水鏡先生こと司馬徳操の私塾にかよいはじめてから、徐庶にも親友と呼んでいい人物ができた。
それは諸葛孔明と崔州平のふたりで、こんかいのはなしに登場するのは、諸葛孔明のほうである。
ちなみに孔明とは、はなはだ明るい、という意味を指すことばであり、かれの名である『亮』も、かがやくという意味を含んでいる。
孔明の名と字をさずけた人物は、よほどこの少年の資質にほれ込んでいたのか、それとも、暗い世相にあって、負けないように自身がかがやいてほしいという祈りをこめたのか。ど
ちらかははっきりしないが、ともかく、外見においては、この諸葛孔明という少年は、その名のとおり、きらきらした容姿にめぐまれていた。
玉璧のようにうつくしい白い肌に、からすの羽根のように黒い髪、理知的な力強いまなざしに加えて、品の良さそうな鼻筋。唇は厚からず薄からずで、しゃべると涼やかなよい声をしていた。
そのうえすくすく育って、身の丈が八尺ちかくもある。
だが、ざんねんなことには、あまり頑強な性質ではない。
そしてもっとざんねんなことには、手弱女のようなやさしげな印象をあたえる容姿に反して、意外に強気で生意気である。
いつか将来、この暗鬱とした世相の空気をなぎ払い、春秋時代に斉の桓公を覇者におしあげた管仲のようなりっぱな人物になるのだといってはばからない。
そこまではいい。
ただ、管仲は、春秋時代のなかでも飛びぬけて功績のあった大政治家なので、ほとんどの水鏡先生の弟子は、かれを目指していたが、そうなるのだ、とはっきり公言している大胆不敵なのは孔明だけであった。
そして孔明は、そうなるために必死で勉強しているかというと、まったくそんなことはなく、徐庶や石広元、崔州平といった水鏡先生の弟子たちが、古書の文言の意味をさぐったり、またそれらを暗記したりするのにキュウキュウとしているのに対し、窓辺で膝をかかえて口笛なんぞをぴいぴい吹きながら、ああ、君たちはほんとうの学問のしかたを知らない、学問というのは、大要をつかんで実生活に活かすことがほんとうなのだ、などとわかったようなことをいうのだ。
徐庶は孔明の図抜けた記憶力や観察力を認めていたので、とくに気にしない。
崔州平たちは孔明の大口に慣れていたので、またか、こいつは。ちょっとは同じように本を読むがいい、などなどむかむかしながらおもう程度ですんでいる。
が、ほかのこころの狭い弟子たちはそうはいかない。
頭に入らない文言や、膨大な読書量にいらいらしていたこともあり、窓辺の孔明のところに詰め寄って、なんだ、いまなにを言った、おれたちが学問の仕方をしらないというのか、それはおまえのほうだろう、この青書生め、という。
孔明も孔明で、こういった連中は無視すればいいものを、売られた喧嘩は買うたちで、真実を言ったまでだ、きみたちにはむずかしすぎて、わたしのことばはわからないかな、それは気の毒なことだと返す。
すると、喧嘩を売ったほうもたまらない。
ますますいきり立って、なにをいうか、このとんちきめ、ともかく、その気にさわる口笛をよせ! とさらに詰め寄る。
孔明はしらっとしたもので、わかった、口笛はやめよう。でもきみたちに同情しているから、ついつい口が出てしまうのさ、そこはわかってくれたまえ、と余計なことをいう。
で、口論だったものが手が出る、足が出る。
徐庶が孔明をかばってやる隙もなく、あれよあれよというまに塾は乱闘の場になり、さほど時間も経たないうちに、ボロぞうきんと化した孔明ができあがる。
亡くなった叔父さんの遺産をごっそり引き継いで、なかなか裕福な暮らしをしている孔明は、塾の弟子たちのなかでも、とくにこだわってみごとな絹織物に袖をとおしていたが、その立派な衣裳も、あっというまに泥と穴だらけだ。
もちろん、本人の白い肌にも痣と傷ができる。
孔明は、その点ではじつに口ほどにもないやつだったといえよう。
自分が五体満足であることを守ろうとして、屈辱をしのんでいじめっ子の股をくぐった韓信とは、だいぶ思慮深さにおいて差があるのである。
