生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

安倍政権と自民党の醜悪さと奴隷道徳と虚無主義

2018年08月15日 03時16分43秒 | 政治経済社会学
学問修行2018年8月15日(水)
安倍政権と自民党の醜悪さと奴隷道徳と虚無主義

 安倍政権と自民党の醜悪さと奴隷道徳と虚無主義を、ごく普通に、筋道すっきりと説明している。


 古川 雄嗣 : 教育学者、北海道教育大学旭川校准教授
 あの発言は「杉田水脈氏だけの問題」ではない
 「自民党と自称保守」を支配している根本思想

 「彼女〔自民党・杉田水脈議員〕がやっていることは、弱い者をたたき、異質な者を排除することによって、自分(たち)が「普通であること」を確かめ、集団としての「秩序」を保とうとすることでしかありません。これはまさに、「いじめ」の構造そのものです。いやしくも「保守」を自称し、日本の伝統だの、日本人としての誇りだのを口にするのであれば、せめて、「弱きを助け強きをくじく」といった意気地や誇りや美意識を、もう少しは大事にしてほしいものです。それがカケラも見られないから、彼女の文章は、ただただ「卑劣」で「醜悪」なのです。
〔略〕
「驚かないのか? こんなひどい奴が政治家をやっているんだぞ?」と問われたので、私はこう答えました。

「だって、自民党だもの」

私はむしろ、この記事を読んで「驚いた」という感想が多かったらしいことに対して、かなり驚きました。いったい、彼女の主張のどこに、いまさらあらためて驚くべきことがあるのでしょうか。

彼女が書いていることは、特にここ約20年来の自民党が、もろもろの政策の根本思想として、陰に陽に言い続けてきたことの、単なる「リピート」でしかありません。だからこそ彼女は、たちまち批判が噴出して「炎上」した際にも、あっけらかんと、「うちの党のエライ人は、問題ないって言ってくれてますよ?」などと、開き直ることができたのです。おそらくあれは、彼女のごく素朴で単純な本音だったのでしょう。

「何騒いでるの? みんなそう言ってるじゃん?」という感覚でしかなかったはずです。そして現に、自民党は当初、彼女の発言を問題視しないという見解を示し、それでも後を絶たない激しい批判を目の当たりにして、やっと慌てて「注意」を与えたにすぎなかったわけです。

「生産性」という概念は、本来「物」に対して使うものだ。それで人間の価値を測ろうとするなど、もってのほかだ。こういう批判が相次いでいます。

まったくそのとおりなのですが、しかし、この「生産性」の思想は、もうかれこれ約20年来、たとえば一連の教育改革において、あまりにもあからさまに語られ続けてきたものです。これはすでに、わが国において、幼児教育から高等教育(大学教育)まで、すべての学校段階を貫く、教育政策の根本思想なのです。

たとえば大学は、「役に立つ人材を作れ」との掛け声の下に、さまざまな「改革」を強いられています。「役に立つ」というのは、「生産性がある」という意味ですし、だから大学は、「人間を育てる」のではなく、「人材を作る」ことをしなければならないのです。

さらに、その「人材」を「作る」ための方法として、導入を義務づけられているのが、いわゆるPDCAサイクルです。これは、もともと工場で生産する製品の「品質管理」の方法です。こんにちの大学は、学生を「製品」と見なして「生産」し、それを「品質管理」することを、法律によって強制されているのです(詳しくは、藤本夕衣・古川雄嗣・渡邉浩一編『反「大学改革」論――若手からの問題提起』ナカニシヤ出版、2017年を参照)。

さらに、ここ数年、小中学校での「教科化」が話題になっている「道徳教育」もまた、じつは、まさにこの「生産性」の思想に基づくものにほかなりません。

意外に思われるでしょうか。たしかに、政府自身は(あるいは、「教科化」を支持する教育学者たちの多くは)、教科化を中心とする道徳教育の強化・推進は、「いじめ」をなくすことを何よりの目的としている、などと言っています。

しかし、違います。これは明らかに方便であり、政府が道徳教育を推進する真の目的ではありません。彼らのホンネは、国民の「生産性」の向上と、それによる「経済成長」です。そのためにこそ、道徳教育が必要だと、彼らは考えているのです。
〔略〕
「生産性」を前面に押し出しているこの論者は、何を隠そう、安倍首相のブレーンとして「教育再生実行会議」の委員などを務め、そこで道徳の「教科化」を提言した人物の1人でもある、麗澤大学教授・八木秀次氏にほかなりません。しかも彼は、「なぜ今、『道徳』教育が必要なのか」と題して、こう書いているのです。

