生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

元素変換による放射能汚染水処理

2011年05月26日 22時32分27秒 | 生命生物生活哲学
2011年5月26日-3
元素変換による放射能汚染水処理

 フランスのアルバ社が放射能汚染水を1トン処理するのに、1億円かかるというのなら、10万トンで10兆円という計算が、今日だったか昨日だったかのテレビに出ていた。

 三菱重工の網頁に、Pd多層膜の重水素透過による元素変換の観測
http://www.mhi.co.jp/atrc/project/pdtamakuso/
という記事がある。
 膜に汚染水を通過させて、たとえば放射性セシウムを非放射性の元素に変換できないのだろうか。


エネルギー触媒器についての凝集系核科学国際会議でのCelani氏による報告

2011年05月26日 22時06分57秒 | 生命生物生活哲学
2011年5月26日-2
エネルギー触媒器についての凝集系核科学国際会議でのCelani氏による報告

 ICCF16という、第16回目のInternational Society for Condensed Matter Nuclear Science 凝集系核科学国際会議がインドのチェンナイで、2011年2月6~11日に開かれたそうである。
 その会議についての報告が、三菱重工の岩村康弘氏によってなされている。そのpdfは、
http://www.jcfrs.org/file/iccf16-report.pdf
で得られる。

 岩村氏によれば、「Rossi & FocardiのNi-H系の発熱実験と実用装置の開発」は、この会議でも話題となったようである。
 岩村氏による報告では、イタリアINFN(国立核物理研究所)のCelani氏が、Rossi氏とFocardi氏のエネルギー触媒器(E-cat)について行なった報告が紹介されている。

  「シエナ大学のPiantelliらが始めたNi-H系での過剰熱と核変換の実験に端を発し、Leonardo社というベンチャー会社の社長のRossiとボローニャ大学のFocardi教授で実験を行〔な〕っている。最近、彼らは1kWの過剰熱の発生を確認し、2011年の10月には1MWの装置を開発する予定だとアナウンスした。ニッケルと軽水素を使って過剰熱が安定して発生するのであれば、実用上は極めて有利であるため、凝集系核反応分野はもとより一般の科学技術を扱うホームページ上でも話題となっている。
 〔略〕ナノサイズのニッケルパウダーと水素、そしてある種の触媒が使われているという。
 〔略〕反応はNiと水素(プロトン)の核変換反応であり、当社の元素変換との関係も深い。
 〔略〕イタリアINFN(国立核物理研究所)のDr、Celaniが彼らの実験室を訪問した結果等について報告を行〔な〕った。それによると、Rossiたちが触媒等の詳細をオープンにしないため詳しく分からない部分が多く、実験の信頼性を正しく評価することは難しいとのことであった。
 Rossi&Forcadiの熱発生装置の実用化が彼らの目論見どおり進展するかどうかはまだ不透明であるが、Ni-H系で何かが起きていることは間違いないと見られ、今後の動向を見守っていきたい。」(岩村康弘氏によるpdfの2~3頁)。

とのことである。

 下記の「2011/5/22 <ICCF16報告(岩村博士)>」の記事も見られたい。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~sugi_m/page286.htm#%EF%BC%9C%E3%80%80%EF%BC%A9%EF%BC%A3%EF%BC%A3%EF%BC%A6%EF%BC%91%EF%BC%96%E5%A0%B1%E5%91%8A%EF%BC%88%E5%B2%A9%E6%9D%91%E5%8D%9A%E5%A3%AB%EF%BC%89%20%EF%BC%9E

  「定番であったPd(パラジウム)とD(重水素)にかわってNiとHを使った実験が流行りだしている気配を感じます。」

と述べている。

 なお、岩村報告によれば、次回のICCF17は韓国で開催される見込みとのことで、また、韓国は凝集系核反応分野の国家プロジェクトを実施する予定だそうだ、とのことである。


(点、線、)面々/ダイアグラム(略図)

2011年05月26日 12時18分40秒 | 美術/絵画
2011年5月26日-1
(点、線、)面々/ダイアグラム(略図)

 南雲治嘉(2009)『視覚デザイン』では、カンディンスキーについて、

  「美術を科学的に分析できる美術理論家でもあった。特に抽象画における理論と「点線面」による絵画の解析はいまだに揺るぎなきものとして、参考にされている。」(南雲 2009: 75頁)。

