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はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

地這う龍 四章 その7 北へ

2024年02月01日 09時48分51秒 | 英華伝 地這う龍
「うわっ」
敵の雑兵たちが、あっけなく大将が討ち取られたのを見て、悲鳴をあげる。
趙雲は突き立てた槍を抜くと、
「常山真定《じょうざんしんてい》の趙子龍だ、命の惜しくないやつはかかってこい!」
そう叫んで、及び腰になった敵へ突っ込んでいった。


こうなるともう独断場である。
草を刈るように雑兵たちを狩っていく。
雑兵とひとくくりに行っても、相手も人間。
味方が突如としてあらわれた男に、すさまじい勢いで斃されていくのを見て、ひとり、またひとりとその場から脱落していった。
背中を見せる敵には、麋竺《びじく》が容赦なく、お返しとばかりに矢をかける。
ほどなく、あたりは落ち着き、血風と砂塵のほか、味方だけが残った。


「子龍よ、助かったぞ」
「それはこちらの台詞です、よく奥方様をお守りくださいました」
趙雲は破顔し、麋竺とたがいの無事をよろこんだ。
「子龍や、よく来てくれました、ありがとう」
甘夫人が、か細い声で言う。
甘夫人は一晩ですっかり憔悴していた。
しかもその胸元には、いつもしっかり抱いていたはずの阿斗の姿がない。


たちまち顔を凍り付かせた趙雲に、甘夫人は涙を流し、それをぬぐうこともせずに、答えた。
「許しておくれ、和子とは、はぐれてしまった。
きっと、妹々といっしょにいるのだとおもうけれど」
妹々とは、麋夫人のことだ。
なんということか、麋竺もまた、妹と阿斗を見失っていたのだ。
「阿斗さまたちは、どのあたりに落ち延びられたのでしょうか」
たずねると、わからない、というふうに、甘夫人が首を横に振った。


「おおっ、子仲《しちゅう》どの、奥方様も、ご無事で!」
簡雍《かんよう》が遅れて馬を走らせてきた。
麋竺は簡雍の姿をみて、汗に濡れた顔をほころばせたが、すぐに顔を曇らせた。
「ひどい傷ではないか! 手当てを急いだほうがよいな」
しかし簡雍は、いつもの豪快なところを見せ、がははと笑った。
「なあに、かすり傷だ。それよりも、ここから南の長阪橋の向こうにわが君が落ち延びておられる。
そこまで退こうではないか。奥方様が戻られたら、わが君も喜ばれるであろう」
「けれど」
我が子を失って、合わせる顔がないと言いたげな甘夫人の代わりに、趙雲が答えた。
「貴殿らは先に長阪橋へ向かってくれ。俺は阿斗さまと麋夫人を捜す」
「ひとりで大丈夫か」
簡雍が心配そうに言う。
ついてきそうな気配もあったが、趙雲はあえて笑って見せた。
「問題はない、かえって身軽だから、捜しやすかろう」


「いいや、わたしも供に行くぞ、子龍。妹の命があぶないときに、黙っておられるか」
そう言ったのは、麋竺であった。
その傷だらけの姿はいつになく雄々しく、ふだんの上品なおとなしい初老の男といった印象は吹っ飛んでいる。
「では、ともにもう少し道を戻りましょう」
おう、と麋竺は応じ、簡雍と甘夫人をまもらせるため、部下を割いて、さらには、かれらから矢を分けてもらった。
「よし、参るぞ」
麋竺も相当に疲れているはずだが、妹を捜すためならば、弱音を吐いていられないのだろう。
さきへ進む背中に、つくづく申し訳ないとおもいつつ、趙雲はさらに北へ戻っていった。


つづく

※ いつも閲覧してくださっているみなさま、ありがとうございます!
次回をどうぞおたのしみにー(*^▽^*)

地這う龍 四章 その6 奮戦開始

2024年01月31日 09時56分47秒 | 英華伝 地這う龍



趙雲は必死に甘夫人と麋夫人、それから阿斗の姿を探し求めた。
その名を呼び続け、北へもどりながら、敵に遭遇すると、それを片っ端から蹴散らした。
敵とて舐めてかかってきているわけでもない。
だが、夫人たちの無事を祈り、ひたすら前へ進まんとする趙雲にかかれば、かれらは障壁にすらならなかった。
趙雲の行くところ、まさに死屍累々。
加えて大地には、無残な民のしかばねも転がり、あたりは地獄の光景に変わっていた。


