中野系

この銀河系の中心、中野で考えること

なぜ起業したのか

2005年07月27日 | 仕事
以前少し述べたように、この4月から独立して、つつましい会社を経営することになった。いまのところソフトウェア開発が主業務なので、最近の言い方に習えばIT起業、ということになる。実際は社員5名ほどの零細企業でしかないのだけれど、ものは言いようだ。

友人、知人やかつての取引先に起業した旨を知らせれば、誰もがよくぞ決意しましたね、と励ましの言葉をかけてくれる。こういう時は「自分の理想を実現する会社を前からつくりたかった」と答えることにしているけれど、正直これは嘘。流れの中「仕方なく」会社をつくる運びとなってしまった、というのが本当のところ。

起業準備で方々役所を駆け回ったり、仲間と会社の名前を決めるミーティングを行う時。普通であればもっとも希望に満ち、楽しくてしかたのない時期、自分の頭には今後の不安等ネガティブなことばかりで、正直とても「楽しめる」心境ではなかった。こんなこと、社員の前では口が裂けても言えないことだけれど。

そもそもの起業原因は前に勤めていた会社にある。20名ほどのベンチャー企業。11年勤めた会社を辞め、強い決意と目標を持っての転職のはずだった。それなりのポジションと給与を与えられ、入社当初は努力もしたし、最初の一年だけは充実した時を過ごすことができた。当時はここを「自分の理想を実現する場所」と信じて疑わなかった。

だが、小さい会社というのは、自分が予想していた以上に脆く、崩れやすいものだった。創業メンバー同士の反目、グループ抗争。ネットバブルに乗り遅れた社長は未だ株式公開のことしか頭になく、こういう状況にも無関心でなにも行動を取らない。社員は次々と入れ替わり、さすがに自分も次の進路を考えなければいけなくなった。また、入社後は採用も担当していた関係で、自分より後に入った社員の多くは自分が誘い込んだようなもの。この点についての責任感も感じていた。

以上のような状況から、流れとして退職予定メンバーをまとめ、今の会社を立ち上げる、という運びとなった。「仕方なく」と思っていたのもこのような理由から。

「少しはましな会社にしよう」。実に夢のない第一声で我々の会社は始まった。
ただ、今ではこれまでの選択について、何の後悔もしていない。むしろ、結果としてはこれでよかったと思っている。会社も徐々に軌道に乗り始めたし、人も増える予定だ。
最初は複雑な心境から言えなかったけれど、今ではこの会社を「自分の理想を実現する場所」にしたい、と思えるようになってきた。

ネットバブル以降、独立起業も珍しくはなくなってきたけれど、すべてがぎらぎらとした前向きな理由によるもの、だけではない。中にはこのような理由でスタートする会社もあるのだ。