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生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

H.P. Blavatsky ブラヴァツキーによる、人と動物の夢見についての解説

2017年11月09日 23時41分35秒 | 秘教/オカルト科学
2017年11月9日(木)-5
H.P. Blavatsky ブラヴァツキーによる、人と動物の夢見についての解説

 神智学体系によれば、人と動物の違いは、個人の魂が個体化しているか、群魂として存在して魂が個体化していないかである。この違いから、人間王国と動物王国を分けている。

 "Transacions of the Blavatsky Lodge"では、H.P. Blavatskyが質問への答えを述べている。そのなかに、p.70以降からp.79までは、夢に関係した箇所となっている。
 その部分を順次訳していきたい。


 問い。人の夢と獣の夢の間の違いは何ですか?

 答え。夢状態は、すべての人々だけでなく、すべての動物たちにも共通です。もちろん、最も高等な哺乳類から最小の鳥たち、そして昆虫たちにまでです。物質脳、またはそれに近い器官を授けられたあらゆる存在は、夢見るに違いありません。大小のあらゆる動物は、多少とも物理的感覚を持ちます。そしてこれらの感覚は、睡眠中は鈍くされますが、記憶はそれでもまあ言うならば機械的に作動し、過去の感覚 sensations を再生します。わたしたち皆が知る犬たちと馬たちと牛たち、そしてまたカナリアたちも夢見ますが、わたしが考えるにはそのような夢は、単に生理的なのです。発作的に揺らめいたりときたま輝くことのある、消えかかっている残り火と同様に、眠り込むときの脳は、そのように振る舞うのです。夢は、Drydenが言うような「空想が作る合間の出来事」ではありません。そのようなことは、摂取によって引き起こされた生理的な夢か、目覚めている時間に活動している脳にそれ自身を印象づけたある考えか出来事だけを、指すことができます。

 問い。では、眠りに着こうする過程とはなんでしょうか?

 答え。これは一部は、生理学によって説明されています。それは、神経中枢の、とくに脳の感覚神経節の、周期的で制御された消耗だと、秘学徒たちは言います。神経中枢は、この界で活動することをもはや拒否し、仕事に不適合になれないだろう場合は、別の界またはウパーディ _Upadhi_ でそれらの強さを回復するように強いられます。まず _Svapna_または夢見情報様態がきます。そしてこれは _Shushuptiの状態へ導きます。ここで、わたしたちの諸感覚はすべて二重であることを、また、思考する存在者がエネルギーを与える意識の界にしたがって活動することを、思い出してもらわなくてはなりません。」
(H.P. Blavatsky "Transacions of the Blavatsky Lodge", pp.70-71)。

[p.79まで夢関連の質疑応答が掲載されている。→訳そう。][零試訳20171109]



風間虹樹 〈行為詩 4〉または〈アクション ポエム 4〉

2017年11月09日 18時44分56秒 | 詩 poetry
2017年11月9日-4
風間虹樹 〈行為詩 4〉または〈アクション ポエム 4〉


行為詩 4
               〔アクション ポエム 4〕

                      風間 虹樹



あなたは一瞬にして蒸気になり
青空へ翔け昇る
粒々のひとつとなり
周りから凝縮する
スッと一滴の涙になり
空中を快く落下する
ササの葉にぶちあたり
表面をささ流れて
どんどん どんどん
ふくれあがり
土の中を滲み通り
やがて流れへと入る
渓流の爽しいリズム
左へ
       右へ
ゆられ
ぶつかりあいながら
あなたは 水の流れそのもの
すると 石の上の藻になり
食われて すき透るカゲロウの子供になり
食われ食われて 一匹のイワナになる
やがて時を得て
一粒の精子になり
再び水に乗って
崩壊しながら
ゆったりとした流れへとたどりつき
やがて
一泡のCOになり
海へ出て 波のしぶきに弾ける
あなたは無になり
海全体にひたっている
夜空の星屑がちりばめられるとき
あなたは宇宙大にひろがり
全宇宙の粒々が あなたである
そして
無いところに
あなたは永遠にいつづける


   [19810322; 19840907, 19840908]
   [20171109。二つの「そして」を削除した。「食われて」を「食われ食われて」に変更した。
         「すると 石の上の藻になり」を一行にした。また、あちこち一字開けたりした。]
   (初版は、1984年10月15日発行「暗燦第2号」のp. 8-11、に掲載された。)


鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』-2 愛の火花

2017年11月09日 17時47分50秒 | 詩 poetry
2017年11月9日-3
鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』-2 愛の火花



//////////////////////////[7頁のはじまり]




















                  ▪️ 第一幕 ▪️   






//////////////////////////[7頁のおわり]


//////////////////////////[8頁のはじまり]


愛の火花



表街道の悲哀を知り尽くした男と
裏街道の歓楽を味わい尽くした女が
ポツン ポツ念と
公園の石ベンチに
折りしも降る雨に濡れしょぐれて
手をたずさえるとき
この世の戦争は終わり
肩を組むとき
この世のしがらみは消え失せ
蒼然としたビルディングが群れなして
崩壊する
雨打つ音のガード下を
去り急ぐ男女の群れ
戯れに恋はすまじと
酔っぱらっていた呟きは
今しもドップラー効果の
電車に轢き殺される
急ぐまい
夜は
朝まで夜なのだ
バイ人たちは更けてからの
売り買いを嗚咽する

人生の歓喜と悲哀を奏で尽くした
かのような男女が一組
怱然と立ち現われては
去ってゆく
裏通りの裏通りに
今しもふり注ぐ光の束
惜しみなく自分を投げ捨てるとき
陽は束の光となって
そこに峻立している
日輪のなかの哀しみを
柄杓で汲み出したら
どうだろうと
ひねもす
うつら考えていた
雑踏の青年は
今しも
夜を毀そうと
さらに酔っぱらっていた

陶然と流れる雨粒が
海のように広がった
木の葉一枚
そこに映し出される
尽くしてしまったかのような男と
尽くされてしまったかのような女

   ☆   ☆   ☆

出会うは愛。
裏切りは愛。
別れは愛。
曲線のギザギザ。
白いなめらかさ。
うすぐろい細裂のすじ
にそってオンナは歩き
黒い小石ごと
粟粒をほおばる。
たとえ炎であったとしても
たとえ氷の刃であったとしても
みじろぎもせず
酒盃の一滴のように
のみほし
すする。

許し、わが身をひきずり
かつて、また
いま、さらにあすへと
つなぐ。


出会うも愛。
裏切るも愛。
別れるもまた愛。
たどたどしい歩み。
オトコはたじろぐ。
つねに何事かであるように
なにごともなく
十年の夏が過ぎ
二十年の冬がこと切れる。
たとえ眼に見えず
たとえ耳に聴こえずとも
毒盃の一滴も残さず
最期の希望のように
身に浴び
そそぐ。

だが許し、わが魂をひきずり
かつて、また
いま、さらにあすなきあすへと
つなぐ。

(オマエはまぶしすぎるほど)
(したたかに)
(さわやかだ)
(オレはココには)
(生きられない。)
(だからオレの影を)
(オマエに残しておこう。)
(その影をオマエが見つけるとき)
(もう一つの影がその上に)
(倒れている。)
(そして火花のにおいをそこに)
(確かめるだろう。)

   ☆   ☆   ☆

ひとしい朝
街が雑然と目覚めるとき
扉が開けられ
愚かしい一日をまた
積み重ねようと
エネルギーが充満発情する

ひとしい道
おしゃべりに没頭する
少女たちが
きらら
をこぼしながら
通り過ぎる
鬱蒼たる木洩れ火が
陰鬱の雲を散りばめて
そこかしこ射抜いている

  それもまた愛
  あるいは愛に満たされた裏切り
  わたし=わたしたち=映像の影
  ゆれはねて
  それゆえ 愛は
  生けるものたちの影をも つらぬき
  それゆえ 愛は
  世界を反転させ
  いのちを超えていく

  裏切りは
  己れを切り刻むゆえに
  ひとは愛を横切り 葬っていく
  切り刻みの果てに
  独り 世界を背負うことを
  あまねく 一個の火花になることを
  夢見る




//////////////////////////[11頁のおわり]


鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』-1〔題無し。[いつしか かぎりもない 暗がり……]〕

2017年11月09日 17時38分38秒 | 詩 poetry
2017年11月9日-2
鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』-1 〔題無し。[いつしか かぎりもない 暗がり……]〕


