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はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

地這う龍 三章 その7 三兄弟と草鞋

2024年01月12日 10時14分44秒 | 英華伝 地這う龍



孔明の秘密の作業は、まだつづいていた。
邪魔してはいけないので、趙雲は孔明のいる部屋を退出し、劉備の元へ行く。
劉備は忙しく立ち働いていた。
張飛や関羽といっしょになって、新野《しんや》と樊城《はんじょう》の民のため、炊き出しを手伝ったり、草鞋《わらじ》を編んだり、収穫物を管理するための帳簿を書いたりしている。
草鞋を編むことにかけては、劉備の手先の器用さがいかんなく発揮されていた。
張飛や関羽のつくる不格好な草鞋を直してやることまでやっているのだ。
かれらは楽し気に作業していて、目の下にクマを作りながら一室に籠って懸命に作業している孔明とは対照的だった。


趙雲は複雑な思いで、劉備たちをすこしはなれたところから見守っていた。
すると、当の劉備が気づいて、たずねてきた。
「子龍、軍師はどうしている」
「部屋で書き物をつづけております」
「そうかい、孔明のことだから、今の段階で無駄なことはしていないだろう。
今夜あたり、話をしてみるかな」
と言いつつ、劉備は両手のわらを凄まじい速さで編み、あっという間に履き心地のよさそうな草鞋をつくりあげた。
その手腕に、張飛と関羽だけではなく、見ていたほかの作業している民も、ほおっ、と感嘆の声をあげている。
みなの称賛のまなざしを照れ臭そうに受けながら、劉備は趙雲を見た。
「軍師に、今宵、わしの部屋に来るように行ってくれ」


すると、すかさず張飛が茶々をいれてきた。
「お、兄者は軍師に説教をするつもりかい」
劉備は眉を吊り上げて、張飛にたずねる。
「説教だと? なぜわしが説教なんぞをせねばならぬ」
「ほら、みなの処遇をどうするかで、意見が分かれているじゃないか、それでだよ」
そのやり取りを聞いて、趙雲は張飛の頭をぽかりと殴ってやりたくなったが、グッと我慢した。
張飛はどうも、その場その場の感情的な意見に流されやすい。


劉備はあきれたように張飛を見ると、言った。
「おまえは単純すぎるよ。言っておくが、孔明はわしの期待を裏切らないやつだぞ」
「どういう意味だい」
「そういう意味だよ。部屋にこもって何かしているのも、きっとわしらのために違いないのだ。
それをなんだ、説教するだなんだと、おまえは孔明をまだ仲間だと思っていないのか」
「そういうわけじゃないけれども」
「だったら、軽々に騒ぎ立てるものじゃない。
おまえの悪いところは、そういうところだぞ」
「ちぇっ、おれが説教されちまったよ」
ぶつぶつ言う張飛のとなりで、関羽が劉備の手まねで草鞋を編みながら、笑っていた。


つづく

※ 本日はちょっとだけ短めの内容でお届けです。
キリが良いのでこの分量です。ご容赦くださいませ;

次回はもうちょっと長めでお届けします。次回をおたのしみにー(*^▽^*)

地這う龍 三章 その6 離別

2024年01月11日 10時03分21秒 | 英華伝 地這う龍



その日のうちに、軟児《なんじ》は孫子礼《そんしれい》と紫紅《しこう》に連れられて樊城《はんじょう》を離れた。
軟児は、最初のうちは、父親に会えたとはしゃいでいた。
だが、すぐに、大恩人の趙雲と離れなければならない事実に気づいたのだろう。
次第にその顔から笑みが消え、口数が少なくなり、涙がちになってきた。


趙雲は、なるべく用意できる旅の道具を一式持たせて、軟児とその父母に渡した。
両親は恐縮してぺこぺこと頭をさげつづけている。
それを見て、軟児は泣きながら、言った。
「どうしても長沙《ちょうさ》に行かなくてはいけないの? ここにいてはいけないの?」
それは、と趙雲が答えるより先に、孔明がなだめるように言った。
「軟児や、子龍はかならずおまえを迎えに行くであろう。
それまで良い子にして待っているがいい」
「ほんとうですか?」
軟児は心細そうに趙雲を見た。
「子龍さまとお別れしているあいだに、また悪い人が襲ってきたら、どうしたらいいの?」
「おまえの父と、母と、それから黄漢升《こうかんしょう》どのが守ってくださる」


