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・・・☆★エイン★☆・・・

2008年10月11日 日本で入籍、翌年6月13日 韓国で結婚式 2人&猫2匹の日韓夫婦の生活。

骨折生活

2021年02月22日 10時20分17秒 | DIARY
エインが骨折して一週間が経過しました

その間どうだったかというと‥

ほぼ寝たきりで生活してました


整形外科に行くも、肋骨の骨折は湿布を貼ってバンドで固定して痛み止めを飲むくらいしかなく(あとなぜか消化薬も同時に処方されてた)、あとはひたすら安静にして骨がずれるのを防ぐ生活

仕事は一週間休みをもらったので、ただひたすら横になって安静にして→ご飯食べる→薬飲む×3回(朝昼晩)

そしてわたしは骨折したこともないからどれだけ痛いのかはわからないけど、エインはトイレに行ってもなんと自分でお尻も拭けないという‥
痛くて体をひねることができず腕が後ろに回らないといって、トイレに行くたびに呼び出されてお尻を拭くという‥え、肋骨骨折ってこんな生活なの?!ネットで検索しても、力めない・咳をすると激痛ってこと以外出てこなかったけど‥早くも介護生活を先取り体験しております

こんな感じなのでもちろん自分で服を着替えたりシャワーをしたりもできず、ほんとに介護生活です

正直たまにイラッときます
お尻くらい自分で拭けるように努力してってなります
今日から仕事に一旦行きだしたんですが、朝髪の毛洗ってセットしてあげてってしてると、そんなの気にする前にお尻くらい以下同


イラッとしても仕方ない、エインが一番自分の体が動かなくてイライラしてるんだと思うけど‥ここで愚痴らせてください(苦笑)


愛がないとできない生活だなと痛感中








まさかこんなことが

2021年02月15日 23時26分03秒 | DIARY
昨日はバレンタインでしたね

今年はエインのリクエストでバタークッキーを焼きました
バターたっぷり&アーモンドプードルも入れてカロリー爆弾な一品にたいそう満足してもらえて嬉しかったです。


その日はクッキーを食べて昼前にサイクリングに出かけました。
ここ最近の週末は運動不足解消のためにウォーキングかサイクリングをしています。
昨日は二人でサイクリング。
巣鴨まで行って塩大福を買うという名目で都内を回っていました。

その帰りの途中のことでした。
エインが突然見えない壁にぶち当たったかのごとく自転車から空中に投げ出されました。
何が起こったのか全くわからず、だけども動くことのできないエインに駆け寄りました。

胸と腕をひどく打ってしばらく身動きができず、声を出すのも辛い様子

歩道もない路上での出来事だったので、近くを通ったドライバーさんが救急車を呼びましょうか?と声をかけてくれましたが、エインは大丈夫と断りました。しかしながら立ち上がることができず。
自転車も倒れたままなので起こして路肩に寄せようとしたところ、エインの自転車の前輪が動きません。
よく見ると、ブレーキのパット部分が曲がり、車輪が動かないようになっていました。

自転車で走行中に何らかの理由でブレーキが壊れ意図せず急停車することになり、自転車から投げ出されてしまったのです‥
ほんとうに突然のことでした
その直前まで何事もなく走行できていたのに


だいぶ時間が経過して、エインはなんとか家に帰ろうと動きました。
自転車もその場で捨置くわけにはいかずに、押して自宅まで持って帰ってきました

エインは気を張っていたのでしょう
家の中に入ると、それからは動けず。
日曜で夜間の時間に突入することもあり、診療してくれる病院が見つからず、間の悪いことに最寄りの救急指定病院はコロナでクラスターが発生して新規患者の受け入れを停止しているということが判明

一晩様子を見て、どうしても辛そうなら急停車を呼ぶことに。
痛みのせいか呼吸も苦しそうで、また容態が変わるのが怖くてまんじりともできず

翌日朝一で病院に行くと、肋骨の骨折と腕の骨にひびがことが判明
幸いに内蔵には損傷が見られないということで、自宅に戻ってくることができました

もし打ちどころが悪かったら、もし下り道を走行している最中の出来事だったら、もし‥と悪いことを思いつくだけ考えて、エインが生きていてくれることがありがたくてありがたくて‥

