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《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

Bunge哲学辞典 抄 20120217a

2012年02月17日 20時01分52秒 | 生物哲学
2012年2月17日-3
Bunge哲学辞典 抄 20120217a

Bunge, M. 2003. Philosophical Dictionary. Enlarged Edition. 315pp. Prometheus Books, New York.

Bunge, M. 1999. Dictionary of Philosophy. 316pp. Prometheus Books, New York.
より。

  animism アニミズム (BungeDic1, p.18)[初版の訳→増補改訂版の訳にすべし]
  emergence 創発 (BungeDic2, p.83)
  evolution 進化 (BungeDic2, p.93)
  evolutionism 進化主義 (BungeDic2, p.94)
  explanation 説明 [BungeDic1, p.93-94][初版の訳]
  explanatory power 説明力 [BungeDic1, p.94][初版の訳]
  life 生命 [BungeDic2, p.163]
  matter 物質 [BungeDic2, p.174)
  mechanism メカニズム、機械論 [BungeDic2, p.175)
  natural kind 自然類 [BungeDic2, p.191)
  object 対象 [BungeDic2, p.199)
  panpsychism 汎心論 [BungeDic1, p.205)[初版の訳]
  phenomenology 現象学 [BungeDic2: 212]〔最後の2文を訳出。〕
  plausibility もっともらしさ [抄訳。BungeDic2, pp.214-215]
  probability, vulgar notion 確率、通俗的概念の [BungeDic2, p.227]
  reference 指示 [BungeDic2, p.246]
  representation 表象〔表現〕 [BungeDic2: 251]
  science 科学 [BungeDic2, p.259]
  science wars 科学の戦争〔サイエンス・ウォーズ〕 [BungeDic2, p.261]
  scientificity 科学性 [BungeDic2, p.262]
  scientism 科学主義 [BungeDic2, p.262]
  scrutability 検証可能性 [BungeDic1, p.262][初版の訳]
  self-assembly 自己集成 [BungeDic2, p.263]
  species 種 [BungeDic2, p.274]
  system システム (BungeDic2, p.282)
  systemic approach システム的アプローチ (BungeDic2, p.285)
  taxonomy 分類学 [BungeDic2, p.289]
 〔technics 技巧 は、マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』: 245頁を見よ。〕
 〔technique 技術 は、マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』: 96頁, 129頁を見よ。なお、技術 techniqueは(一般的に対しての)特異的方法であるが、技術が科学的であるための条件とは、
  a. 間主観性条件
  b. 試験〔テスト〕可能性条件〔試験testとは、経験に照らして試すことである〕
  c. 正当化条件
である(マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』96頁を見よ)。2010年7月28日-2。〕
  technology 科学技術 [BungeDic2, pp.289-290]〔また、technology 科学技術については、マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』の244頁からの5.5.4節 応用科学と科学技術、を見よ。〕
  theory 理論 [BungeDic2_p.***]
  war 戦争 [BungeDic2, p.311]

 
<凡例>
  ↑:その直後の語を『参照せよ』を指示する。
 【】:【 】に囲まれた文字が、ゴシック体であることを示す。
 _ _:_ _に挟まれた文字が、斜体であること(強調)を示す。
 「」:標徴〔sign〕、記号〔symbol〕、語、そして文であること(表記)を示す。原文では単一引用符(‘’)で括られている。
 『』:概念または命題であることを示す。原文では二重引用符(“”)で括られている。
 〔〕:訳者の注記であり、原語または代替訳を示すことが多い。* がある直前のものは、訳の検討が必要であることを示す。


□□□□□□□

感性学〔美学〕 aethetics [BungeDic1?2?: **]
 a 哲学的 芸術の哲学。それは、芸術作品、表象的/抽象的、様式、そして美しい/醜い、という一般的概念を巡って旋回する。この分野の地位は、不確定である。なぜなら、客観的規範〔規準〕は知られておらず、よって芸術作品を評価するための個人を越えた、かつ文化横断的な客観的規範は無いからである。とりわけ、気まぐれに行なったコラージュ〔糊付け作品〕でも、一連の恣意的な雑音でも、うまいこと売り込まれれば、芸術作品として合格するだろうわれわれの時代においては、そのような規範は無いからである。その結果、感性学〔美学〕的な意見、定義、そして分類は数多くあるけれども、試験〔テスト〕可能な感性学的仮説は、ましてや仮説演繹的体系(理論)は無いようである。もっとも、感性学的諸概念の分析と相互関係づけは、正当な努力であり、それは「分析美学〔分析的感性学〕」と呼ばれてもよい。
 b 科学的 D. Berlyneによって創始された、芸術鑑賞の実験的心理学。