孔明はあとから趙雲に事情を話してくれた。
黄忠が、風雲急を告げる荊州の状況に奮い立ち、長沙から私兵を率いて樊城へ向かいたいと申し出ているというのだ。
「申し出はありがたいが、いまわれらと合流したところで、死地を切り開けるというものではない」
「あれほどの人物だ、貴重な戦力になると思うが?」
趙雲が反駁《はんばく》すると、孔明は首を横に振った。
「だからこそ、惜しいのだ。子龍、われらはよほど慎重に行動しない限り、運命を切り開くことはできない」
「おまえにしては後ろ向きだな」
「残念ながら、後ろ向きにならざるを得ない状況なのだよ。
民を守りつつ江陵《こうりょう》を目指す……かなり無茶な状況だ。
この状況下で漢升どのに合流してもらうよりも、われらが襄陽《じょうよう》にいる蔡瑁《さいぼう》をやり過ごしてから合流してもらったほうが、混乱が少ない。
第一、兵糧と水の問題もあるからな」
「そうか……兵も増えれば、兵糧も減りが早いものな」
そういうことだ、と孔明は重々しく答えた。


孔明は黄忠に、しばらく待機していてほしい旨の手紙を書き、それを孫子礼たちに託したのだ。
そして、ついでといってはなんだが、軟児たちを守ってやってほしいとも書いた。
父母はともかく、黄忠はきっと、孔明の頼みを聞いて、軟児たちを守ってくれるだろう。
孔明が先に約束をしてしまったかたちだが、趙雲は心に決めた。
きっと、なにがあろうと、この娘に会いに行こうと。


「どうしよう、子龍さまとお別れしたくない」
そう言って、軟児は泣きじゃくる。
すでに馬にはたくさんの荷物が積まれ、旅立てる状態になっている。
子礼は娘のしょげた様子に、申し訳なさそうに目をしょぼしょぼしていた。


趙雲は、泣きべそをかく軟児に言う。
「軟児、おれはきっとおまえを迎えに行こう」
「ほんとう?」
「なにがあろうと、おまえの元へ行く。それまで、よい子で待っていられるかな?」
「ええ、きっと待ちます。いい子にしています」
軟児は泣きながら、大きく首を縦に振った。
「よし、では約束だ。おれは人とした約束を違えたことがない、安心しろ」
「それはわたしが保証するよ」
孔明のことばに勇気をもらったらしく、軟児の顔に笑顔がもどってきた。


軟児の手が伸びて、趙雲のがっしりとした手を包み込んだ。
その温かさと柔らかさに、急に寂しい気持ちがこみあげてきた。
約束は果たされるだろうか。
そんな心細さも、つい思ってしまった。
だが、それを見せたら、この娘はきっと不安になる。
自分を懸命に保ちつつ、趙雲は笑顔を見せた。
「おまえはとても良い子だ。おれも約束を守る。おまえも約束を守ってくれ。
きっと生き延びて、また会おう」
「はい、きっとそうします。わたし、子龍さまをお待ちしております」
びっくりするほど大人びた表情でそう言って、軟児は今度は涙ながらに笑う。
「さようなら、子龍さま、どうぞお元気で。またお会いしましょうね」


笑顔を見せたのは、約束を守ろうという決意もあるのだろう。
この娘だけは、かならず生き延びてほしい。
趙雲は、こころから思った。
「ああ、また会おう」
そういうと、軟児は大粒の涙をこぼしつつ、うなずいた。


それからほどなく、軟児と父親と継母の三人は、長沙へむかって去っていった。
孫子礼と紫紅のふたりは、何度も振り返っては、頭を下げていた。


「父親のほうは、たしかに頼りないが、継母がしっかりしているから、大丈夫だろう」
孔明のことばが、どこか遠くに感じられる。
ぽん、と背中を叩かれたので、おどろいて孔明を見ると、孔明はいたわるような顔を向けてきた。
「そんなに泣くものじゃない。あなたと軟児には、絆が感じられる。
きっとまた会えるさ。わたしの勘は当たるよ」
泣いている、と指摘されて、はじめて趙雲は自分が涙を流していたことに気づいた。


そうか、寂しい、悲しいとは、こういうことだったな。
街道の向こうに親子の姿が消えるまで、趙雲はその場に立ち尽くしていた。


つづく


※ いつも読んでくださっているみなさま、ありがとうございます(^^♪
こうして活動できているのもみなさまのおかげ!
今後もがんばります…!