彼の評論は、こう続きます。あるデータによると、「うそをついてはいけない」「他人に親切にする」「ルールを守る」「勉強をする」という4つの「基本的なモラル」の教育を、すべて受けた者は、1つでも欠けた者よりも、年収で約57万円、多くの所得を得ている。さらに、1つも教育されていない者と比べた場合、その差は約86万円にもなる。そうすると、「年収が多ければ当然、納める税額も多くなる。社会保障関係の納付金も多く、受給額は少ない」。したがって、「道徳教育」は「国家・社会全体として活力を産み、利益になるということだ」。

こう論じて、彼は、「教育で国民の質を上げることが経済的な効果を持つことがわかる。教育を国家戦略として位置付け、道徳教育を重視するのはその意味においてだ」と、この評論を締めくくっているのです。

「道徳教育」は、国民の経済的な「生産性」の向上をこそ、目的とするものである。「教科化」を提言・推進した当事者の1人が、はっきりと、そう述べているのです。
〔略〕
まったく恥じる様子もなく、「利益」と「生産性」だけが、日本が国家として目指すべき価値であり、「道徳」も「教育」も、ほとんどそのためだけにあるものなのだと、首相のブレーンを務め、いわゆる「保守」を代表する論客として知られる大学教授が、はっきりと言ってしまえるということに、私は愕然としました。
〔略〕
ほんとうの問題は、彼女がそうやって、ほとんど何の深い考えもなしにリピートしてしまった、自民党と自称保守を支配している根本思想にこそあるのです。

それは、奴隷根性とニヒリズムにほかなりません。

なぜ「奴隷」というのかといえば、彼らは人間を、自由な意思をもった「人間」としてではなく、単なる「物」としてしか、見ることができなくなっているからです。ここでいう「物」とは、一方では「生産手段」として労働に駆り立てられ、他方では「欲望の操り人形」として消費に駆り立てられる、労働と消費の自動機械のことです。これが「奴隷」でなくて何だというのでしょうか。

しかも彼らは、国民がそのような「奴隷」であることをこそ、むしろ善しとし、したがって国民にその「奴隷の道徳」を教え込み、それによって国家が「奴隷の国民」に支配されることをこそ、理想として目指そうとしているのです。

そして、この底抜けの奴隷根性をもたらしているものこそ、信ずべき価値を見失ったニヒリズムと、それに対する不安ではないのかと、私は思います。なぜなら、信ずべき価値を見失い、善悪と美醜を、暗黙のうちに、しかし確信をもって、判断することができなくなった者は、目に見えるわかりやすい基準に、その根拠を求めます。それが「数字」です。「道徳を教えれば、年収がいくら増える」などというのは、まさにその典型ではないでしょうか。
〔略〕
「道徳を教えれば経済が成長する。だからそれは正しい」

「同性愛者は経済に貢献しない。だからそれは間違っている」

この見るも無残なニヒリズムこそ、「自称保守」の政治家と知識人を、奴隷状態に向かって強迫症的に駆り立てている、不安の正体にほかなりません。彼らは、むしろ「保守」すべき大事なものを見失った、哀れな人たちなのです。

https://toyokeizai.net/articles/print/232518[受信:2018年8月15日(水)。]

原爆を落とされた日本は、まずアメリカの言いなりをやめよう。

2018年08月08日 10時45分24秒 | 学問修行
学問修行2018年8月6日(水)-1
政治:原爆を落とされた日本は、まずアメリカの言いなりをやめよう。

  「核抑止力の本質は何か。簡単に子供に説明するとすれば、このようなものではないでしょうか。

 「いいかい、うちとお隣さんは仲が悪いけど、もし何かあれば、お隣のご一家全員を家ごと吹き飛ばす爆弾が仕掛けてあって、そのボタンはいつでも押せるようになってるし、お隣さんもうちを吹き飛ばす爆弾を仕掛けてある。一家全滅はお互い、いやだろ。だからお隣さんはうちに手を出すことはしないし、うちもお隣に失礼はしない。決して大げんかにはならないんだ。爆弾は多分誤作動しないし、誤ってボタンを押すこともないと思う。だからお前は安心して暮らしていればいいんだよ」

 一体どれだけの大人が本気で子供たちにこのような説明をできるというのでしょうか。

 良き大人がするべきは、お隣が確実に吹き飛ぶよう爆弾に工夫をこらすことではなく、爆弾はなくてもお隣と大げんかしないようにするにはどうすればよいか考え、それを実行することではないでしょうか。」
朝日新聞2018年8月6日
https://digital.asahi.com/articles/ASL863389L86PITB00G.html

読書録20180716 宇沢弘文2013/11経済学は人びとを幸福にできるか

2018年07月16日 15時38分36秒 | 読書録
読書録20180716
宇沢弘文.2013/11/7.経済学は人びとを幸福にできるか.xxi+273pp.東洋経済新報社.[本体1600円+税][大市図島之内331]