汗まみれ、血まみれになりながらさらに先を行くと、どこからか趙雲の声に応じて、呼びかけてくる者がいる。
だれなのか。
もしかして奥方様か、と耳をすますと、あわれな味方の将兵たちのなかにかばわれるようにして倒れていた男が、
「子龍、子龍、わたしだっ」
と必死に声をあげているのだった。


見れば、簡雍《かんよう》である。
かれは肩に刀傷を受けていたが、さいわい、自ら立つくらいのことはできるようだった。
「生きていたか、傷は深いか」
たずねると、簡雍は顔をゆがませつつも、首を振った。
「大事ない、しかし、みな死んでしもうた」
簡雍は、あたりを見回して嘆いた。
自分をかばって死んだ者たちを見て、涙をこぼしている。
いつもは飄々《ひょうひょう》とした男でも、部下たちの死には参ってしまっているようだ。
「わしらは、もうだめなのであろうか」
「弱気になるな、わが君はご無事ぞ。いまごろ南の橋までたどり着いているはずだ。
ところで、奥方様たちのことは知らぬか」
「甘夫人なら、ひとりで逃げておられるはずだ。
わしらと同道していたのだが、敵に襲われたので、従者をつけて逃がした。
このあたりにまだいらっしゃるはずだぞ。だが、麋夫人はわからぬ」
「そうか、奥方様がたは、まだご無事なのだな」
「早く助けにいってさしあげてくれ。この状況では、急がねばあやうい」


趙雲は唇をかんだ。
戦場では弱い女子供や老人がまっさきに犠牲になるのは常である。
だが、そうだとしても、自分は彼女らを守ると言い切っていたのに、この体たらく。
生きて劉備に顔を合わせられるものではなかった。


ちょうど、あるじを失いうろうろしてる馬がいたので、おあつらえむきだと捕獲して、そこに簡雍を乗せてやった。
簡雍は、ふだんは傲岸不遜といってもいい態度の男なのだが、このときばかりはすっかり弱気になっていて、趙雲が馬に乗せてやるのを手伝うと、
「ありがとう、ありがとう」
と何度も繰り返しつつ、涙をこぼしていた。


すると、前方のほうから、激しい剣戟の音が近づいてくる。
どうやら、何者かが戦いながら南へ移動してきているようであった。
趙雲は、
「ここに残っていてくれ」
と、簡雍に言うと、
戦いのさなかにいる者を助けるため、すぐさま戦いの中に身を投じた。


味方の兵はすくなかった。
それでもけんめいに曹操軍に応対しているのは、さすがであった。
この整然とした動き、だれであろうかと見れば、麋竺《びじく》の軍である。
麋竺といえば、じつは軍中でも知られた弓の使い手だ。
このときも、つぎつぎ矢をつがえては、押し寄せる敵に向けて弓を弾き絞っていた。
その腕前たるや、たいしたもので、さすがに劉備の片腕として名の知れた男だけあると、混戦のなかでも趙雲が感心するほどだった。


矢を射かけられた敵兵は、ひとり、またひとりと斃れていく。
だが、それでも多勢に無勢で、じわじわと味方が削られて行っている。
趙雲は、敵兵を屠《ほふ》らんと間合いを詰めながら味方の顔ぶれを見た。
とたん、顔をぱっと輝かせた。
麋竺たちがひとかたまりになって移動している、その中央に、まさしく捜しつづけていた甘夫人そのひとがいたからであった。


こうなると、勇気百倍である。
趙雲は雄たけびをあげつつ、麋竺たちに加勢し、敵将に突撃していった。
敵将は淳于導《じゅんうどう》というらしく、麋竺の手勢をどんどん削らんと、偃月刀を振り回している。
麋竺も善戦したが、矢がいつまでも尽きないわけではなし。
それを淳于導はわかっているので、矢を交わしつつ、前へ、前へとやってくる。
舐めたやつめ、とぎりりと歯ぎしりして、趙雲は人馬一体となって麋竺の前に躍り出る。
そして、あっと驚いていた淳于導のその胸倉目指して、槍の切っ先を突き立てた。
偃月刀を振り上げようとしていた淳于導は、その電光石火の攻撃におどろいたように、おのれの胸元を見、それから、激しく口から血反吐を吐いて、馬から崩れ落ちた。


