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はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

地這う龍 三章 その2 孔明の立場

2024年01月07日 10時07分04秒 | 英華伝 地這う龍
一方、あの徐州の大虐殺の経験者である孔明のほうは、意外に淡白なところを見せた。
「曹操は荊州を手中にいれたのち、江東へも遠征するつもりです。
そのため、よほどの抵抗をしないかぎり、いちいち荊州の民を殺して回る手間はしないでしょう。
恨みを買えば、それだけ江東に軍を進めた場合、北西から狙われる危険が出てくるのですから。
しかし、苛烈なかれの性格からして、抵抗すれば、容赦はしないでしょう。
いま、新野《しんや》の民がわれらと別れたほうが、曹操の心証はよい。
かれらのためにもなるのです、どうぞご決断を」
孔明が迫るのに対し、やり取りを聞いていた張飛と劉封《りゅうほう》が、
「兄者は民を守り切るとおっしゃっているのだ、民と兄者のきずなを断ち切ろうとする軍師は冷たい」
「そうだ、父上のお気持ちを軍師はわかっておらぬ」
と言い出した。


劉封と孔明は、新野からの撤退戦で、いくらか歩み寄りが出来たかと思っていたのに、結局は、すぐに意見がちがってしまう。
よほど相性がわるいのだなと、趙雲は互いのことを気の毒におもった。
冷たいと言われても、孔明は意見を変えなかったが、黙ってやり取りを見ていた、関羽や簡雍《かんよう》らも、どうやら劉封らの意見を支持したいようすが伝わってくる。
そのため、孔明はみなから浮き上がってしまった。
表情こそ崩さなかったものの、劉備の思わぬ頑固さに、いくらか戸惑っている気配も趙雲は感じた。
いくら気が合っているとはいえ、劉備と孔明の付き合いは浅い。
孔明にとって、知らない劉備が、まだまだいるのである。


そんな孔明の気持ちを逆なでするように、劉封はここぞとばかりに、孔明を声高に非難し始めている。
「おまえは、新野から撤退するとき、協力しようという主旨のことを軍師に言ったはずだがと言ってやったのだ」
腹に据《す》えかねて、趙雲は作業中の孔明に言いに行った。
どうにも言いつけたような恰好《かっこう》だが、それでも腹が収まらなかったのである。
孔明がどれほど劉備のため、みなのために働いているか、身近で見て知っていたので、黙っていられなかったのだ。


趙雲の怒りのことばを聞くと、ようやく孔明は筆を止め、振り返った。
「あなたらしくもない、おのれの敵を増やしてどうする」
「しかし、劉封といい、麋芳《びほう》といい、口が過ぎる。
おまえが冷酷なやつだと、だれかれかまわず言いふらしているのだから」
「言いふらして、それで、なにかやっているかい」
意外な問いに、趙雲は眉をあげた。
「なにか、とは?」
「民のためになにか行動をとっているのか、という意味だ」
「いや、ぎゃあぎゃあカラスみたいに騒いでいるだけだな」
「では、放っておくがいい。
ことばだけで、行動が伴っていないところが、かれらの弱いところだな」
孔明はそう言って不敵に笑って見せる。


その目の下には青黒いクマができていて、顔色もあまり冴えない。
眠れていないのではと、趙雲は心配になる。
「おまえ、ちゃんと休めているのだろうな」
「もちろんだとも、作業の合間に仮眠をとったりしているよ」
孔明と趙雲がそんなやりとりをしているあいだにも、孔明の部下たちは、せっせと大きな紙に、なにやら書き込んでいた。
高級品である紙を惜しげもなく使い、なにか作っている。
重要なものにはちがいないが、孔明は趙雲がそれを覗こうとすると、手ぶりで押さえるのだった。


「あとであなたにもちゃんと見せる。だが、いまはダメだ」
「秘密なのか」
「そうさ。大事なものは、大事なものなりに扱わないとな。それと、ありがとう、子龍」
「なにが」
「いや、わたしのために怒ってくれたのだろう。
あまり連中に構いすぎるな。あなたの立場まで悪くなったら、わたしも申し訳なくなる」
平気そうな顔をしているが、やはりこいつはこいつで、立場の悪くなっていることを気にしているのだなと、趙雲は気の毒に思った。


