2014年8月1日-1
書芸術/審査/絵画原論への覚書
2014年8月1日午前に、
書 imagined !/コンチネンタルギャラリー/札幌
を見た。そして色々と教えていただいた。
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/前衛書道
によれば、前衛書道は、墨象(ぼくしょう)とも呼ばれるとのことである。
「前衛書道作品とは視覚平面芸術として純粋に造型・線・墨色・余白などの美しさを主張している。
空間芸術として他の芸術との違いは時間的な運動の軌跡が造形を構築しているといえる(絵画などは書道に比べると時間的な軌跡が残りにくい)。身心一如の生命体の発現が造形に結晶する。
時代に即応した表現の資材を模索して、新しい材料に手を伸ばすが書道の本質が毛筆のもつ弾力性にあることは踏まえている。
簡単にいえば綺麗な字を書くことにこだわらず墨の後や空間を上手く使って書かれている書道のこと。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/前衛書道
第一行目は、造形美の重視ということだろう。〈時間的な運動の軌跡が造形を構築している〉というが、出来上がった作品を見て、時間的な運動の軌跡として見て取るのは、(幅広の刷毛を使った場合でも)線的な場合だろう。そうすると、たとえば線描的絵画では、時間的軌跡を認識する場合があるだろう。
下記の指摘は、二人以上の審査員の評価(例えば順位尺度)で平均値を取ったりする場合、革新的な作品が埋もれるという問題点に通じているだろう。
佐賀県書道展に関する話題
田宮文平氏インタビュー(2012/6/12)
「美術評論家の田宮文平氏〔略〕に、今後の課題などについて聞いた。
〔略〕
-第20回記念展の審査はどうだったか。
田宮 佐賀県書道展は公募展としては珍しい単独審査。また、これほど厳正で中立な審査はまれであり、誇ってよい。公募展で主流となっている複数審査員による投票や合議審査だと個性的な作品は発掘されにくい。今回は、そうした実情をぜひ出品者に見てもらいたいと「公開審査」を提案した。
-書の現状をどう見るか。
田宮 〔略〕書は“文字の形と言葉の意味を同時に伝える芸術”であり、読み下せなければ、外国語と同じで日常から遠ざかってしまう。相田みつを作品が受けるのは“言葉の発信力”があるからで、これなくして書は成り立たない。言葉を伝える重要性を再認識することが大切で、最大の課題だ。
-今やパソコンや携帯メールを通じた文字伝達が主流だが。
田宮 文明の利便性と人間の情緒を養うものとは、使い分ける知恵が必要。哲学的な理念を持たないと利便性の追求だけに終始してしまう。書は情緒の形成に重要な役割を果たせると思う。
http://www1.saga-s.co.jp/shodo/topic.0.2223477.article.html
書とは、〈文字の形と言葉の意味を同時に伝える芸術〉とある。
また書は、〈情緒の形成〉と関わるともある。情緒と、文字形態あるいは言葉(→語句文)の意味とは、どういう関係になるのだろうか。
ところで、絵画物体においても、記号や言葉が表示される場合がある。
書芸術/審査/絵画原論への覚書
2014年8月1日午前に、
書 imagined !/コンチネンタルギャラリー/札幌
を見た。そして色々と教えていただいた。
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/前衛書道
によれば、前衛書道は、墨象(ぼくしょう)とも呼ばれるとのことである。
「前衛書道作品とは視覚平面芸術として純粋に造型・線・墨色・余白などの美しさを主張している。
空間芸術として他の芸術との違いは時間的な運動の軌跡が造形を構築しているといえる(絵画などは書道に比べると時間的な軌跡が残りにくい)。身心一如の生命体の発現が造形に結晶する。
時代に即応した表現の資材を模索して、新しい材料に手を伸ばすが書道の本質が毛筆のもつ弾力性にあることは踏まえている。
簡単にいえば綺麗な字を書くことにこだわらず墨の後や空間を上手く使って書かれている書道のこと。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/前衛書道
第一行目は、造形美の重視ということだろう。〈時間的な運動の軌跡が造形を構築している〉というが、出来上がった作品を見て、時間的な運動の軌跡として見て取るのは、(幅広の刷毛を使った場合でも)線的な場合だろう。そうすると、たとえば線描的絵画では、時間的軌跡を認識する場合があるだろう。
下記の指摘は、二人以上の審査員の評価(例えば順位尺度)で平均値を取ったりする場合、革新的な作品が埋もれるという問題点に通じているだろう。
佐賀県書道展に関する話題
田宮文平氏インタビュー(2012/6/12)
「美術評論家の田宮文平氏〔略〕に、今後の課題などについて聞いた。
〔略〕
-第20回記念展の審査はどうだったか。
田宮 佐賀県書道展は公募展としては珍しい単独審査。また、これほど厳正で中立な審査はまれであり、誇ってよい。公募展で主流となっている複数審査員による投票や合議審査だと個性的な作品は発掘されにくい。今回は、そうした実情をぜひ出品者に見てもらいたいと「公開審査」を提案した。
-書の現状をどう見るか。
田宮 〔略〕書は“文字の形と言葉の意味を同時に伝える芸術”であり、読み下せなければ、外国語と同じで日常から遠ざかってしまう。相田みつを作品が受けるのは“言葉の発信力”があるからで、これなくして書は成り立たない。言葉を伝える重要性を再認識することが大切で、最大の課題だ。
-今やパソコンや携帯メールを通じた文字伝達が主流だが。
田宮 文明の利便性と人間の情緒を養うものとは、使い分ける知恵が必要。哲学的な理念を持たないと利便性の追求だけに終始してしまう。書は情緒の形成に重要な役割を果たせると思う。
http://www1.saga-s.co.jp/shodo/topic.0.2223477.article.html
書とは、〈文字の形と言葉の意味を同時に伝える芸術〉とある。
また書は、〈情緒の形成〉と関わるともある。情緒と、文字形態あるいは言葉(→語句文)の意味とは、どういう関係になるのだろうか。
ところで、絵画物体においても、記号や言葉が表示される場合がある。