少しずつ増えてるかもしれないが、見掛けたのはこの個体で2台目。地元で現代自動車製の自動車を見掛けたのは初めて。
3代目デリカバンのロング・ハイルーフ。日本国内だとデリカバン自体が非常に珍しいが、ロングボディのデリカ自体が日本国内だと非常に珍しい。年式は1990年代初頭から1997年頃までだろうか。
前輪は大穴のスチールホイール。後輪は小径シングルタイヤだろう。
花屋さんで使われている個体。きっと花を運んだりしているのだろう。
7代目ミニキャブトラックとの並び。7代目ミニキャブはスズキ キャリイ(11代目)のOEM車である。
トッポBJ中期型(1999年11月から2001年1月までの年式)
絶滅危惧種では無さそうだが、良い雰囲気だったので思わず撮影。
シャリオグランディス。大分33ナンバーなので1997年10月から1999年5月までに登録された個体だろう。
JR九州では2023年2月25日「日豊本線特別運行!SL人吉の客車で行く!門司港の旅」を開催した。門司港到着後は「重要文化財でフレンチコース」「415系見学コース」の二つのコースが設定されたが、自分は勿論、「415系見学コース」に参加。それなのでこの日に撮影した415系の写真を中心に紹介したい。
大分から門司港までSL人吉客車で移動。DE10のプッシュプル。
門司港の留置線では運用を離脱し疎開されている415系100番台のお出迎え。見て分かったと思うが、タウンシャトルのヘッドマークを取り付けていた。JR九州普通列車のタウンシャトルのヘッドマークは国鉄末期の「マイタウン電車」のヘッドマークから始まり、これまでの優等列車メインの汽車ダイヤから普通列車を等間隔・高頻度で運転する「シティ電車」方式への転換をPRしたものである。九州以外の北海道 札幌近郊や長野地区・北陸地方・山陽地方の普通電車でも「シティ電車」方式が取り入れられ「〇〇シャトル」「〇〇エコー」などのヘッドマークが取り付けられ、1990年代終わり頃(地域によっては1990年代前半)まで見られた。九州のマイタウン電車はJR九州発足後は「タウンシャトル」のヘッドマークへ変更され長崎地区や大分地区の普通列車にも取り付けられた。
タウンシャトルマークは色々な種類があり車種や地域によって取り付けるヘッドマークが異なっていたような気がする。
先に車内や運転台の写真を掲載しよう。今回、車内見学出来た編成はセミクロスシート編成のFo112編成。
九州の415系は荷棚上も広告スペースになっていた。
形式写真
留置期間が長いからか、車体の至る所に錆が出ている。
奥の方へ行くと、タウンシャトルマークを付けたFk513編成が。この編成は国鉄時代は常磐線で活躍していた編成で、2007年から2022年秋の引退まで鹿児島地区で活躍していた。
このタウンシャトルマークは長崎地区で走っていた715系電車が付けていたイメージ。魚のイラストが可愛い。
このタイプのヘッドマークは北九州エリアのイメージ。こうして見ると引退した電車とは思えない。
先ほどのマークと同じデザインだが、綺麗なヘッドマーク。タウンシャトルと言えばやはりこのマークのイメージ。
左下のピンクが薄くなったようなマークもあったのか。タウンシャトルマークは色々あって面白い。
有田陶器市号のマークも。
自分が最初に九州へ行った時(2001年夏)はタウンシャトルマークが無くなっていたので、今回このようにタウンシャトルマークを掲げた415系が見れたのは非常に有意義だった。個人的に九州と言えばタウンシャトルマークを付けた電車のイメージが強いし、幼い頃の鉄道図鑑で見た記憶がある。
九州鉄道記念館で撮影したクハネ581‐8の車内。車内に入れなかったので外から撮影。個人的には近郊型電車が好きなので715系時代の車内が残っていて良いと思っている。それだからかつてのシルバーシートマークが残っていて、90年代の雰囲気が楽しめて良いと思っている。タウンシャトルマークの415系を見た後で見ると90年代の九州へタイムスリップした気分になる。
気分だけでも90年代の九州。
門司港駅へ行くと
813系が登場して間もない頃のような光景だな。
集合時間になり門司港からは再び人吉客車の団体列車に乗って大分方面へ向かいその後は解散。人吉客車に乗るのが少し大変だったが、タウンシャトルマークを付けた415系が撮影出来たのは大きな収穫だった。
