東北線のさいたま市の東大宮駅前に「砂の万灯」陶板の絵が美しく駅前に輝いています。
町田譽曽彦の20才代からの友人で画家金子一幸氏の制作である。
(現在は、陶芸に精を出しておられるようです)
砂の万灯 金子一幸(1992年制作)
この作品は、1990年ごろ地元の八雲神社の文化財で東大宮駅に駐輪場を作る際に
「砂の万灯」の絵が良いと言うことで地元の依頼を受けて制作したとの事でした。
この陶板「砂の万灯」を制作時には20才代の結婚から日本画を描いていた奥様の多くのご
支援があったようです。(制作期間は、約6ヶ月との事でした。)
砂の万灯 金子一幸(1992年制作)
「奥様、金子真沙子氏は、現在七宝焼で国際ビエンナーレ
で入選・多数受賞され大活躍されておられるようです。」
とても、羨ましいい限りの仲良し芸術家のご夫婦です。
どうぞ、東大宮駅方面にお出掛けの折は、ぜひごらんください。
サインは、たしか 「IKKO、K 」だった気がします、金子一幸氏とは、
一水会会員で画家の山田弘道先生が主宰していた「六彩会」展の
メンバーで一緒に写生・グループ展等でお世話になった素敵な友人
です。
(アルベルト譽)
<砂の万灯>/埼玉県さいたま市見沼区東大宮/八雲神社
最上段に人形を飾り、意匠をこらした7つの万灯が奉納される。
木村組、西本組、東本組、中組、中本組、上中組、大上組の7組で、
ひとつの組は20数世帯で構成される。
万灯は高さ約5メートル、重さ約40キロで、昔は鉾山車とともに渡御
行列に加わり、一人ずつ交替で担いで歩いた。何度か休憩しながら
夜を徹して練り歩き、神社に到着するのが明け方にもおよんだそうだ
が、大正12年に電線が張られると、渡御に参加せず境内に飾りおか
れるのみになった。
現在では、めったに行われず2005年は、12年振りに7組の万灯が
揃った。(2005年7月23日)
町田譽曽彦の20才代からの友人で画家金子一幸氏の制作である。
(現在は、陶芸に精を出しておられるようです)
砂の万灯 金子一幸(1992年制作)
この作品は、1990年ごろ地元の八雲神社の文化財で東大宮駅に駐輪場を作る際に
「砂の万灯」の絵が良いと言うことで地元の依頼を受けて制作したとの事でした。
この陶板「砂の万灯」を制作時には20才代の結婚から日本画を描いていた奥様の多くのご
支援があったようです。(制作期間は、約6ヶ月との事でした。)
砂の万灯 金子一幸(1992年制作)
「奥様、金子真沙子氏は、現在七宝焼で国際ビエンナーレ
で入選・多数受賞され大活躍されておられるようです。」
とても、羨ましいい限りの仲良し芸術家のご夫婦です。
どうぞ、東大宮駅方面にお出掛けの折は、ぜひごらんください。
サインは、たしか 「IKKO、K 」だった気がします、金子一幸氏とは、
一水会会員で画家の山田弘道先生が主宰していた「六彩会」展の
メンバーで一緒に写生・グループ展等でお世話になった素敵な友人
です。
(アルベルト譽)
<砂の万灯>/埼玉県さいたま市見沼区東大宮/八雲神社
最上段に人形を飾り、意匠をこらした7つの万灯が奉納される。
木村組、西本組、東本組、中組、中本組、上中組、大上組の7組で、
ひとつの組は20数世帯で構成される。
万灯は高さ約5メートル、重さ約40キロで、昔は鉾山車とともに渡御
行列に加わり、一人ずつ交替で担いで歩いた。何度か休憩しながら
夜を徹して練り歩き、神社に到着するのが明け方にもおよんだそうだ
が、大正12年に電線が張られると、渡御に参加せず境内に飾りおか
れるのみになった。
現在では、めったに行われず2005年は、12年振りに7組の万灯が
揃った。(2005年7月23日)