つづく

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地這う龍 三章 その1 樊城に到着したものの

2024年01月06日 10時04分43秒 | 英華伝 地這う龍



樊城《はんじょう》の周辺の土地の田畑で、いっせいに収穫作業がおこなわれた。
新野《しんや》の民も総出で樊城の民を手伝い、みなでけんめいに汗をかいている。
それというのも、曹操軍がやってきた場合、食料を求めて、あたりの田畑から収奪が行われる危険があったためである。
それよりは、なじみのある殿様である劉備のため、食料を先に収穫してしまったほうがよい、というのが、みなの一致した意見であった。


もちろん、樊城の民からの抵抗がなかったわけではない。
かれらからすれば、新野の民が軍勢とともに押し寄せてきたのだ。
しかもほとんどが着の身着のままで新野城から出てきたものだったから、樊城の民の世話にならねばだれもが生活が立ち行かない。
樊城の民をうまく説得したのが孔明で、民はしぶしぶではあったが、
「孔明さまがそうおっしゃるなら」
と、新野の民と共存することをゆるしてくれた。


趙雲は孔明の主騎として、民を説得するその場に立ち会ったのだが、孔明は徐州での体験談は語ろうとはしなかった。
まさに生き証人である孔明が、曹操がいかに悪辣で残虐か語れば、民はもっと早く納得しただろうにと、趙雲は思う。
だが、孔明はかたくなに徐州のことを語ろうとしなかった。


あとで、
「徐州のことをみなに聞かせれば、もっと早くに話がまとまったのではないのか」
とたずねると、孔明は苦い顔をして、
「徐州のことを武器のようにしてに語るのは、あの悲劇を小さく扱うような気がして嫌なのだ」
と答えた。
そんなこともなかろうにと趙雲は思うのだが、当事者のこころはちがうらしい。


新野の民がやってきたことで、それまで空き城だった樊城は、にわかに活気づいた。
新野の民の持ってきた銭をあてこんで、日用雑貨をあつかう商売をはじめた者もひとりやふたりではないらしい。
たがいにもめ事が起こらないよう、目を光らすのもまた、孔明と趙雲の役目であった。


曹操軍がまもなく宛《えん》を出発するだろうということは、細作《さいさく》の報告でわかっていた。
樊城は、襄陽のわずかに北にある城市である。
曹操がもののついでとばかりに、樊城を襲ってくる可能性は、おおいにあった。
そのため、劉備の号令のもと、樊城の民と新野の民は、老若男女総出で農作物の刈り入れをしている。
つぎつぎと収穫された稲穂や麦の束が、荷車に乗せられて城内に入ってくる。
金色の稲穂のにおいは、なによりもかぐわしく、腹が減るなと趙雲ですら思う。
となりにいる陳到もおなじことを考えたようで、
「偵察も終わったことですし、うまい食事にありつきたいところですなあ」
などと軽口をたたいては、荷車の運んできた稲穂や麦の重さを測る手伝いをしていた。


趙雲は、陳到とは別に、樊城の人間の出入りに目を光らせていた。
今の時点では、曹操の細作らしい怪しい人間は、領内に入り込んでいなかった。
曹操がいくら百万の軍で攻めてきたからといって、小細工をしない、というわけではない。
むしろ、新野城をめぐる攻防で怒り心頭となり、曹操が劉備と孔明の命を狙って、刺客を放ってくる可能性もあると、趙雲は心配していた。


『百万、か』
思わずこころのなかでつぶやいて、城門のそとにつづく街道の果てをみやる。
孔明は百万という数字は怪しいということを言っていたが、どちらにしろ大軍で来ることに変わりはない。
あと十日もしないうちに、街道を南にくだって、曹操軍がやってくる。
それまでに、孔明が目指しているように、ありったけの食糧と水を確保しなければならない。