「SL人吉客車で行く!門司港の旅」門司港から小倉までの車窓
門司港から小倉までの間は疎開留置中の415系白電の姿が確認出来る。
2023年春に引退したJR北海道のキハ183系。1979年に試作車、1981年には量産車が登場。1986年11月には写真の外観のような500・1500番台が登場し、北海道各地で特急列車として運行されてきた。
自分は特急型にはあまり興味は無いが、北海道のキハ183、特に写真の塗装で「おおぞら」マークを掲げた姿を幼い頃、鉄道図鑑で見て印象に残り、個人的には北海道の鉄道と言えばキハ183「おおぞら」の印象が強い。
2023年4月に北海道のキハ183系はラストラン運転を行ったが、自分も乗車したので写真を紹介したいと思う。
札幌駅の発車票。この日は大雨で遅れていたが何とか運行出来て良かった。
青色のHET色も悪くないけど、やっぱりキハ183と言えば暖色系のこの塗装ですよ。わがまま言うとこの塗装のハイデッカーグリーン車の「おおぞら」に乗りたかった。
乗降用扉。JR北海道は白ゴムを保持するイメージがあったが、近年は黒ゴムへの交換も増えた印象。
JR北海道と言えばモジャくんのドアステッカー。このドアステッカーもあまり見なくなった。
オルゴール鑑賞会。自分あまり特急列車の車内チャイムとか興味無いけど、折角なので動画で記録。
JR北海道 キハ183ラストランツアー キロ182‐504車内オルゴール鳴動
JR北海道 キハ183ラストランツアー キロ182‐7551車内オルゴール鳴動
JR北海道 キハ183ラストランツアー キロ182‐7553車内オルゴール鳴動
JR北海道 キハ183ラストランツアー キハ183‐1555車内オルゴール鳴動
札幌駅で買った駅弁。
長万部駅停車中、車内に誰も居ない間、自分が乗った車両(暖色系塗装のキハ183‐8565)の車内を撮影。
やっぱりハイデッカーグリーン車に乗りたかった。
函館駅に到着。
やっぱり「おおぞら」「北斗」マークを掲げた姿が見たかったね。
道南いさりび鉄道を見ると朱色のキハ40が停まっていた。これだけ見るとJR発足当初のような気分。
あまりこういうこというのもあれですが、天気といい少しモヤモヤした気分で帰路に着いた。暖色系塗装のキハ183が見れて乗れただけでも良しとします。
日本国内だと1986年2月から1993年1月まで販売されていたフォード フェスティバ。マツダが開発し当時のオートラマ(フォード車専門の販売チャンネル)で販売され当初はマツダ製の3ドアが販売されていた。
1989年頃から韓国起亜自動車で生産された5ドアのフェスティバ5、90年代に入ってから4ドアセダンのフェスティバβが日本のオートラマで販売されるようになったが、左ハンドルのままが災いしたのか、品質もあまり良くなかったのか販売成績は良くなかったそうである。90年代前半だと自分は小学生だったが、5ドアを見た記憶が辛うじてあるくらいで4ドアセダンのβは見た記憶が全然無い。
令和に入った現在は数台程度しか残ってなくマツダ製のフェスティバでも見掛けるのが非常に難しい現状である。
そんな状況の中、日本国内に数台しか残っていない韓国製フェスティバを撮影する機会に恵まれ、アメリカ人オーナーの許可を得て撮影することが出来た。あまり機械とか詳しくなく詳しい説明が出来ないので悪しからず。
リアの写真。テールランプは韓国の起亜プライド(フォード フェスティバの韓国名)とは異なる。日本向けのβはウインカーランプが上、ブレーキランプが下になる。この個体は元々、南九州辺りに居たとのこと。いまのこの場所まで持ってくる途中、関西辺りで故障したとも言ってたような。(半年前に聞いたお話なので間違えてたらごめんなさい。)自分もここ数年、南九州に何回か行ったことがあるが、フォードJ80やJ100(マツダ3代目ボンゴ・ボンゴブローニイのフォード版)を4台見たので、フォード=マツダ車がある程度強い地域かもしれない。
恐らく新車時からのタイヤホイール。
Kのマークが韓国製であることの証し。
MADE IN KOREA。番号などは隠してます。
エンジンルーム。
運転台回りの画像。ギアはオートマチック。
簡単な文章で申し訳ないが、今回、貴重な時間を割いて説明してくださり、オーナーの方には感謝を申し上げます。いつかこのフェスティバβが公道で走ることを願ってます。