生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

売り抜け勝負の経済

2018年07月08日 23時22分18秒 | 政治経済社会学
学問修行2018年7月8日-1
売り抜け勝負の経済


 いずれ償還できなくなるか、あるいはその前に、国債が売れなくなる、または日銀が買取りしたくてもそれを周りの状況が許さないといった事態になる場合。
 →これが将来的に必然的ならば、それまでの間に売り抜け勝負またはゲーム[ジョーカー掴みゲーム。「ババ抜き」と言えばわかりやすいかも、しかし「差別語のようだ。]である。
 もともと貨幣を発行するということは、誰かに負債を負わせることである。つまりたとえば、お金を得ることと交換に労働力提供を契約することになる。
 株式市場や為替市場や先物市場での儲けは、たとえば数時間の値動きに神経を尖らせるといった労働はあるが、なにかの生産物とか労働奉仕をするわけではない。どう儲けるか(あるいは損失を最小にするかとか)の、賭け事である。
 資本のある企業であれば、優秀な数学者たちを雇って、証券取引の計算機に近い場所に計算機を設置して高速でやり取りして、1年間に数百億円といった儲けをほぼ常に得ている。それは、数学者たちが作った常勝的なアルゴリズム(そしてそれを実装したプログラム)のおかげらしい。ここでも、資本力の大きさがものを言う。この世は金次第となる。
 

 朝日新聞デジタル>記事
 日銀、国債買い入れ減速 「不成立」続く市場に配慮か
 2018年7月7日05時00分
  「 日銀は2013年の異次元緩和開始時は、銀行などから大量の国債を買い、市場にお金を流す「量」を増やすことを重視。国債の買い増しペースは「年80兆円をめど」とした。しかし物価2%目標を達成できず、16年9月に長期金利操作に政策の軸足を移した。「80兆円」の買い増しペースは落ち、最近は40兆円台。「めど」は空文化している。

 それでも「めど」を残し、国債買い入れを細かく調整する手法は透明性を欠くとの批判が出ている。元日銀審議委員の木内登英氏は、「国債の買い入れの減少は、金融緩和の事実上の正常化といえる。ただ、日銀は購入額を決定会合が決める事項から外し、現場がオペで減らしていくという仕組みをつくった。会合の権限を事実上奪うことになる」と指摘する。

 (湯地正裕)