 
アニミズム animism [BungeDic1: 18]
 すべての物は、あるいは或る種類のすべての物は、生き物のように動かされている〔animated〕という教義。つまり、非物質的な↑【霊たち 〔spirits〕】によって宿られており、支配〔rule〕されている。例:魂は身体を統治〔govern〕するという見解〔考え方 view〕。同義語:↑汎心論〔panpsychism〕〔2011年7月31日-1〕。

 
芸術 art [BungeDic1?2?: **]
 a 感性学〔美学〕的 なんであれ、自分または他の人に、いわゆる肉体の快楽以外の快楽を入手することをめざす人間活動。芸術は視覚的、聴覚的、記号的、あるいはこれらの組み合わせであり得る。感性学〔美学〕の対象。
 b 認識論 科学的および科学技術的研究のなんらかの産物は、妥当である、真である、あるいは効率的であることを越える。すなわち、それらは美しい(あるいは醜い)、そして優美である(あるいは無器用であるclumsy)とも見なされる。そのうえ、科学的研究は科学であるよりも芸術であると広く同意されている。しかし、これらの用語の意味についての合意は無い。よって、感性学〔美学〕的特質についてのすべての論証は決定的でない。↑感性学〔美学〕

 
収集体 collection [BungeDic2, p.43]
 任意に〔恣意的に〕、またはある共通の性質を持つゆえに、集められた、一群の[a group of]対象。固定した成員性〔属員性〕[membership]を持つ収集体は、語の数学的意味での集合[set]である。たとえば、人類は変異可能な[variable]成員性を持つ収集体であるが、所与の時点で生きているすべての人間の収集体は集合である。〔2010年8月4日-1。〕

 
創発 emergence (p.83)
 a 【静態的概念】システムの一性質が創発的であるのは、そのシステムのどの構成要素によっても所有されないとき、そしてそのときに限る。例:平衡、シナジー、共時性、生きていること(諸細胞のひとつの創発的性質)、知覚すること(神経細胞〔ニューロン:ルビ〕の一定のシステムの一つの創発的性質)、社会構造(すべての社会システムの一性質)。創発的性質は、(集塊のように)局所的〔local〕または(安定性のように)大域的〔global〕であり得る。形式的定義:Pは創発的性質である =df ヨxヨy (Px & y < ⇒ ¬Py)。ここで、<は部分/全体関係を表わす。b 【動態的概念】すべてのシステムは、その構成要素の(自然なまたは人工的)集成によって形成されるという仮定によれば、創発は個体発生と↑【歴史】(とりわけ↑【進化】)の両方に典型的である。例:発話は子供において生涯の最初の年に創発し、それはおそらく、10万年前のHomo sapiens sapiens〔ヒト種ヒト亜種〕の誕生とともに創発した。創発という概念を、↑【付随性】という曖昧な〔fuzzy〕概念と混同すべきでない。また、全体論者がそれを大事にしているから、特に創発を分析不可能とみなしているからといって、捨ててしまうべきではない。システムについての科学的研究の主要点は、そのシステム的(つまり創発的)性質を、それの諸部分の相互作用か、あるいはその歴史によって説明しようと努めることである。創発は、↑【全体論】と↑【個体主義】の視界〔ken〕を越えるものである。↑【システム主義】だけがそれを正当に扱う。

