? 広漢の、終風村だというのです」
と、偉度は捕縛した二人を軽蔑しきったまなざしで見下ろす。
捕縛した二人は、趙雲が連絡をうけて駆けつけたときには、すでに拷問を受け、洗いざらい白状したあとであった。
もしも孔明がこの場にいたならば、短慮な真似はするなといって、偉度をきつく叱ったであろう。
情報を素早く引き出せたことを評価しつつも、趙雲は、孔明がいなくなった途端に、これかといささか危うさをおぼえた。
「さあ、将軍に、わたしたちにした話をくりかえすのだ」
裏切った仲間には、容赦はしない、という思考は、偉度の精神に沁みこんでいるようである。
偉度が言うと、かつて仲間であったはずの御者は、のろのろと口を開く。
「俺たちは、天下を救うために、やむを得ずそうしたのだ。あらたな帝をむかえ、漢王朝を再興させるためには、犠牲はやむを得ぬ」
「わけがわからぬ。正気か?」
趙雲が苛立ちの籠もったまなざしを偉度に向けると、偉度は、肩をすくめてみせた。
「まったく、あなたまでおのれを見失ってどうするです。さあ、続きを」
「戦乱の世を終わらせるために、曹公はいまの帝を廃し、あらたに劉氏の帝を迎えることを決められた。しかしそうなれば、皇叔たる主公も黙っておられぬ。またあらたな火種となるであろう。
そこで曹公は、ひそかに育てられていた、主公の長子の劉括さまに、帝位についていただくことを決められたのだ」
「主公の長子だと? 若君のほかに、お子がいて、それがあろうことか、曹操の手元で育てられていた、というのか」
「本来は殺されるところであったのを、陳長文が助けて養育していたのだと聞いた。御年十二になられる、実に聡明な御子だという。曹公は主公の御子を帝につけることで、魏と蜀の融和をはかろうとされているのだ」
「そこで、なぜ犠牲が必要で、おまえたちは軍師を略取せしめたのだ?」
「軍師は、劉括さまの母上を、新野にて捕らえ、処刑したからだ。曹公は、新帝を即位させられるにあたり、我らのこれまでのことは水に流す、ともに来朝し、帝をお助けせよと仰っておられる。だが、帝の母上を殺した者だけは、許すことができぬ、と。
しかし、主公は軍師を厚く信頼しており、この話を持ちかければ、きっとそのようなことはできぬと、曹公のお話自体を蹴る危険性があった。そこで仕方なく、軍師を捕らえ、新帝の母を処刑した罪で処断してから、主公にお知らせすることになったのだ」
「新野で、軍師が母親を処刑? なにかの間違いではないか。あるいは人違いだ。軍師が、たやすく人を処断するとはおもえぬ」
しかし、顔が腫れ上がった御者は、趙雲の問いに首を振った。
「軍師は非情なお方だ。ご母堂が、身分が低いうえに、曹公に仕えていることを知ると、夫に会いに来たところを捕らえ、新野を探っていた細作だと言って、処刑されたのだという」
「そのような話は聞いたことがない」
すぐさま趙雲は否定する。
すると、男も負けじと食い下がる。
「なぜお分かりになる! 四六時中、軍師のそばにいたというのならともかく、軍師のすべてを貴殿が把握しておられるというのか」
「そうだ」
これもまたきっぱり言ってのけると、趙雲は偉度に、表に出るようにと目で知らせた。
その背中に、御者が言葉を浴びせてくる。
「たった一人! たった一人の男が犠牲になれば、乱世が終わり、みなが助かるのだ! これ以上の血を流すことなく、すべてが終わるのだぞ。たった一人の男の命を惜しみ、天下を安んじることのできる機会を、みすみす捨てる、というのか!」
※
外に出ると、あきれるほど平和なことに、空は晴れ、ゆるやかな風が吹き、それにのって、白い蝶がひらひらと舞っていくのが見えた。
男たちのした話があまりに荒唐無稽でおもいがけなかったために、趙雲は、部屋の外にはいつもの平和な光景があることを、ありがたくおもった。
偉度は、おのれの失態に恥じ入っているのだろう。
