松田洋子のアトリエ絵リアル

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猛暑の中、「生誕100年 船田玉樹展」を見て、元気になりました!

2012-07-31 13:39:35 | 美術

おとといの日曜日の朝、前日の体中の痛みはすっかりなくなっていたのですが、運動は少しひかえようと思ったものの、じっとしていられず「はあ~」とため息をつき、NHKEテレにチャンネルを合わせると、「日曜美術館」は終わってしまったものの、アートシーンが始まりました。

いくつかの展覧会を紹介するコーナーで、鮮やかな赤い花満開の絵が画面に映され、「船田玉樹(ふなだ ぎょくじゅ)」という日本画家の生誕100年美術展が紹介されました。

「生誕100年 船田玉樹展」 

わたしは、「あっ」とつい声に出し、その画家の作品に出会いたい思いが急にあふれ出しました。混沌とした自分の心の中の霧を何とか晴らすことができるかもしれない。この画家の作品と向き合えば、何かが拓けそうな気がしたのです。

会場は、まだ訪れたことがない練馬区立美術館。

入場料は500円。

早速ネットで検索。西武池袋線の中村橋駅から徒歩3分。自宅から約70分ほど。

昨日は最悪だった体調も、欲張ってあちこち歩き回らなければ崩れることはないだろうという自信もあり、500mlの水分補給ボトルをバッグに入れて出かけることにしました。

日差しはぎらぎら。帽子とサングラスを身につけ、駅までの数分でもう汗だく。

小田急線の列車に乗り込みました。

胸がときめいている。まるで初デートに行くときのようでした。

中村橋駅北口を出て左に。線路沿いをまっすぐ歩くと遠くの緑(木々)の右側に練馬区立美術館があります。

この通りには「船田玉樹展」の広告が飾られていました。

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~異端にして正統、孤高の画人生~ 船田玉樹

● 広島出身の日本画家(1912-1991)

 

広島県呉市に生まれた玉樹は、最初は油画を学ぶために上京しますが、琳派の華麗な作品を見て感銘、すぐに日本画に転向します。

最初の師は速見御舟でした。そこで、まずは謹厳な線描と端麗な色彩を駆使した日本画表現を学びましたが、その後昭和13年からは岩橋英遠や丸木位里らと「歴程美術協会」を結成して、シュルレアリズムや抽象主義などを積極的に取り入れ、日本画を基礎にした前衛表現を戦中まで追及しました。

しかし、戦後は郷広島にひきこもり制作を続け、岩絵の具や墨だけでなく油彩やガラス絵などさまざまな画材とひたすら向き合った作品を残しました。

その作品は、御舟や古径の芸術の精髄を正統に受け継ぎ、精緻にして絢爛、、端麗にして華美、そして豪胆そのものであり、驚くことに晩年に至ってますます豊かに華やかであったことです。こんな画家は過去に若冲や鉄斎くらいではないでしょうか。

この展覧会では、晩年まで制作された多彩な作品200点を、師の御舟や古径、位里や愛光ら畏友の画家たちの作品と併せ一挙公開し、絵を描くことが人生そのものだったこの特異な画家の全容にせまります。    (展覧会案内ちらしほかによる)

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 この日、わたしは約90分の素晴らしい時間を練馬区立美術館で過ごしました。

 そして、胸を打たれる作品群に、言葉もありませんでした。

 ただひたすら、作品と向き合い、玉樹と心の会話をし続けました。

 玉樹は、画家が画家たる根本的な意味をも伝えているようでした。

 わたしにはとりわけ、松をモチーフにした大作が、今でも心から離れません。

 美術界・画壇という言葉が幻想のように思えるほど、画家であり人間である玉樹に惹かれました。初デートは大成功でした。次の逢瀬の約束もなかったけれど、この恋が持続し、わたしの内面にせまり、新しいものを産みだそうとしていく力になるに違いありません。

 画風を確立するなどというけれど、無理に画風を作る必要もなく、描きたいように描きつづけたこの画家の生き方が今、わたしにはきらきらと輝いて見えます。

 玉樹は、詩も書きました。多くの作品は、画とちがって人間玉樹を想像させられる、日記風または童話ふうの詩のように感じました。

 



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