趙雲は、樊城の一室に籠る孔明を思い、その執務室となっているあたりに首を向けた。
孔明はこのところ閉じこもりきりになり、なにやらせっせと書き物をしていた。
あまり座りっぱなしで籠っていてもよくなかろうから、一緒に外の空気を吸いがてら、農作物の管理をしないかと誘ってみていた。
ところが、孔明は、だめだ、とつれない返事をよこしてきた。
振り向きもせず、一心不乱になにやら書きつけている。
その背中が心配だった。
それというのも、いま、孔明は重苦しい立場に置かれていたからである。


原因は、劉備が、新野の民を連れて、襄陽まで行くのだと主張したことによる。
孔明は、軍の機動力を高めるため、新野の民とは樊城で別れるべきだと主張した。
無情と言われることを覚悟しての主張である。
ところが、案の定というべきか、劉備はそれを頑として聞かない。
理由について、
「わしを慕って付いてきてくれた者にたいし、いま別れようというのは、死ねというのと同じではなかろうか」
と語った。
どうやら劉備は、自分についてきた新野の民が、曹操の手におちた場合、きっとひどい目に遭わされるにちがいないと信じ込んでいるようである。


つづく

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地這う龍 二章 その14 徐庶と劉巴

2024年01月05日 10時00分58秒 | 英華伝 地這う龍



張郃《ちょうこう》は場が解散すると、すぐさま立ち上がり、徐庶を探した。
曹仁の周りには人の輪が出来ていて、それぞれねぎらいの言葉をかけあっている。
張遼は、そこからすこし離れたところで、やれやれといったふうに、息をついていた。


一方で、荀攸《じゅんゆう》をはじめとする文官たちは、襄陽《じょうよう》へ入るまでの段取りを決めるために忙しくうごきだしている。
だが、程昱《ていいく》と徐庶だけは、城の柱のかげで、なにやら話し込んでいた。
いや、話し込んでいるというような対等なものではない。
程昱は、徐庶にむかって、なにやら小言と嫌みを言っているようだった。
そこに割り込むのはさすがに気が引けたので、しばらく、張郃は、自身も陰にかくれて、程昱が行ってしまうのを待っていた。
ほどなく、程昱が、
「まったく、いつまでも困ったものだ」
とぶつぶつ言いながら去っていくのが見えた。


柱の陰に残された徐庶のほうは、程昱の小言を受けても、悔しがるでもなく、悲しがるでもなく、ただのっぺりとした、表情のない顔をして、その場に立っていた。
近くで見れば見るほどに、存在感がなく、生気というものも感じられない。
こいつ、大丈夫かな、と張郃は戸惑う。
うわさでは、曹操に降ることに抵抗したために、見せしめとして母親を暗殺されたとかいう。
張郃としては、それが真実だとしても、もう曹操の家臣の列に加わらなければならない以上は、覚悟を決めてしまえばいいのに、と思う。
自分がさっぱりした気性なので、めそめそした感傷的な男は苦手なのである。


「徐元直《じょげんちょく》どのか、おれのことはわかるか」
乱暴なまでに大きな声でたずねると、徐庶はどんよりとした目つきのまま、ゆっくりと顔を向けてきた。
「わかります。平狄将軍《へいてきしょうぐん》の張儁乂《ちょうしゅんがい》どの」
間近で見る徐庶は、ほかの育ちの良さが売りの文官たちとは、どこか雰囲気もちがっていた。
元気なときには、さぞかしさばけた男なのだろうなと、張郃は感じ取る。
いまは、暗く自分の殻に閉じこもってしまっているようだが。
とはいえ、徐庶の気持ちには構っていられない。
聞きたいことは山ほどあった。
「自己紹介の手間は省けるな。率直にお尋ねしたい。
元直どのは、劉備の軍師であったのだろう? 
なれば、劉備のことにはくわしかろう。
単刀直入に聞くが、趙子龍という男をご存じないか」