・ネオリベラリズムとは、?。
・市場原理主義とは、法律を変えてでも儲ける機会をつくる主義である。?=金儲け(至上)主義 commercialism。
・グローバリズムとは、市場原理主義を貫くという考え方である。
・ミルトン フリードマンは、「儲けるためには何でもやる、それを阻止するものがあれば水素爆弾を使ってもいい」と繰り返し主張した(宇沢弘文 2013/11、 66頁))。



市場原理主義というのは、法律を変えてでも儲ける機会をつくるということなんですね。それを貫くという考え方をグローバリズムと言うわけです。

(宇沢弘文 2013/11、 65頁)。




ハイエクとのモンベルラン・ソサエティの原点であるネオリベラリズム〔略〕は、私たちが理解できる思想の一つの流れで、〔略〕重要な考え方だと思います。ところが、市場原理主義はそれをはるかに超えていて、儲けるために何でもやる、それを阻止するものがあれば、水素爆弾を使ってもいい、と。そういうことをフリードマンは繰り返し主張していました。〔略〕
 〔略〕あるときナイト先生が、主な教授を集めて、こういうことをおっしゃったんですね。「ミルトン・フリードマンとジョージ・スティグラーの二人は、私のところで勉強し論文を書いたと言うことを禁ずる」と。
 実はナイト先生は「アメリカが原子爆弾を広島、長崎に落としたのは人類の犯した最大の罪である」と普段から強く主張されていたんです。そして広島の原爆で両親。失った女の子を養女として、かわいがって育てていました。〔略〕
 それに比べてフリードマンは、守るために何百人死んでも構わない、と。ベトナム戦争のときに水爆を使えと主張して、大きな非難を浴びました。〔略〕
       経済倶楽部講演(二〇一〇年一月八日)

(宇沢弘文 2013/11、66-67頁)。

国家公務員(国会議員を含む)は、国民全体のために仕事をする人かどうかの資格審査をすべき

2018年07月15日 01時30分54秒 | モリカケ問題
学問修行2018年7月15日(日)-2
国家公務員(国会議員を含む)は、国民全体のために仕事をする人かどうかの資格審査をすべき

 なるほど。
 国会議員は、選挙する前に、国民全体のために仕事をする人かどうかの資格審査をすべきなのだ。
 そうではないので、安倍内閣は「一体感を生み出す経営は絶対にできない」ということだ。
 「選挙で勝った人は、当然、支持母体を中心にして」国家行政をするから、税金の私物化をするわけだ。


 異見交論42「もはや"国立"大学ではないと認識を」上山隆大議員(内閣府総合科学技術・イノベーション会議)[(2018年3月16日)]

  「 学長選挙についても、苦言を呈したい。国立大学法人法で、大学の学長の役割は、大学を総理するとなっている。「何でもできる」存在なのに、できない。その理由が選挙だ。
 選挙をやめろとは言わない。選挙は物事を決定するやり方としてはいいが、「組織を一体化」するにはデメリットが大きすぎる。選挙で勝った人は、当然、支持母体を中心にして学内行政をするから、競争的資金で取ってきたお金をどのように学内で循環させるかといった重要な議論は生まれない。資金の偏在を緩和して、組織としての一体感を生み出す経営は絶対にできない。
 外国のどの大学で聞いても、「学長を選挙で選ぶなんて最悪だ」と言われる。そんなことをすれば学内が政治化する。政治を持ち込んだ瞬間、大学としての一体感が常に阻害される。選挙をするのならば、大学外の目も入れて時間をかけて候補者を探せばいい。」
http://kyoiku.yomiuri.co.jp/torikumi/jitsuryoku/iken/contents/42.php
[受信:2018年7月15日(日)。]


国立大学は公共財

2018年07月15日 01時00分59秒 | 政治経済社会学
学問修行2018年7月15日(日)-1
国立大学は公共財


異見交論40「国立大学法人化は失敗だ」山極寿一氏(京都大学学長)

山極寿一(やまぎわじゅいち) 1952年生まれ。霊長類研究の第一人者で、特にゴリラに詳しい。「ゴリラは語る」「『サル化』する人間社会」など著書多数。元日本霊長類学会会長。2014年に京都大学学長就任(任期6年)。
 国立大学が「民間発想のマネジメント」により「自律した経営」をする「法人」となって、十余年。以来、国から支給される基礎的な運営資金が毎年削減される中、教育や研究に充てる資金を、国立同士、あるいは私立や公立と競い合うようになった。教育や研究はどの大学もが担う使命だ。だとすると、国立大学が「国立」であり続ける意味はどこにあるのか。国立大学協会会長、日本学術会議会長も務める京都大学の山極寿一・学長に聞いた。(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈、写真・守屋由子)