それを誤魔化すためでもないだろうが、わざとぶっきらぼうに嘆いてみせる。
「やれやれ、あいつは、わたしなどよりずっと年長で、世間というものをよく知っております。分をわきまえた男だとおもっていたのに、あんなたわ言にたやすくひっかかり、恩人をあっさり敵に売るとは。これだから、人なんてものは、信用しちゃいけない」
「おまえ、それを軍師の前で言うなよ」
わかっています、と偉度は言って、大きく息を整えた。
悪態をついていても、本意ではないのだろう。
「さて、あれだけ言い切ったからには、軍師が新帝の劉括とやらの母親を殺した、なんて話はでまかせと見てよろしいのですね?」
「同じ罪人を処罰するにも、軍師は、女は罪を軽くする傾向がある。新野でも罪人の裁定はしていたが、もしも処刑せねばならぬほどの罪状を犯した女がいたとしたら、それは俺もおぼえているはずだ」
「あなたがしらないところで、そんなことがあったのかもしれない」
「ない。有り得ない…いや、女を処刑したといえば、一度だけ、曹操の刺客が忍び込んだときがあった」
おのれで口にだし、趙雲は電光に打たれたようにおもった。
あの女、むかし袁紹のもとに身を寄せていた劉備の情けを受けたと言っていた。
もし、その女のことを指すのなら?
様子のかわった趙雲を見て、偉度が小首をかしげて、どうしたのかと尋ねてくる。
趙雲は、かつて新野で起こった事件のあらましを話して聞かせた。
「なるほど。さすがに新帝の母が刺客だった、なんて事実は公にできないから、軍師を悪者に仕立て上げているわけか。軍師をさらった理由がわかったところで、なんだって陳長文ともあろう者が、こんな無茶な策謀をめぐらせているのでしょうね。それに、曹操が、憎い敵の子を帝位につけてやる、なんて慈善事業をするとおもいますか」
「有り得ぬ。もし本心だとしたら、曹操は狂ったにちがいない」
ほんとうであれば喜ばしいことだが、趙雲は、曹操という男が、そんな感傷的な真似をするとはおもえなかった。
曹操は武芸や政務のみならず、文芸においても卓越した才能を示している。
おそらくこの世で、もっとも人間というものを冷静に見ている男だ。
だからこそ、新帝の即位、などという話は妄言にしか聞こえなかった。
ほんとうであったら、どれだけ素晴らしいか知れないが、いい話というのは、かならずどこかで人を裏切るものだ。
それが事実だと仮定して、まず、孔明を処断したのち、蜀は無血状態で魏に併呑される。
つづいて、赦す、赦すとはいいながら、馬超たちの立場は危うくなり、結局なんらかの罪をむりやり着せられて、刑場へ引っ立てられる。
そうしてあらかた粛清がおわったあと、魏と蜀の両方を手に入れた曹操は、新帝の後見人としてふたたび権力をふるい、残る呉を平らげるであろう。
結局、曹操が一番得をするのだ。
曹操が、最初に孔明を始末しようとしたのは正しい。
孔明は蜀においての要なのだ。
この要が壊れてしまえば、あとはみなバラバラになってしまい、曹操のおも惑どおりになるだろう。
だから捕らえた。
そして…
「かれらはすぐに軍師を殺さないでしょう」
「なぜわかる」
「曹操は、才能を持つものに厚い。相手がむしろ、曹操だったら幸運ですよ。もしこの策謀を曹操自身がめぐらせているのであれば、おそらく軍師を味方につけるべく、いろいろ懐柔策を用いるとおもうのです」
「金も女も役には立たぬぞ」
「しかし、命がきわめて危うい状況になったらどうです。あの方は、生きるのが大好きな人ですからね、ひとまず生きるためならば、案外、あっさり曹操の前に膝を折るかもしれない。そうして、仲間になったフリをして、わたしたちのことろへもどってくる」
偉度の推理に、趙雲は首を振った。
「軍師は、そのような変節漢のまねごとはせぬ。こと、相手が曹操となれば、全身全霊をかけて、おのれの誇りを見せようとするであろう」
自分で言って、ぞっとした。
孔明はもしかしたら、すでにこの世の者ではないのか?
