生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

システム的世界観、Bunge (2000)

2013年04月14日 09時19分39秒 | 生物哲学
2013年4月14日-1
システム的世界観、Bunge (2000)

 Bunge (2000)は、個体主義 individualismと 全体論 holism のどちらの見方も片手落ちであり、システム主義 systemism が良いと、社会経済的な例を引き合いにして主張する。
 では、システム的な見方とはどんなものなのか。

  「これ〔システム的世界観〕は、次の前提を中心としている。
  1. あらゆるものは、具体的であれ抽象的であれ、一つのシステムであるか、一つのシステムの実際のまたは潜在的な構成者である。
  2. システムは、構成者には無いシステム的(創発的)特徴を持つ。そこから、
  3. すべての問題は、切断的によりもシステム的に取り上げる approach べきであり、
  4. すべての考えはシステム(つまり理論)へと組み立て put together into systems (theories) られるべきであり、そして、
  5. 考えであれ人工物であれ、どんかなものについての試験 testing も、他の事項の妥当性を仮定しており、それらの事項は少なくともさしあたりは〔当分の間は for the time being〕基準点として 受け入れられる taken as benchmarks 。」(Bunge 2000: 149)。

 もっと具体的なシステム的分析の方法を知りたいところ。
 
 産出物については、どうなのだろうか? たとえば生物体発生(organism generation, ontogenesis)では、種類によって異なるが、環境条件の変動や悪条件にも関わらず、それなりに変化が進行する。眼玉が一つになって死亡しても、それは_ Homo sapiens_ だと同定できる。

 事の生起、特に産出されるという事柄は、日常的な因果的系列に、たとえば環境条件を或る主体(たち)にとって都合良く変えたり、身体を道具化したりしたりして、或る事がより生起しやすいようにする場合がある。

[B]
Bunge, M. 2000. Systemism: the alternative to individualism and holism. Journal of Socio-Economics 29: 47-157.


案内:西沖直美 ピアノリサイタル

2013年04月11日 08時13分13秒 | 音楽
2013年4月11日-1
案内:西沖直美 ピアノリサイタル

 西沖直美 ピアノリサイタル
 ~新しい響きの時代をめぐって~

開催日:2013年5月19日 (日) 14:30開演
会場:汐留ホール
    地下鉄大江戸線汐留駅7・8番出口すく?
    JR新橋駅烏森口、汐留方面徒歩7分
入場料:無料 (要整理券)

開催日:2013年6月15日 (土) 17:30開演
会場:ムラマツリサイタルホール新大阪(ソーラ新大阪21ヒ?ル1F)
    JR新大阪駅より徒歩 約9分
    地下鉄新大阪駅より徒歩 約7分
入場料:無料 (要整理券)

 問い合わせの電話やメールなどは下記を見てください。
http://www.ccfj.com/hall/event/130519.pdf
http://ensoukai.moo.jp/entry/ensoukai/201303011416482625.html


◇◇◇ 演奏曲目 ◇◇◇

リスト
 巡礼の年 第1年「スイス」より
  ウィリアム・テルの聖堂

ドビュッシー
 「ベルガマスク組曲」より
  前奏曲  月の光

ショパン
 幻想ポロネーズ Op.61

ラフマニノフ
 前奏曲 Op.23-4

ドビュッシー/ボーウィック編
 牧神の午後への前奏曲

バルトーク
 アレグロ・バルバロ Sz.49

ワーグナー/リスト編
 イゾルデの愛の死



タクソン学の基礎:本質主義と進化的思考

2013年04月10日 22時10分14秒 | 生物哲学
2013年4月10日-5
タクソン学の基礎:本質主義と進化的思考

 科学では、その方法や構築内容の伝達のために、たとえば数式を含む言語を使う。言語体系は、なんらかの同一性のよって、差異性を表わす(逆に言えば、差異性によって相対的に同一性[の種類と程度]を示す)。したがって、科学は或る精度のもとでの同一性と差異性の体系を産み出すことになる。
 Mayr は、進化的考えを擁護するために、個体群思考 population thinking を唱え、類型主義または本質主義を排撃することを試みた。おそらく、進化的考えが多数の者に受け入れられていたため、本質主義は採用されることが少なくなった。
 しかし、生物分類学者は、たとえば種への検索表を作る。それは、その種に属する生物体はすべて、その種に同定されなければならない。望ましくは、まず種タクソンを定義する。よく行なわれるのは、諸形質(性質)を列挙することによる定義である。そして、手っ取り早い同定にためには、できるだけ明瞭に分かれるように、鍵対 key couplet での外的形質に大きく差異が出て間違いにくいような形質を選ぶことである。ここでの形質としては、種の定義形質が採用されるとは限らない。たとえば、或る群の二種の生物体の大きさの範囲(最小値と最大値)が多くの標本を測定しても、全く重ならないとしよう。