表情のなかったその白い顔が、ようやくわずかに揺れた。
徐庶の眉がぴくりと動く。
懐かしい人物の名を聞いて喜んでいるのではない。
警戒しているのだ。


「なぜお尋ねになりますのか」
慎重な男だなと思いつつ、張郃は唇を舐めてから、ふたたび尋ねる。
「新野城《しんやじょう》でやつと戦った。この切り傷は、すべてやつにつけられたものだ」
と、張郃は自身のからだのあちこちにある、手当てのすんでいる切り傷を示した。
「あれほどの男が天下に名を知られていないとはおどろいた。
常山真定《じょうざんしんてい》の出身で、劉備の主騎ということだけは知っている。
それ以外で、貴殿の知っていることを教えてほしい」


それは、と徐庶が口をひらこうとする。
だが、いくらか迷っているようで、なかなか言葉が出てこない。
張郃が焦れていると、場に似合わぬ明るい声が割って入って来た。
「将軍がおっしゃるとおり、趙子龍は冀州の常山真定のうまれの男です。
かつて名をはせた趙国の王族の末裔とうわさされておりますが、果たしてどうでしょうな。
もとは公孫瓚《こうそんさん》の部下だった男ですが、劉備の家臣となり、いまはその主騎となっているのです」


おどろいて振り返ると、品の良い笑顔の、新顔の文官が立っていた。
零陵《れいりょう》の劉巴《りゅうは》、あざなを子初《ししょ》といったか。
年のころは張郃と変わらぬくらいで、高級そうな香油でまとめられたつやつやの黒髪が目を引く。


「失礼、お二方の会話が聞こえてきたものですから」
嫌みのない所作で劉巴は礼を取って、言う。
「いや、情報をもらえるのなら、ありがたい。趙子龍のことを、もっと詳しく教えてくれ」
「諸葛孔明どのの主騎も兼ねているときいております。
いわば、劉備と孔明どの、両方の用心棒といったところでしょうか」


劉備は呼び捨てで、孔明は「孔明どの」というところに違和感を感じていると、それを素早く察したのか、劉巴はころころ笑いながら言う。
「孔明どのとは文通仲間でしてな。
それに、かれが劉備の軍師になる以前、荊州の豪族たちのもめ事を一緒に解決したことがあったのです」
「ほう、すると、貴殿は諸葛孔明にもくわしいのか。どういう人物なのであろう」
「さきほど元直どのは、孔明どのを月と表現しましたが、わたしからすれば、太陽のような明るい方ですな。
はなはだ明るい……それを意味する『孔明』のあざなは、伊達ではありませぬ。
それに、ほとばしるような才気の持ち主です」
「なるほど、そうなると、丞相が興味を持たれるのも無理はない」
張郃が感心すると、なぜだか劉巴は、そうでしょうねえ、と謎めいた相槌を打った。


「ところで趙子龍だが、公孫瓚のところでは名前が通らなかったようだが、なぜだろう」
「くわしいことは存じ上げませぬ。
ただ、公孫瓚は晩年には暗君に成り果てましたから、かれは早くに見切りをつけて、出て行ったそうです。
それがゆえに活躍の場を与えられず、名も高められなかったのではないでしょうか」
「そうか。そういうことかもな」


いま思い返すと、趙子龍は、容姿もかなり整った男だった。
観相学の観点からしても、好ましい男である。
劉備が主騎として連れまわしたくなる気持ちがわかる。


「なにせ、荊州はしばらく平和でしたから、趙子龍がどれほどの活躍をしたかは、わたしの耳にも聞こえてきませんでした。
しかし、劉備の陣中でも、一、二を争う槍の達人と聞いております」
「ふむ、たしかに槍の扱いには長《た》けていたな」
「将軍、趙子龍にふたたびまみえたら、どうなされるおつもりですか」
劉巴の問いに、張郃はきっぱり答えた。
「斬る。しかし、もし恭順の態度をとるのであれば、丞相のため、その御前に引っ立てるつもりだ」
「明快ですな。心強い」
そう言って、劉巴は笑う。


