私の記憶の中で、あの日はよく晴れた暑い日だったように思う。
でも、いつぞやテレビで、
「あの日は沖縄の涙雨だった」と聞いてびっくりした。
どこで入れ替わったことやら。
あの日、
家のすぐ前にあるお店に買い物に行った。
初めて、一人でお使いに行ったような気がするが
母が一緒にいたような気もする。
私はそこで、大人の受け売りをして
「今日から、お金は円になるんだよね」と
言ったのだ。
私にとっては
お金が今日からドルじゃなくて円になること
テレビのチャンネルが変わること
(TBS系列はそれまで12チャンネルだったんですよー)
そんなことしか理解できていなかったけれど
何かが変わっている
そんなことを感じた、あの日。
あの日、まだ一人で買い物にも行かせられないほど
小さかった私は、もう44歳。
あの日に生まれた子供たちも、今年で40歳。
これから、私の生まれた沖縄は、いったいどうなっていくんでしょう。
少なくとも、政治家が困ったときに出すカード、という扱いには
ならないでほしいと思うのです。
復帰から40年の日に。
最新の画像[もっと見る]
- 海をゆく者、みたび。 10ヶ月前
- 2023日比谷野音ライブビューイング 1年前
- 3回目のバースデーライブ 1年前
- 新宿御苑の夜桜 2年前
- 新宿御苑の夜桜 2年前
- 新宿御苑の夜桜 2年前
- 新宿御苑の夜桜 2年前
- 新宿御苑の夜桜 2年前
- 新宿御苑の夜桜 2年前
- 2023年、千鳥ヶ淵の桜 2年前
また、意思のないところに方法はない。このような事情は「議論して決断する」意思の内容を日本人が正しく学ぶ機会がなかったからである。
正しい「議論」の仕方を学んでいないため、感情論に陥ったり、本質とはなれた議論に終始したりする。
まだまだ12歳の少年なんだと結論できます。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/