 手っ取り早さを優先するならば、或る種の生物体たちの95%が『頭部は白い』という形質で他の或る群内の他種から区別できるなら、その形質を採用するかもしれない。

環状分布種 ring species [circularly distributed species]

1. 本質主義の定義
2. 本質主義へのMayrによる批判

3. Rosenberg (1985) の言う本質主義

  『進化の証拠が無いときには、或る種の属員たちが共通して持つ何かがあり、この共有する諸性質がその種の属員たちを属員としており、そしてそれが他種の属員からの区別性 distinctness を説明すると思うのには理由があった。
 種についてのこの本質主義的信念〔確信 conviction〕の確立は、進化的思考にとっての障害であった。それは、種の進化について、種内と種間の変化について語ることを困難にした。元素間の変化について語るのが困難であることとまさに同様である。或る量の物質が、崩壊によってラディウムであることからラドンであることへと変化したと言うことは、もちろん不可能ではない。しかし、元素ラディウムが元素ラドンへと変化するというようなことは無い。せいぜいのところ、ラディウムのすべての量がラドンへと崩壊するかもしれない、そしてその後にはラディウムの標本は残っていないであろう〔ということである〕。ただし、周期〔律〕表におけるラディウムの位置が消されることは無いであろう。変換〔変質〕 transmutation または崩壊によって、多量の他のもっと重い元素がラディウムの標本になるかもしれない。しかし、ラディウムという_類_がラドンという_類_に変化することはあり得ない。そのことの本質主義的見解では、種が進化するという概念は、生物体の変化ではなく、それらが属する類の変化という後者の意味で理解されるべきである。そういうわけで、種が進化できないのは、ラディウムという類がラドンという類に変化できないのと同じである。もちろん、多量の物質が或る元素から別の元素に変化することについて語るのと同様にして、種の進化について語ることを許すような種についての解釈を与えることはできる。血統の系列が特定の種タクサに入りそして離れると言わなければならない。もっとも、これは可能な語り方ではあるけれども、不自然であり、種の絶滅について言っていることと和解させることは難しいし、進化について考えることへの幾分かの障害をまさに反映している。この程度に、本質主義は進化的思考と反目している。」(Rosenberg 1985: 189〔OK〕;試訳20130410)。


  「種に関する本質主義とは、各種には個々の生物体の一組の瑣末ではない*〔ありふれたものでない〕 nontrivial 諸性質があり、それらの諸性質は生物体たちにとって中心的で特有 〔区別的、示差的〕distinctive であるか、あるいは属員であることにとってそれぞれの性質は必要で、かつ合わせれば十分である、という主張である。ゆえに、本質主義は、一つの特定の種名は、たとえば_Didus ineptus_ (ドゥードゥー)は、明示的な定義を与えることができるか、あるいは少なくとも、科学 において得ることのできる定義に近いのである。種に関する本質主義は、極微物理学 microphysics の基本粒子または周期表における元素に関する本質主義と違わない。メンデレーエフがひとたび周期表を提案すると、物理学者と化学者は様々な元素の周期表における位置を説明する基本的特徴を探究することが可能となった。ついには、原子理論は、各元素の化学的および物理的諸性質を、元素を構成する原子たちの原子構造と結びつけることで、この説明を提供した。すなわち、陽子、中性子、そして電子のそれぞれの数と、核を囲む『殻』における配置である。こうして、分類のもともと〔当初 original〕の基礎であった化学的および物理的諸性質は、元素の原子的諸性質に取って代わられ、それらの特権的位置はさらなる説明がやり遂げられることで強化された。すなわち、いまだ発見されていない元素の諸性質の予測、同位元素 isotope の収容場所 accomodation、などである。或る元素の原子構造は、それゆえその元素の本質を提供し、本質的性質を運搬する convey と言われる。」(Rosenberg 1985: 188;試訳20130410)。