「まあ、生きていることはたしかだ。もし殺すのが最初からの目的ならば、さっさとその場でそうしていただろうし、おそらく何か他に目的があるのでしょう。さて、こんなところでおしゃべりをしていても仕方がない。行きますよ。もしかしたら、途中で連中に追いつくかもしれない」
「広漢の終風村か…まちがいないのであろうな?」
すると、偉度はちらりと趙雲を見て、艶めいた笑みを浮かべる。
「確認している暇はありませぬ。しかし、どうもこの話は、もっといろいろ裏にあるような気がしてならないのです。根拠はなにもなく、勘なのですが」
つづく……
(サイト・はさみの世界 初掲載日 2005/05/19)
趙雲は、孔明を迎えにいくべく、出立の支度をすると、その屋敷に向かった。
しかし諸葛家の門番は、趙雲の姿を見て、怪訝そうに眉をしかめた。
「軍師は、趙将軍の自邸にお泊りになったのでは?」
「なんだと?」
「ゆうべ、趙将軍のところから、使いが参りまして…」
と、みなまで言わず、門番の顔色が変わった。
同時に、趙雲の心臓が跳ねた。
まさか。
門番は、やはりこれも偉度によって躾けられた家人であったから、察しのいいところで、自分たちが失態をしたことに気づいたのだ。
そうして、怯えた声で尋ねてくる。
「軍師は、そちらにいらっしゃらなかったのですか?」
「おらぬ。使いというのは、何者だ?」
「いつもの男でございました」
いつもの男、というのは、荊州時代から趙雲が使っている男である。
その男、そういえば、今日は姿を見ていない。
そしてさらに、孔明の馬車を引いていた御者も、屋敷にもどっていないという。
孔明のすべてを理解しているわけではないが、家人に嘘をついてまで、泊まりに行く先があるとはおもえない。
焦る気持ちを抑えつつ偉度に連絡を取ると、さすがに行動がはやく、偉度は成都を出ようとしていた御者と、趙雲の家の家人を捕まえて、屯所へ引っ立ててきた。
屯所に駆けつけると、すでに二人はすべてを吐いたあとであった。
趙雲の顔を見るなり、偉度は前置きもなしに早口で、二人を罵る。
「呆れるじゃありませんか。たった一晩で、こいつら揃って気がちがってしまったらしい。こいつら、魏にそそのかされて、軍師を攫って、連中に渡した、というのですよ。
呆れたことに、連れて行った場所はどこだとおもいます? 広漢の、終風村だというのです」
と、偉度は捕縛した二人を軽蔑しきったまなざしで見下ろす。
捕縛した二人は、趙雲が連絡をうけて駆けつけたときには、すでに拷問を受け、洗いざらい白状したあとであった。
もしも孔明がこの場にいたならば、短慮な真似はするなといって、偉度をきつく叱ったであろう。
情報を素早く引き出せたことを評価しつつも、趙雲は、孔明がいなくなった途端に、これかといささか危うさをおぼえた。
「さあ、将軍に、わたしたちにした話をくりかえすのだ」
裏切った仲間には、容赦はしない、という思考は、偉度の精神に沁みこんでいるようである。
偉度が言うと、かつて仲間であったはずの御者は、のろのろと口を開く。
「俺たちは、天下を救うために、やむを得ずそうしたのだ。あらたな帝をむかえ、漢王朝を再興させるためには、犠牲はやむを得ぬ」
「わけがわからぬ。正気か?」
趙雲が苛立ちの籠もったまなざしを偉度に向けると、偉度は、肩をすくめてみせた。
「まったく、あなたまでおのれを見失ってどうするです。さあ、続きを」
「戦乱の世を終わらせるために、曹公はいまの帝を廃し、あらたに劉氏の帝を迎えることを決められた。しかしそうなれば、皇叔たる主公も黙っておられぬ。またあらたな火種となるであろう。
そこで曹公は、ひそかに育てられていた、主公の長子の劉括さまに、帝位についていただくことを決められたのだ」