〔略〕

■国立大学は公共財

――ズバリ、国立大学とは何か。
 
山極 国立大学は公共財だ。国民の税金で作っていただいたもので、国民の税金で運営させていただいているものだ。だから大学の知は、一私企業に利用されてはいけないものだ。国民全体の資産にならなければいけない。そういう意味で、もっと自由な学生や研究者のモビリティー(流動性)があり、なおかつその成果を誰もが利用できるオープンサイエンス、オープンイノベーションの拠点にならなければと考える。けれども、今のやり方は組織と組織が競争して組織のために尽くし、組織のためにお金を取ってくる人がエライという風潮になりつつある。それは間違いではないか。国立大学でつくられた知的財産は大学同士でお互いに共有し、政府や国民と共有し、その種を芽吹かせていかなくてはだめだと思う。だから、大学同士は戦うのではなく、むしろ連携しなくていけない。研究者同士が大学の枠を超え、企業の枠を超えて連携し、その新しい成果を世に問うべきだ。
 
――国際的な大学ランキングを重視する政策も横行している。
 
山極 その結果、一律の指標をもとに財務省から文科省が一生懸命お金を取って、それを実現するという方向になっている。旧ソ連がやっていた計画経済、その失敗例と同じことしているわけだ。こんなことをやって、一体何になるのか。大学は個性を持って、この大学で学べばこういうことができるはずだと学生の意欲や希望を高め、学生と教員が一体となって新しい世界を切りひらく所ではないか。それが崩れたわけだ。どの大学も同じことを目指す。そんなバカげたことがあるか。怒りがこみあげてくる。
 」
http://kyoiku.yomiuri.co.jp/torikumi/jitsuryoku/iken/contents/40-2.php
[受信:2018年7月15日。]

日本国民はどのような生活を目指して、設計し実践すべきか?

2018年07月13日 12時27分07秒 | モリカケ問題
学問修行2018年7月13日(金)-2
日本国民はどのような生活を目指して、設計し実践すべきか?

 なによりも、安倍政治の無責任さを国民が認識しなければならない。



  「アベノミクスの三本の矢にしても、結局どれがどうなっているのか、評価が定まらないうちに、「一億総活躍」とか次の話をはじめるでしょう。

経済成長に行き詰まった今の先進資本主義国家に特効薬となる経済政策なんてないんですから、三本の矢という話自体がどこまで本気だったのか、私にはよくわからないのですが、それでもあれだけ掲げていたからには、納得のいく評価をして、それについての論戦がないといけない。それが政策というものでしょうが、「道半ば」という決まり文句と、複雑化する経済現象をますます複雑にして煙に巻くような数字を並べて、アベノミクスが成功しているのか失敗しているのかについてのかみ合った議論が展開されない具合になっている。

逆説的にいえば、ある程度の思想性と一貫性があって結果に対する評価も容易な経済政策に取り組んでも現今の資本主義の状況では失敗率が高く、責任を取ると明言していたらたちまち政権は終わってしまう。そこで安倍政権ははなから一貫性を放棄している。それが長期政権に結びついているのではないでしょうか。曖昧性と刹那性の組み合わせでできていて、批判者が政権に思想的実体があると思って拳を振り上げても、霧みたいなもので叩けない。」
http://president.jp/articles/-/25192?page=3[受信:2018年7月13日。]


人頭税の消費税をゼロに

2018年07月13日 11時26分06秒 | モリカケ問題
学問修行2018年7月13日(金)-1
人頭税の消費税をゼロに


  「 国政選挙では、生活重視で経済問題を中心に置いたほうがよく、その中核として「消費税ゼロ」を前面に出して訴えました。さらに、「人々の生活が貧しいのはなぜか」「税金はどうやって取られ、どう使われるのか」と問いかけ、グローバリズムと戦うことと関連付けました。
 だから、経済政策で反安倍勢力がまとまったほうがいいのです。その結集軸としての「消費税ゼロ」だと考えています。」
http://biz-journal.jp/2018/06/post_23586_2.html


  「 消費税が導入された1989年の税収は54.9兆円、2016年の税収は55.5兆円で、28年間ほとんど変わりません。しかし、消費税は3%→5%→8%と増税されています。逆に減ったのは法人税と、高額所得者を中心とした所得税です。つまり、消費税は大企業と富裕層を減税して減った分の穴埋めにされているわけです。
〔略〕
 そもそも消費税は、社会福祉を充実させる目的で導入するとうたわれていました。しかし、少子高齢化も進んで福祉の費用が増えていく一方で、税収は増えていないから福祉が向上しないのです。消費税を増やすなら、税収そのものが上がっていなければおかしいのです。
 一方、労働者の賃金は、消費税を3%から5%に上げた1997年からずっと下がりっぱなしで、民主党政権時代はなんとか横ばいでした。ところが第2次安倍政権になってから5%も下がっている事実を見てください。」
http://biz-journal.jp/2018/06/post_23586_3.html[受信:2018年7月13日。]

改憲に動き出した安倍政権

2018年07月11日 22時58分48秒 | 政治経済社会学
学問修行2018年7月11日-2
改憲に動き出した安倍政権

 リテラ > 社会 > 社会問題 > 9条Tシャツ着用者が国会傍聴から排除
 9条Tシャツを着ているだけで国会傍聴から締め出し!改憲に動き出した安倍政権の「憲法9条」弾圧が深刻化

