初老男のノンビリしたブログ

近所や周辺の事柄に対して、書き記して行きます。

発達障害の人々

2014年05月31日 20時24分14秒 | お稽古、勉強

重苦しい話題をひとつ差し上げましょう。


話題が重くなるのは、重苦しい話をするからです。
発達障害の人々が重苦しいのではありません。
責任と原因の所在は、語部にあるのです。



と、ここまで重苦しい話しでした。



私のブログが抱腹絶倒であった試しはアリマセン。
そうなるように書いた覚えもないのです。
文体を面白可笑しくしてもしません。
ドチラかと言えば重苦しい感じにまとめてあります。
意図的に行っていることに間違いありません。



今日は勉強会として、心理療法士の先生から話を聞きました。
それでタイトルとしたんです。
発達障害に関しての概要と特徴です。
更に突っ込んだ話を聞くのであれば、長い時間の勉強会にしなくちゃイケナイでしょう。
それならば、別の勉強会を計画しなくちゃイケマセン。
知識を習得するには、時間と苦労が必要ですからね。



人が十人居れば、一人発達障害の可能性があります。
統計上のお話しです。
50人居れば、自閉症の人が居る。
100人いれば知的障害者が居るものです。
あくまで目安です。

講義の内容ではありませんが、それだけ居るのです。
ですから、満員電車なら、その中に問題のある人は10人近くいる。
決して珍しいことではないのです。
普通に存在しているのです。
これを病とか、障害と呼ぶべきか?

違いますよね。
この人数構成なら、顔見知りに何人も思い浮かんでいいはず。
通常のことなのです。
普通でないと思うから、差別や区別、偏見を持つのです。
当たり前を、当然にしないから歪が出るのです。


各種考えられる、行苦しさの根は無知や偏見、恐れ不安から来るのです。
ああ、ヘンな感じの人!
これで充分ではないでしょうか。
ヘンな人でも、十分に差別的なのですから。



今日学んで、自ら導き出した答えの一つがこれです。
勉強において、違う確信や気付きをする。
充分に問題行動であるのです。
つまり、発達障害があるわけです。


だから創作活動に向いている。
問題行動ある反面、何かの「天分才能」がある証拠です。
つまり、ガンバって、作品作りをします。
与えられた技能を、充分に活かす為にです!
ビバ、問題児!



 

怪しい本

2014年05月30日 20時14分38秒 | 本・執筆

昨日のブログは、今日の前振りでした。
ダブリ本の半分くらいが、貰われて行きました。
雑食性の読書家の元に行ったのです。
専門性の読書家相手には、ジャンルという厳しい規格が存在します。
雑食系の人は何でも読んでくれるから便利です。
知り合いに数人確保して置きたいもの。
常備薬みたいな存在です。


今日手渡したので、週末に読むかも知れません。
そうすれば、週明けに感想を聞けるかもしれません。


今日のタイトルは、その方と会話して出た言葉です。
本のタイトルや、私のお勧めポイントから導かれた言葉。
「怪しい本が好き」これが私の傾向だと言えそうです。


何故そうなるのかと聞かれもしました。
相手は二世代も生まれが違う相手ですから、理由が聞きたいのでしょう。
「最初の漫画世代だから」でしょう。


この「漫画」とはテレビマンガ。
つまりアニメや変身ヒーローを最初に味わった世代。
SFとホラー、スポ根を見て育ったのです。
本として目に触れるのは、思春期前です。
基本的に、幼児期にテレビ番組を見て育った。
しかも白黒テレビの時代です。

今見ても、暗めの作品が多かった。
色合いもモノトーンですが、作品も悲劇やカタルシスを求めていた。
思うほどに勧善懲悪でもなかった。
主人公はだれも皆悩み苦しみ、悲劇的な結末を迎えてしまいがち。
およそ子供向けよりも、文学青年向けでしょう。
作品を創作していたのも、昭和のインテリ文学青年上がり。
世の中に弾かれて、テレビ業界に流れて行った世代の作る作品。


戦後の日米安保でバチバチとやって、社会に負けた世代の人達です。
恨み辛みを作品内に盛り込んで、開放感を得ていたのでしょう。
今も色濃く影響が残るが、日本のアニメニズムです。
ガンダムやエバなどは、その最後の生き残りです。



分析するとそうなるのでしょう。
でも「怪しい本」好きは「漫画世代」で括れます。
意味を取り違える可能性は濃厚ですが、対面会話ですから伝わり易い。
これがノンバーバル言語と言われるもの。
文章のみでは真意の3割強くらいしか伝わらない。
ですから、新聞雑誌の記者に語る場合は、文語伝聞として考えるべき。
練って絞った言葉にしないと、七割もミスリードされる。
文章は怖い伝達法です。