つられて張郃もいっしょに笑ったが、途中で気づいた。
この劉巴、顔は笑っているが、目が笑っていない。
気味が悪いやつだ。
腹に何か隠しているのかもしれない。
こういうやつは、腹にとげどころか、剣を隠しているものだ。
あまりお近づきにならないほうがよいなと判断し、張郃は挨拶もそこそこに、その場を離れた。
取り残されていたかたちの徐庶も、無言のまま、その場を離れていった。




つづく

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地這う龍 二章 その13 臥龍を知る

2024年01月04日 10時06分52秒 | 英華伝 地這う龍
程昱《ていいく》は厳しい顔をして曹操を見つめていたが、当の曹操は、ゆったりと座にかまえたまま、答えた。
「たしかに子孝《しこう》(曹仁)らは、玄徳の策にうまうまと引っかかった。
とはいえ、策があるやもしれぬと警告をしなかったわしにもいくらか非があろう。
わしも油断をしておったのだ。それゆえ、このたびは処罰はせぬ」
「しかし」
言いつのろうとする程昱のことばを遮《さえぎ》るように、曹操はくりかえした。
「処罰はせぬ」
「丞相のご寛大なおことば、痛み入りまする」
曹仁が言うのにあわせて、張郃《ちょうこう》らも同じことばを唱和した。
従兄の心変わりを恐れて、というよりも、早くこの場をおさめて、みなを救いたいと、曹仁が思っているのが、その大きな丸い背中から、ひしひしと感じ取れた。


大将というのも、大変な立場だなと張郃は同情しつつ、曹仁らとともに、深く頭を下げる。
曹操は満足そうにうなずいて、そのことばを受けた。
程昱は、面白くなさそうに憮然《ぶぜん》としている。


場が何となく収まったあと、曹操が笑みを引っ込めて、ひとりごとのように言った。
「それにしてもだ。玄徳にこれほどの策を立てられる知恵があるとは思えぬな。
元直の後釜の軍師の諸葛とやらは、よほど有能な男なのか」
「世人は、諸葛亮というその軍師を、『臥龍』と呼んで、ほめそやしているそうです」
曹操のかたわら、程昱とは反対側の位置に佇立《ちょりつ》する荀攸《じゅんゆう》が、やわらかな声で添えた。


荀攸は、高祖劉邦の大軍師・張良に比肩すると称賛されている荀彧の『年下の叔父』である。
かれは、いつでもでしゃばりすぎず、静かに曹操のかたわらにいるのだ。
荀彧のほうは、なかなか人目を惹く美貌の持ち主なのだが、荀攸はおなじ血縁でも、風貌は控えめで、目立たない。
その荀彧は、いま鄴都《ぎょうと》で曹操の留守をあずかっている。


荀攸のことばに、曹操が目をぱっちりひらいて、身を乗り出してきた。
「臥龍とは、また凄まじいあだ名を得ているやつだな。
たしかに、この策を見るに、非凡な才の持ち主のようだ。どんなやつなのだ、元直」
呼びかけられたのは、元直こと、徐庶である。
徐庶が群臣のなかに交じっていることに、張郃は、はじめて気が付いた。
身の丈九尺もあろうかという程昱の陰にかくれていたせいもあるが、そもそも、徐庶からは、存在感というものが感じられなかったのである。
身なりこそ整えているが、生気がなく、冴えない印象を与える男だった。


しかも、徐庶は、曹操に呼びかけられても、すぐには答えなかった。
奇妙な間が、あたりに漂う。
群臣がざわざわとしはじめた。
戸惑ったか、程昱がうしろをにらみつける。
すると、ようやく徐庶は、顔を伏せたまま、ゆっくり答えた。
「諸葛孔明は常人ではありませぬ。臥龍の号にふさわしい器量のひとと言えるでしょう」
曹操は、徐庶の無礼をとがめず、さらに身を乗り出して聞く。
「それほどか。元直、おまえと比べてどうだ」
「月とすっぽんですな」
「では、ここにいるわが家臣たちと比べてはどうだ」
「比べようがございませぬ」
「では、諸葛孔明をたとえるとしたら、だれだ」
「だれも存在しませぬ。あまたの英雄たちを星とするならば、諸葛孔明は月です。
それほどに特異な者です」