  「国会でゾッとするような事件が起こった。なんと、「9」とプリントされたTシャツを着た女性の国会傍聴を、参院警務部が制止したというのだ。
 先月30日にこの女性は以下のようにツイートしている。
〈先日国会傍聴に行ったら、「9がついている物はダメです」と係員に止められました。ネックレスもタグも9は外せと言われます。結局カーディガンで隠して入るように言われました。「NO WAR」もダメなんだって。9はダメで他の数字はOKなんだって。変だよ。〉
 女性はツイートとともに当日のファッションの写真も投稿。それは「No 9」と描かれたTシャツで、数字の下には「NOWAR」「LOVE & PEACE」とプリントされている。また、やはり「9」と印刷された手提げバッグも写っている。
「9」「NO WAR」というTシャツを着ているだけで排除される──。このツイートは6000RTを超える大きな反響を呼んでいたが、さらに昨日、東京新聞がこの問題を報道。記事によれば、参院警務部の職員はこう言って女性を制止したという。
「9を付けているね、そのようなものを付けて入ることはできません」
「NO WARとも書いているだろう」
「意志表示をしているものは駄目です」
 しかも、女性が「1だったらいいですか」と質問すると、この職員は「1だったら大丈夫」と述べたのだという。さらに、東京新聞が参院警務部を取材したところ、サッカー日本代表・岡崎慎司選手の背番号「9」が入ったレプリカユニフォームの場合は「制止しない」、九条ネギや「銀河鉄道999」のTシャツの場合も「政治的メッセージは含まれておらず、入場は拒まない」と回答しているのだ。
 つまり、憲法9条と結びつく「9」の数字や「NO WAR」は「政治的メッセージ」の意志表示と捉えられ、国会の傍聴さえ許されないというのである。
 9がふたつ並ぶ憲法99条では天皇と公務員の憲法遵守義務が規定されているが、その遵守義務を課せられた国家公務員が憲法を「危険思想」として取り締まることの倒錯ぶりもナンセンスだが、いちばんの問題は「憲法9条」のタブー化が深刻度を増していることだろう。」
http://lite-ra.com/2018/07/post-4106.html[受信:2018年7月11日。]

非貨幣経済 non-monetary economy と基本収入全員支給 basic income

2018年07月11日 13時19分01秒 | 政治経済社会学
学問修行2018年7月11日-1
非貨幣経済 non-monetary economy と基本収入全員支給 basic income

髙見澤学.2009/4/23.中国の知恵と日本の伝統が民を済う 崩壊する虚構経済からの脱却.xii+208pp.リブロ.[定価2,100円(本体2,000円)][ざざっと読了20180711][大市図中333.6]

 福島第一原発が大量の放射線と放射能物体を撒き散らす前の著作である。
 日本国民の苦難は、安倍政権によってもたらされている。すなわち、

 (1)アメリカ合州国の政治に大きく関与している既得権益者たちの都合のよいように、
    安倍政権は、ひたすら追従していること。
 (2)税金が安倍政権によって私物化されて、一部の既得権益者たちを除く大多数の国民が虐げられていること。

である。

 「貨幣経済が世の中の諸悪の根源だとするならば、貨幣経済から脱却することが、すべての矛盾を根本から解決して、世界に平和をもたらし、人々を幸福にするに唯一の道であるということになる。」
(髙見澤学 2009/4、160頁)。

 「すべてを「タダ」にしてしまえば良い。無償提供こそが経済、すなわち「経世在民」の真の姿ではないだろうか。」
(髙見澤学 2009/4、161頁)。

 髙見澤学(2009/4、160-161頁)は、貨幣経済から足を洗うことが、先決事項だと主張している。

 非貨幣経済 non-monetary economyで世の中を運営することを、検討しよう。
 過渡的段階として、基本収入全員支給もありだろう。




 Non-monetary economy
https://en.wikipedia.org/wiki/Non-monetary_economy


 tnomuraのブログ
 非貨幣経済
https://tnomura9.exblog.jp/23613561/


 非貨幣経済、金銭が支配しない場所では何が支配するのか(自己実現社会)
 by B-KOOL on 2010年10月25日 in 今の日本って大丈夫?, What’s up, Japan?
https://www.ebigbridge.com/非貨幣経済、金銭が支配しない場所では何が支配/


 データえっせい
 2016年9月4日日曜日
 非貨幣経済指数
  「①物価の地域差を考慮すべし,②田舎では,野菜は贈与や物々交換で賄われることが多い,という意見が寄せられました。

 どちらも,ごもっともな指摘です。②でいう「贈与や物々交換」というのは,非貨幣経済という語で括られると思いますが,あらゆる財やサービスが貨幣を介して供される現在にあっても,こうした非貨幣経済が若干は残っているのも事実です。

