初老男のノンビリしたブログ

近所や周辺の事柄に対して、書き記して行きます。

一旦終了しました

2016年07月06日 18時12分49秒 | 本・執筆
ひと月で書き上げる予定の小説が、二月に渡りました。
足掛け3か月で、60日程です。
連休明けから進めて、途中一週間中断しての始末でした。

長編を書きながら、短編を書くのは初めてです。
基本的に脚本書きして投稿していたのを、小説に大転換しました。
小説は短編しか作ったことがありません。
中編を踏まずに、長編へと転換したのです。
目論み通りに行きませんでした。

反省文のブログ記事です。

プロの方々は、幾つもの仕事を同時に進行しているものです。
給与所得者だって、ベテランになれば幾つも仕事を抱えて処理しています。
同時進行は当然の技能だと思い込んでいたのです。
だから、自分も投稿用の短編小説と脚本を同時進行して、長編小説に挑みました。
見事に大失敗です。

短編小説の投稿に間に合いましたが、脚本の投稿は不可でした。
長編小説の執筆も停滞するばかり。
一向に捗らないのです。


仕方なくて、脚本投稿は中止にしました。
毎年力作を投稿していたのに、伝統的挑戦も中止に追い込むことに。
万感の思いがありましたね。
これで失念するのかと。

脚本の出来栄えは毎年上がっていると実感していたのです。
でも上に進むどころか、一次敗退が続いていました。
稚拙な作品が評価されて、力作が簡単に落ちる。
作品の勢いがなくなったのだと考えました。
小手先の技術だけ身に付いていたと考えたのです。
お芝居の時と同じですね。

慣れる程に、オーラが消えて行く。
情熱の炎が小さくなって行った。
記録映像を見て判りました。
伸び代が無くて、成長が止まる状態です。
突進力が消失していると、見て判るのですね。
脚本の投稿も、そうだったのだと思います。

自分の執筆を客観判断するには、半年くらいの時間が必要です。
書き上げて読み返しても、傑作としか思えないものです。
時間と苦悩が解放された状態だと、何でも綺麗に思えるのです。
自己肯定感が無いと、一行も書けないのが執筆創作です。
スポーツや芝居、歌、ダンス等との違いです。
形に残らないモノは、直ぐに自己判断ができます。
跡が残るモノは、自己評定に時間が掛かるものです。

気合と根性で情熱を燃え上がらせるには、好きな事で新しいことに挑戦すること。
困難に向かい、前向きに進むしか手立てがありません。
だから長編小説に挑んだのでした。
大きな山でした。
登ってみて、改めて感じるのです。
だから、途中で他の作業をしてはいけないのですね。
何処か違う山に、瞬間移動してしまい、自分を見失うのです。
これが精神世界の厄介なところです。
宇宙の果てまで簡単に移動できてしまう。
その分、戻るに手間が掛かるのです。

今回、良い経験ができました。
安易に幾つも手出しができないのが、長編小説だと知ったのです。
だから気晴らしにも行けませんでした。
集中力が途切れてしまいますから。

さて、推敲は後回しにして次の作品を書き出しましょう。
気分転換に短編小説を書き出します。
投稿先が沢山ありますから。
アイデアは、過去のネタを複合して使います。
構想は寝ている間に夢に出て来ました。
天啓みたいなものですね。