つづく


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次回をどうぞおたのしみにー(*^▽^*)

地這う龍 四章 その5 劉備の後悔

2024年01月30日 09時55分04秒 | 英華伝 地這う龍



劉備は陳到らに守られ、けんめいに馬を南へ走らせていた。
孔明の作ってくれた地図にある、長阪橋を目指しているのである。
どどどど、と馬の蹄の音がつづくが、それがもしかしたら追いついてきた曹操軍の蹄の音ではないかと思う時があり、こころがまったく休まらない。
そのうえ、頭の中は、自分を責めることばと、恐怖とでいっぱいである。
『こんなことになるのなら、孔明の言うことをもっとよく聞くべきであった!』
激しい後悔が胸の中で渦巻いている。
唇からは、すまない、すまないという謝罪の言葉を自然と口にしていた。


やがて、白々と夜が明けてきた。
いまのところ、曹操の軍兵が自分に追いすがってくる気配はない。
おそらく、あわれな難民たちが盾になってくれているのだ。
曹操軍も、かれらを蹴散らしているがために、なかなか自分に追いつけないでいる。
『なんという無残なことだ!』
自分を信じてついてきてくれた民のことを思うと、ひたすら泣けてくる。
だが、ここで泣いても、誰も救われないというのも、劉備にはよくわかっていた。


馬がつぶれるのを防ぐため、劉備たちは馬をあたらしいものに交代して、さらに南の橋へと向かい始めた。
やがて河岸が見えてきた。
ようやく、長阪橋にたどり着いたらしい。
橋の向こうにはこんもりとした森があり、そこですこし休めそうであった。
振り返ると、いまのところ曹操軍が追い付いてきている気配はない。


「河。河か」
干からびた声で、劉備はつぶやく。
「雲長か孔明が船をつれてやってきてくれないだろうか」
希望を口にするも、随伴している者たちは、何も答えなかった。
あいかわらず川面には小舟があるばかりで期待していた助け手はない。
ひたすら街道を南へ逃げるほかなかった。
だが、このまま追いかけっこをつづけていても、いずれ、身軽な曹操の軽騎兵に追いつかれてしまうだろう。


すると、北から麋芳《びほう》が追いかけてきた。
「わが君、ご無事ですかっ」
麋芳は酒でも飲んだかのような紅い顔をして、劉備の前へあらわれた。
「おお、わが君! ご無事でなによりでございます」
「おまえも無事なようだな、よかった、うれしいぞ」
素直に言うと、麋芳はふうっと野獣のように息を吐き、言った。
「それより、一大事でございます、子龍がわれらを裏切りました」
「なんだと?」


目が点になるとはこのことだろう。
劉備は思いもかけないそのことばに、あっけにとられるほかない。


「なにかの間違いであろう」
感情を乱さない劉備にいら立ったようで、麋芳は、前のめりになって言う。
「しかし、実際にやつは北へ向かっていったのです。
きっと、曹操に降伏をしに行ったのでしょう。
これを裏切りと言わず、なんと言いましょうか!」
「馬鹿なっ」
「この目で見ました、まちがいございませぬ、子龍はわれらを裏切ったのです!」
「黙れっ、子龍にかぎって、わしを裏切ったりするものかっ!」
叫ぶと、劉備は手にしていた戟《げき》を麋芳に向けて投げつけていた。
麋芳は悲鳴をあげて、それを避ける。
癪《しゃく》に障り、劉備はまた怒鳴った。
「これ以上、くだらぬことを言うつもりなら、わしの前から消えるがいい! 
子龍が裏切るはずがないのだっ!」


「でも、北へ逃げたというのだろう」
いのししが殺気を押し殺して唸っているような声がした。
劉備がおどろいて振り返ると、張飛が、ひげを逆立てて怒っていた。
「子龍め、麋芳の言うとおりであれば、ただではすまさぬ!」
また厄介なのが絡んできたなと思いつつ、劉備は自分の動揺が顔に出ないようつとめながらたしなめた。
「益徳、子龍を信じろ。おまえは仲間を疑うのか」
張飛はふん、と鼻を鳴らした。
「ことばよりなにより、行動がその人を表すのだと、兄者は常日頃から言っているではないか! 
子龍は北へ逃げた! それがわれらを裏切った証左よ」
「北に用事があったのにちがいない」
劉備のことばに、張飛は目をまん丸にして抗議した。
「用事ってのは、なんだよ。降伏するのが用事じゃないのか、ええ? 
俺はやつを許さぬ! ふたたびやつが現れたなら、きっと叩き斬ってくれる!」
そう言って、蛇矛をぐっと握りしめる。
そして、自らもまた、北へ向かい始める。