今は痛み止めが効いて眠っているエイン
静かで穏やかな呼吸に少しだけほっとします

早く骨がくっついて元気になりますように

12月

2020年12月01日 10時25分05秒 | DIARY
今年もあと一ヶ月ですね

変な一年でした
誰にとってもそうなのでしょう
私達にとっても変な一年でした

コロナで絆が深まったと感じた夏
愛猫の病で絆が揺らいだ秋
愛猫が旅立って絆が感じられない今

わたしたちは愛猫をかすがいにしていたのだと思います
もう一匹の愛猫もいるけど、旅立った子よりも歳上なので、寝る時間が長く元気いっぱいとはいきません


エインは‥ずっと機嫌が悪く、そんなエインと一緒にいることに疲れてきたのも正直なところです


大それた幸せを追い求めているわけではありません
健康で仲良くみんなで暮らしていけることが一番なのに、それが一番大それたことと感じるなんて‥





消化器型悪性リンパ腫の愛猫③ 虹の橋を渡ってしまいました

2020年10月08日 13時53分32秒 | DIARY
2020.10.6 16時 愛猫は虹の橋を渡ってしまいました


10/6 14:00 前回のブログをアップしたあと、愛猫は一緒に横になっていた私達の寝台から立ち上がる素振りをしたので、ゲージの中に愛猫を横たえました

すると横になったまま脱糞
もう起き上がってトイレに行くこともできない状態だったのかもしれません


14:30頃 うんちをきれいにしたあと、しばらくしてわたしは自分がトイレに立つため愛猫の寝ているゲージから離れました


14:35 トイレに入るとすぐに、愛猫の鳴き声がしました
普段もほとんど鳴くことなく、具合が悪くなってからは全く鳴くことが無くなっていたのに、どこからそんな声が?と思えるほどの大きな声で2回もうぉーんうぉーんと鳴いたのに驚き、すぐに愛猫のもとに戻りました

発作というのか痙攣というのか、よくわかりません
手足をまっすぐに突っぱねて呼吸も荒く、ときに深い呼吸をしたと思ったら呼吸をしなくなり、このままいってしまうのかと名前を何度も何度も呼びました


腕の中に抱き取り、エインに電話して帰ってきてほしいと泣きながら伝え電話を切り、ずっと愛猫の名前を呼び続けていました

息が再び戻りました


15:05 その後はどうしても自分でトイレに行きたかったのか、力を振り絞りトイレに行き、トイレの中に入ったらそのまま横に倒れました
おしっこが出たのかもしれません
そのまま起き上がれず、そして目と肛門に猫砂がくっついてしまったので、再び腕の中に抱き取り、きれいに拭き取りました
でもどうやら腕の中よりも、ゲージの床に行きたいらしく、そのような素振りをするので再びゲージの中に寝かせました

呼吸が明らかに今までと変わっていました
まるでいびきのような音のする呼吸でした
鼻から息をしてるのではなく、口呼吸になっていました
わたしも愛猫のすぐそばに横になり、ずっと話しかけていました
大丈夫だよ、横にいるよ、ありがとう、ありがとうと声をかけ撫で続けて、愛猫の名前をずっと呼んでいました
具合が悪くなってからは、ずっと愛猫にありがとうありがとうと言い続けていました
ご飯を食べてくれてありがとう、薬を飲んでくれてありがとう、一緒にいてくれてありがとう、ありがとうの気持ちが大きくていつも愛猫にありがとうと言っていました


15:08 エインにカカオトークでメッセージを送りました
再び息が戻ったけれど、いままでと呼吸の仕方が違う、だからできるだけ早く戻ってきてほしい旨を伝えました
エインは先程の電話で、愛猫が旅立ってしまったと思っていました
だからまだ一緒にいてくれることがわかり安堵していましたが、仕事の都合で早上がりすることができないので、終わったらすぐ帰る旨を返してきました