と述べている。

 さて、用語小辞典として、「ダイアグラム」とは、

  「図表デザインのことである。最近では情報デザインという名称でも呼ばれている。量の比較、変化の表示、状況、構造、案内、禁止などの指示、などが主な内容である。〔案内表示では?〕人をいかに目的地までスムーズに誘導するか、これがダイアグラムの役割である。」(南雲 2009: 76頁)。

 ダイアグラム〔略図、線図、箱線図〕に(図柄または模様についての約束事によって)人が担わせている機能としてここで挙げられているのは、何かを何するという形式で書くと、
  ものごとの比較を示す
  状態変化を示す
  状況を示す
  構造を示す
  案内する、誘導する(→案内経路や誘導経路を示す)
  禁止などを指図する
となるだろう。
 ダイアグラムは記号(広義)による表示の一形式である。
 天気図もダイアグラムというカテゴリーにいれる場合は、ダイアグラムはどういう定義になるだろうか?
 天気図の構成は、南雲(2009: 77頁)の天気図の例では、日本を中心的に描いた地図(海洋は水色で陸地は灰茶色)に、経度と緯度が線で示され、(2?hPaごとの)気圧等高線(実線と点線)があり、ところどころにhPaを単位としての気圧を示す数字があり、白抜きの矢印があり、寒冷前線と温暖前線を示す飾り付きの線がある。

  構成(天気図)={地図、経度、緯度、気圧等高線、前線、低、高、矢印、数字、……}
  構成(天気図)={(輪郭線無しの)面、線、線、線、図形付きの線、文字、……}
  構成(天気図)={面、線}

 点や線は、数学的には面積を持たないものとして定義されるが、面積が無いものは認識できないので、点と線葉実際には面である(もっと詳しく見ると、印刷インクの厚みがあるから、面とは実際に表示される物としては立体物である)。したがって、実際上は、
 
  構成(天気図)={面}

であり、いくつかの面の配置である。「いくつか」と有限数であるように述べたが、その数は構成単位をどう定めるかで異なる。
 
 ところで、生物タクソン的に言えば、芸術は(芸術学もまた)、人(たち)の振る舞いの一つであり、ゆえに_Homo sapiens_学の一部である。(もちろん、ゴリラ芸術学とかミツバチ芸術学とかニワシドリ芸術学とかも成立するかもしれない。)

 さて、南雲(2009: 76-77頁)では、点の機能と線の機能が述べられている。比較一覧的に示すと、

  点の機能     線の機能
  位置を示す    
  強調       強調
  区切り      区切り
  接続       接続
  アクセント    
  バランス 
           境界
           輪郭
           方向
           角度
           分割
           メリハリ   

 強調について、例示されている。

  「例えば、文字の下に引かれているアンダーラインは、強調という機能が働いていることになる。もちろん線によって感情表現が可能である。太い線はたくましく、細い線は繊細である。こうしたことを利用して表現は行〔な〕われる。」(南雲 2009: 77頁)。

 すると、たくましいとか繊細だというのは線の太さまたは細さと結びついていることになる。しかし、太い線はたくましい強調として機能するのだろうか? そもそも、『たくましい』または『繊細』は感情なのだろうか?
 
 ところで、たとえば、点を線状に並ばせれば、分割という機能を担わせることができるだろう(ただし受け取る側がそのように取らなければ、分割という実践は果たされない)。したがって、構成単位が点(という比較的小さな面積を持った形態)であっても、線状という形態を取れば、分割という機能を発揮するかもしれないことになる。
 同様に、点を線状に配置すれば、境界や輪郭などを示すことができるだろう。つまり、問題は形態であり、どのように配置であれば、人は点の配置を一つの集まりとして受け取るか、ということになれば、点の密度分布の話になるだろう。微視的に見たら線である場合でも、集まって方向性を示す線になっているかもしれないし、集まって方向性を不明にしている場合もあるかもしれない。
 本質は形態の認識である。


 ところでまた、線は、点にあるアクセントやバランスの機能は担えないのだろうか? アクセント(またメリハリ)は、強調とはどういう概念的関係なのか?
 