 
進化 evolution (p.93)
 様々な種類の物の創発〔emergence〕と潜没〔submergence〕によって区切られた歴史。(よって進化という概念は、歴史という概念の特殊事例である。)例:化学元素と分子の進化;非生物的物質からの細胞の最初の自己集成〔self-assembly〕からはじまる生命の歴史;人類史。進化は、(個体の)発生や生活史と混同されてはならない。今日では、カトリック教会でさえ、生物学的進化が起きたことに異論を唱えない。カトリック教会が異論を唱えているのは、進化についての自然主義的(唯物論的)説明であり、とりわけ心的能力は、いかなる神の介入も無くして、解剖学的および心理学的特徴に沿って進化したという、科学的仮説である。↑【進化的心理学】。

 
進化主義 evolutionism (BungeDic2, p.94)
 事実についてのあらゆる領域〔realm〕は↑【進化】の支配下にあるという、存在論的教義。ダーウィニズムを、すべての事実的科学へと拡張したものである。哲学的な原理であるから、進化的↑【生物学】と混同してはならない。進化生物学は、現代生物学の標準的構成要素である。進化主義によって、あらゆる物事は変化に従うだけでなく、ひょっとして種形成と種絶滅にもさらされることもあるとみなすことを研究者は享受したので、進化主義はすべての自然科学と社会科学を根本的に変形した。また進化主義は、静態的な存在論と認識論の最後の名残りを破壊することによって、哲学に対して決定的な影響を与えた。それは、どの制度も永遠ではないと示唆したから、改革論者と革命的な諸社会的イデオロギーを奨励したのである。そして、スペンサー Spencerの(生理的な)最適者の生き残りと優位性を明言するという間違った解釈のおかげで、進化主義はまた、優生学と人種差別やファシズムといった退行した信条を奨励した。〔2010年8月10日-5〕

 
説明 explanation [BungeDic1, p.93-94。BungeDic2と照合すべし]
 説明は、諸事実と関係のある一つの認識的操作である。或る事実(具体物の状態または状態の変化)を説明することとは、それがいかにして生じたかを示すことにある。例:日没は地球の回転によって説明される。事実を説明することを急ぐ前に、それは人為産物または幻覚ではないことを、合理的に確信しなければならない。これは、その事実をできるだけ注意深く記述すること、そして観測、測定、または実験といった経験的手段によってその記述の正確さ〔的確さ accuracy。preciseは精確〕を照合する checkことを含む。ゆえに、説明は記述と試験〔テスト test〕によって先行される。説明には三つの側面〔相 aspect〕がある。すなわち、論理的、存在論的、そして認識論的という側面である。説明の_論理_は、規則性(たとえば、法則)と状況 circumstance(たとえば、諸初期条件)に関わる演繹的〔導出的 deductive〕論証としての説明を提示する。説明の_存在論_は、仮説化した↑【メカニズム〔機構〕mechanism】(因果的、機会的、目的論的、など)を指し示す。そして、説明の_認識論_は、既知のものまたはなじみのものと、新しいものまたはなじみではないものとの間の関係を問題にする。魔術的で宗教的な説明と同様に、典型的な科学的説明は、なじみではない諸存在者または諸性質を引き合いに出す。しかし、前者とは違って、後者は↑【検証可能 scrutable】〔scrutable 精密な調査[研究]によって理解できる(大辞泉)。日本の新聞やテレビではよく「検証」という言葉が聞かれる。アメリカ合州国でのscrutinizeが検証に当たるとどこかに書いてあった。実証との関係は? 科学業界での検証は、論理実証主義または論理経験主義的なverificationなのだろうか? 積極的な意味では、立証という語がある。verificationismを立証主義とし、testを試験またはテストとするとよいかもしれない〕である。そのうえ、通常の知識と魔術的説明とは対照的に、科学的説明は↑【法則 law】とよく認定された〔保証された well-certified〕事実を伴う〔を要件とする involve〕。二種類の科学的説明を区別しなければならない。すなわち、弱いまたは包摂的と、強いまたはメカニズム的である。_包摂的_説明とは、普遍のもとで特殊を包摂することである。それは、
  (諸)法則 & 状況 |? 被説明項(説明されるべき事実)
という形式を持つ。ここで諸法則は純粋に記述的であり得る。たとえば、併存〔? concomitance〕の言明と速度方程式である。例:ボブが死を免れないことは、彼が人であるというデータ、および、すべての人は死を免れないという一般化によって(弱く)説明される。(つまり、∀x(Hx ⇒ Mx), bH |? Mb.)これは、J.S. ミル以来、大多数の哲学者たちが説明を理解してきたやり方である。_メカニズム的 mechanismic_または強い説明は、メカニズムの開示である。それは、包摂と同じ論理形式を持つが、それに関与する(諸)法則は↑【メカニズム〔機構〕mechanism】を記述する。集成 assembly、衝突、拡散、競争、そして協力〔協調 cooperation〕といったもののメカニズムである。たとえば、人は死を免れないことは、数多くの合同的に〔併発的に、同時的に concurrent〕作用するメカニズムによって(強く)説明される。すなわち、酸化、DNA損傷、消耗、アポトーシス(遺伝的にプログラムされた死)、ストレスに満ちた時期のあいだにできた糖質コルチコイドの作用による免疫の低下、事故、などによってである。メカニズム的説明は、包摂を包括 subsumeする。〔20111102試訳。2011年11月2日-3〕

