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Bunge哲学辞典:probability, subjective 主観的確率

2012年07月22日 10時06分42秒 | Mario Bunge哲学辞典
2012年7月22日-1
Bunge哲学辞典:probability, subjective 主観的確率

 
probability, subjective 主観的確率〔主観確率〕 [BungeDic1: 224-225]
 【a 一般的】主観的確率〔主観確率〕は、命題を信じる程度の、または命題の信頼性 〔信憑性〕credibility の程度の測度だと言われる。よってその【同義語】は、信用性 credenceである〔→信頼性、信憑性、信用性の日本語的差異を検討せよ〕。しばしば主観的確率に頼る場面とは、不確実性に面したときである。つまり、十分な情報が無いときである。主観的であるから、主体が異なれば同一の事象〔出来事〕に割り当てる確率は、同じ立場〔資格〕であっても、異なることになりそうである〔likely to be different〕。よって、将来の情報のもとで修正する余地があるだけである。言い換えれば、主観的確率の割当は直観的で任意であり、よって科学的ではない〔unscientific〕。結果として、賭け率を知らずに賭けをすることに等しい。同様の理由で、主観的確率で戯れることは、↑【うわべだけの精密性 hollow exactness】という部類〔カテゴリー category〕に陥る、果てしの無い哲学的遊戯〔哲学的勝負遊戯〕〔philosophical game〕を許すことである。ゆえに、主観的確率を命題に割り当てることは、『真実と賭けをする』と正しくも呼ばれてきた。同様に、事象〔出来事〕に対して主観的確率を割り当てることは、それは↑【意思決定理論 decision theory】と↑【ケーム理論 game theory】で行なわれていることなのだが、(もちろん、人が机上のお遊びをしているだけでなければ)生と死を賭けることになろう。
 〔【b】は無い。→増補版と照合せよ。〕