グレースの自動車・鉄道撮影記

80年代の自動車(日本車と日本車ベース自動車)の画像や鉄道車両(115系等)の写真など。画像の無断転載は固くお断り。

2021年2月に見掛けた三菱の旧車・珍車

2021-02-23 14:00:13 | 日本の旧車・珍車など

 ミニカトッポタウンビー。1997年1月登場でレトロカーブームの頃に登場した。レトロカーブームの頃の自動車も見なくなりつつあるが、トッポタウンビーを見る機会は特に減った感じがする。


 日産ADバンOEMのランサーカーゴ。珍車かどうか微妙な所だが、これも販売終了しているので今後見る機会が減るかも。
 

 ADバンOEMのランサーカーゴよりも見る機会が少ない感じがする、日産NV200バネットOEMのデリカD:3。
 先ほどのランサーカーゴと同じ敷地内に居た。




 三菱リベロステーションワゴン。写真の個体はモンテなので1995年9月以降のモデル。
 フロントグリルガードと車体色の感じからして初代RVRと雰囲気が重なる。遠くから見て「RVRじゃない?」と錯覚してしまった。
 練馬77なのでワンオーナー車だろう。実際に年配の方が運転してたので。


 4代目ミニキャブトラック4WD。スリーダイヤなので1988年2月以降のモデル。
 地方などでは見ることがあるかもしれないが、自分の生活圏内ではあまり見ない。

2021年2月に見掛けたマツダ オートザムAZ‐3

2021-02-22 15:32:25 | 日本の旧車・珍車など

 1991年6月から1998年6月までマツダのオートザムチャンネルで販売されていた3ドアハッチバッククーペ。
 姉妹車としてユーノス店で販売されていたユーノス プレッソが存在した。
 エンジンは1.5L直4エンジンのみだったが、1993年9月からは1.8LのV6エンジンを搭載したモデルも追加されたらしい。


 練馬53ナンバー。タイヤの状態からして不動車。車検ステッカーからして平成17年(2005年)くらいまで動いていたのだろうか。
 正直言って、実車を見るまでこのAZ‐3の存在すら知らなかった。軽スポーツのAZ‐1ならそれなりに有名ではあるが。
 AZ‐3は現在のマツダの車名(マツダ6など)に通じるものがあるが、この頃から車名を数字にしようと試みていたのだろう。(海外市場ではフェスティバやルーチェなど既に数字の車名になっていたが)実際に海外で姉妹車のプレッソがマツダ MX‐3などの名称で販売されていたそうである。
 個人的な主観を書かせてもらうと、マツダ5チャンネル体制の迷走していた時代がデザインに表れている感じがする。


 リア。オートザム西新宿のステッカーが残る。最初見た時はファミリア アスティナや2代目フェスティバと似てるなと思った。実際にBG系ファミリアと車台が共通らしい。
 しかし都心部で珍車の不動車が存在していたとは。それも5チャンネル体制時のマニアックな車種が。こういう発見もあるものなんだな。
 

2021年2月に見掛けた80年代~90年代のトヨタ車

2021-02-22 13:54:14 | 日本の旧車・珍車など

 E90型スプリンター4ドアセダン後期。1989年5月以降のモデル。タイヤの状態からして不動車だろう。
 車検ステッカーも旧式なので長期間動いていないだろう。タイヤのホイールカバーも純正ではないと思われる。



 反対側。後輪のみスチールホイール。運転席ドアが凹んでいる。
 500ナンバーだと3桁ナンバー初期の番号だろうか。少なくとも新車時からのナンバーではない。


 リア。テールランプは前期の方が好きかな。90スプリンターの後期は廃車体も含めると稀に見る感じがする。前期は不思議と全然見ないが。


 グレートは1.5MXサルーン。


 E‐GX70GマークⅡワゴン。通称、70マークⅡワゴン。フェンダーミラー付き。さらにフロントグリルのエンブレムが……
 所沢58だと末期のモデルになるのかな。


 リア。グレートはLGグランデエディションかな。



 別の日に見た70マークⅡワゴン。タイヤのホイールがスチールホイール。1984年11月から1997年3月まで生産されていたので、たまに見ることがあるが、近年は段々見る機会が減ってる感がある。こういう二桁ナンバー車は貴重な存在だろう。


GX71クレスタ。横浜77ナンバーで全体的に当時の雰囲気。フェンダーミラー付き。
 自分が幼少期の頃(1980年代後半から1990年代前半)はハイソカーブームとあって当たり前のように見た。