15:51 エインが帰って来るまであと2時間だよと話しかけ、呼吸も口呼吸ながら安定しているように思えたので、わたしは動画を撮りました
これが最後の動画になるとも知らずに


16:00 愛猫はその動画を撮ったあと、寝返りをうつような素振りを見せたのでそれを手伝おうと体の向きを変えました
それが良くない事だったと気づいたときには手遅れで、すぐさま異常な呼吸が起こり、再び痙攣と発作のような症状が出て、手足が突っ張り大きな声で鳴きました
すぐさま腕に抱きとりました

抱いた瞬間、大きな呼吸を2回してその後はなんの呼吸もなくなりました

その後、愛猫の呼吸が戻ることはなく、体もなんのつっぱりや反応もなくぐにゃりと軽くなり、愛猫が旅立ったことがわかりました
わかっても、温かいし、顔は可愛いままだし、しばらく息をして息をしてと無理なことを呼びかけ続けました





エインに再び電話をしました

死んでしまったと

その後の自分はなぜか冷静でした

愛猫の体をきれいにするためにおしりと手足をシャンプーし、タオルでふいて乾かし、愛猫が好きだった出窓の上に、好きだったダンボールとともに寝かせて、寒くないようにふかふかのタオルをかけて、しばらく愛猫に話しかけ、まだ温かい顔や手足や体をなでていました

その後急いで、具合が悪くなってから使っていたゲージとトイレ、床に敷き詰めていたペットシーツを全部撤去し、洗い、床を拭き、愛猫が具合が悪くなる以前の寝室の様子に戻しました
エインが帰って来るまでずっと愛猫の横にいました


18:17 エインが帰ってきました
愛猫の死後硬直が始まっていて、手足は固くなっていたけれど、体はまだほんのりあたたかく、しっぽだけは痩せることもなくそのままで、顔はよく半目で寝ていたので、目を閉じていない姿もただ眠っているかのようでした

エインもわたしも泣きました
半目の寝顔がいつもの姿過ぎて、泣きながら少しだけ笑いました

でも魂がもう体にとどまっていないのは明らかでした

エインと前日に話していた、旅立ち後にどうするかがまさか昨日の今日で起こるとは思わず、でも話しあっていたのもあって、その後の私達の行動は迅速でした

まだ濡れていた愛猫の体をエインが丁寧に乾かしました
その後、愛猫の立派で太くかわいいしっぽの毛を少しだけ切りました
爪も少し切りました
爪と毛は、この先一生私達が身につけていくから、ほんの少しだけもらいました
おひげも残しておきたかったけれど、おひげはバランスを取るために重要と聞いたことがあるし、おひげが短くなっていたら向こうの世界で笑われてしまうかもなと、それは諦めました

愛猫を彼の好きだったダンボールに入れて、好きなおやつやご飯、おもちゃを入れました
みんなで撮った写真も持ちました
愛猫専用の食器も持ちました


19:30 愛猫と一緒に車でわたしの実家に向けて出発しました
エインは職場に愛猫が亡くなったことを伝え、翌日休みを取っていました


10/7 24:17高速を走らせながら、空には満点の星が見えました
このとき流れ星が見えて、エインと二人、あれは愛猫かなと話しました


7:05 実家に到着しました
母と祖父が待っていてくれました
コロナのこともあって事前に会わずにおこうと話していたけれど、母はわたしたちの愛猫のことが大好きだったので、一目でも会いたいと出勤前の少しの時間で愛猫を見て愛猫のために泣いてくれました