 統計によって,この非貨幣経済がどれほど幅を利かせているかを可視化することができます。野菜への支出額と,実際の消費量(摂取量)を照合することによってです。前者が少ないのもかかわらず,後者が多いならば,野菜を非貨幣で賄っている度合いが高いことになります。

 私は,この2つの数値を都道府県別に収集し,消費量を支出額で除した,非貨幣経済指数を計算してみました。」
http://tmaita77.blogspot.com/2016/09/blog-post_4.html

安倍政権は国民の苦難を救う気は無し

2018年07月10日 17時26分09秒 | 政治経済社会学
安倍政権は国民の苦難を救う気は無し



  「西村官房副長官、災害は「山を越えた」「自衛隊員2万人が救助活動中」とデマツイートを連発

 しかも、問題はこのあと。西村官房副長官は、投稿文をこう締めくくっているのである。
〈現在、京都、岡山、広島、山口、愛媛、高知、福岡の各府県で自衛隊員約21,000名が人命救助など活動中。〉
 じつは、これもデマだった。実際、自衛隊の救助態勢について、8日の毎日新聞の朝刊は以下のように伝えている。
〈防衛省によると同日(注・7日)夕現在、京都、高知、福岡、広島、愛媛、岡山、山口の7府県からの災害派遣要請を受け、自衛隊は約600人態勢で、土砂崩れ現場での救助、孤立地域からの輸送、洪水対策などにあたっている。西日本の陸上自衛隊を中心に約2万1000人が救助要請などに即応できるよう待機している〉
 ようするに、実際に7日時点で救助などの活動に当たっていた自衛隊員は約600人に過ぎず、2万1000人は「待機」していただけだったのだ。それを西村官房副長官は、「約21,000名が人命救助など活動中」だとデマを喧伝したのである。
 総理出席の飲み会ではしゃぎ、それをごまかすために危機感を促すべきタイミングで〈山を越えた〉などと拡散させ、挙げ句、非常災害対策本部も立ち上げないままに虚偽の情報を流して、あたかも万全の救助態勢であるかのように装う──。西村官房副長官は前述した著書のなかで、自身の災害対応を振り返った後に、日本は〈世界の防災のリーダー国〉なのだと胸を張っているが、デマを流すような官房副長官がいる国の、一体どこが防災リーダー国なのだろうか。
 そして、最大の責任者は、このような人物を防災担当に据えた安倍首相である。そもそも、安倍首相こそが、頻発してきた災害に対して毎度毎度、信じがたい対応をとってきた。
 事実、2014年の広島土砂災害では、8月19日に豪雨によって土砂崩れが発生。このとき安倍首相は山梨県の別荘で過ごしていたのだが、翌20日午前6時30分に「政府の総力を挙げて被災者の救命・救助などの災害応急対策に全力で取り組む」と宣言。そのまま官邸に入り対応にあたると思いきや、なんと官邸ではなく富士桜カントリー倶楽部に向かい、日枝久・フジテレビ会長(当時)や笹川陽平・日本財団会長らとゴルフに興じたのだ。
 これだけではない。2015年の関東・東北豪雨では、孤立して救助を待つ人びとや不明者も多数いるなか、インターネットテレビ「言論テレビ」に生出演し、櫻井よしこや田久保忠衛・日本会議会長とともに「歴史的使命を完うする覚悟と戦略」と題して安保法制の必要性をアピール。また、昨年は、G20首脳会談出席のための外遊中に九州北部豪雨が発生したが、その後、被害が深刻化するなかにあって安倍首相はG20閉会後も外遊を続行。結局、1日だけ予定を早めて7月11日に帰国したが、緊急性もない外遊を続行させたのは、同月10日に開かれた加計問題追及の閉会中審査に出席したくないからではないかとも囁かれた。
 災害が起こっても、ゴルフをプレーし、お仲間の極右ネット番組に生出演し、閉会中審査に出たくないばかりに外遊先から帰国しない。そして今年もまた、総裁選に向けた選挙活動に励む一方で被災地を無視しつづけ、非常災害対策本部の立ち上げは遅れに遅れた──。総理大臣がこの有り様なのだから、安倍政権の面々が災害にも目もくれずどんちゃん騒ぎを繰り広げ、側近がデマを流すのも、当たり前なのかもしれない。
(編集部)」
http://lite-ra.com/2018/07/post-4115_3.html

Erik Satie: Ogive 1, piano by KAZAMA Nijiki

2018年07月10日 16時58分10秒 | 音楽
2018年7月10日-1

風間虹樹のビアノ演奏でお届けする、
Erik Satie: Ogive 1

https://kazamanijiki.tumblr.com/post/175738048170/erik-satie-ogive-1-piano-performance-by-kazama