 
[N]
南雲治嘉.2009.12.視覚デザイン:現場で活きるベーシックデザイン.128pp.ワークスコーポレーション.[y1,890(税込)]


生命火花、…… 一つの華芯たち ……

2011年05月25日 12時00分52秒 | 美術/絵画
2011年5月25日-3
風間虹樹:生命火花、…… 一つの華芯たち ……




風間虹樹:生命火花、…… a flower devas ……[生命火花、…… 一つの華芯たち ……]
[2007.9.19~2011.2.25。50.1x60.7cm。麻カンヴァスにジェッソ、墨、油彩。下方は画布を二重重ね。下端は下側面へ曲面。[生命火花、…… 一つの華心〔精〕たち ……]]

   



風間虹樹:神戸個展展示案1

2011年05月25日 08時49分14秒 | 美術/絵画
2011年5月25日-1
風間虹樹:神戸個展展示案1



 
0. <あれ>は、名づけえない無であり有である。[that that is]
1. かくて、1が生じる。かくて、生命はひとつ。[一性 unity。unifying oneness unified。]
2. ゆえに、1は2になり、[極性 polarity。陰陽。]
3. 3になり、[三位一体 trinity。見えるものと見えないもの。見えないものに機能的制御がある。]
4. 7になる。[幸運数または存在者分類数。一多性 university。]

  kosmos 1+2+3+4=10 universe


美術修行2011年5月24日

2011年05月24日 21時29分13秒 | 美術/絵画
2011年5月24日-1
美術修行2011年5月24日


 第61回モダンアート展京都展/京都市美術館/700円。
http://modernart-kyokai.com/tenshokai01.html
 スペースアート部門のいくつかの作品は参考になった。一つは、薄い透き通るような網に描いて、下の模様とずらしたような模様で、錯視的効果をもたらすもの。その下は三層構造。
 物体に付随した、ひげ(線)の効果。

 課題:インスタレーションとは何か。場を作ること。
 人は或る限定範囲内の場所(一地点)で観る。そこへ絵画(色と形が認識できる表面体)作用があるとしよう。観る者がたとえばゆっくりと観ながら動く場合。理想的設計像としての絵画空間と現実に展示または仮設する表面体および「物体」の作用空間。
 色面と線。絵画を展示することと、最初から「場」を作ることを意図しての作品づくりしての仮設とを、どうつなげるか。

 連歌形式の絵画群による場。
 言語と絵画。

 淺沼(2004)『ゼロからの美学』では、

  「絵画〔略〕を見るひとが視覚によってとらえるのは、あるいはそのひとの意識に現前しているのは、〔略〕一つの物体〔略〕の視覚的な性質にほかならない。ところがこの視覚的性質が、〔略〕レースを編むひとりの少女のすがた(視覚的性質)にきわめて類似しているため??サルトルにならえば「感覚的アナロゴン」としてあるために??見るひとは「いま、ここ」には存在しない「レースを編む少女」のすがたを、ほぼ直接的に意識すると考えられる。〔略〕「言語」の場合のようなコード的な関係ではなく、感覚(視覚)上の類似という関係が成立しているため、見るひとは、だれでも、いつでも、しかも予備的な学習なしに、少女のすがた(イメージ)を思いうかべるのだと考えられる。」(淺沼 2004: 171-172頁)。

 そうとは考えられない。類似という関係を見て取るのは、すでに人が経験的に様々なカテゴリーを学習してきて、(直接的にではなく)ごく短時間に、絵画に描かれた(輪郭を認識して)物体像を「少女」というカテゴリーに同定し、その人の記憶から脳内に像を形成するのだと思う。議論が転倒している。

 京都国立近代美術館に行くと、火曜日なのに休館だった。前売券を見ると、青木繁展はまだ開催していないのだった。

 小田英之+「明日見る夢」展/ギャラリー モーニング。
http://gallerymorningkyoto.com/2011Exhibition/odahideyuki.html
 水彩画仕様(つまり周囲に幅のあるマットがある)の額にいれたiPadによる、いわば動画絵画。50インチのテレビによるものは二つ。すべての画面が動くのではなくて、一部が動くので、見やすい。そして動くところに注目が行くだろう。
 「ヘッドA+B」(脳のあたりで様々な物体が漂い動く)と「回転する男」がとりわけ面白かった。
 写真を取り込んだりするのではなく、まったくの零からレンダリング(画像を作成)していくとのこと。