あわてて劉備はその背中に言った。
「おまえはどこへいくのだ」
「殿軍《しんがり》を勤めに行くのだよ。
兄者はその森の中ですこし休んでいてくれ。子龍の首を持っていくから!」
「おい、ほんとうに」
よせ、と言いかけたところで、陳到が間に入ってきて、劉備に向かって、首を横に振って見せた。
どうやら、言っても無駄だ、ということらしい。
さらに、陳到は小声で言う。
「もし益徳どのと子龍どのが戦いはじめたら、それがしが止めて見せます」
「おお、そうか、そうしてくれるか」
劉備は愁眉を開いて喜んだ。
とぼけた顔をした男だが、陳到が趙雲と並ぶ武勇の持ち主であることは、劉備もよく知っているのだ。
陳到は、了解した、というふうに、今度はかるく会釈して、それから張飛のあとを追った。


かれらを見送ったのち、劉備は生き残った者たちをつれ、森の中で休みはじめた。
悲しみというよりも、虚脱感が襲ってきて、やるせない気分だった。




つづく


※ いつも閲覧してくださっているみなさま、ありがとうございます!
迫る曹操軍、そして夫人たちを見失った趙雲と、かれを誤解する張飛……
演義だと見せ場の多いところです。
これからどうなるか? どうぞ次回もおたのしみにー(*^▽^*)

地這う龍 四章 その4 趙雲、見失う

2024年01月29日 09時49分03秒 | 英華伝 地這う龍



西へ傾きかけた太陽は、ほどなく血に染まった大地を暗く隠していった。
視界が悪くなろうと、曹操軍の前進と殺戮が止む気配はない。
趙雲はここに孔明がいなくて良かったと、頭の隅で思っていた。
もし同行していたら、また虐殺の場に居合わせることになっていただろう。
友のこころにあらたな傷がつかずにすんでよかったと、心から思っていた。


やがて、難民の行列の後方から、おおぜいの傷ついた人々が押し寄せてきた。
それを追うようにして、曹操軍の軽騎兵が迫ってくる。
視界が悪すぎた。
月の細い光か、あるいは馬車に随行する兵の持つ松明だけが頼りである。
どれほど曹操軍に近づかれているのか、音と気配を頼りにする以外にない。
距離感がつかめないのだ。
甘夫人《かんふじん》と麋夫人《びふじん》を乗せた馬車を警護していた趙雲に、後方を守っていた将が叫んだ。
「曹操軍ですっ、曹操軍が追い付いて来ましたたぞっ」


趙雲は舌打ちした。
さすが曹操の自慢の軽騎兵だけあり、凄まじい勢いで追いついてきた。
何万もの民衆の命を蹴散らし、大挙して押し寄せてきたのだ。
曹操軍に追い立てられるようにして、民がけんめいに走って、これまた趙雲たちのところへ波のように押し寄せてくる。
親からはぐれた子が泣き叫びながら逃げ惑い、子を求める母は逃げ遅れて刃の餌食となり、かと思えば、人馬の足に踏みつぶる老人もおり、まさに悲惨としかいいようのない状況になった。


家財道具を棄てて、みな逃げようとするが、暗闇の中で、ますます恐慌状態がひろがる。
命乞いもむなしく、さっそく曹操軍の餌食となってしまった、あわれな民の悲鳴があちらこちらから、つぎつぎと聞こえてきた。
闇に隔たれて、悲鳴が遠くに聞こえるのか、それとも近くに聞こえるのか、よくわからない。
趙雲を見つけると、民衆はとたんに縋ってきて、
「お助けください!」
と、必死に匿《かくま》ってもらおうとするものだから、趙雲は人の波に呑まれるかたちで、馬車から離れざるを得なくなってしまった。
趙雲は民を落ち着かせようとするが、恐慌状態のかれらが、命令を聞きはしなかった。
だれもが必死だった。
助かりたいというその一心で、闇雲に行動をはじめてしまったのだ。