売り抜け勝負の経済

2018年07月08日 23時22分18秒 | 政治経済社会学
学問修行2018年7月8日-1
売り抜け勝負の経済


 いずれ償還できなくなるか、あるいはその前に、国債が売れなくなる、または日銀が買取りしたくてもそれを周りの状況が許さないといった事態になる場合。
 →これが将来的に必然的ならば、それまでの間に売り抜け勝負またはゲーム[ジョーカー掴みゲーム。「ババ抜き」と言えばわかりやすいかも、しかし「差別語のようだ。]である。
 もともと貨幣を発行するということは、誰かに負債を負わせることである。つまりたとえば、お金を得ることと交換に労働力提供を契約することになる。
 株式市場や為替市場や先物市場での儲けは、たとえば数時間の値動きに神経を尖らせるといった労働はあるが、なにかの生産物とか労働奉仕をするわけではない。どう儲けるか(あるいは損失を最小にするかとか)の、賭け事である。
 資本のある企業であれば、優秀な数学者たちを雇って、証券取引の計算機に近い場所に計算機を設置して高速でやり取りして、1年間に数百億円といった儲けをほぼ常に得ている。それは、数学者たちが作った常勝的なアルゴリズム(そしてそれを実装したプログラム)のおかげらしい。ここでも、資本力の大きさがものを言う。この世は金次第となる。
 

 朝日新聞デジタル>記事
 日銀、国債買い入れ減速 「不成立」続く市場に配慮か
 2018年7月7日05時00分
  「 日銀は2013年の異次元緩和開始時は、銀行などから大量の国債を買い、市場にお金を流す「量」を増やすことを重視。国債の買い増しペースは「年80兆円をめど」とした。しかし物価2%目標を達成できず、16年9月に長期金利操作に政策の軸足を移した。「80兆円」の買い増しペースは落ち、最近は40兆円台。「めど」は空文化している。

 それでも「めど」を残し、国債買い入れを細かく調整する手法は透明性を欠くとの批判が出ている。元日銀審議委員の木内登英氏は、「国債の買い入れの減少は、金融緩和の事実上の正常化といえる。ただ、日銀は購入額を決定会合が決める事項から外し、現場がオペで減らしていくという仕組みをつくった。会合の権限を事実上奪うことになる」と指摘する。

 (湯地正裕)

日本はまず、対米独立を果たすべし

2018年07月02日 00時07分46秒 | 政治経済社会学
学問修行2018年7月2日-1
日本はまず、対米独立を果たすべし

 「トランプは合理的、バカと切り捨てられない」『国体論』著者・白井聡インタビュー
 2018年6月26日(火)16時40分
 深田政彦(本誌記者)
  「――米軍基地問題に関して、トランプの撤退論に期待する声もあった。

対米従属を自己目的化した支配体制を取り除かない限り、日本にはそれをチャンスにできる主体性がない。政官財学メディア全てに言えるが、その主流派は従来の対米従属システムを維持することで自分の権益を守るのが行動原理になっている。「原子力ムラ」という言葉があるが、「安保ムラ」はもっと巨大で、政官財学メディアの主要部分全体が安保ムラだと言えるくらいだ。

「アメリカの一の子分」として戦後復興に邁進した時代には、その問題性が表面化しにくかったし、単なる子分でよいというメンタリティーもなかったはずだ。むしろ復興を支えた日本のエートス(社会規範)は、アメリカに従属しながらも「(経済戦争で)今度こそアメリカに勝つ」という、戦前の教育を受けたリーダー層の複雑な感情にあったと思う。アメリカに反発しながらも、自国の繁栄がアメリカのパワーによって保障されているという矛盾や葛藤がそこにはあった。

ところが世代交代でそうしたエートスが失われ、親米スタンスは、日本の支配層の階段を上る単なるパスポートのようなものになった。そして、復興の成功体験があまりに強烈で、何のための従属が分からなくなってしまった。

だから、無条件に従属のための従属をしている。そこには以前のような葛藤がない。葛藤のない人間は成熟せず、幼児化する。」
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/06/post-10473_2.php[受信:2018年7月2日。]

 
 
 「ショーンKに騙された、恥ずかしい日本人」『国体論』著者・白井聡インタビュー
 2018年6月27日(水)15時40分
 深田政彦(本誌記者)
  「あらためて2010年に沖縄米軍基地問題のために退陣した鳩山政権の挫折の異様さを肝に銘じるべきだ。普天間基地の沖縄県外移転という方針に、アメリカが直接怒ったのではなく、「アメリカの言いそうなこと」を日本のメディアや官僚、民主党政権の閣僚までが先回りして騒いで倒閣した。アメリカに対していささかなりとも主体性を見せることが、「反国体」的なのだ。」
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/06/post-10481.php[受信:2018年7月2日。]

