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国家公務員(国会議員を含む)は、国民全体のために仕事をする人かどうかの資格審査をすべき

2018年07月15日 01時30分54秒 | モリカケ問題
学問修行2018年7月15日(日)-2
国家公務員(国会議員を含む)は、国民全体のために仕事をする人かどうかの資格審査をすべき

 なるほど。
 国会議員は、選挙する前に、国民全体のために仕事をする人かどうかの資格審査をすべきなのだ。
 そうではないので、安倍内閣は「一体感を生み出す経営は絶対にできない」ということだ。
 「選挙で勝った人は、当然、支持母体を中心にして」国家行政をするから、税金の私物化をするわけだ。


 異見交論42「もはや"国立"大学ではないと認識を」上山隆大議員(内閣府総合科学技術・イノベーション会議)[(2018年3月16日)]

  「 学長選挙についても、苦言を呈したい。国立大学法人法で、大学の学長の役割は、大学を総理するとなっている。「何でもできる」存在なのに、できない。その理由が選挙だ。
 選挙をやめろとは言わない。選挙は物事を決定するやり方としてはいいが、「組織を一体化」するにはデメリットが大きすぎる。選挙で勝った人は、当然、支持母体を中心にして学内行政をするから、競争的資金で取ってきたお金をどのように学内で循環させるかといった重要な議論は生まれない。資金の偏在を緩和して、組織としての一体感を生み出す経営は絶対にできない。
 外国のどの大学で聞いても、「学長を選挙で選ぶなんて最悪だ」と言われる。そんなことをすれば学内が政治化する。政治を持ち込んだ瞬間、大学としての一体感が常に阻害される。選挙をするのならば、大学外の目も入れて時間をかけて候補者を探せばいい。」
http://kyoiku.yomiuri.co.jp/torikumi/jitsuryoku/iken/contents/42.php
[受信:2018年7月15日(日)。]