「孔明どの」
孔明から目線を外さず、孫権は静かに言う。
「そこまで言うのなら、貴殿らが戦えばよいではないか」
「戦うつもりでおります。たとえ地の果てに追いやられようと、われらは戦うことを止めませぬ」
「なぜに」
「知れたこと。われらが劉備は、漢王室の末裔だからです。
父祖の名誉のためにも、降伏はしない。だからこそ、当陽でも万を超す兵を相手に戦ったのです。
降伏するのは臆病者のあかし。われらには、偽の漢の丞相に屈する膝はない。
それは将軍もおなじではありませぬか。
何を悩まれます? 重臣の方々が、将軍に開戦を思いとどまらせようとしているからですか」
「ほかの者は関係ないっ」
不快さをあらわにして、孫権は言った。
「わたしが劉豫洲《りゅうよしゅう》(劉備)とはちがい、臆病者だというのか!」
「ちがうというのであれば、答えは明解ではありませぬか。開戦。ほかに選択肢はない!」
「しかし!」
「しかし、なんだというのです?
将軍が降伏すれば、曹操はうまうまと血の一滴も流さず江東の地を手に入れましょう。
やつは荊州《けいしゅう》でそうしたように、この地の豪族らもうまく手なずけようとするでしょう。
しかし、将軍はどうでしょうな。そのあたりをどうぞご考慮ください」
「わしがどうなると?」
「それは、ご自身で考えられたがよろしいでしょう」
孔明が頭を下げると、孫権は忌々しそうに顔をゆがめ、
「更衣に行くっ」
と立ち上がって、去ってしまった。
そのあとを黄蓋と魯粛が追いかけていく。
残された孔明と趙雲は、孫権のいなくなったあと、しばらくたがいに黙って緊張の余韻をあじわっていた。
ほどなく、趙雲のほうが口をひらいた。
「あれでよいのか」
「よい。もう一押しだ」
いや、魯粛が追いかけていったからには、もう大丈夫かもしれないと、孔明は思った。
絹の衣の下は汗だくである。
もう秋も深いというのに、日の差さない奥堂にいながら、すこしも寒さを感じない。
「子龍、仮に将軍がこころを変えず、われらの首を曹操に送らんとしたなら、悪いがひと暴れしてくれないか」
「もちろんだ、おまえといっしょに夏口へ帰るぞ」
「いや、それではわたしがあなたの足かせになってしまう。
あなただけでも、なんとしてもわが君のところへ戻ってくれ」
「そんなことができるか。主騎の名が泣く」
「泣くだろうが、しかし、そこをあえて命ずる。なんとしても、夏口に帰れ。よいな」
趙雲がなおも反駁しようとしたところへ、足音がふたたび近づいてきて、孫権と魯粛、そして黄蓋が戻って来た。
黄蓋の顔は固く緊張していて、孫権の表情も、さきほどよりもっと蒼かった。
だが、その後ろに控えている魯粛の顔色を見て、孔明はほっと肩の力を抜く。
魯粛は黄蓋と孫権に気取られないようにしながらも、満面の笑みを見せていた。
「孔明どの、わたしの心は決まった」
孫権は震える声で言う。
更衣に立ったあと、魯粛はなにか決定的なことを孫権に告げたらしかった。
声が震えているのは、恐怖のためというより、怒りのためだということは、そのこめかみに浮いた青筋でわかる。
「開戦じゃ。劉豫洲にも、その旨、すぐに伝えてくれ」
「では」
「貴殿らと組み、曹操に目にもの見せてくれよう!」
孫権は目を怒りでぎらぎらさせて、吼えるように言った。
つづく
孔明から目線を外さず、孫権は静かに言う。
「そこまで言うのなら、貴殿らが戦えばよいではないか」
「戦うつもりでおります。たとえ地の果てに追いやられようと、われらは戦うことを止めませぬ」
「なぜに」
「知れたこと。われらが劉備は、漢王室の末裔だからです。
父祖の名誉のためにも、降伏はしない。だからこそ、当陽でも万を超す兵を相手に戦ったのです。
降伏するのは臆病者のあかし。われらには、偽の漢の丞相に屈する膝はない。
それは将軍もおなじではありませぬか。
何を悩まれます? 重臣の方々が、将軍に開戦を思いとどまらせようとしているからですか」
「ほかの者は関係ないっ」
不快さをあらわにして、孫権は言った。
「わたしが劉豫洲《りゅうよしゅう》(劉備)とはちがい、臆病者だというのか!」
「ちがうというのであれば、答えは明解ではありませぬか。開戦。ほかに選択肢はない!」
「しかし!」
「しかし、なんだというのです?
将軍が降伏すれば、曹操はうまうまと血の一滴も流さず江東の地を手に入れましょう。
やつは荊州《けいしゅう》でそうしたように、この地の豪族らもうまく手なずけようとするでしょう。
しかし、将軍はどうでしょうな。そのあたりをどうぞご考慮ください」
「わしがどうなると?」
「それは、ご自身で考えられたがよろしいでしょう」
孔明が頭を下げると、孫権は忌々しそうに顔をゆがめ、
「更衣に行くっ」
と立ち上がって、去ってしまった。
そのあとを黄蓋と魯粛が追いかけていく。
残された孔明と趙雲は、孫権のいなくなったあと、しばらくたがいに黙って緊張の余韻をあじわっていた。
ほどなく、趙雲のほうが口をひらいた。
「あれでよいのか」
「よい。もう一押しだ」
いや、魯粛が追いかけていったからには、もう大丈夫かもしれないと、孔明は思った。
絹の衣の下は汗だくである。
もう秋も深いというのに、日の差さない奥堂にいながら、すこしも寒さを感じない。
「子龍、仮に将軍がこころを変えず、われらの首を曹操に送らんとしたなら、悪いがひと暴れしてくれないか」
「もちろんだ、おまえといっしょに夏口へ帰るぞ」
「いや、それではわたしがあなたの足かせになってしまう。
あなただけでも、なんとしてもわが君のところへ戻ってくれ」
「そんなことができるか。主騎の名が泣く」
「泣くだろうが、しかし、そこをあえて命ずる。なんとしても、夏口に帰れ。よいな」
趙雲がなおも反駁しようとしたところへ、足音がふたたび近づいてきて、孫権と魯粛、そして黄蓋が戻って来た。
黄蓋の顔は固く緊張していて、孫権の表情も、さきほどよりもっと蒼かった。
だが、その後ろに控えている魯粛の顔色を見て、孔明はほっと肩の力を抜く。
魯粛は黄蓋と孫権に気取られないようにしながらも、満面の笑みを見せていた。
「孔明どの、わたしの心は決まった」
孫権は震える声で言う。
更衣に立ったあと、魯粛はなにか決定的なことを孫権に告げたらしかった。
声が震えているのは、恐怖のためというより、怒りのためだということは、そのこめかみに浮いた青筋でわかる。
「開戦じゃ。劉豫洲にも、その旨、すぐに伝えてくれ」
「では」
「貴殿らと組み、曹操に目にもの見せてくれよう!」
孫権は目を怒りでぎらぎらさせて、吼えるように言った。
つづく
※ 孫権の説得に成功し、さて、使命を果たした孔明ですが、このあとは前作とちょっとだけちがう展開になっていきます。
どうぞおたのしみに!
そして、メリークリスマスですねー! と言っても、わが家はささやかに、いつもよりいい食事を作って食べるだけ……
みなさま、よいクリスマスをお過ごしください(^^♪