次回もどうぞおたのしみにー(*^▽^*)

地這う龍 三章 その5 父娘の再会

2024年01月10日 09時56分49秒 | 英華伝 地這う龍
事件は、紫紅《しこう》が父のお供で襄陽《じょうよう》の市場へ馬を売りにいったときに起こった。
彼女が留守をしているあいだに、子礼《しれい》が軟児《なんじ》を壺中《こちゅう》という、貧しい子供に礼儀作法や学問を教えてくれるという塾に預けてしまったのだ。


「壺中なんてもの、聴いたことありませんでしたから、びっくりしてしまって。
このひとに言って、軟児ちゃんを取り戻すように言ったんです」
紫紅のことばを引き継いで、子礼も深いため息をともに言った。
「あのときは、ほんとうにどうかしておりました。あの子を手放そうとするなんて……
しかし、貧しい暮らしをさせて世に埋もれさせるには惜しい器量の子ですし、毎日きちんと食べられるところで、きちんとした教育を受けられるというのなら、それがいちばん幸せだろうと思ってしまったのです」


かれらは壺中の実態は知らない。
知らなかったものの、あとから噂を聞いて、愕然とした。
壺中を名乗る者たちに連れていかれた子供は、戻ってこない、というのだ。
孫子礼は激しく後悔し、それまでが嘘のように精力的に動きまわり、軟児を探して旅をして回った。
だが、手がかりはようとして知れず、体の弱い子礼に病という二重の苦痛が襲ってきただけになった。


寝込んだ子礼を我が家に運び、看病したのも紫紅であった。
紫紅の父と兄は、子礼があまりに情けないのと、紫紅がもういい年なうえに、子礼親子と強いきずなが生まれているのを見て、紫紅と子礼を一緒にさせることにした。
子礼は軟児が見つかってからといったが、結局、気の弱いかれにその話を断ることはできなかった。
そうして、子礼が寝込んでいるあいだに軟児は趙雲に出会い、救われ、新野に匿《かくま》われたというわけである。


「梁家にずっといたので、元の家に連絡が来ても応えられなかったのです。
まことに、情けない話で……」
と、子礼は袖で涙をぬぐったが、その涙が愛娘を思っての涙なのか、自分の情けなさに対する悔し涙なのかは、趙雲には判然としなかった。


「子礼どの、貴殿は軟児が壺中で、どれほど寂しく恐ろしい思いをしていたか、わかるか」
腹立ちをありのまま突きつけると、子礼はますますしょげて、頭を下げた。
「あの子には、ほんとうに申し訳ないことをしました。
なんと声をかけてよいのかもわかりませぬ」
「まったく、どうかしておるぞ、妻を亡くしたからというのは言い訳にしかならぬ。
父親ならば、命がけで娘を守れっ!」
「おっしゃるとおりです、わたしがいけないのです」


「まあまあ、子龍、そんなにいじめてはいけないよ」
孔明がやんわりと口をはさんだ。
「この時機に軟児を迎えに来てくれてよかったではないか。
子礼どの、これからどうされるつもりかな?」
「できれば妻の実家に戻って、それから避難しようかと思います」
「どこへ避難するつもりだろうか」
「できれば、こちらのお殿様とご一緒したいのですが」
ちらりと伺《うかが》うように子礼が趙雲を見る。
どうもこの父親は、だれかに依存しないと生きていけない性質らしいなと、趙雲は軽蔑とともに勘づいた。
軟児のこれからが心配になる。


「われらとともに行くことは勧めぬ」
孔明はきっぱり言うと、それから外でだれも聞き耳を立てていないことを確かめてから、つづけた。
「紫紅どの、頼みたいことがあるのだが」
孔明の申し出に、後妻の紫紅は、目をぱちくりさせている。
「いったい、どのようなことでございましょう」
「長沙《ちょうさ》に黄漢升《こうかんしょう》という人物がいる。
そのかれに、わたしからの手紙を届けてほしいのだよ」
「長沙でございますか」
思いがけない地名だったらしく、紫紅が目を大きくひらく。
孔明はそれに深くうなずいた。
「長沙はまだ落ち着いている。それに黄漢升は責任感の強い男だ。
わたしの頼みはきっと聞いてくれる。あなたがたのことも庇護してくれるにちがいない」
「まあ。なにからなにまで、ありがとうございます」
孔明はすぐさま、黄忠への紹介状を書くために場から離れた。


趙雲は、孔明を追いかけて、どういうことかと尋ねたかった。
軟児たちを長沙へ、と思う孔明の考えがわからない。
自分たちが目指す江陵《こうりょう》へ、一足さきに向かわせるというのでは、いけないのか。