「主公の長子だと? 若君のほかに、お子がいて、それがあろうことか、曹操の手元で育てられていた、というのか」
「本来は殺されるところであったのを、陳長文が助けて養育していたのだと聞いた。御年十二になられる、実に聡明な御子だという。曹公は主公の御子を帝につけることで、魏と蜀の融和をはかろうとされているのだ」
「そこで、なぜ犠牲が必要で、おまえたちは軍師を略取せしめたのだ?」
「軍師は、劉括さまの母上を、新野にて捕らえ、処刑したからだ。曹公は、新帝を即位させられるにあたり、我らのこれまでのことは水に流す、ともに来朝し、帝をお助けせよと仰っておられる。だが、帝の母上を殺した者だけは、許すことができぬ、と。
しかし、主公は軍師を厚く信頼しており、この話を持ちかければ、きっとそのようなことはできぬと、曹公のお話自体を蹴る危険性があった。そこで仕方なく、軍師を捕らえ、新帝の母を処刑した罪で処断してから、主公にお知らせすることになったのだ」
「新野で、軍師が母親を処刑? なにかの間違いではないか。あるいは人違いだ。軍師が、たやすく人を処断するとはおもえぬ」
しかし、顔が腫れ上がった御者は、趙雲の問いに首を振った。
「軍師は非情なお方だ。ご母堂が、身分が低いうえに、曹公に仕えていることを知ると、夫に会いに来たところを捕らえ、新野を探っていた細作だと言って、処刑されたのだという」
「そのような話は聞いたことがない」
すぐさま趙雲は否定する。
すると、男も負けじと食い下がる。
「なぜお分かりになる! 四六時中、軍師のそばにいたというのならともかく、軍師のすべてを貴殿が把握しておられるというのか」
「そうだ」
これもまたきっぱり言ってのけると、趙雲は偉度に、表に出るようにと目で知らせた。
その背中に、御者が言葉を浴びせてくる。
「たった一人! たった一人の男が犠牲になれば、乱世が終わり、みなが助かるのだ! これ以上の血を流すことなく、すべてが終わるのだぞ。たった一人の男の命を惜しみ、天下を安んじることのできる機会を、みすみす捨てる、というのか!」
※
外に出ると、あきれるほど平和なことに、空は晴れ、ゆるやかな風が吹き、それにのって、白い蝶がひらひらと舞っていくのが見えた。
男たちのした話があまりに荒唐無稽でおもいがけなかったために、趙雲は、部屋の外にはいつもの平和な光景があることを、ありがたくおもった。
偉度は、おのれの失態に恥じ入っているのだろう。
それを誤魔化すためでもないだろうが、わざとぶっきらぼうに嘆いてみせる。
「やれやれ、あいつは、わたしなどよりずっと年長で、世間というものをよく知っております。分をわきまえた男だとおもっていたのに、あんなたわ言にたやすくひっかかり、恩人をあっさり敵に売るとは。これだから、人なんてものは、信用しちゃいけない」
「おまえ、それを軍師の前で言うなよ」
わかっています、と偉度は言って、大きく息を整えた。
悪態をついていても、本意ではないのだろう。
「さて、あれだけ言い切ったからには、軍師が新帝の劉括とやらの母親を殺した、なんて話はでまかせと見てよろしいのですね?」
「同じ罪人を処罰するにも、軍師は、女は罪を軽くする傾向がある。新野でも罪人の裁定はしていたが、もしも処刑せねばならぬほどの罪状を犯した女がいたとしたら、それは俺もおぼえているはずだ」
「あなたがしらないところで、そんなことがあったのかもしれない」
「ない。有り得ない…いや、女を処刑したといえば、一度だけ、曹操の刺客が忍び込んだときがあった」
おのれで口にだし、趙雲は電光に打たれたようにおもった。
あの女、むかし袁紹のもとに身を寄せていた劉備の情けを受けたと言っていた。
もし、その女のことを指すのなら?