笑顔で貰われて行った古書籍。
怪しさに包まれて、楽しんで貰いたい。
常識的本だけでは、人生勿体ないでしょうからね。





 

ダブリ本

2014年05月29日 20時28分43秒 | 本・執筆
いいや、いいやで購入した100円本。
タイトルの確認を怠っていたから、同じ本を手にすることがあります。
持ち帰って棚見て驚くのです。
またやっちゃった!? ってなモンです。


戻って買い直しでもすればいいのでしょうが、そのままです。
買い戻して貰うと、100円本は無料処分品買取になるから。
往復の燃料代にもなりません。
手間と時間の無駄です。


仕方ないから隅に積み上がるだけ。
誰かに貰われる機会を窺うのです。
本の待機状態になる。


基本的に雑誌以外は、廃棄処分しません。
ですから蔵書がトンデモナイことになっています。
半世紀もいきてきたのですから、塵も溜まって山になった。
知の財産山です。


新刊本でも時折やらかしてしまうダブリ購入。
新品の返品は不可能です。
リユースに回すか、蔵書、贈呈本になる。
この贈呈が一番の苦難道。
本好きにはそれぞれ生息域がある。
同じ趣向になることは殆どありません。
この不可思議が本の愛好者なのです。
趣味の集いにならない、最も一般的な趣味人の特徴です。




はやく誰かに貰って貰おう。




 

湧き上がる怒り

2014年05月28日 19時52分50秒 | コラム、ぼやき

訳も無く苛立ったり、些細な事で爆発する。
そんなことありませんか?
該当する人は注意しましょう。
外的ストレスによる症状です。
無意識化に甚大なストレスを抱え込んでいる。
もしくは、過去のトラウマが隠れ住んでいる可能性があります。


加齢が進むことは人生経験が増している証でもあります。
社会生活を忍耐で過ごして来た場合に、それなりのストレスがあったはずです。
「人の善い」方は、耐え忍べる方でもありまして、溜まる方でもあります。
いつも怒っている人は、耐え忍べないし、蓄積もできない。
意外とストレスが溜まり難いものです。


けれども必ずではないのです。
表面的なものではワカラナイのが心理とか心情です。
「あんな優しい人が」「穏やかな人が」何故、ナゼ?と、ニュースで聞く事あるでしょう。
本人の自覚、無自覚もありますし、発現の強弱も分らない。
それが心です。

心理学の勉強をしてきて判りつつあるのが「ワカラナイ」ってことでした。
「ワカラナイ」ことがわかって、ある意味安心しています。
「少しづつワカッタラいいな」です。
そして「自分には自分がワカラナイ」こともわかりました。
そして「自分だからこそワカル」もわかったことです。

時おり湧き上がる怒り。
最近自分の心がワカラナイ。
そして掠め去る、何とも言えない不安。
軽い躁鬱が現れているみたい。


創作とか、作家性は、こんな感情が常に大切な起動力。
歓迎しつつ警戒している私のなのです。




 

滑舌練習

2014年05月27日 20時30分25秒 | お稽古、勉強

先月のことでしたが、自分の会話を録音する機会がありました。
それを聞いて絶句したものです。

十年間の努力が水の泡になっていたのです。
滑舌が悪い!


もともと酷かったらしい。
らしいと書くのは、滑舌練習する前を知らなかったからです。
まともだと思い込んでいた。


多分、録音する機会があって視聴しても気にならなかったでしょう。
耳ができていないから、気にならなかったはずです。
でも、アナウンス講座に通い、そしてボイストレーニングもして、演技稽古もした。
懸命に努力を重ねて、数年して聞いた時には、耳ができていた。
その時の感想も、ウ~ンと唸っていたのでした。


ところが今回は、絶句した。
耳の衰えは少なくても、声や言葉は即時劣化するのです。
ですから絶望に似た感情を抱いたのです。



もう御芝居しないし、ボイトレにも行かない。
劣化しても仕方ないと思っていた。
でも聞いてしまうと情けなくなる。
昔の自分に申し訳ない。
なので移動中に練習することにしたのです。

バイクだから外に声が漏れるでしょう。
でもラジオを流して走っているから構わない。
歩いている人も極めて疎ら。
信号待ちの車も、自分の音で楽しんでいる。
窓が開いていても気にしなけばいいのです。



アイウエオとかアエイウエオアオとか言っております。
耳の良い方が聞いたら判るでしょうね。
通りすがりだから気にしないのです。
発声練習で大声出している訳じゃない。


以前、車内で発声練習していたら、周りの車にまで聞こえていたことありましたね。
車内から訝しがる顔が面白かった。
犬が吠えることも多かったです。
ボイトレは程々ができないのが困りもの。
その点、滑舌練習は通常音声で充分な音量ですからね。



演技しなくても、元が付く以上は、多少の現状維持が必須。
そう思う事にして、朝の暇潰しします。