 グレートはセカンドグレードのスーパールーセントツインカム24。


 姉妹車のチェイサーやマークⅡもそうだが、クレスタと言えばこの車体色とタイヤホイールでしょ。
 ワインレッドの室内といい横浜77ナンバーといい譲ってと言いたくなる雰囲気。


 トヨタビスタ横浜のステッカーが残る。

 

 




韓国の旧車事情

2021-02-16 15:12:15 | 韓国の自動車
 一言で言うとかなり厳しい状況とのこと。ツイッターでの韓国のフォロワーさんの話を箇条書きで書いてみよう。

①韓国政府が大気汚染を改善するために2005年以前に製造されたディーゼル車を廃車にすれば数百万₩の補助金を与えている。
②旧式のディーゼル車を二台持っているが、地方環境課から廃車を進める郵便が届いた。
③中国からのほこり(恐らくPM2.5や韓国語で言うミセモンジのことだろう。ミセモンジを漢字にすると微細粉塵)は黙認し、その原因を老朽化した自動車や火力発電所と指摘し、全国で軽油車や古い自動車への弾圧が進んでいる。
④公害対策で全国の道路にCCTV(監視カメラ)が付けられた。ソウル首都圏に設置されたカメラは常時取り締まり、地方に設置されたカメラは大気汚染が深刻な時に取り締まるそうである。カメラに撮られると一日最大10万₩の罰金とのこと。地域にもよるが、最初の一回だけは警告状だけを送り、それは一か月毎にリセットされることもある。例外としてソウルの中心部に入る場合、25万₩の過料に処される。
 
 これらを書いただけでも韓国の旧車事情が厳しいことが分かるだろう。公害対策で監視カメラを設置しているとか日本では考えられない話しである。それに中国からの大気汚染を黙認とか如何なものかと思う。文大統領が中国寄りと言われるのも無理はないだろう。

 こんなことばかり書くのもあれなので、2019年11月の韓国探索で木浦で撮影した現代3代目ポーターの写真を

 3代目ポーターの前期型かな。ベースとなった三菱デリカと同じスチールホイールのタイヤが綺麗だな。木浦市と書いてあるから木浦市の公用車かな。漢字で木浦市と書いてあるしベースが3代目デリカトラックだから日本に居るような感覚になる。こういう日本由来の自動車が消えるのも時間の問題かもしれない。

韓国の自動車について初めて知ったこと

2021-02-16 11:28:52 | 韓国の自動車
 新型コロナウイルス以降、海外旅行は14日間隔離などで事実上、気軽に海外旅行が出来ない状態が続いているが、昨年から自分のツイッターアカウントでの韓国人のフォロワーが増え、色々と韓国の自動車について初めて知る部分もあり無にしたくないので、自分の備忘録として書いて行こうと思う。
 
◎2000年代初めまで全ての四輪駆動乗用車に灯火管制用ライトの装着が義務付けられていた。
 
 北朝鮮とはあくまでも休戦状態の韓国ならではの装置。戦時に夜間運転時、飛行機の爆撃を予防するために全ての灯火装置(計器盤・テールランプ・ヘッドライト)が消えて正面だけ見えるかすかな灯火が入る。それで後続車両が付いて移動したり、前の車との間隔が保つことが出来る装置らしい。さらに距離によって違って見えるように設計されていたらしい。


 写真は三菱初代パジェロベースの現代ギャロッパーといすゞ初代ビッグホーンベースのサンヨンのコランドファミリー。赤枠で囲った所が灯火管制用ライトである。


 余談だが、このようなトラックにも灯火管制用ライトがついていた。写真は三菱ふそう5代目キャンターベースの現代初代マイティ、赤で囲った部分が灯火管制用ライト。
 左側に灯火管制用ライトらしきものがはっきりと見える。

◎2012年まで韓国で生産・販売されていた8~9トントラックには牽引輪の装着が義務付けられていた。
 
 これも休戦状態の韓国ならではの事情だろう。戦時に民間トラックを徴発し、物資輸送や牽引砲の牽引などに使うためだったらしい。現在は軍が直接改造するようになり、2012年以降の民間トラックには牽引輪はついていない。

 写真は初代マイティの荷台側。緑で囲っている部分が牽引輪。マイティのように2トンから3トン前後の中型トラックでは牽引輪の装着が義務ではなかったらしい。赤で囲っている部分は灯火管制用ライト。