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生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

現実と映像

2010年03月17日 18時33分31秒 | 美術/絵画
2010年3月17日-2
現実と映像

 たとえばテレビ画面にテーブルの上にリンゴが置いてある映像が映っていても、テーブルやリンゴがテレビ中に実在するとは思わない。しかし、生中継ならば、そのリンゴはどこかに実在するものだと思う。
 本当に存在するリンゴを見た場合と、網膜に映った段階では、テレビ映像とで似たようなものだとしよう。すると、脳はどう判別しているのか? 
 「アバター」を3Dで見たが、わたしには通常のスクリーン画像で見たほうが、現実感があったと思う。3D(これにも5つぐらいの方法があるとのことだが)では(どの位置の席に座ってみるかによっても違うだろうが)、以上にたとえば前方に細長いものは、客席の上にまで突出する。また、森のなかでは彩色が押さえられていて青いモノクロームに近く(これもある意味では通常の人間世界とは異なるというリアリティを出したのかも)、見にくい。などのため、スクリーンのなかに引き込まれず、またなによりも、筋書きの(現代世界のパロディにもなっていて、スッキリとはいかないという作りにしているらしいこともあって)展開もかったるい。この作品は、ほぼ失敗作。

 脱線した。たとえば幽霊が存在すると仮定すると、おそらく彼らにとっては他の幽霊が現実的であろう。むしろわれわれの肉体は現実感を欠いたものではないか。われわれの肉眼には、(存在するとして)幽霊は薄っぺらく感じるだろう。(うーむ、こんな推論をしてなんになる?)つまり、現実感は主体が存在する世界に相対的だろう。
 要するに、われわれの感知する世界を、われわれは感知している。その範囲外の対象については(あるとしても)なんとも言えない。むろん、物理学はもっと知っていると主張するだろうが、それも検知できる範囲が広いことは確かだが、その範囲外については同様にわからない。理論的に計算して想定されるもの(たとえば暗黒物質)があっても、なんらかの確認がなければならない。
 近紫外線カメラはすでにあるようだ。遠紫外線カメラはまだ開発途上か?