しかし、孔明とすれ違いに、軟児が張著《ちょうちょ》に連れられて、部屋に飛び込んできた。
「父さんっ、ほんとうに、父さんなのっ」
「おお、軟児や、すまない、すまなかった」
軟児は一目散に父親の首にかじりついた。
子礼も、一気に顔を崩して、涙でくしゃくしゃになる。
となりでは、紫紅が固く抱き合う親子の姿に、もらい泣きをして
「まあ、軟児ちゃん、無事でよかった、よかった」
と何度もくりかえした。


「子龍さま、父さんを探してくださったのね」
父親にぴったりくっついたまま、軟児は涙ながらにたずねてくる。
そのいじらしい姿に、めずらしく込み上げてくるものがあり、うなずくだけになってしまったが、そうだ、と答えると、軟児はつづいて父親から離れ、趙雲に抱き着いてきた。
「ありがとうございます、ありがとうございます、子龍さま!」
趙雲は、ちいさな軟児のからだを抱き留めた。
その温かさが、ふしぎと寂しいものに感じられた。
この子と別れるときが近づいているのだと、否が応でも気づかされたのだ。
「よかったな、軟児」
短く言うと、軟児は、わあっ、と声を上げて泣き出した。
これまで我慢してきたものが、ようやくほどけたのだろう。
これでよかったのだ、と思いつつも、軟児の肩越しに見るひ弱な父親の姿を見るにつけ、不安もよぎった。




つづく

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ではでは、次回をお楽しみにー(*^▽^*)

地這う龍 三章 その4 軟児の父の事情

2024年01月09日 10時10分48秒 | 英華伝 地這う龍
「まずは、わたくしの身の上話からさせていただきます」
そう言って、軟児の父は、とつとつと語り始めた。
もともと荊州の人間ではなく、洛陽《らくよう》の商家の三男坊として生まれた。
家は羽振《はぶ》りが良く、黄巾の乱が起こった後も、うまく立ち回って、物資や武器や馬を政府に調達し、大金を稼いだ。
「そのころはまだわたくしも、世間知らずの幸せな若者のひとりでした」
しょんぼりと子礼が言う。
未来のことなどまともに考える必要がないほどに、幸せな青春時代を過ごした。
ぼんやりと、家業を継ぐか、兄の手伝いをして各地の商談をまとめる仕事に就くのだろうと思っていた程度。
ほどなく、苦労の連続をすることになるだろうとは夢にも思っていなかったという。


運命が暗転したのが、かわいがってくれていた父が急死してからだ。
老いた父はまだまだ元気であったが、たまたま庭で転んで、石に頭をぶつけた。
打ち所が悪く、その日に亡くなってしまい、家業は一番上の兄が継ぐことになった。


ところが、この長兄の嫁というのが吝嗇家《りんしょくか》なうえに心の冷たい女で、あまたいた義理の弟たちが自分たちの財産を食いつぶすことを嫌い、はした金を渡したきりで、かれらを家から追い出してしまった。
気の弱い子礼《しれい》は、兄嫁にさからうことができず、泣く泣く家を離れた。
そして、文字が好きだったということもあり、細々と書物や筆を扱う商売をはじめた。


ところが、である。
何進《かしん》と宦官の争いが宮廷で激化した。
あれよあれよという間に情勢が変わり、涼州から董卓軍が洛陽に入城したところから、さらに急転直下を迎える。
董卓は、はじめのころこそ、商人たちとうまくやっていたが、打倒董卓の軍がせまってくると、遷都を決行。
そのさい、洛陽の富豪や貴族から金品を巻き上げることをしたが、兄夫婦は、それに抵抗してしまった。
董卓に睨まれて生きていける者のない時代だった。
兄夫婦とその家族はすべて殺されてしまい、その話を聞いた孫子礼は、連座を恐れて、あわてて洛陽から逃げ出した。
そのあと、洛陽は炎上。
一族を殺した憎い董卓のいる長安に行く気持ちはまったく起きず、洛陽を離れ、新天地をもとめて揚州へ向かった。
揚州には戦乱を嫌った人々の多くが流れていっており、そこに商機を見出したのだった。