また、ざわっと、その場がざわめいた。
それはそうだろう。
いまのいままで、名が荊州近辺でしか知られていなかった者が、あまたいる英雄たちをしのぐ人材だといわれて、そうですか、それはすごいと納得できるものではない。
自分たちも英雄の一人、あるいは英雄に仕えるひとりとして自負している曹操の家臣たちにしても、誇りと矜持《きょうじ》がある。
げんに、程昱などは、徐庶を監督している身として、そのことばに、赤くなるのを通り越して、青くなっていた。


程昱は曹操に拱手して、言う。
「丞相、この者のすぎたことばをお許しください。
まだわが陣営に身を置いてから日が経っておらず、礼儀をわきまえておらぬのです」
だが、曹操は鼻を鳴らした。
「ふん、わしには元直は正直に答えたように見えるがな。
諸葛孔明か。ぜひこの目でどんなやつか見てみたい。捕えて、わが陣営に加えられぬものか」
張郃は、徐庶が何を言うかと思い、そちらのほうを見た。
しかし、徐庶は粘土でできた人形のようにつくねんとそこにいるだけで、曹操の勢い込んだ言葉に答えない。
代わりに、また程昱が答える。
「劉備を討ったさい、諸葛亮は殺さず、捕えるようにみなに下知《げち》いたします」
「うむ、そうせよ。待遇は手厚く、な。
それと、諸葛孔明の家族を見つけても、けして殺すな、人質にせよ。
そして、諸葛孔明をわがほうへ迎える手段とするのだ」


張郃は、あいかわらず丞相は優れた人材に目がないなと、呆れた。
五万いた兵の半分を、その『諸葛亮』に殺されたかもしれないというのに。
自身が、曹操の人材好きによって救われた命であることを自覚しているだけに、居心地が悪い気持ちになった。


曹操はさっそく、諸葛孔明を捕えたときのことを想像しているのか、なにやら嬉しそうだ。
「荊州を制覇するのに、ひとつ楽しみが増えたな」
そう言ってから、急にころっと表情をかえて、引き締まった顔になった。
曹操は、重々しく文武両官に下知する。
「これよりわが軍は襄陽《じょうよう》へ進む。
劉琮が降伏を願い出てきている以上、おそらく抵抗はなかろうが、気は抜くな。
襄陽へ到着次第、軍を再編し、玄徳を追うぞ」
みながいっせいに、首を垂れ、曹操のために同意のことばを唱和した。


つづく



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地這う龍 二章 その12 南陽における覇王・曹操

2024年01月03日 10時08分56秒 | 英華伝 地這う龍



曹操軍に占拠された南陽《なんよう》の宛《えん》は、表面上では落ち着いていた。
曹操軍の規律は厳しく、民に乱暴狼藉をはたらこうとするもの、略奪をしようとするものはすぐさま処罰された。
そのため、民はいまのところ安心して過ごすことが出来ている。
反乱の兆しもなく、きびしい監視下にあるとはいえ、民はふだんどおりの暮らしを取り戻しつつあった。


とはいえ、民たちは知り合いと道ですれちがうと、意味ありげに目配せして、互いにかかえている恐怖や不安を無言のまま交わすのが常になっている。


たしかに、民の生活だけをみていると、そこには変わらぬ日常がある。
だが、曹操軍の兵があちこちを闊歩《かっぽ》している状況にあることに、変わりはない。
市場や城市のはずれなどに目を向けると、曹操軍に抵抗したあわれな荊州の土豪たちの首が、異臭をはなちながらさらし者にされているのが目に入る。
だれもが、その首に目を向けまいとしながら、普段通りの生活をしようと気を張っていた。
そんなぴりぴりした緊張感のある南陽の宛に、張郃《ちょうこう》らは、ほうほうのていで帰ってくる羽目になったのだ。


張郃ら敗軍の将たちは、みな曹操の前にひざまずき、こうべを垂れていた。
きついお咎《とが》めがあるだろうと、それぞれが覚悟をしている。
短期決戦のうちに劉備軍を壊滅させるはずだった。
ところが、油断とおごりがあったがために、劉備軍の策にまんまとはまってしまった。