愛猫を埋葬するためにエインと二人で庭のプラムの木の下に穴を掘りました
歴代の実家の動物たちが眠る木の下です

愛猫とともに、お花や写真、おもちゃにご飯、食器、タオル、わたしたちの服と現在の住所を入れました


最後にお花や好きだったものたちに飾られた愛猫の写真は撮りませんでした
わたしは残しておきたかったけれど、エインが撮らないでと言ったからです

埋葬したあとに飾ったお花だけ、プラムの木と一緒に目印になるように写真に撮りました

愛猫はあまえんぼだったし、寂しがり屋だったので、寂しくないといいなと思いながら、その後すぐに、戻るために実家を出ました

祖父は高齢でコロナのことで長居できないのもあるし、その日中に帰るためには時間もなかったからです



愛猫は実家の木の下に眠っています
でもそれが全然実感できない
実感できるのは、今家に愛猫がいないということ
2匹いたうちの愛猫たちが、一匹になってしまったこと

小さい体の愛猫がいないことが、こんなにも大きい








消化器型悪性リンパ腫の愛猫② もし旅立ってしまったあとの話

2020年10月06日 14時00分00秒 | DIARY
昨晩はなんとなくわたしが寝てしまったら旅立ってしまうんじゃないかと不安にかられ、30分毎に触ってあたたかいか息しているか確かめて、安堵してまた段々と不安にかられて30分して触って確認しての繰り返しでした

浅い呼吸を繰り返して、たまにため息のような深い呼吸をするので、その深い呼吸が怖くて怖くて‥

途中わたしが意識をなくした瞬間があって時計を見たら多分5分くらいだったけど、夢をみていて夢の中では愛猫がすでに旅立ってしまい、今までありがとうとつぶやいていた自分の声で目覚めました。実際につぶやいてる途中で起きて、怖くなってすぐ確かめて、暖かさと呼吸に安堵してまたそれの繰り返し‥
愛猫もさぞ迷惑だったことでしょう(苦笑)でも今晩も同じことをしそうです

今も愛猫は小さな呼吸で横で寝てくれています。





エインもわたしもアドレナリンが放出されてるのか、寝れないんです
寝れない毎日でも、愛猫の存在が確認できて感謝です



さて昨日は、多分もうそう遠くないうちに旅立ってしまう愛猫の旅立ち後についてエインと話しました。
(諦めていると捉えられても仕方ありませんが、無理な延命治療はしないと決めた時点で長くはないとは思ってきています‥葛藤はあります)
前から、お互い死後はどうしてほしいということは話すこともあったんだけど、愛猫についてはそこまで深く話し合ったことがなく、漠然と人間と同じようにしたいのかと思っていました。

エインは自分の死後は墓などを残さず、散骨して欲しい。
わたしはエインと同じお墓に入りたい。

以前自分たちのことについてはこう話していました。

そしてエインは愛猫についても、遺骨を残しておきたくない、と。
わたしは今まで実家で飼っていたペットたちは、田舎で土地もあることから自宅の庭に埋葬してきたので、愛猫を火葬して骨あげする自信がないと思っていました。またエインが前述のような考えなので、一緒にお骨を拾ってくれるとは思えず、ますます一人では火葬をすることはできないと漠然と感じていました。
(エインの姉、私にとって義姉は、火葬し目の前でお骨はローラーで粉になりました。死生観のちがいとか宗教感のちがいはあると思いますが、あれは自分的にはショックだったし、逆に韓国人のエインにとっては骨を拾い上げることに抵抗があるようです。)


ただ、わたしの意見も聞いてくれ、また韓国は今も土葬する文化が残っていることから、わたしの実家の庭に埋葬するのがいいのではないかと言うことになり、母に了解を取り、そうなった際にはわたしの実家に埋葬することになりました。愛猫は人懐っこくまた猫以外の動物も好きなので、歴代私と家族に愛されてきた動物たちと仲良く過ごしてくれるといいなと願うばかりです
そしてエインは私のために、遺骨ペンダントか何かで、愛猫の一部を一緒に体に身に着けておこうと提案してくれました。
旅立ってしまったことをその前に話すのは抵抗はあるかと思いますが、わたしはいざその時が来て感情的になって意見がぶつかりあったり、気持ちよく送り出すことができなかったりするよりも良かったと思っています。


冷静にブログを書いているように思えるかもしれませんが、実際は泣き暮らしてるといったほうが正しく、そして毎日この選択で良いのかと他の闘病中の方のブログを見たり検索したりとしてしまっています。

抗がん剤治療を行った方のブログ、開腹手術をした方のブログ、qolを優先してステロイド剤の投薬をした方のブログ、自然に任せた方のブログ‥全部が参考になり、また自分たちの判断がこれで良かったのかと迷うことにもつながっています