途方に暮れても仕方がない。みんなでなんとかしなきゃ、国民の貧亡や困窮が広がるばかり。

2018年06月29日 22時51分21秒 | モリカケ問題
2018年6月29日-1
途方に暮れても仕方がない。みんなでなんとかしなきゃ、国民の貧亡や困窮が広がるばかり。


  「2000年からスタートした国会での党首討論制度は、総理大臣が官僚のつくったペーパーを読んで回答するのではなく、一対一で野党側の代表と直接議論するためのもの。たしかに、モデルになった2大政党制の英国議会と異なり、日本では野党が乱立しているので、配分時間の都合上、腰を据えたガチンコ議論がされにくいのは事実だ。その意味で、現状の制度は十分ではない。
 だが、前回も今回も、安倍首相はその野党がまとまりにくい制度状況を利用して、聞かれた質問に答えず、関係のない話や従来の答弁の繰り返し、あるいは議事録を読み上げたりすることで時間を潰した。議論にならないのはもっぱら安倍首相のせいであり、すなわち「党首討論制度の歴史的な使命」を終わらせたのは安倍首相に他ならないのである。
 自分で崩壊させた党首討論を野党批判に使うというのは、姑息としか言いようがない。しかし、安倍首相の狙いはそこにこそある。つまり、有権者が国会に失望すればするほど、権力者は自分たちの好き放題できるのである。思想家の内田樹は「『立法府は機能していない』という印象操作に安倍内閣ほど熱心に取り組み、かつ成功した政権は過去にない」と指摘しているが、言い得て妙だろう。
 いずれにしても、「国会論戦は不毛だ、野党の追及は空回りしている」との印象をつくることこそ安倍首相の狙いだ。「呆れてものも言えない」状態になってしまうと思う壺なのである。忘れてはならないのは、森友・加計問題のみならず、安倍政権では政府による違法行為や不法行為が次々に露呈しているという事実。必要なのは、小泉進次郎のトンチンカンな「国会改革案」などではない。私たちが声を大にすべきは、それこそ「安倍さん、ルールは守んなきゃ」。耳を貸さない首相には、辞めていただくしかない。
(編集部)」
http://lite-ra.com/2018/06/post-4095_3.html[受信:2018年6月29日。]

古賀茂明「加計学園問題はまだ、安倍首相の致命傷になる可能性がある」

2018年06月29日 07時46分32秒 | モリカケ問題
2018年6月29日-1
古賀茂明「加計学園問題はまだ、安倍首相の致命傷になる可能性がある」

  「室井 そんな危ない人なのに、どうして周りの人がそれに乗っているのか不思議。潰されるなら、その前に潰しておけばよかったのに。

古賀 まさか安倍さんにそんなに実力があると思わなかったんでしょう。最初は「バカなぼんぼんが」とみんな甘く見ていたから。それとお金はあるんでしょうね。自民党は今、数が多いでしょう。だから、政党助成金だけでもめちゃめちゃ増えた。使えるお金が多いんです。

室井 スポンサーもいっぱいいるっていいますよね、アパホテルとか。あと加計さんも。加計さんが酒席で「1年に1億かかるんだよ、安倍と付き合うと」と言っていたとか、安倍さんのほうも「加計さんは俺のビッグスポンサーなんだよ。学校経営者では一番の資産家」だと話してた、って「週刊文春」(2017年4月27日号)とかに書いてありました。

古賀 そこに大きな鍵がある。安倍さんがなぜあれだけ加計さんをかばうのか。2017年1月20日まで獣医学部新設構想を知らなかったという説明に途中から切り替えましたよね。「すみません。私いろいろ混乱して間違えたんです」とわざわざ前置きして、それまでの答弁を修正してまで「1月20日に初めて知った」と言い換えた。それはなぜかというと、収賄の問題が出て来るからなんです。安倍さんは総理大臣であり、すべてに職権、権力があるんですが、だからと言って、何でもかんでも安倍さんが具体的に決めている訳じゃない。収賄罪は、「職務に関し、賄賂を収受」したらアウトです。加計さんから年1億円ももらっていたとしたら、それが、“職務に関して”なら収賄罪になる可能性が出て来る。裁判では、「職務に関し」というのがいつも議論になりますが、国家戦略特区は、議長が総理だから、まさに安倍さんに“具体的な権限”があるということになり、これはどうやっても言い逃れできない。もちろん、加計さんが特区に申請しているのを知らなければ、賄賂だという認識がなかったことになりますが、知っていて、その間ゴルフに行ったり会食したり、いろいろな形で年1億円とか贈与されていたとなれば、普通に考えたらアウトでしょう。収賄はそれによって不正行為があったかどうかは関係ない。職務に関連してお金をもらってしまったらアウトなんです。お金を貰った結果、もし何もしなかったとしてもダメ。これは安倍さんにとって、致命傷になり得るし、かなり危ない。」
http://lite-ra.com/2018/06/post-4093_3.html[受信:2018年6月29日。]