生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

美術修行2014年4月1日(火)

2014年04月02日 06時49分59秒 | 美術/絵画
2014年4月2日-1
美術修行2014年4月1日(火)


 ↑:医は算術、の誤植か、皮肉なのだろう。

日本美術院再興100年 世紀の日本画/東京都美術館/65歳以上割り引きで1000円
 10時からと記されていたと思うが、最終日だからか、すでに開いていて、9:38に入場した。
 速水御舟の作品は、後期には展示されていなかった。ゲ、目録を見ると「比叡山」が展示されていたことになっていた。
 菱田春草の巻物がガラス展示箱に展示され、壁に一部が(おそらく写真製版で)少し拡大された複製が二点展示されていた。複製と実物の見え appearance に差異は感じられないから、たとえば写真複製でその図柄を楽しめば十分ということを立証しているような面白い展示である。
 横山大観の「無我」に、精神性はほとんど感じられない。当時の考え方の制約から題材に依存していて(童子を描いている)、形と色で勝負という造形的なものは少ない。「生々流転』は、墨という絵具を生かしているわけだが。もっとも、これも「表現」という話。

 人物を描くことを通して心性などといったものを感じよと絵画を作用させるよりも、純粋に色と形の直接作用で、心性とかいうものを、否、絵画存在性を感じさせるというのが、抽象絵画の本質的認識ではなかろうか。

 百貨店で奥村土牛の作品を数点見たが、いずれも味がある。ほのぼのとか、のびやかとか。説明文に、造形のことを考えていた、と書かれていて、納得した。放射能汚染下の日本では、あり得ない。もっとも、その前にこのような情景は、「建設」機械などによってまた失われてしまっている。また、人々の心情が変化している。
 岩橋英遠のここでの展示は三方の壁に。作品にとって、かなり好ましい広々とした空間が与えられている。
 平櫛田中「禾山笑」。禅僧の木彫は椅子も含めて、一本の木から彫りだしたものだろう。前面の椅子下部にほぼ縦にひびにような亀裂があり、これが面白かった。木彫での呵々大笑の姿も良いが、実物(=生きて活動する禅僧)が示す姿のほうがきっと迫力があるに違いない。たとえば花の美しさは、実物で味わいたい。何かを「表現したい」と思うのは、記念や思い出のため? この木彫された物体は、想像力または読解力の貧しい者に、(直接的)作用すると言えるのか?

 











 


 
独立春季新人選抜展2014/東京都美術館/入場無料
 一巡した後、入口受付にいた人に、「一押しはどれか」と訊くと、自分のだと言う。赤系のけばけばしい色使いだったので、素通りしたようだ。
 見ると、一部の模様がなかなか面白かった。アルミを削っていた。力業である。個展をやっていると、「結城康太朗展」の案内はがきを渡された。





 そこで桜木町のほうへ歩くことにした。途中で、朝食兼昼食。東京藝大は素通りしようかと思ったが、売店に展示してある作品を見に行くことにした。
 奥の方に本が置いてあるが、なんと「日本近現代美術史事典」があった。かつてAmazonに出ておらず、某図書館で読むしかないな、と思っていた(さきほど検索するとAmazonに8500+257円の中古本があった)ので、即買うしかない。昨日までならば、良かったのだが。もっとも、5%であっても、「益税」が生じることから消費税は税制そのものとして欠陥があることと、政府の言う使い道は詐欺であることに変わりは無い。会計検査院に、この辺りに関する権限は無いのか?
 

 














結城康太朗展/櫻木画廊/入場無料
 S100とF130のmagnetic fieldは素晴らしい。東京都美術館で展示されている作品の赤系色のけばけばしさはほとんど無い。また、三番目の要素としてひび割れ模様があったが、これも面白い。図柄良し、表面構造良し、である。しかも、特筆すべきことに、アルミ板を削ることによってか、奥にさらに一つの面が生じている。これは錯覚 illusion であるが、実に面白い。わたしは「対象物を絵画表面に描く」とみなすような錯覚を排する立場だが、それとは異なる錯覚空間が生じていて、実物の絵画表面とまことに好ましい相互作用となって、すばらしい模様 pattern となっている。
 今後に大傑作が期待できる。
 画廊の人に訊くと、昨年に独立賞を受賞したとのこと。

 


 新橋で下車。銀座8丁目のと有楽町近くのO ギャラリー。
 たまたま通りかかった画廊に、李禹煥の、セゾン現代美術館(軽井沢)または李禹煥美術館(直島)[ここに縦棒のはあったっけ?]と同様のしかしそれの数分の一の大きさの縦線並べの絵、中心から螺旋状に外側へ一筆ごとに(例によって)かすれていく四角を配列した絵画とか、版画などが展示されていた。絵画的味わいは少ないが、最小主義的考えのハッタリ的作用が(おかしな言い方だが)想像力に訴えるのかもしれない。すると、木片彫刻絵画はどう捉える?