テレビ、ネット等で船村徹さんの死を報じていた。
日本のこころのうたミュージアム・船村徹記念館
http://www.nikko-honjin.jp/about/funamuratoru
<こんな紹介文も>
彼の作品が日本人の心を打ち、外国の人々の心にも通じるのは、彼が日本の歌、つまりは日本のソウルミュージックの稀有の書き手であり、作品に「祈る」心の熱さが託されているせいだろう。
死ぬことは誰にでもくるものだ。狼狽えてはいけない。
北島三郎さんのコメントが心に響いた。
http://www.oricon.co.jp/article/124078/
「あの場で何か言うと泣いてしまいそうになるから手紙を書いた」。手紙の内容について「この世に生をうけたからにはいつか旅立つときは来る。自分も旅立つ時が来るだろうけど、また…」と話したところで言葉を詰まらせ、絞り出すように「会う時は、船村先生の弟子でありたい」と続けた。
You Tnbeで船村さんの曲を聴く
「別れの一本杉」を聞いていたら涙が出てきた。春日八郎、三橋美智也、美空ひばりの歌手の顔と、おばあちゃん、じいちゃん、両親の顔が浮かんできた。歌謡曲というのは時代を切り刻んで行くんだな。俺が小学校4年生(1955年 昭和30年)、一番貧乏で苦しい時代。
「みだれ髪」を聴いていたらバブルの時代(1987年 昭和62年)の自分の馬鹿さを思い出した。酒を飲んで飲みまくった時代。40歳で乗りに乗っていた時代(勝手に思い込んでいる)。ふと立ち止まると美空ひばりのみだれ髪が流れてくる。これで、このままでいいのだろうかと問いかけた自分がいた。