でぶぶろぐ

沖縄生まれ、小田原在住。
人生1/2世紀越え、
でぶな私のゆるゆるな日々。

Blogについて思うこと

2005-09-24 22:34:26 | Weblog
最近アクセスが増えてきてうれしい限りです。


1年続けてきて、ブログというものについて思うこと。

実は(隠してたわけでもないが)数年前までは日記をつけていた。
といってもこのブログ同様、つける日もあればつけない日もある。
(更新は春風に舞うはなびらのよにきまぐれby西原理恵子)

日記とブログの違いは「状況説明」の有無かなぁ。
日記はヒトに見せる気がまったくないので、
私の日記はそのときの感情だけがつらつらと書かれている。
ただ「うれしかった」「悲しかった」「悔しかった」ということは書かれているが、
何がうれしかったのか、悲しかったのかほとんど書いていない。

16歳ぐらいの頃の日記を見ると(15歳から書いてた)
今日みたいに悲しい日は二度とないだろう。絶対忘れない」って書いてあるんだけど、
なんのことだったかさっぱり覚えておらん。
ごめんね、16のワタシ。

私は直情的な人間なので、そういうことがすごく多いのだ。
これなんか10年以上前の話(10年に何年足そうと10年以上は10年以上よん)だから
まだいいけど、ホントに数ヶ月前に激怒したことの理由を思い出せなかったりする。

池波正太郎さんが手帳にいつも自分が食べたものを記録していて、
奥様に「食事の記録だけで思い出せるのか」と聞かれて、
「そのときの状況までありありと思い出せる」と答えたという話を聞いたことがあるが、
確かにそのときの感情より、そのとき見たものや聞いたものや食べたものを記録に残しておいたほうが、
それをキーに次々連鎖して記憶が引き出されていくものなのかもしれない。
きっと、そのときの感情まで思い浮かぶのだろう。

ということで少々まわりくどいが、
私のようなタイプには、後で思い出そうとするときのことを考えると、
一人で日記を書いてるより、こうやってブログにするほうがいいのかもしれない。
読む人のことを考えると、状況説明がどうしても必要だもの。
それに写真も残せるから、視覚にも残るし。

ま、せっせと更新することにしましょう。
ヒマだからな!


献血にいったけど。

2005-09-24 21:46:11 | Weblog
青山御免状の感想はまた後で書くとして。

台風接近で天気が悪い。

ダンナが機嫌よくに付き合ってくれた。
(今日はができないもんね

ヨーカドーの前で献血を呼びかけていた。
実は何を隠そう私、献血大好き人間である。
沖縄にいるときは血液センターが割と近かったこともあって大体ツキイチぐらいで通ってた。
会社で健康診断をするときもなぜかいつも献血車がくっついてきてたのでついでにやってたし、
入社試験に合格したときも記念に献血したし。

ちなみに私はヒトより血小板が多いらしく、いつも「成分献血お願いします」とお願いされ、
時間がないときには右腕で抜きながら左腕に戻す(成分献血は血液から必要な成分を抜いた残りを戻す。
普通はいったん献血して、針を抜かずにそのまま戻すらしい)なんて荒業もやっていた。

東京に出てきてからも、時々街頭で見かけるとフラフラと献血していた。
東京の血液センターに行ってびっくりしたのは、オヤツの豪華さ。
5年前に初めて池袋の血液センターに行ったら、なんとロッテリアのハンバーガーが出たのにはびっくりしたっけ。

ちなみに那覇の血液センター(沖縄県庁のすぐ近く)では、
ちんすこうや黒砂糖がオヤツです。観光のついでにいかがでしょ


最近はセンターが遠くなったこともあって、ぜんぜん献血していなかった。
・・が、今日は時間もあるし、久々にやってみっか、と入ってみる。

血圧と血液を検査(左腕で検査、右腕で献血)いざ献血・・
プスっと注射針を刺す。


・・・あれ?
なぜかいつまでも看護婦さんがそばから離れない。
普通は袋をセットしたらいなくなるのに。
と、「ごめんなさい」といきなり謝られる。
な、なにがあったんだぁぁぁ

私は血管が細い(他は太いが血管は細いんじゃ)。
それで、うまいこと針が入らなかったらしい。
少し針をグリグリされて血管を探られたが(気持ち悪い?)
結局うまくいかず、今回は献血そのものがチャラということになってしまった。
残念!(でもお茶もらった)

ウチに帰ってからバンソーコーをはがしてみると、
おもいっきり内出血始まってるし。
これが消えないんだよな~、1週間ぐらい。

でもまた近いうち、めげずにチャレンジするぞ~


ところでこれをみて献血嫌いが増えると困るので最後に一言。
反対側の腕は大丈夫だったから。
(フォローになっただろか)