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生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

空きニッチ理論

2010年06月03日 15時14分56秒 | 生態学
2010年6月3日-1
空きニッチ理論

空きニッチと侵入生物体

 生物体は種ごとに大きく異なる。ただし、或る発生段階を取ると、たとえば或る種の卵と異種の卵は、或る種の卵と異種の成体とよりも似ている(ただし似ているという判断ができるのは、有限数の性質を取り出して考えているから(つまり偏って重みづけするから)成立する。→「醜いアヒルの子の定理」を参照)。種が実在するかどうかは、経験的に検出する問題であって、さしあたっては、種タクソンは構築体であるということを前提とすれば(むろん実は、構築体ではなくて、実在していたと判明してもよい)、タクソン学的営為は健全である。

 ニッチを、或る種に属する生物体を観測して設定し、それを使って、或る共同体(境界を定めることは原理から考えても実際の調査から考えても難しいので、研究者が空間を定めてそのなかのすべての生物体によって構成されるものとする)の構成種でなかった種に属する生物体が侵入するかどうかを予測したいとする。たとえば、侵入種が或る地域に定着するかどうか、つまりその種に属する生物体どうしが生殖して子を産出し、またその子たちが子を産出したり、あるいはあらたな移入があったりして、その種に属する存在量 abundance (個体性の明瞭なものならば、個体数をその指標とすることができる)がその地域に増える。すると、その地域で産出されたり、その地域に流入したりするエネルギー(例。太陽エネルギーや、保持されている気温)とエネルギーがいわばしばし固定化したもの(例。或る生物体にとって餌となる生物体)についての、生物体間の配分の問題である。すべての生物体を識別するのは大変なので、やはり生物体をまとめて、できれば種ごとに括って生物体を指し、またそのことで、テスト可能とする。一般命題は、種を主語とする形式を取る。
 侵入生物体が属する種(に属する生物体たち)は、侵入先でどの程度の時間まで存続するのか。侵入先に存在する生物体たちと、どう相互作用して、あるいは相互作用しないからこそ、存続するのか。空きニッチは、そのことに答える概念、あるいはなんらかの理論を案出してそのことに答え得る、いわば「空きニッチ理論」となるのかどうか。ニッチの意味はさまざまなので、限定して、空きニッチ理論を考えよう。

 1. 生物体の性質にもとづいて、ニッチを定義する。
 2. それによって、或る場所に外来生物体が生活する場合に、その生物体は排除されるかどうか。その子は産出されるかどうか。これを予測する理論を、過不足無く構築する。
   或る共同体の構成種の一種に属する生物体が外部からやってきたとき、そこに住み着くことができるか? 同種生物体間でなわばり行動が見られる場合は、(同種であっても)外へ追い払われるかもしれない(その種にとっては、どの個体が生きようが、かまわない。種水準から見れば、互換。)。
   種で生物体たちを括って対象とすると、なにかと便利。

 Pimm (1991: 344) からの節は、「抵抗性についての諸理論:空きニッチ」と題されている。(Eltonは、侵入問題で空きニッチを使ったのだったかな。→要check。)

  "If the niche is defined on the basis of an organism's individual characteristics, then a species brings its own niche with it into a community. Trivially, a persistent community has no vacant niches, ..."
  「ニッチが、生物体の個々の特徴にもとづいて定義されるならば、種はそれ〔生物体?〕とともにそれ自身のニッチを共同体にもたらす〔この文で言おうとしていることがわからん。with it の itは何?〕。自明ながら〔瑣末ながら〕、永続する共同体は空きニッチを持たない一方で、永続しない共同体は空きニッチを持つ。ニッチが、共同体内の諸関係によって定義されるならば、侵入している種は空きニッチを占めることができない。なぜなら、ニッチは共同体と不可分だからである。たとえば、ニッチが、共同体を流れるエネルギー流によって定義されるならば、侵入している種は、前には他の或る種に行っていたエネルギーの一部を接収する。これらのどちらの定義も、ニッチが空いているかどうかを決める助けにならない。どちらの定義においても、空きニッチは存在するかしないかのどちらかである。そして、どちらが本当かは定義に依存するのであって、生態的状況には依存しない。」

 確かにそれは変ですね。「生態的状況には依存しない」という指摘は、興味深いです。
 しかし、存在するのは生物体であり、生物体が侵入したら、その時点でそこの共同体の種-個体数構成は変化するのではありませんか。固定して考えるから、おかしな話になります。たとえば、ニッチを共同体内の諸関係での位置と(抽象的に)定義した場合でも、一個の生物体が或る所に移動すれば、共同体内の諸関係での位置が変化するのです。共同体と一個の生物体との関係です。第一、外部からの侵入者がいなくても、或る共同体では、その生物体構成は出生と死亡によって(ときには移出によっても)刻々と変化します。概念を弄ぶのでなく、好意的解釈をして、役立つ理論を考え、適用するのが良い。
 一生物体についても、卵段階のニッチ、幼体のときのニッチ、成体のときのニッチ、などなど。

 要は、生物体の実際の生活を、具体的な場所と時間で捉えることだ。
 結論。生物体の生存上の諸要求と生活での諸条件で考えるべし。<いのちと暮らし>が第一。


文献

?Herbold, B & Moyle, P.B. 1986. Introduced species and vacant niches. American Naturalist 128: 751-760.

Macfadyen, A. 1963. Animal Ecology: Aims and Methods. Second edition. xxiv+344pp. Sir Isaac Pitman & Sons, Ltd.

Pimm, S.L. 1991. The Balance of Nature?: Ecological Issues in the Conservation of Species and Community. xiii+434pp. University of Chicago Press.

Shrader-Frechette, K.S. & McCoy, E.D. 1993. Method in Ecology: Strategies for Conservation. ix+328pp. Cambridge University Press.