 
[A]
淺沼圭司.2004.9.ゼロからの美学.xi+250+vi pp.勁草書房.[y2,520]


マーク・ロスコ作品の場(づくり)

2011年05月22日 15時26分21秒 | 美術/絵画
2011年5月22日-3
ロスコ作品の場(づくり)


 渡邊・廣川(2007)「現代美術における「制作」と「発表」との関係について」
ir.lib.fukushima-u.ac.jp/dspace/bitstream/10270/2474/1/20-146.pdf

に、主に福島現代美術ビエンナーレに参加した美術家を対象に2004年に実施されたアンケート調査の結果が掲載されている。
 問5は、「あなたが今までに見た展覧会で特に印象に 残っているものはありますか? 具体的にそれ はどのようなものでしたか?」である。それに対して、ロスコ作品を挙げてのが二人である。

  「〔川邉耕一:〕マーク=ロスコ展(1989年スイスのバーゼル) ロスコの作品を一同に見ることができた。画面が前後、左右静かに動き、観者を飽きさせない」(66頁)。

  「〔文沢詳子:〕川村記念美術館のマーク・ロスコの室に入った時、作者がまるでそこに居るかの様な気配と、作品の中に入って行く感覚に驚いた。頭で考えると言うより、体に感じる作品だと思った」(70頁)。

 川邉耕一氏は、「飽きさせない」と言い、文沢詳子氏は、「作品の中に入って行く感覚」と「体に感じる作品」と答えている。
 ロスコ作品は(たとえば座って)時間をかけて観るに足る深みがあり、そして直接感覚的だと言えよう。川村記念美術館では、展示環境が調節されている点が大きいと思う。大面積の色面は、包まれる感じを与えることだろう。

 絵画表面からそれに垂直に前方に、作用する、あるいは力線が出ていると仮定しよう。では、斜めから観た場合はどうなるか。また、直角に隣り合う二つの面からではどうか、あるいは三面、さらには円筒状物体の中心で「感じる」場合はどうか。さらに床置きや天井吊りの作品からも作用するときのベクトル合成された場の状態は? 色連続体について、三つ(三原色)または七つ(1→3→7=多様性)に分割する?

 
[W]
渡邊晃一・廣川豪.2007.3.現代美術における「制作」と「発表」との関係について~福島現代美術ビエンナーレ2006に参加した美術家のアンケートを中心に~.福島大学生涯学習教育研究センター年報 12: 61-71.
http://ir.lib.fukushima-u.ac.jp/dspace/bitstream/10270/2474/1/20-146.pdf


美術修行2011年5月21日(土)

2011年05月22日 13時09分26秒 | 美術/絵画
2011年5月22日-2
美術修行2011年5月21日(土)


アートフェア京都2011/モントレホテル京都4階と5階/入場料2,000円。

 昨年とくらべて浴室も使ったのは少なくなったように思う。

 「絵の美しさは絵具の美しさ」と捉え、内海聖史氏は意識的に色々と実験的に製作しているようだ。
  「絵画をどのように見せるかということと絵画自体をどうするかということ、さらに絵画のある空間に身体がどのように入っていくかということをおもに考えています。」
http://www.ottr.cc/con_tempo/archive/july/making_1.html
とある。

 田中真吾氏作品。火(燃焼)を使った製作。たとえば一辺16cmの正立方体の側面を横に焼いている作品は、ほどよい火入れで、また、紙の焼きめくれ具合が楽しめる。
http://www.studio90.info/tanaka.htm
http://www.andart.jp/artist/tanaka_shingo/

 崔石鎬(チェソクホ)氏作品は、木製の球と枝の組み合わせ。小さい場合は画布にビス留めにすることもできて、回して位置を変えることもできる。

 
 「大野俶嵩/J.フォートリエの世界を視る」プレ・オープニング展/GALLERY KAJIKAWA C.A.O.。

 大森啓個展/ギャラリーヒルゲート。
 具象の変形カンヴァス(正しくは板パネル)。

 森本紀久子展/アートスペース虹。
http://www.kyotodeasobo.com/art/art_gallery/artspace-niji/morimoto-kikuko/
 中国で出土した太陽神らしいものが沢山描かれているが、(印判でもなく、孔版でもなく)手描きとのこと。