昨日から、愛猫には嫌がる投薬も辞めました。強制給餌も辞めました。水も口を湿らせる程度で、無理やり飲ませてはいません。それでも、その決断で良かったのかと迷って、いますぐ輸液しに病院に駆け込みたくなります
もう好きだったササミも、チュールも、チーズも油も何にも反応しません。お水を湿らす程度お口に持っていっても、飲み込むこともなく横からだらだらと垂れてしまう状態で、これ以上延命してどうするのか、いやでも輸液は必要じゃないのかと、葛藤する日々です

延命をしないと決めた方の中でも、輸液は必要だ、脱水症状は苦しいから水を飲ませることは必要だとか、逆に水や食べ物を無理に摂取させると、脳内麻薬が分泌されないため苦しい思いを長引かせるだけだ等の考えがあるようです 

飼い主だけが判断できる、判断しなければならない、最後の決断
きっぱり決められることなんて到底できそうにありません
決めても後悔する
どんな決断を下したって結末が変わらない以上後悔すると思います‥








消化器型悪性リンパ腫の愛猫①

2020年10月05日 17時30分00秒 | DIARY
愛猫12歳

8月に消化器型悪性リンパ腫だと判明してから約2ヶ月

毎日2回の投薬と、日に数回の強制給餌でなんとか頑張ってくれています

2019,6月撮影

8月に意識がなく倒れていた際、すぐに病院に連れていき処置してもらい延命したことは後悔していませんが、その時感じことは『最期は自宅で看取る』ことでした

エインも同じ気持ちです

倒れていた愛猫の姿をエインは仕事で外出していて見ていなかったけど、翌日点滴と数種類の注射で意識を取り戻した愛猫の様子を見て、この先無理に病院に連れて行くことはしないとお互い決めました

だって私達を見てにゃーにゃーと鳴くんです
あまり鳴かない愛猫が!
嬉しいのとごめんの気持ちで号泣しました。


2020.9月撮影

それから約2ヶ月。季節は秋になり10月になりました。
愛猫の様子はとても悪いです。ただステロイド剤と吐き気止めのお薬が効いていて、退院してからは一度も吐いていません。でも体重はぐっとへり、顔つきも変わってしまいました。


体重が減ることで筋力が落ち、立つこともままなりません。トイレには頑張って行こうとするけれど、間に合わず失敗することがほとんどです。
ゲージを設置して、行きやすいようなるべく歩かなくて済むよう中にトイレも設定していますが、行くのは元々のトイレ。
ゲージは寝室に設置していて、元々のトイレは寝室を出てすぐ外なのですが、もう体力が残されていない愛猫なのに頑張って元のトイレに行く姿に涙が止まりません(ゲージの扉は閉めていません)
というかここ一週間泣いてないというときがなく、愛猫とエインに申し訳ない気持ちでいっぱいです‥
愛猫が頑張ってるのに、エインも悲観していないのにわたしだけが泣いてる‥

病院に連れて行かないこと、強制給餌をしていることには毎日葛藤しています
この選択で愛猫にとって良いことなのかを
積極的な治療をしない選択をしたことで、qolを優先することを選択して過ごしてきましたが、いざその時が近づいてくるのを感じると、ほんとうにこのままで良いのかと、迷ってしまいます‥
私が迷ってエインに相談する度に、エインは自分の考えをしっかり話してくれますが、最後には
『マサシに任せるよ』
と‥

今私が在宅勤務でずっとずーっと愛猫のそばにいます。薬をあげるのもご飯をあげるのも、トイレをきれいにするのも、手足についてしまったうんちをきれいにするのもわたしです。それが嬉しく悲しい。悲しくても嬉しい。
だからエインは私に任せると言ってくれるのだと思うけれど、わたしはどの選択をしてもきっと後悔するし一度決めても迷うのだと思います‥



2020.10月撮影

8月に意識をなくしていた時には、いろいろな面で覚悟ができていませんでした。なんなら今もできていません。
だって今までは元気だった、そしてまだ12年しか生きていないのに!
でも退院してきてからは、病気の進行と薬の副作用もあってか様子がまるで違ってきてしまっています
調べたくないけど、もしその時が来たら安らかに送り出してあげたいと、調べたくない見たくないワードを検索してしまっているのも確かです