 
説明力 explanatory power [BungeDic1, p.94。BungeDic2と照合すべし]
 仮説または理論の、それが言及する諸事実を説明する力。↑【適用範囲 coverage】(または確証の程度)と↑【深度〔深さ〕 depth】(関係する水準〔レベル level〕の数)の積として分析されるかもしれない。あらゆることを説明すると主張する仮説は、なにごとも説明しない仮説と同様に、まさに無価値である〔無用である worthless〕。〔20111102試訳。2011年11月2日-3〕

 
生命 life (p.163)
 諸生命科学の中心的概念。生きものまたは有機体の本性〔=本質的性質〕に関して四つの主要な見解がある。つまり、生気論、機械論〔mechanism〕(または物理化学主義)、マシン〔機械〕主義〔machinism〕、そして有機体論(または生物システム主義)である。↑【生気論】は、『生命』を、たとえば『生命衝動』といった、何らかの非物質的な存在者と目標へと努力する傾向なるものによって定義する。↑【機械論】は、『生きている』という述語は物理化学の用語によって定義可能であると主張する。つまり、有機体は大変複雑な物理化学的システムにすぎない。↑【マシン主義】は、有機体を機械に似たもの、つまり設計され、プログラムされ、そして目標指向的〔goal-directed〕なものとして考える。有機体論(または生物システム主義)は、生命を何らかの極度に複雑なシステムの創発的性質とみなす。このシステムの遠い先祖は、約40億年前には生命のない〔abiotic〕ものであった。生気論は、まったく信用されなくなった。不毛であり、非物質的なエンテレキーなるものは、観察と計算をしようにも不可能だからである。機械論はいまだに流布しており、分子生物学の誕生以来は特にそうであるが、生きものの特有性のいくつかを説明することには失敗している。とりわけ、それは、なぜ有機体における代謝過程が、概して、中性的または自己に仕えるのではなく、有機体に『仕える』のかを、説明しない。機械論はまた、自己洗浄と自己修復のメカニズムの創発も、説明しない。つまり、生きていない化学系は、ついには反応のいくつか、あるいはすべてさえも停止させるような、反応を抑制する化学物質を蓄積するかもしれない。機械論は、デカルトによって創始され、それ以来広まったが、今日ではコンピュータ科学の連中に人気がある。その連中は、生命プロセスの特定の特徴をコンピュータシミュレーションしたものを、↑【人工生命】と呼んでいる。皮肉にも、マシン主義は、設計と計算という概念に含まれる目的論を、生気論と共有している。生物システム主義だけが、化学的前躯体からの生命システムの自己集成についての分子生物学的説明と、遺伝子変化と自然淘汰による進化の理論を認めるだけでなく、生命を化学レベルに根をおろした一つの創発レベルとして認めもする。↑【創発】、↑【創発主義的唯物論】、↑【システム主義】。