 クボタケシ展 Kubo Takeshi Exhibition 2011/ギャラリー モーニング。
http://gallerymorningkyoto.com/2011Exhibition/kubotakeshi2011.html
 印刷物に「現れ出た真新しい表層」とある。石との会話。

 表面と立体との間に、厚い層を重ねたものを想定できるかもしれない。そうして、発想を繋げることができるか。
 描くこと。表面でもってなんらかの物体に似せること。そのような、似せることをしないこと。
 物体として提示するとは、どういうことか。
 造形作業の方向性。発想または考え方の方向性の違い。製作方向。

 「まぶたのうらの ゆめの町」薮内彩歌/ギャラリー はねうさぎ。
http://www.haneusa.com/top.html

 中村治彦 はるさんの思考展 PART 1/galerie 16。
http://park21.wakwak.com/~art16/exhibition/exhibition.html
 PART 1はこの世の心象風景とのこと。実に様々な展示物。物体による思考表現でもあるのか。

 京都国立近代美術館は午後五時を過ぎていたので閉まっていた。
 
 石川道子特別講演会会場である京都会館第一ホールでの
http://sharejapan.org/bcworks/im/works.html
にて、Benjamin Creme「曼荼羅絵画」2008.5第3刷増補改訂版を買った。
http://www.siriusart.org/index.html

  「Art, all painting, is a convention. The painter does not deal with flesh and blood, sinew and bones. He works with forms and colours, usually on a flat surface, and creates an artificial thing, either a sign or a symbol.」
http://www.siriusart.org/litho-Ben.html

  「芸術、すべての絵画は、約束事である。〔略〕画家は、通常は平らな表面に、形と色で仕事をして〔形と色を扱い〕、人工物、つまり記号〔?、sign 標徴〕または象徴〔?、symbol 記号〕を創造する。」

 記号論を勉強しなければ。
 しかし、signやsymbolとして捉えないで絵画を絵具そのものないしは絵具の配列として味わうことはありだろう。なんらかの(幻影的)表現または代替物、あるいは指示するものという役割を与えないで、色とその配置(つまり形態)を楽しむ。
 画家は対象とされた具体的物体ではなく、絵具を取り扱っている。では、絵具が絵画の(少なくとも物質構成的上の)本質である。ならば、絵具が発する性質を受け取ろう。つまり、色と色によって輪郭づけられたりして認識されるかもしれない形。そしてそれらの配置。
 もちろん、それらの上に具体物を描くまたは指示するものとして重ね観ることは可能である。ただしその場合、その指示されるものは少なくとも幾分かは概念的に捉えられているだろう。するとそれは美的には夾雑的に働くかもしれない。明白化または純化するならば、非具象ということになる。さらに、出発点として抽象を取れば、どのような探求が可能なのか。


 
 北の方へと。道路を疎水側にわたって振り返ると、大きな絵が見えた。戻ると、Gallery Art Projectというのがあった。後でちらしを見ると、Art Projectではなかった。Ort Projectで、「Ortは、「場」を意味しています。大学やジャンルの枠を越えて学生が集まり、そんな疑問について「真剣に感じ・考え・実験できる場」を学生自らが企画し運営します」とのこと。

 

 学生支援アートオークション「Art Auction STORY…vol.2」/関西日仏学館。
http://storyhome.jp/top.html
http://www.holbein-artistnavi.com/artnews/koubo/art/8756.htm
 アートオークションの登場人物は、作品だけではなく、作家とあなたも、だとある。
 この催しは、アートフェア京都の会場廊下の張り紙で知った。
 カフェに作品が並べられていて、前もって見ることができる。そこで、作者と話すこともできる。18点のうち、抽象(的)絵画は「Ophelia」の一つだけのようだ。



 テラスのパラソルの下に位置する椅子に座って、ロゼとテリーヌで夕食。さすがフランス。
 18:58、(おそらくホテルモントレからの)マイクロバスが到着。
 19:29、11行7列の77席は満席。周囲に立っている人(30人以上)やカフェのほうにいる人もいる。
 オークション進行の説明。卓球のラケットのような形の、番号札をパドルと呼んでいる。少なくとも217番が発行されている。
 作者は現物のそばに立って、一分間ほどの説明をする。落札にかかる時間も一分間ほどであった。
 最高落札額の作品は、藤本絢子氏の「Ophelia」。金魚というから、昨年サントリー・ミュージアムで大きな作品数点などが展示されていたのを思い出した。それらは白地に黒と赤の抽象絵画に見えたが、題名が金魚で、よく見ると目玉が描かれていた。しかし色構成は同様だが、図柄が異なる。オークション終了後に尋ねると、同一作者だった。