今週末は、前回のブログでも書いた私達の記念日です
四人揃って当日を迎えることができればいいな‥でも苦しむことが長引くのなら‥と思う気持ちも‥
飼い主がしっかりしなければならないのに、毎日迷うことばかりです‥

ごめんね
でも生きていてくれてありがとう



今年の付き合った記念日

2020年09月07日 12時25分00秒 | DIARY
9/7は付き合った記念日

もう15年も記念日として過ごしてるので忘れないかと思いきや、自分のブログを読み直さないと忘れてしまいそうという…

今年はいつもとは違った気持ちで迎える記念日でした。

コロナのことではなく、うちの愛猫が癌だと診断されてしまったから…
ずっと毎日嘔吐していて、病院に吐き気止の薬などを貰っていたんだけど、5月のある時血を吐いて驚いて病院に連れていくと、いつもの病院では原因がわからないのとその病院のレントゲン等の設備ではこれ以上の診断ができないと言われ、高度医療の病院に連れて行って検査をしたら、胃に腫瘍ができていると…

それから、坂を転がるようにどんどん体重が落ち、あれだけ好きだったチュールや猫缶もひとなめもできないくらいになってしまい…高いところにももう登れません

8月の下旬にはそれまで薬で落ち着いていた嘔吐も、一日で急にひどくなり、あまりにも吐きすぎて横に倒れているのを病院に連れて行ったらひどく危ない状態だと診断され、そのまま入院に…
幸い24時間ずっと点滴をし続け、注射も7つ、薬も…色々と手を尽くしてくださったみたいで次の日には意識が戻り、病院に行くとわたしとエインを見てニャーニャーと鳴いてくれて…

腫瘍のせいで胃が圧迫されご飯が食べれなくなっていくと言われています…

どのくらい一緒にいてくれるのか、お医者様には聞いていません
私達は外科手術や抗がん剤の治療を行わず、緩和治療でできるだけ苦しくないようにすることを選択しました
うちの猫は13歳と12歳
診断されたのは12歳の子

まだまだ子猫みたいな見かけでかわいくて、とてもシニアの猫とは思えないけど、それでもシニアの分類に入ってしまう年齢になりました
そしてうちの猫は麻酔が効き過ぎるほどらしく、検査のために全身麻酔をしたところ、意識が戻らず危険な状態になりました
それもあり外科手術を選択することはできず、抗癌剤も副作用が気になって選択できませんでした。現実の話をすると、かかる金額と効果が見合わないと思ったのもあります…

毎日少しずつお口にウェットフードを押し込んで、それでも飲み込めなくて苦しそうにしている姿に泣いてしまうけど、苦しいのは私達ではなくうちの愛猫

苦しくても少しづつご飯を食べてくれて、毎日かわいい姿を見せてくれることに日々感謝して過ごしています

今年の記念日もエインとわたしと愛猫たちと四人で写真を撮りました。これはもうずっとしてることで、お互いの誕生日、付き合った記念日、結婚記念日、Xmas、お正月…いつもみんなで写真を撮っています

次は結婚記念日が来ます

これからもみんなで一緒に写真を撮って行けますように
どこかに行ってしまわないように
ただひたすら祈っています


気がつけば一年も折り返し

2020年06月29日 21時12分43秒 | DIARY
お久しぶりです

気がつけば2020年も半分が過ぎてしまいましたね。

半年のうち三ヶ月程はコロナの影響でエインと一緒に在宅勤務をしていたので、世の中は大変でしたがその中でも楽しく過ごすことができました。
今まですれ違い生活で休みも合わなかったので、24時間ずっと一緒にいることに当初は大丈夫かなと不安もよぎりましたが杞憂でした。週に一回の買い物くらいで全くと言っていいほど外出しなかったのですが、一緒にいてとても楽しかった!
逆に今は緊急事態宣言も終わり、お互いに在宅勤務が解けて元の生活に戻りつつあるので寂しいです…コロナはもちろん収まってほしいのですが。