 
物質 matter (BungeDic2, p.174)
 すべての、現実の、または可能な↑【物質的存在者 material entities】の収集体。すなわち、M* = {x | Mx}。ここで、M = 物質的である〔material 質料的である〕である = 変化可能である、である。M*は一つの収集体であるから、物質は概念的であり、物質的ではない。つまり、個々の対象だけが、物質的であり得る。対照的に、物質的存在者から構成されるいかなるシステムも、社会から宇宙まで、物質的である。注意:物質 ≠ 質量。実際、質量は、陽子とか電子といった、なんらかの物質的な物だけが持つ性質である。光子と重力子は質量を持たないと想定される。↑【E = mc2】。
 〔注。『それは物質である It is a matter』とは、それと指している対象が、物質的存在者であることを述べているが、物質とは、或る種類を括る、同定のためのカテゴリー(= 名義尺度の概念的存在者)であり、収集体の名称である。2010年7月20日-3を参照せよ。〕

 
メカニズム〔機構〕、機械論 mechanism (p.175)
 【a プロセス】複雑な物が働くようにするプロセスは何でも。例1:時計の機械的または電気力学的『働き』。例2:学習と創造の神経的メカニズムは、前には拘束されていない神経細胞のシステムから、新しいシステムが自己集成することだと考えられる。例3:社会生活において、協力は一つの調整〔協調coordination〕メカニズムである。例4:投票することは、参加 のメカニズムである。例5:道徳は、社会的な共存と制御のメカニズムである。_メカニズム_的または_強い_↑【説明】は、システムにおける(諸)メカニズムを開示することを含む。これらは、説明的論証の前提に出てくる(諸)法則言明において表現される。【b 世界観】宇宙は時計のようなものだという世界観。したがって、宇宙論は力学〔mechanics〕(デカルトの思弁的な流体力学、あるいはニュートンのより現実的な粒子力学)に等しいであろう。機械論は、最初の科学的世界観であった。それは、今日の最も進歩した科学を普及させたし、可視的なすべての物の機械的性質を研究するように研究者を仕向けた。同じ理由によって、人々はかつて優勢であった全体論的で階層的な世界観から遠ざかるようになった。とりわけ、デカルトらは、動物の身体を、ポンプ(心臓)によって駆動される単なる込み入った機械とみなした。魂だけは容赦されたが、いつもそうであったわけではない。機械論には、世俗的なものと宗教的なものという、二つの見解がある。_世俗的_機械論は、宇宙は自ら存在し、自ら制御するメカニズムであると、自ら巻直す一種の永遠の時計なのだと主張する。対照的に、_宗教的_機械論は、時計職人を仮定する。デカルトの宇宙時計は完璧であるが、神の創造にふさわしく、それは修理人を必要としなかった。物質を創造し、物質に力学法則を授けたので、デカルト流の神はもはや物理的宇宙にせっせと働く必要は無く、神の注意をすべて、霊的な物事に捧げることができたであろう。対照的に、ニュートン流の宇宙は、浪費的である。つまり、天体の機械の車輪の間には、摩擦がある。よって、神は天体機械が動くことを保つために、しょっちゅうそれを押していなければならない。17世紀の科学革命における発端から19世紀中期まで、世俗的機械論は、莫大な科学的および科学技術的な生産を刺激した。衰え始めたのは、場の物理学と熱力学〔thermodynamics〕の誕生、そして進化生物学の興隆に伴ってのことである。20世紀の初めまでに、それはまったく廃れた。現在われわれが理解しているのは、力学〔mechanics〕は、物理学の一つの章にすぎないということである。われわれはまた、相対論力学〔relativistic mechanics〕が電気力学〔electrodynamics〕を離れては意味をなさないこと、そして量子『力学〔mechanics〕』は全然機械的ではないことを理解している。というのは、量子『力学』は、明確な形状を持つ微粒子も精確な軌跡も記述しないからである。要するに、力学には栄光ある日があったのだ。4世紀前、それは物理的世界の科学的探求への道を示した。実際それは、実在の研究への正しいアプローチは、実験室または野外で試験〔テスト〕されることが可能な数式によって表現され得る諸法則にしたがって振る舞う基本的構成物へと、実在を分解するように努めることだと教えた。ゆえに、明示的ではないが、力学は合理主義と経験主義(↑【合理経験主義】)の総合である。そして、その成功と失敗は、世界観と科学が相互作用するかもしれないことを示している。↑【唯物論】、↑【最小主義〔minimalism〕】。