つづく…
それは諸葛孔明と崔州平のふたりで、こんかいのはなしに登場するのは、諸葛孔明のほうである。
ちなみに孔明とは、はなはだ明るい、という意味を指すことばであり、かれの名である『亮』も、かがやくという意味を含んでいる。
孔明の名と字をさずけた人物は、よほどこの少年の資質にほれ込んでいたのか、それとも、暗い世相にあって、負けないように自身がかがやいてほしいという祈りをこめたのか。ど
ちらかははっきりしないが、ともかく、外見においては、この諸葛孔明という少年は、その名のとおり、きらきらした容姿にめぐまれていた。
玉璧のようにうつくしい白い肌に、からすの羽根のように黒い髪、理知的な力強いまなざしに加えて、品の良さそうな鼻筋。唇は厚からず薄からずで、しゃべると涼やかなよい声をしていた。
そのうえすくすく育って、身の丈が八尺ちかくもある。
だが、ざんねんなことには、あまり頑強な性質ではない。
そしてもっとざんねんなことには、手弱女のようなやさしげな印象をあたえる容姿に反して、意外に強気で生意気である。
いつか将来、この暗鬱とした世相の空気をなぎ払い、春秋時代に斉の桓公を覇者におしあげた管仲のようなりっぱな人物になるのだといってはばからない。
そこまではいい。
ただ、管仲は、春秋時代のなかでも飛びぬけて功績のあった大政治家なので、ほとんどの水鏡先生の弟子は、かれを目指していたが、そうなるのだ、とはっきり公言している大胆不敵なのは孔明だけであった。
そして孔明は、そうなるために必死で勉強しているかというと、まったくそんなことはなく、徐庶や石広元、崔州平といった水鏡先生の弟子たちが、古書の文言の意味をさぐったり、またそれらを暗記したりするのにキュウキュウとしているのに対し、窓辺で膝をかかえて口笛なんぞをぴいぴい吹きながら、ああ、君たちはほんとうの学問のしかたを知らない、学問というのは、大要をつかんで実生活に活かすことがほんとうなのだ、などとわかったようなことをいうのだ。
徐庶は孔明の図抜けた記憶力や観察力を認めていたので、とくに気にしない。
崔州平たちは孔明の大口に慣れていたので、またか、こいつは。ちょっとは同じように本を読むがいい、などなどむかむかしながらおもう程度ですんでいる。
が、ほかのこころの狭い弟子たちはそうはいかない。
頭に入らない文言や、膨大な読書量にいらいらしていたこともあり、窓辺の孔明のところに詰め寄って、なんだ、いまなにを言った、おれたちが学問の仕方をしらないというのか、それはおまえのほうだろう、この青書生め、という。
孔明も孔明で、こういった連中は無視すればいいものを、売られた喧嘩は買うたちで、真実を言ったまでだ、きみたちにはむずかしすぎて、わたしのことばはわからないかな、それは気の毒なことだと返す。
すると、喧嘩を売ったほうもたまらない。
ますますいきり立って、なにをいうか、このとんちきめ、ともかく、その気にさわる口笛をよせ! とさらに詰め寄る。
孔明はしらっとしたもので、わかった、口笛はやめよう。でもきみたちに同情しているから、ついつい口が出てしまうのさ、そこはわかってくれたまえ、と余計なことをいう。
で、口論だったものが手が出る、足が出る。
徐庶が孔明をかばってやる隙もなく、あれよあれよというまに塾は乱闘の場になり、さほど時間も経たないうちに、ボロぞうきんと化した孔明ができあがる。
亡くなった叔父さんの遺産をごっそり引き継いで、なかなか裕福な暮らしをしている孔明は、塾の弟子たちのなかでも、とくにこだわってみごとな絹織物に袖をとおしていたが、その立派な衣裳も、あっというまに泥と穴だらけだ。
もちろん、本人の白い肌にも痣と傷ができる。
孔明は、その点ではじつに口ほどにもないやつだったといえよう。
自分が五体満足であることを守ろうとして、屈辱をしのんでいじめっ子の股をくぐった韓信とは、だいぶ思慮深さにおいて差があるのである。
つづく…