[C]
Creme, Benjamin[ベンジャミン・クレーム]. 2008.5.The esoteric art of Benjamin Creme 曼荼羅絵画[第3刷増補改訂版].60pp.宇野書店、草津.[y500] [B20110521]


美術修行2011年5月20日

2011年05月22日 09時55分58秒 | 美術/絵画
2011年5月22日-2
美術修行2011年5月20日

 小畑亮平展/芦屋画廊。
http://www.ashiya-garo.com/work/110506_obata.html


 
 弁当箱を開ける。二段箱の抽斗を取り出す。手にもって眺める。
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=3659863

 
 杉山知子個展~「watashitachi」~/ギャラリー島田。
http://www.gallery-shimada.com/schedule/exhibition/sugiyama_1105.html#exhibition
 地下と一階とで、円柱に巻きつけたりと様々な展示方法。watashitachi 1、黄色系で大きな円状での構成。

 清水春吾展 timeless phase/永遠のすきま/Gallery Circus Circus(ギャラリーサーカスサーカス)。
http://hwbb.gyao.ne.jp/circusx2-pk/tenran.htm
 蝋を使っているかのような風合いの作品があったが、使っていないとのこと。繊細な儚さ、まぼろし。


エネルギー触媒器7/質疑応答

2011年05月22日 02時49分03秒 | 生命生物生活哲学
2011年5月22日-1
エネルギー触媒器7/質疑応答

http://www.journal-of-nuclear-physics.com/?p=488&cpage=3#comment-39815
http://www.mail-archive.com/vortex-l@eskimo.com/msg47038.html
にあるAndrea Rossi 氏への問いとその答によれば、

 ・われわれの製品は11月から市場に出るだろう(May 18th, 2011 at 11:12 AM )。
 ・3kW型のエネルギー触媒器だけが売られるのではない
 ・330個のエネルギー触媒器(E-Cat、猫エネルギー器)で、1メガワットの虎エネルギー器(E-Tiger)になる。

 また、放射性物質について、

  「〔Rossi〕ニッケルが溶けると、エネルギー触媒器は止まる。それは粉とだけ働く。このことは、それが本来的[intrinsecally→intrinsicallyだろう]に安全であることにしている。そして、われわれは放射性物質を残さないことを忘れないでもらいたい。われわれは、放射性物質を使っていない。」(May 19th, 2011 at 1:30 PM)
http://www.mail-archive.com/vortex-l@eskimo.com/msg47055.html

と答えている。

 
 Wladimir Guglinski (May 17th, 2011 at 6:52 PM)氏は言う。

  「Rossi博士は、工場に供給する1メガワットのプラントを作ることに決めた。というのは、(世界の数か所で)それぞれが単独で働いているのだが、多くのエネルギー触媒器でも、冷融合の真実に対抗する学術世界の陰謀に勝つことはできないからである。
 1メガワットのプラントは新しい戦略である。そしてギリシャで工場〔製作所〕が働き始めれば、この事実を無視することは不可能であろう。なぜなら、エネルギーの節約は製品の費用を減らすからである。他の工場はこのような科学技術に興味が持つだろう。
 これはあなたや多くの人々にとって、新しいことである。しかし、冷融合は不可能だと主張する懐疑論者たちの??な態度[tongue-displaced-air、〔無駄な〕おしゃべりに置き換わってしまった態度?]に疲れた、多くの冷融合研究者がいる。
 それが、彼らの主張をもはや聞きたくない理由である。われわれはもう彼らが主張することに構わない。彼らの??な態度[tongue-displaced-air]は、1メガワットのプラントがギリシャで稼働しはじめれば、沈黙させられるだろう。」
http://www.journal-of-nuclear-physics.com/?p=488&cpage=3#comment-39815