今年はエインとわたしの誕生日も結婚記念日も自粛期間の出来事だったので家でささやかにお祝いしました。毎年の誕生日旅行もこんな世の中だから行くこともできず…仕方ないですね(:_;)

韓国にも未だに行くことができないのでエインのオンマからは会いたいと泣いて電話がかかってきているようです…
韓国行くのも今年は無理かなと思ったり…

ワクチンの開発はまだまだ先の出来事になりそうだし東京の陽性者は減る気配が無いしで、コロナと共に生きていく生活に慣れていくのでしょうね…


さてさてこの自粛期間中、まったく休肝日がありませんでした(苦笑)
毎日エインと晩酌しててとても楽しかったのですが、多分肝機能がやばいことになってると思うのと脂肪が…今までお見かけしたことのないくらいになっております

エインは見かけの変化は全くないのに、わたしだけ、 

『太ったね!!』

と会う人会う人に言われて外出するたび心が折れそうです泣

2020年後半はダイエット&休肝日を設けるよう頑張ります!(禁酒と言えない心の弱さ











こういうときに

2020年04月17日 22時54分07秒 | DIARY
どういう対応かが問われるんだなと

エインの会社も今週の月曜から(やっと)全面休業になりました。エインは緊急事態宣言が終わるまで出社はなくなりました

わたしの職場は在宅勤務できる人は在宅でと変わりましたが…不要不急だと私には思われる打ち合わせの呼び出しとか現地調査とかで出勤してます

でも出社頻度が少なくなっただけまだマシなのかな…


コロナに対する認識が個人差がありすぎて困っています

未だに風邪の延長と捉えてばんばん仕事を取ってきて打ち合わせだったり顧客訪問だったり調査だったりをいれてくる営業がいるかと思えば、自分や身内の事を心配して有休とってる営業がいたり…

会社の方針もぶれぶれだから良くないと思うのですが

わたしもできるなら自粛したい
そして会社も他社や顧客に対してそうアナウンスしてほしい

家でできる仕事もあるし、なんなら今までの仕事のやり方も見直す機会だと思ってるのに

まして新卒の人たちの在宅勤務なら、自宅待機と同意義なくらいやることないと思うんだけど

会社はそうは思ってないっぽくて、報告に次ぐ報告…
さぼってるんじゃないかと思っているみたい
さぼってる以前に仕事自体がなくなってる部門もあるのに、、、何を報告させたいのだろうか

私に言わせれば、新卒だったり異業種から転職だったり他部署からの転籍者を教える為の出社はほんとに今必要なのかと思うし必要ないと思うのだけど、それができない
緊急事態宣言が出ても大したことないと思ってるってことなんだろうな…


コロナで打撃を受ける会社も多いけど、コロナ後の事を考えたら、今まで以上に人を大事にできなかった会社は淘汰されるんだろうな

会社が残っているのかいないのかはもう未知数過ぎてわからないけど…


家にいるのが収束の最短距離なら会社もそれを社員に徹底してほしいと切に願う今日でした



ラーの鏡かよ

2020年04月08日 20時01分04秒 | DIARY
緊急事態宣言が出ましたね


皆様は緊急事態と認識して行動されているでしょうか
緊急事態として職場が勤務形態等を配慮してくれているでしょうか


わたしとエインの職場は残念ながらそうではありませんでした

休業を要請されても【禁止】されてないよね?
そんな感じで普通に仕事内容の予定が進められていきます。

在宅勤務と言っても、事務仕事は会社じゃなくて家でしてねってだけで事務仕事だけがあるわけでもなく

もっと強制力がある宣言が出されたら良かったのにと思わずにはいられません。。。

こんなとき本質画出ますよね

ラーの鏡でうつしてあげたい

でも映されてもなにも思わないのでしょう。。。


うちの会社は在宅勤務が取り消されて人もいます
その人は総務で郵便物を確認するっていうのも毎日のルーティンだったらしいんですが、その人が在宅になると他の総務の人が郵便物を確認しなきゃならないから………だって