しかも、曹操軍の先鋒の兵が、しだいに民衆に交じって、趙雲とその部下たちに攻撃をはじめていた。
趙雲は、曹操軍が襲ってくるたびに、槍をふるってけんめいにかれらを撃退した。
だが、多勢に無勢である。
時間が経つにつれ、敵の数がどんどん増えてきた。
どうやら、ここに手柄を立てられそうな相手がいると、曹操軍のあいだに伝わってしまったのだろう。
容赦なく、敵兵が北からやってくる。
群衆に取り囲まれたせいで、馬車からは距離を取らねばならなかったが、それでも、部下が彼女らを守ってくれることを信じ、趙雲は敵兵をつぎつぎと屠っていった。


殺到してくる蟻をつぎつぎ払い落しているような、そんな錯覚さえおぼえる。
いったい、曹操のやつは、どれほどの人員を寄越したのだろうと、趙雲は苛立ちとともに思う。
倒しても、倒しても、キリがなかった。


夢中になっているうちに、夜が明けてきて、闇が薄くなってきた。
それに合わせるかのように、曹操軍が手薄になってきたので、趙雲は腰につけていた瓢箪《ひょうたん》の中の水で、のどを潤した。
ほっと力を抜き、あたりを見回して、甘夫人たちの馬車のほうを見る。
そして、ぎょっとした。


馬車を幾重にも取り囲んでいたはずの部下たちのほとんどが、いなくなっていたのだ。
趙雲のように、馬車に群がろうとする敵兵を払うため、持ち場から離れざるを得なくなった者、討ち死にした者、さまざまのようだった。
「奥方様っ」
ご無事で、と祈りつつ、馬車を見れば、なんと馬だけを残して、かんじんの夫人たちの姿がなくなっている。
馬だけが戦場の真ん中で、つくねんとしている状態だったのだ。


なんということか!
まさに、足元から一気に全身の血が抜けた。
大失態だ。
薄闇の戦場を見回しても、甘夫人や、麋夫人、阿斗らしき姿はない。
まさか、攫《さら》われたのか?
愕然としていると、馬車のすぐそばで、倒れ伏している部下のひとりが、顔をあげようとしているのが目に入った。
趙雲はあわてて部下を助け起こす。
部下は、趙雲に、ぜいぜいと息も絶え絶えに言った。
「も、申し訳ございません、奥方様方は、阿斗さまをお守りするため、馬車を棄て、徒歩でお逃げになりました」
「ばかな、だれかついていかなかったのか!」
「はっきりとはわかりませぬが、同行している者がいるはずです」
「だれだ」
「面目次第もございませぬ、だれとは……」
言いつつ、部下は、げほん、げほんと激しく咳き込んだ。
これ以上の情報は引き出せないと思った趙雲は、部下を馬に乗せ、南へ向かわせた。


たとえ同行している者がいるとはいえ、女の脚だ、そう遠くには行っていないだろう。
趙雲はそう推理し、馬で戦場となった当陽の地をかけまわった。
「奥方様っ、奥方様っ、何処《いずこ》におわす!」
叫んでも、返事はない。
しばらく行くと、曹操軍が手薄になっているあいだに南へ向かおうとする民衆の中から、ひとりが趙雲に向かって、叫んだ。
「奥方様なら、あちらの方角へ逃げていかれました、助けて差し上げてくださいっ」
かれが指さす方向は、南とは真逆の北であった。
「北か」
趙雲はまたもや暗澹たる気持ちに襲われた。
どうやら、夫人たちはこの殺戮の繰り返される修羅場のなかで方向感覚を狂わされ、逃げるべき方向とは逆に逃げてしまったようだった。
早く保護しなければ、曹操軍に見つかってしまう。


北へ戻る。
ためらいなく馬の腹を蹴ったそのとき、背後からよく聞き覚えのある男の声がした。
「子龍よ、どこへ行く! まさか、わが君を裏切るつもりではあるまいなっ」
振り返れば、いったいいままでどこにいたのやら、麋芳《びほう》である。


ふだんから、趙雲と麋芳は仲が悪かった。
趙雲は不快ながらも、かれを無視することで対処してきたが、今日ばかりは叩き斬ってやろうかという気分になった。
だが、夫人たちのことを思うと、そんなことはしていられない。


剣呑な顔をして自分をにらみつけている麋芳に、こまかく事情を説明している暇もなかった。
麋芳は麋夫人の兄のひとりだから、事情を話せば力になってくれる可能性もあったが、その可能性を掴むまでの時間が惜しい。
「下衆の勘繰りをしている暇があるなら、おまえはわが君を守れ!」
そう言い残すと、趙雲は馬腹を蹴って、ためらいもなく北へ向けて走り出した。


つづく


※ いつも閲覧してくださっているみなさま、ありがとうございます!
だんだん物語は大変なことに……
夫人たちはどこへ? 次回をおたのしみに!