 
自然類 natural kind (p.191)
 恣意的からはほど遠い、一つの性質または一つの法則によって定義される収集体。例:すべての生きものは、生物体というクラス(自然類)を構成する;社会的関係によって結ばれる人々から成るすべての存在者は、社会システムというクラス(自然類)を構成する。唯名論者、規約主義者、そして主観主義者(とりわけ現象論者)は、自然類という観念そのものを拒否する。よって彼らは、周期律表、化学元素の変換〔transmutation〕、あるいは生物学的種形成を説明できない。

 
対象 object (p.199)
 考えられるもの、語られるもの、あるいは作用されるものであろうと、何であれ存在し得るもの。すべての哲学的概念のうちで、最も基本的、抽象的、そして一般的なもので、よって定義し得ない。すべての対象のクラスは、ゆえに最大の類である。対象は、個物または収集体であるか、具体的(物質的)または抽象的(観念的)であるか、自然的または人工的であり得る。たとえば、社会は具体的対象であるが、数は抽象的対象であり、細胞は自然的対象であるが、言葉は人工的対象である。Alexius Meinongと他の少数の者は、具体的と概念的な、可能的と不可能的な、すべての類の対象についての単一理論を建設しようとした。この企画は失敗した。なぜなら、具体的対象は概念的対象が持たない性質(たとえばエネルギー)を持つが、概念的対象は物質的対象が持ち得ない性質(たとえば論理的形式)を持つからである。よって、対象のクラスについての最も根本的な分割は、物質的(または具体的)クラスと概念的(または形式的)クラスへの分割である。

 
汎心論 panpsychism[Bunge (1999) 哲学辞典 初版 p.205]
 あらゆるものは心的である、あるいは或る程度に心的プロセスを経験する能力を持つ、という教義。同義語:アニミズム〔animism〕。

 
現象学 phenomenology [BungeDic2: 212]
 〔略〕現象学とその分派は、20世紀前半には大陸の哲学で中心的であった。今では、合州国において↑ポストモダニズムの周縁で生き残っている。〔最後の2個の文だけを訳出した。2010年3月31日-1。〕

 
もっともらしさ plausibility [BungeDic2, pp.214-215]
 命題、信念、そして推論の質的な一性質。同義語↑【ほんとうらしさ verisimilitude】、いまだ照合されていないか、証拠が決定的〔確定的〕でない仮説は、或る知識体から見るともっともらしく思えるかもしれない。どうしてもっともらしいのか? テスト〔試験〕が実施されない限り、知るすべは無い。しかし、諸試験がいったん行なわれれば、そして決定的なものであれば、その仮説について、確証された(または反駁された)と言うのである。それで、少なくとも差し当たっては、それは真である(または偽である)と宣言されるかもしれない〔宣言されてもよろしい may be pronounced〕。すなわち、決定的な試験の後では、もっともらしさという概念はもはや必要では無い。そして、試験する前では、もっともらしさの程度に取り組み測定することはできない(あるいは、すべきでない)。この場合、われわれが言える最大のことは、問題としている推量〔conjencture〕は、或る知識体に関して、もっともらしいかもっともらしくないかである。あるいは、一つの仮説は、同じ文脈において、もう一つの仮説よりももっともらしいということである。より精確には、pとqは↑【同一指示的 coreferential】な命題を、そしてBはpとqの両方に関連する或る知識体を指すことにしよう。さらに、Bは、本質的な部分であるEと、非本質的な部分であるIに分割できると仮定しよう。つまり、B = E ∪ I。(典型的には、Bは良い実績をもつ一般化を含むだろうが、Iは経験的データと狭い仮説だけを含むだろう。)次のように規定できる。〔p.214まで。あと二倍ほど続きます。〕〔2010年7月29日-3〕

 
後近代〔脱近代〕 postmodern [BungeDic2: 220]
 建築では明瞭な概念で、ル・コルビジェとバウハウス集団によって創始されたモダニズム〔近代主義〕に対する反抗を表わす。他の分野においては、啓蒙運動の知的価値、とりわけ明瞭性、合理性、一貫性、そして客観的真理性、の拒絶としてを除けば、明瞭と言うにはほど遠い。脱構築主義的文芸批評、『カルチュラル・スタディーズ〔文化研究〕』、そしてポストモダンの哲学は、昔からある非合理主義の当世風改訂版である。実際、ポストモダンの哲学、とりわけ現象学と実存主義、は反哲学的である。というのは、概念的合理性は、支離滅裂に話すこととは反対の、信頼のおける哲学的思索にとっての必要条件だからである。↑反啓蒙運動、↑大陸哲学。〔2010年3月31日-1〕