ところが、その道中で孫子礼は、妻となる娘と出会う。
荊州は襄陽《じょうよう》の出だという娘についていくかたちで、あっさり揚州行きをやめて荊州に行き先を変更した。
それがかえって成功した。
荊州に君臨した劉表は、州境ではたびたび争いを起こしたものの、襄陽を中心とする内陸部においては戦乱を招かなかった。
おかげで、孫子礼も安心して商売をすることができたのだ。
たちまち家はうるおい、待望していた子供もできた。
それが軟児《なんじ》である。
男の子ではなかったのが残念だったが、玉のように美しい子で、孫子礼は、それこそ掌中の珠のようにわが娘を可愛がった。


「それが、どうして壺中なんぞに預けることになったのだ」
苛立ちを込めて趙雲が言うと、それに同調するように、子礼の背後にいた梁紫紅《りょうしこう》が、夫の背中を軽くたたいた。
「ほんとうですよ、このひとったら、話がいつも長いんです。早く軟児のことをお話しなさいな」
「ぶたなくっていいじゃないか、おまえ」
ぶつぶつ文句を言いつつ、あいかわらずの猫背のまま、子礼は先をつづけた。


学が多少あった孫子礼は、代書の仕事も請け負った。
もとの筆と書物をあつかう商売に加えて、代書の仕事もうまくいき、すべてが順調のように思われた。
ところが、軟児が三つの時、妻は流行り病であっさりと逝ってしまう。
遺された子礼は、軟児をかかえて途方に暮れた。
それほどに前妻を愛していたからなのだが、ぼおっとしていて生活が回るほど世の中は甘くなかった。


さらには運悪く、商売敵が子礼の商売をつぎつぎと邪魔するようになっていた。
もともと、気の弱い子礼はこれに太刀打《たちう》ちすることができず、たちまち家は零落《れいらく》。
襄陽城市にかまえていた店は閉め、雇人も散り散り。
それを機に、妻の実家のある襄陽城のそばの集落に引っ越し、代書の仕事だけを細々として、親子で暮らしていくことになった。


そんなしょぼけた、覇気のない子礼を見かねて、面倒を見てくれるようになったのが、集落の土豪・梁家の娘の紫紅であった。
すでに八つになっていた軟児が紫紅にすぐなついたこともあり、子礼もその好意に甘えていた。
紫紅に下心があったわけではない。
もともと、彼女も襄陽のとある男に嫁いでいたのだが、なかなか子宝に恵まれず、実家に帰ったばかりだった。


「手持無沙汰だったというのもありますし、なにより軟児ちゃんがあんまりに可哀そうで」
と、紫紅は言った。
「このひとったら、満足に子育てもできないくらい落ち込んでいたんですよ」
紫紅のことばに、子礼はまた首をすくめた。


つづく


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次回もおたのしみにー(*^▽^*)



地這う龍 三章 その3 軟児の父、あらわる

2024年01月08日 10時14分48秒 | 英華伝 地這う龍



晩飯をいっしょにどうかと誘おうと思って、趙雲は、まだ机のまえにかじりついているらしい孔明のもとへ向かう。
新野《しんや》の民のことについては、話題にすまいということは、あらかじめ決めていた。
じつのところ、新野の民をどうするかの問題については、趙雲自身は、答えをだしかねていた。


たしかに、孔明の言うとおりだ。
劉備と孔明の主騎である立場からすれば、劉備たち以外にも民を守らなければならないのは困難をきわめる。
第一、軍に機動力があったほうがいいに決まっている。
だが、一方で、劉備の民への思い入れも知っている。
八年ちかく世話をしてきたのだ。
深い思い入れができて当然だ。


もちろん、それを知っているのは趙雲ばかりではなく、張飛や劉封《りゅうほう》も知っている。
だからこそ、新参者である孔明は浮いてしまったのだ。
それに、趙雲には、孔明が意見を述べたときの、劉備の傷ついたような顔が、頭にひっかかっていた。
こんなに早い段階から、軍師とわが君のあいだに亀裂が入らないといいなと切に思う。


あまりに両者の意見が対立するのなら、仲裁に入ることも考えたほうが良いなと考えていると、孔明そのひとが、あわてたようすで向こうからばたばたとやってきた。
「どうした」
孔明のかたわらには、趙雲の従者の張著《ちょうちょ》もいて、どちらもリンゴのように赤い顔をしていた。
「よかった、子龍、いま呼びに行こうと思っていたのだよ」
「そうです、子龍さま、たいへんなのです」
口々にいう孔明と張著の顔を見比べつつ、趙雲が戸惑っていると、孔明が切り出した。
「軟児《なんじ》の父親があらわれた」
「なんだって」
「どうやら、いままで行き違いがあって連絡を受けられなかったようなのだ。
申し訳なかった、軟児が無事なら、ぜひ引き取りたいと言っている」