福島原発事故130:3号機、圧力容器、中村幸一郎審議官の更迭

2011年05月19日 23時38分51秒 | 生命生物生活哲学
2011年5月19日-5
福島原発事故130:3号機、圧力容器、中村幸一郎審議官の更迭


 3号機の曲がった鉄骨についての説明仮説がある。

  「日本システム安全研究所の吉岡律夫氏に鑑定を依頼した。〔略〕
なぜ3号機はこんな惨状を呈することになったのか。吉岡氏は、建屋の屋根自体は内部で圧力が高まったときに吹き飛ぶよう設計されたものだとした上で、こう指摘した。
   「3号機の鉄骨が曲がったのは、水素の量が多く、大きな爆発になったからですが、4階の壁まで崩壊しているのは、燃料プールの燃料が高温になったからと考えられます」
   3号機と同じ設計の4号機では、3階にあったディーゼル燃料が発火したが、燃料プール内の燃料棒が溶融し、1メートルのコンクリート壁で隔てた油が300度以上にまで熱せられたということ。3号機でも同様の事態が起きた可能性があるという。
   「1号機の水素爆発と4号機の使用済み燃料の溶融が両方とも起きたような状態。この破壊規模から考えれば、燃料プールが損傷していたとしても不思議ではありません」(吉岡氏)」(週刊ポスト2011年5月20日号)
http://www.news-postseven.com/archives/20110513_20010.html

 
 圧力容器と格納容器についての説明がある。

  「福島第一原発の1号機から3号機までの圧力容器と、問題が起きた2号機の格納容器を製造したのは、IHI(旧・石川島播磨重工業)である。〔略〕本誌取材にこう説明した。
   「圧力容器は鋼鉄の鍛造材で厚さは約16センチ。2号機の格納容器は3層構造で、一番内側に鍛造材で厚さ3センチの内壁があり、その外側の外壁が鉄筋コンクリート製で厚さ200センチあります。その外に遮蔽外壁があり、これも鉄筋コンクリート製で厚さ100センチです。どれくらいの熱や圧に耐えられるかは、申し訳ありませんが、弊社が答えられる範囲を超えます」〔略〕」(週刊ポスト2011年4月1日号)
http://www.news-postseven.com/archives/20110321_15550.html

 
 さて、3月12日深夜に、「国民を不安にする」との理由で、菅直人首相と枝野官房長官によって更迭されたといわれる、原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官の3月12日の発言が文字おこしされている。

  「中村審議官「〔略〕福島第一原子力発電所1号機におけます爆発及び白煙につきましてお話をさせていただきたいと思います。〔略〕」
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65710613.html

 残念ながら上記は、中村幸一郎審議官が3月12日に行なった2回の会見うちの「炉心溶融したおそれがあることを認めた会見」
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65710613.html
ではないとのこと。

http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65711166.html
も見よ。

  「経済産業省の原子力安全・保安院は〔2011年3月〕12日午後2時、東京電力の福島第一原発1号機で原子炉の心臓部が損なわれる「炉心溶融が進んでいる可能性がある」と発表した。」(日本経済新聞)
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65711166.html


福島原発事故129:野菜の放射性物質吸い上げ率/タバコは?

2011年05月19日 15時35分20秒 | 生命生物生活哲学
2011年5月19日-4
福島原発事故129:野菜の放射性物質吸い上げ率/タバコは?


 朝日新聞2011年5月17日朝刊37面に、

 「野菜が成長段階で土中の放射性物質を吸い上げる比率を、農林水産省が近く公表する。トマトやキュウリなど東日本で本格化する夏野菜の作付けを前に、収穫時にどれぐらい汚染されるかの目安を示す。」
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105160603.html

とある。
 タバコについても、ぜひともやってほしい。「調査の対象は半減期が短い放射性ヨウ素ではなく、30年と長い放射性セシウムだ」というが、放射性セシウムだけでなく、様々な核種についても。

 また、

  「政府は、イネの移行係数の指標を0.1(10%)と設定。放射性セシウムの濃度が土1キロあたり5千ベクレルを超える水田は、収穫時にコメが食べていい基準(同500ベクレル)を上回るとして、原子力災害対策特別措置法で作付けを禁じた。原発から30キロ圏外の畑を対象にした福島県の調査では、飯舘、大玉の両村などの計7地点で5千ベクレルを超えた。農水省は、野菜でイネの0.1を超えるものは多くないとみている。 」
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105160603.html

とのこと。