詩篇第零:〔題無し。[いつしか かぎりもない 暗がり……]〕


//////////////////////////[1頁のはじまり]






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       *


      いつしか かぎりもない暗がり……

                      *


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                 かすかに ざわめき


                     *


    *


           *



    ゆらめきながら

             ひろがっていった……


 *


      *

   やがて ゆがみ

           さらにゆがんで 暗みになった……


            *
          *

                  *


  *

      暗みに
          炎が やどるようになった  


   *

         *


                        *


    暗みに包まれてある炎、接して燃えながら、おもむろに
冷えてゆき、極みにまで冷たくなって、(それは、)こわばりを
もつようになった

      *

          こわばりは炎から離れ、ある確かさで持続
した。つまり、こわばりとなった。こわばりは、暗みを含んでみ
ずからのものとなし、その内はさらにこわばり、外の暗みと分け
へだてた、つまり〈あたし〉と名をつけた

                   *
                    *


        *

          いつしれず、〈あたし〉は、(あたし)で
あるようになった、〈あたし〉、というこわばり。こわばり  
(あたし)。こうして、(あたしは、)〈あたし〉となり、あた
し という名であるようになった。(あたし)は、あたしとなっ
て、(ここへ)浮かび出た


                         *

                  *



             *


               *


                あたしにむかうものは何もな
かった。何もあたしをよぎりはしなかった。あたしは暗みに永く
とどまっていた。(ここ)は、(ここ)に他ならなかった。……
    (ここ)
あたしは暗みを、分けようとした。それから、さらに分けはじめ
た。どれも全く同じ暗みだった。あたしはやがて、暗みがあたし
にむかっていることをしった。暗みは、はっきり分けられた、そ
れぞれは、わけられていたあたしに対していた。そのようにして
あたしはばらばらになった。すると暗みはその境目で暗い輝きを
発していた。そして、あたしはあたしでない、ひとつのあたしで
ないあたしになっていた。やがて、あたしは、あたしでないあた
しにおいて、あたしをひらくことができた。そのとき、あたしは
、あたしという名であることをしった。

                   *
                     *

         *



  *

   *

     あたしはどこかしらを流れていた。あるいはどこかに
とどまっていた。ふかれ、ふきよせられて、深い暗がりへ散り、
おちていった。そして、震え、がこの暗がりを包み、とめどなく
おちていくあたしをも包みこんだ。……震え、は暗がり全体に、
遠く隅々にまで、満ち、激しく渦巻いた。熱い。あたしが方々で
燃えはじめた  

           *
              *
                  *
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鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』-0 あいさつと目次

2017年11月09日 17時13分07秒 | 詩 poetry
2017年11月9日-1
鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』-0 あいさつと目次



 みなさま、
 貧困と様々な格差が拡がるなか、
 鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』を、このブログに、順次掲載していきます。

  file=p1神々の戯れ目次つき.mi[20091029 23:38]
  A4横の紙に縦書きの印刷打ち出し 1.1版では、総頁数=目次1頁+本文55頁、となっています。

 この1.1版を、掲載していきます。
  1.0版の原稿は、2009年8月17日に完成しました。
  1.1版の原稿は、2009年10月29日に完成しました。



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  鯉杉光敏 詩集


  神々の戯れ







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鯉杉光敏 詩集 神々の戯れ

[目次]


[いつしか かぎりもない 暗がり……]

                □ 第一幕
愛の火花
哀愁の王制共和国
劇場
沼畑はオレたちを
物語

(挿話)
風の間に間に
暗い室内
闇の彫刻
乳房・布……(闇)

                □ 第二幕 □
行方不明人生
向日葵揺れ、
満天のサンショウウオ、昇天
わが老師

                □ 第三幕 □
神々、神について口々に荒走り、
裸足のマリア、旋回する。

[どうしてこのようにあたし、]



//////////////////////////[頁の区切り]


補足。
 なお、1.0版の目次は次の通りでした。

**** 目次 ****

愛の火花
自己意識安息日

哀愁の王制共和国
劇場
沼畑はオレたちを
物語

(挿話)
風の間に間に
暗い室内
闇の彫刻
乳房・布……(闇)
尖塔[がらんどう]

春夏秋冬

行方不明人生
 *満天のサンショウウオ、昇天
 *わが老師
向日葵揺れ、
裸足のマリア、旋回する。