趙雲はすぐには返事が出来なかった。
単純に考えるなら、父親があらわれたということは、軟児にとってはよいことだ。
しかし、壺中《こちゅう》において、軟児はかなり危うい目に遭った。
それをぎりぎりで助けた趙雲としては、父親といえど、肝心な時におらず、いまさらあらわれて、なんだ、という怒りもある。
趙雲の顔がぴくりとこわばったのを見てか、孔明はさらに言った。


「わたしの部屋に通してある。子龍、あなたからいろいろ話を聞くといい」
「そうだな」
と返事をするが、思った以上に、どすのきいた声になってしまった。
孔明が心配そうに、
「いきなり殴りつけたりするなよ」
と添えたほどであった。





孔明の部屋に入っていくと、痩せぎすの男が、なにかに打ちのめされたようにしょんぼりと座り込んでいるのがわかった。
その男はうつむき加減に座っていたが、趙雲が部屋に入ると、鞭で打たれたように、ぱっと顔を上げた。
おどおどとした感じの、蒼い顔をした男である。
しかし、目鼻立ちは整っており、とくに目元のくりっとした感じが軟児にそっくりだった。
父親でまちがいなかろう。


趙雲がおどろいたことには、軟児の父ひとりではなかったことである。
うしろに、父親とは対照的に恰幅《かっぷく》の良い頑丈そうな年増の女がひかえていた。
その女のほうは顔色もよく、趙雲と目が合うと、わずかに微笑んで軽く頭を下げて見せた。
軟児の母親は早くに亡くなったと聞いていたので、はて、この女は軟児の親戚かなにかだろうかと趙雲はこころのうちでいぶかしむ。


孔明と同道している張著がもってきた爵里刺《しゃくりし》には、襄陽《じょうよう》の村の名前とともに、『孫子礼』と書かれていた。
孫子礼は、ちょっとつついたら、泣き出してしまいそうな顔をした男だった。
はつらつとした軟児と共通しているのは、顔立ちだけである。


「貴殿が孫軟児の父君か」
趙雲がたずねると、父親は平伏せんばかりにして答えた。
「そのとおりです、わたしが軟児の父で、孫子礼《そんしれい》と申します。
こちらにおります女は、軟児の継母です」
「梁紫紅《りょうしこう》と申します」
継母という女も、神妙に頭を下げる。
軟児の父親より一回り年下だろうか。
不細工ではないのだが、色気が不足気味の女性で、しかし血色だけが素晴らしく良い。
病気を抱えているのではとすらおもえる軟児の父とは対照的に、健康そうであった。


軟児の父・子礼は悄然《しょうぜん》としたまま言う。
「まさか娘がこちらにお世話になっているとは思ってもおりませんでした。
なんとお礼を申し上げたらよいかわかりませぬ」
子礼は跪《ひざまず》いたまま、小刻みに震えている。
趙雲は無意識のうちにきつく両腕を組んでいた。
娘を壺中に預けて、しかもいまのいままで連絡もしてこなかった。
いい加減な親だと腹を立てていたのがじっさいに目の前に現れて、またふつふつと怒りが込み上げてきたのである。
軟児が壺中の男たちに襲われかけたことが脳裏にあるので、余計だった。
どういう事情があれ、あんな愛らしい娘を手放し、壺中に預けたことが信じられない。


趙雲がよほど威圧的に見えたのだろう。
孫子礼はますます首を亀のように縮ませ、梁紫紅のほうも、泣きそうな顔に変わり、おびえている夫の背中を励ますようにさすっている。
趙雲は怒りをけんめいに抑えつつ、言った。
「たしかに孫軟児は、われらが大切に預かっておる。
軟児自身も、貴殿らに会いたいと言っていた。
だが、なにゆえあの娘を手放すに至ったか、その事情を聴いてもよいだろうか」


思いもかけず、野犬が唸っているような声になってしまった。
孫子礼はおびえ、梁紫紅も、蒼ざめ始めている。
しかし、趙雲の怒りはおさまらなかった。
話の内容によっては、軟児の処遇を考え直さねばならない。
場の空気が張り詰める。
一方で、趙雲のとなりにいて、じっと様子を見ていた孔明は、張著に言って、軟児を呼びに行かせた。


つづく


※ 昨日はたくさんの方に来ていただけたようで、うれしいやら、びっくりしたやら!
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