悔しい。
悔しいどころの話ではない。
張郃のからだは、ちいさなやけどと切り傷だらけ。
そのうえ、切り傷はほかの将軍らより多かった。
趙雲につけられたものだ。


『おれはおまえを忘れぬぞ、趙子龍っ』
赤くまがまがしい明かりに照らされて浮かぶ趙雲の顔。
対決中であるにもかかわらず、笑みを浮かべた悪鬼のような男。
もし、趙雲の部下が、退却の合図をしなければ、一騎打ちはつづき、そして、自分は討たれたのではないか。
そう思うと、悔しくて悔しくて、張郃はあれから一睡もできていない。
白皙の顔にはクマが浮かび、食欲もないので、一気にげっそりやつれていた。
おのれの拙《つたな》さを恥じるこころと、いらだちとがないまぜになって、爆発しそうになっている。
曹操の前にあっても、叫びだしそうになる自分を押さえるのが精いっぱいだった。
歯をぎりぎりとかみしめ、ぐっと手の拳を握る。


玉座にある曹操の目線が、そんな張郃らをじっと見つめているのがわかった。
斜め前に進み出た曹仁は、ことの顛末《てんまつ》をつまびらかに曹操に報告している。
曹仁もまた、声を震わせて報告をしていた。
曹操の罰がおそろしいのではない。
やはり、かれも悔しいのだろう。
もちろん、張郃の悔しさとは異質の悔しさであろう。
五万の部下たちが、一気に半分以下になったことの責任をかんじているのにちがいない。


ちらりと見上げると、曹操はおどろいたことに、曹仁の報告をおもしろおかしい冒険譚を聞くような態度で、唇に笑みさえ浮かべて聞いていた。
やがて報告が終わると、曹操は、身を縮めている諸将を大きな声で笑い飛ばした。
その笑い声は、宛城の広間にわんわんとよく響いた。


やがて、笑いをおさめると、曹操は低いよく通る声で、まだ笑い足りないといった顔で言った。
「子孝《しこう》、当たりが悪かったな。玄徳のやつ、なかなかやりよる。
戦はこうでなければ面白くない」
『面白い、か』
張郃としては、この負け戦で命を落としていった部下たちのことを思うと、とても『面白い』などとは思えなかった。
曹操には、兵は盤上の駒と同然なのかもしれない。
その冷徹さが、曹操を天下人に押し上げたのだろうということはわかっている。
このひとは、いまは余裕があるから笑っていられる。
しかし、負けた軍勢の数がいまの十倍だったとしても、笑っていられるだろうか。
上目遣いに曹操の表情を盗み見ると、やはり、その笑顔は負け惜しみの顔ではない。
心底、この負け戦を面白がっているのがわかった。


「みな、ご苦労であったな。さんざんな目に遭って、疲れたであろう。
玄徳がこれほど見事に策を弄《ろう》するとは思ってもいなかったはずだ。
策の有無を見抜くのも将の仕事ではあるが、緒戦ゆえ仕方ない、いまは体をやすめ、次に備えると言い」
ありがたきお言葉、と曹仁が言うより早く、前に進み出た者がある。
「丞相、それでは寛大にすぎませぬか」
曹操の軍師のひとり、程昱《ていいく》であった。
程昱が口をはさんできたのを、曹操は目でちらりと見て、つまならなさそうにする。


この、のっぽの無情な策士・程昱は、曹仁や張郃らが処罰されたほうが、軍の規律が守られると思っているらしい。
いやなやつだなと腹の内で舌打ちをしつつ、張郃は曹操が心変わりしないよう祈りつつ、次の言葉を待つ。
命は惜しい。
趙雲を、そして劉備を討てなくなるからだ。


つづく

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今回より、曹操、本格登場でございます。

そして、連日の大事故・大災害……
なんとお見舞いを申し上げればよいのやら……みなさまが早く日常を取り戻せるよう、自分のできる範囲で尽力したいです;

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