そして、本日の1時ごろサイトのウェブ拍手を押してくださった方、どうもありがとうございました!(^^)!
とーってもうれしいです、励みになります! これからも精進致しますー♪
今日もいちにち、がんばるエネルギーをいただけました、感謝です!

「地這う龍」もいよいよクライマックスが近づいております。
どうぞ最後までお付き合いいただけたらと思います。
ではでは、またお会いしましょう('ω')ノ

地這う龍 四章 その3 悲劇のはじまり

2024年01月28日 09時59分47秒 | 英華伝 地這う龍





秋だというのに太陽はカンカンと照り続けた。
日差しを照り返す大地のうえで、乏しい水と食料を分け合いながら、必死に劉備一行は江陵《こうりょう》へ向かっていた。
趙雲は、陳到とともに劉備たち一族を守っている。
趙雲のそばには、小さめの馬に乗った張著《ちょうちょ》がいて、少年ながら、周りの様子に気を配っていた。
孔明が去ってから三日。
さすがに、まだ戻ってくる気配はない。
江夏までの旅程、それから交渉に使う時間、戻ってくるまでの旅程。
それらを計算しても、果たして孔明は間に合うのか。
曹操が襄陽《じょうよう》でぐずぐずしているのを祈るばかりである。


「子龍さま、あの男がいます」
張著がとつぜん群衆のなかの一点を指さした。
見れば、いつかの夜、迷子をめぐって口論になった大男である。
かれは一人ではなく、背中に、どこから拾ってきたのかと、さすがの趙雲も首をひねりたくなるほど汚れた老婆を背負っていた。
「おい、おまえ、背負っているのはおまえの母御か」
趙雲が馬を近づけると、大男は背中の老婆を背負いなおしてから、答えた。
「ちがうよ。さっき、膝が痛くてもう歩けないと言っていたので、助けたのだ」
老婆は歯のない口で、小さくもごもごと、
「ありがたい、ありがたい」
と言っていた。


趙雲は、あらためて太陽の下で大男を観察した。
眉の濃い、顎《あご》のしっかりとした大男である。
何より、双眸の輝きのつよさは、どこか孔明と共通するものがあった。


『悪い男ではなさそうだが』
しかし、なにか引っかかる。
「名を聞きそびれていたな、なんという名だ」
「なんだっていいじゃないか。それよりあんたは劉豫洲の主騎の趙子龍と言ったな」
「そうだ」
「じゃあ、臥竜先生の主騎でもあるはずだな」
「よく知っているな」


驚きとともに、警戒心がはたらきはじめた。
趙雲が劉備の主騎であることは周知の事実だが、孔明の主騎も兼ねていることを知っている人間は数少ない。
庶民が知っている情報ではないのだ。
趙雲は男の帯を見た。
飾りも何もない帯には、小ぶりの剣があるだけ。
連れがいる様子もなく、ここ数日の旅で砂ぼこりをたっぷり浴びたせいか、全体に白くなっていた。
頑丈なのだろう、老婆を背負っても、足取りが揺らいでいるようすはない。
『曹操の細作《さいさく》? いや、それにしては目立ちすぎるな』
何者なのか。
陳到を呼んで、調べさせようと考えた、そのときだった。


甲高い金属音のつらなりが、大地の彼方から聞こえてくる。
それが敵襲を知らせる銅鑼の音だと気づくまで、すこし時間がかかった。
群衆の行列の後方から、砂埃《すなぼこり》が立っているのが見える。
わあわあと悲鳴をあげながら大地に四散する民衆のあわれな姿がはっきりわかった。
そして、その群衆の奥のほうから、騎兵がどんどん迫ってきている。
曹操軍がとうとう追いついてしまったのだ。