確率、通俗的概念の probability, vulgar notion (BungeDic2, p.227)
 日常言語では、「たぶん probable」はしばしば「ありそうな likely」または「もっともらしい plausible」のどちらかと同一視される。どちらの同定も、正しくない。前者では、「たぶん」は量的な概念を指すのに対して、「ありそうな」は質的である。また、↑【もっともらしさ】を確率と同等に扱うことは、間違い〔誤解 mistaken〕である。なぜなら、一つの命題は、もっともらしくてもそうでなくても、命題に値段をつけることができないのと同様、一つの確率を当てがうことはできない。↑【確率の逆説】。〔2010年7月29日-2〕

 
指示 reference [BungeDic2, p.246]
 あらゆる↑【述語】とあらゆる適切な形式をした命題は、なにかかにか〔なんらか〕のものごとを指示するか、あるいは↑【について】である。たとえば,『粘性の』は、なにかの液体についてであるし、『代謝産物』は、生物体に関わる。或る述語または命題の指示対象の収集体〔集まり〕は、_指示クラス_と呼ばれる。たとえば、『質量』はすべての物体を指示するが、『より固い』もそうである。ついでに言えば、これらの二つの例は、或る述語の指示クラスは、その↑【外延】と必ずしも一致しないことを示している。実際、『より固い』は物体を指示するが、その外延は、その関係が現実に成立する物体の順序対の収集体である。〔後略。2010年7月20日-2。〕

 
表象〔表現〕representation [BungeDic2: 251]
 a 日常的知識 多義的用語.b 認知科学 『外的対象の視覚的特徴の表象』におけるような、知覚。c 意味論 一つの(物質的または観念的)対象の、一つの概念的、視覚的、聴覚的、または人工的翻訳 translation。〔略〕
 例:関数は、定義域を共定義域へと表象する;ヴェン図Venn diagramは、集合を(主として隠喩的に)表象する;束〔そく〕は、樹木によって表象可能である;『扉は開いている』という事実的単称命題は、事実を表象する;法則言明は、安定した客観的パターンを表象する;建築の青写真は、実際のまたは可能な建造物を表象する;回路図circuit diagramは実際のまたは可能な電気的回路を表象する;地図は、惑星の諸部分を表象する;コンピュータ・シミュレーションは、実在する諸物、またはそれらの数学的モデルを表象する。観念論者には、表象という概念は無用である。さらに、彼らのうちには(とりわけ構築主義者なのだが)、地図を領土とごちゃまぜにする者がいる。これは、まさに表象という概念が標準的な意味論的理論に無いという理由である。そしてまた、これらの諸理論が科学的および科学技術的言説を分析するのに役立たない理由でもある。素朴実在論者(例えば弁証法的唯物論者と初期ヴィトゲンシュタイン)は、真の表象は事実を『鏡映し』、それゆえ独自なのだと信じる。↑知識の反映理論。
 〔略〕これは芸術的表象について本当ではない。写真、絵画、あるいは彫刻のことを考えてもらいたい。なおさらそれは、科学的表象と科学技術的表象について成立しない。これらは記号的symbolicであって、模倣的mimeticまたは図像的iconicではなく、とりわけ視覚的想像力に訴えるものpictorialではない。
  そういうわけで、どんな所与の事実またはパターンも、様々なやり方で表象され得る。例えばプロセスは、ブロック矢線図block-and-arrow diagram、有限差分方程式、微分方程式、あるいは積分方程式によって表象されるかもしれない。そのうえ、一定の電気回路の線図diagramといった、いくつかの表象は、視覚的には異なっているが、物理学的には等価である。〔略〕〔2010年3月11日-2。〕

〔2012年2月17日-4 Bunge哲学辞典 抄 20120217b、に続く〕