 →暗黒物質 dark matter 〔暗黒とは正体不明という意味をかけているらしいが、光物質 light matterと名づけたいところである。lightは軽いという意味もある。〕と暗黒エネルギーが検出または同定されていないが、その存在を信じる物理学者は多いらしい。このことを考えると、

  「しかしこの主張は、きわめて強い形而上学的ないかなる意味で(少なくとも科学者の目的にとっては)理解されるべきではない。この主張は、原子構造は特定の量の或る元素の非原子的諸性質にとって論理的に必要であることを、あるいは、原子構造は或る元素の概念を思案することによって暴かれるのだということを、ほのめかそうとするわけではない。本質主義はここでは、学究的哲学がこの用語を用いるような仕方での、同一性を授ける非偶発的な関連、についての主張ではない。この点については、本質主義という用語は不運な〔都合の悪い unfortunate〕用語である。というのは、それは中世哲学と合理的神学の刷毛で、完全にまともな科学的研究綱領 research progrm を汚しているからである。その綱領とはすなわち、より接近可能な現象の構成物を統御する基礎的一様性 uniformity〔斉一性〕を発見し、またそれらをより適切に体系化して説明する斉一性を発見するための綱領〔計画 program〕である。化学における本質主義はまさに、メンデレーエフ Mendeleev が明らかにした秩序の諸原因を発見するための実験的探究を企てる要求である。もしも20世紀の物理学がこのような秩序を暴くことに失敗していたならば、元素についてのメンデレーエフの分類学 taxonomy は疑いをかけられていたであろうが、当然である。同様に、メンデレーエフの周期表とは両立しない基本構造を20世紀の物理学が暴いていたならば、より基本的な原子理論を収容するように、周期表は調整されたであろう。原子理論が化学元素の本性の 基本的説明を提供するようにみなされたので、それは化学元素の『本質主義的』定義を提供するのである。物理諸科学においては、本質主義はまた別個の用語であって、自然の統一性と単純性への信念に対する用語であり、そして本質主義的拘束〔制限〕を破る諸理論は、まさにそのことによって疑わしい。」(Rosenberg 1985: 188-189。試訳20130410)。

  「生物学においては、しかし、この教義は悪評に陥った〔has fallen into disreputeだが、「悪評散々となった」と誇張したいところである。〕。種についての『本質主義』は、




 
□ 文献 References □
池田清彦.2002.7.生命の形式:同一性と時間.245pp.哲学書房.[B20021120, y1,900]

Rosenberg, A. 1985. The Structure of Biological Science. xi+281pp. Cambridge University Press. [B19870804, 3580円/紀伊國屋書店-新宿]

===
Liu, Y-S., Wang, Q-L., and Li, B-Y. 2010. New insights into plant graft hybridization. Heredity 104: 1?2. [doi:10.1038/hdy.2009.115; published online 26 August 2009][接ぎ穂[枝, 芽];接ぎ木]


原子力ムラの源流

2013年04月04日 21時52分56秒 | 放射能
2013年4月4日-12
原子力ムラの源流



  「「原爆症調査研究協議会」は、折から始まった国家の原子力事業推進体制と結びついた。特に、後継の「原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会」や併設された日本学術会議放射線影響調査特別委員会は、1955年以降の原子力委員会や日本原子力研究所、原子力産業会議、放射線審議会、原子力安全委員会、アイソトープ協会、放射線影響協会の役員等、原子力行政に関わる人物を数多く輩出した。今日の「原子力ムラ」の源流となる組織のひとつだった。」(堀田伸永『ヒロシマからフクシマへ:戦後放射線影響調査の光と影』:14頁)。
http://p.booklog.jp/book/35438

 ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永 @Nobunaga_Hotta
  「目次
   〔略〕
  ●第二章 原子力ムラの源流
  原爆症研究組織が平和利用支持の拠点に
  学者集団と原子力産業の接近
   〔略〕
  ●第六章 原子力時代の「受忍」
   原子力とともに
  「受忍」論の追認」
http://p.booklog.jp/book/35438