「来たかっ」
趙雲はひとこと叫ぶなり、すぐに陳到のほうを向いた。
「叔至、おまえはわが君をお守りせよ! おれは奥方様がたの馬車を守るっ」
陳到は察しのいいところを見せてすぐにうなずいて、行列の先頭にいる劉備に、急を知らせに向かった。
「張著」
従者の名を呼ぶと、恐怖でからだをこわばらせていたらしい張著は、びくりと肩を跳ねさせた。
「おまえも叔至のところへ行き、わが君とともに安全な場所へ行け」
「そんな! わたしは子龍さまの従者です。子龍さまとともにおります!」
「いや、おまえはまだ子供だ。先がある身で、おれと運命を共にすることはない。わかるな?」
「わかりませぬ」
目に涙を浮かべて自分を見上げる張著のまっすぐな目を、じっと見返して、趙雲は言い含めた。
「わかってくれ。よいか、もっと言うぞ。おまえはまだ半人前で、戦場で過ごした経験もない。
おまえは自分で自分を守り切れるか? まだ無理であろう。
おれと一緒にいてくれるという申し出はありがたいが、あの大軍を前に、おれは、おれと奥方様しか守り切れぬ」
「でも」


言いつのろうとする張著に、趙雲は否定の意味を込めて首を振った。
「おれについてきてはだめだ。おまえが死ぬのはつらいし、軍師も悲しむ。
せっかく壺中《こちゅう》から救われて、ここで死ぬのか? いやであろう」
「それは……」
「早く叔至のあとを追え。そしてなんとしても生き残れ」
「子龍さまも生き残ってくださいますか」
べそをかきながら尋ねてくる張著に、趙雲は安心させるように、破顔して答えた。
「もちろんだ、おれはきっと生き残る。大切なものを、誰も死なせはせん。
わかったら、行け」
張著は、こくりと小さくうなずいて、陳到のあとを追って南へ向かった。
途中、なんども足を止めては振り返って来たので、そのたびに趙雲は、早くいくようにと手ぶりで示さなくてはならなかった。


そのあいだにも、曹操軍は迫ってきていた。
遅れていた民衆は、つぎつぎと曹操軍の刃の餌食になってしまっている。
その悲鳴と怒号と、それから容赦のない馬の足音と、一方的な殺戮の音。
それらがどんどん近づいてきている。
ふと趙雲が見ると、例の大男は、背中に老婆を背負ったまま、ものすごい勢いで南のほうへ駆け去っていた。
『旅慣れているのか……足腰の丈夫な奴』
感心しつつ、趙雲は甘夫人《かんふじん》と麋夫人《びふじん》の馬車のほうへと向かう。
幌をかきわけて、すぐに甘夫人が顔を出してきた。
「子龍、曹操軍ですか」
「はい。ですが、ご心配なきよう。この子龍が身命を賭してみなさまをお守り致します」
「それはうれしいけれど、殿はご無事でしょうか」
「叔至が、わが君に随行しております」


答えつつ、趙雲は孔明の書いてくれた江陵までの地図を頭に思い浮かべた。
たしか、このむこうには、長くつづく坂のさきに橋があったはずだ。
長阪橋、といった。
曹操軍を食い止めつつ、対岸へ逃げ、さらには橋を落とせば、なんとか曹操の勢いを削げるかもしれない。


「われらもこの先にあります、長阪橋へ向かいましょう。
しばらく揺れますが、勘弁してくだされ」
甘夫人はちいさく、はいと返事をした。
気の小さいところのある麋夫人は、曹操がやってきたことに怖じて、馬車の奥で身を縮ませているようだ。
阿斗はというと、この騒ぎの中でも動じず、甘夫人の腕の中でおだやかに抱かれている。
『なんとしても、奥方様方と若君をお守りするぞ』
心に誓い、趙雲は馬車と並行して南へ向かった。


つづく

※ いつも閲覧してくださっているみなさま、ありがとうございます!
とうとう曹操軍が追い付いてしまいました……!
長坂の戦い、はじまりでございます。
ちょっとアレンジを加えて書いたこのエピソード。
どうぞご注目くださいませ。

そして、昨日、サイトのウェブ拍手を押してくださった方!
どうもありがとうございましたー!(^^)!
とってもうれしいです、楽しんでいただけたなら、なによりですv
このブログにはたくさん作品がありますので、じっくり楽しんでいただけたらと思います(^^♪
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ではでは、次回をおたのしみにー(*^▽^*)

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