前回の続きです
白洲次郎は吉田茂に雇われてGHQの折衝に当たるが
「従順成らざる唯一の日本人」と称される。
日本国憲法の成立に深くかかわった人。
遺言は「葬式無用、戒名不用」
5年前に武相荘に行った時は半紙に
この言葉の展示がありましたが
今回は見当たりませんでした。
白洲次郎は自分の信条を貫いた83年でした。
母屋
正子さんは樺山伯爵家の次女として東京生まれ。
父方の祖父は薩摩出身の軍人・政治家。
14歳で女性として初めて能の舞台に立つ。
アメリカのハートリッジ・スクールに留学
帰国後まもなく次郎と結婚。
お互いに「一目ぼれ」
戦後は早くより小林秀雄、青山二郎らと親交を結び
文学骨董の世界に踏み込む。
入り口の方から母屋を写す 苑内には武蔵野の面影が
白洲次郎は政界入りを求める声も或る中
生涯在野を貫き幾つかの会社を経営
晩年までポルシェを乗り回し
軽井沢ゴルフクラブ理事長を務めた。
庭にひっそりと
シロシキブ ムラサキシキブ
正子さんは銀座に染色工芸の店を営み
往復4時間の道を通っていた。
自分の目で見、足を運んで執筆する姿勢は
終生変わらなかった。
骨董品・着物・書籍等室内の展示品は
撮影禁止
母屋
一番右より母屋入り口
土間になり和室囲炉裏(写真中央当たり)
使用していた陶器類展示
左側は和室は正子さん着物展示
その奥は書斎・書庫でした。
記事は案内書より抜粋
素敵なショットと解説から、様子、雰囲気、伝わってきました。
居ながらにして、珍しいショットをいろいろ見せていただき、嬉しかったです。
見せていただき、siawase気分です。
楽しめました。
心和みました。
ありがとうございました。
ブログ交流って、いいものですね。
昨日も、コメント&応援ポチに、恐縮です。
ドラマ、本の場面を思い出しながら
写真に見惚れていました。
心の落ち着く静かな場所ですね
白州次郎さん 正子さん 逸話だけは
色々情報で聞いた事はありますが・・・
実際にブログでこの様に写真で拝見出来
良く~納得しました
正子さんは樺山伯爵のお孫さんで随分と
おじい様に可愛がられて・・その当時
のコレクションが沢山持参されていると
噂されていますが?実際の所は???
下々にはわかりません。
早朝から有難うございます。
此処の周囲は開発されて武蔵と相模の面影は
まったく有りません。
この建物と土地だけが時代に取り残されているように大事にされています。
有難うございます。
ドラマ、本で創り上げたイメージを
壊さなかったですか?
それなら良かったのですが・・・
心の落ち着く場所と言って頂き
気持ちが伝わってホットしています
静ないい所ですね。あの時代を人とは違った生き方をされていますね。奥様も素晴らしい方なのですね。一緒に見学させて頂き、歴史をちょっとかじりました。
有難うございます。
写真をしっかりとご覧頂き
様子を感じて頂き嬉しいです。
現代では正子さんのような人も沢山いるでしょうが戦中戦後の混乱期に自分の信念をと維持するのは大変だった事でしょうね。
展示品も季節によって入れ替えるようで
前回行った時の方が沢山展示されているように
見えましたが私の気のせいかな
有難うございます。
今朝の東京は強風で
私は水彩画教室で出掛けましたが
外へ出てビックリ、
傘を長い傘に取り変え
上着もフードの有るのに着替えて出直ししました。
正子さんも仰るように凛とした信念を持っていたようですね、でも「韋駄天のお正」と言う渾名があったようですよ。
以前銀座某デパートで白洲正子さんが使われていた物(骨董、着物品等)が催されていた時、
友と行きましたがとても素晴らしかったです。
自然を愛し、正子さんの生ける花、
(雑誌等で掲載されているもの)を見て本も購入したものです。
みの子さんの写真を目にし、
静かに心豊かに暮らす、
正子さんの姿が目に見えるようです。
どんなお二人だったのでしょうね。
その会話を聞いてみたい気がします。
当方も結婚が長くなり、これでよかったのかと
ふと不安になるこの頃、
信念を貫き通したお二人のこと
とても気になりました。
お互いに尊敬しあえるというのが、いちばん素敵なことであるように思えます。