様子のかわった趙雲を見て、偉度が小首をかしげて、どうしたのかと尋ねてくる。
趙雲は、かつて新野で起こった事件のあらましを話して聞かせた。
「なるほど。さすがに新帝の母が刺客だった、なんて事実は公にできないから、軍師を悪者に仕立て上げているわけか。軍師をさらった理由がわかったところで、なんだって陳長文ともあろう者が、こんな無茶な策謀をめぐらせているのでしょうね。それに、曹操が、憎い敵の子を帝位につけてやる、なんて慈善事業をするとおもいますか」
「有り得ぬ。もし本心だとしたら、曹操は狂ったにちがいない」
ほんとうであれば喜ばしいことだが、趙雲は、曹操という男が、そんな感傷的な真似をするとはおもえなかった。
曹操は武芸や政務のみならず、文芸においても卓越した才能を示している。
おそらくこの世で、もっとも人間というものを冷静に見ている男だ。
だからこそ、新帝の即位、などという話は妄言にしか聞こえなかった。
ほんとうであったら、どれだけ素晴らしいか知れないが、いい話というのは、かならずどこかで人を裏切るものだ。
それが事実だと仮定して、まず、孔明を処断したのち、蜀は無血状態で魏に併呑される。
つづいて、赦す、赦すとはいいながら、馬超たちの立場は危うくなり、結局なんらかの罪をむりやり着せられて、刑場へ引っ立てられる。
そうしてあらかた粛清がおわったあと、魏と蜀の両方を手に入れた曹操は、新帝の後見人としてふたたび権力をふるい、残る呉を平らげるであろう。
結局、曹操が一番得をするのだ。
曹操が、最初に孔明を始末しようとしたのは正しい。
孔明は蜀においての要なのだ。
この要が壊れてしまえば、あとはみなバラバラになってしまい、曹操のおも惑どおりになるだろう。
だから捕らえた。
そして…
「かれらはすぐに軍師を殺さないでしょう」
「なぜわかる」
「曹操は、才能を持つものに厚い。相手がむしろ、曹操だったら幸運ですよ。もしこの策謀を曹操自身がめぐらせているのであれば、おそらく軍師を味方につけるべく、いろいろ懐柔策を用いるとおもうのです」
「金も女も役には立たぬぞ」
「しかし、命がきわめて危うい状況になったらどうです。あの方は、生きるのが大好きな人ですからね、ひとまず生きるためならば、案外、あっさり曹操の前に膝を折るかもしれない。そうして、仲間になったフリをして、わたしたちのことろへもどってくる」
偉度の推理に、趙雲は首を振った。
「軍師は、そのような変節漢のまねごとはせぬ。こと、相手が曹操となれば、全身全霊をかけて、おのれの誇りを見せようとするであろう」
自分で言って、ぞっとした。
孔明はもしかしたら、すでにこの世の者ではないのか?
「まあ、生きていることはたしかだ。もし殺すのが最初からの目的ならば、さっさとその場でそうしていただろうし、おそらく何か他に目的があるのでしょう。さて、こんなところでおしゃべりをしていても仕方がない。行きますよ。もしかしたら、途中で連中に追いつくかもしれない」
「広漢の終風村か…まちがいないのであろうな?」
すると、偉度はちらりと趙雲を見て、艶めいた笑みを浮かべる。
「確認している暇はありませぬ。しかし、どうもこの話は、もっといろいろ裏にあるような気がしてならないのです。根拠はなにもなく、勘なのですが」
つづく……
(サイト・はさみの世界 初掲載日 2005/05/19)