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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

心を燃やす聖書の預言 第19回 ソン・ケムン  

2017年04月25日 | 日記

イエス様は預言された戸籍を持ち、33年を過ごし、AD 31年1月14日午後3時に十字架上で亡くなられます。その中で 骨を折られなかった人は誰でしょうか?

まさに旧約に預言されたメシヤに間違いありません。ラザロの蘇りを見ても信じなかった弟子たちが、救い主に関する預言の聖書研究を終えた後、世界を揺り動かす確信で満たされました。

「主よ! これほど 明確な真理のゆえに、私たちは主のために生き、主のために死にます!」

 こうして彼らが携えた福音は全世界に伝えられ、その福音が今日を生きる私たちにまで及んだのです。 神様は約束を果たされました! 

 皆さん、イエス様がこの地に来られたことが 、皆さんにどのような意味を持つでしょうか? 神様の御子が十字架にかかり、その体は鞭で裂けました。祝福を与えるために広げられた手に釘が打たれ、一人でも多く救いたいと歩き続けられた足も釘づけにされ、その高貴な頭にはいばらの冠が刺されました。

怒り狂う波を静め、海を歩き、悪霊を追い出し 病をいやし、盲人の目を開いて、死者を生き返らせたその方が、ご自身を燔祭として十字架の上に捧げられました。

 なぜでしょうか?

いったいなぜそれほどの犠牲を払われたのでしょうか?  

神様が人になって死なれるなんて! なぜでしょうか?

たった一つの答えは、愛です。


 心を燃やす聖書の預言 第18回 ソン・ケムン  

2017年04月23日 | 日記

出エジプト記12:6を読みます 。この月(1月)の14日夕暮に羊を殺せとあります。つまりイエス様を象徴する小羊を、1月14日の夕暮れに殺すのです

 聖書には「夕暮」とありますが、旧約聖書の原語のヘブライ語は、「ベン・ハッアルバィム」で、「二つの夕の中間」という意味です。アルバィムは「エレブ」の複数形で「二つの夕」、つまり二つの夕の中間です。ユダヤ人には二つの夕方がありました。昼12時が一番目の夕で、午後6時から次の夕が始まります。それで12時から6時までの二つの夕方の中間に小羊を殺すことになります。12時から6時の中間は午後の何時ですか? そうです。午後3時になります。 

 マタイ福音書27:46を読みます。

そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、エリ、エリ、レマ、サバクタニと言われた。それはわが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですかという意味である

イエス様が亡くなられる最後に叫ばれた言葉ですね。ここに3時ごろとあります。過越しの羊を殺す夕暮とは何時のことでしたか? 午後3時です。


□ダニエル書9章で預言された西暦31年、 出エジプト記12章6節に述べられた1月14日午後3時、ちょうどその時間に亡くなられました。預言が正確に成就したのです!

 ところで疑問がもう一つあります。同時刻に3つの十字架が立てられましたが、その十字架の中で、誰がキリストなのでしょうか? AD31年 1月14日午後3時に、十字架で3人が亡くなりましたが、いったい誰が神の御子だったのでしょうか?

 過越の羊を殺す時、してはいけないことがありました。

民数記9:12

その骨は一本でも折ってはならないとあります。

 イエス様は金曜日に亡くなりましたが、翌日は過越で、また安息日でした。過越しの安息日を、大安息日と言います。それで祭司たちは「聖なる日に入る前に死体を片付けてほしい」と申し出ます。

それで囚人の足を折り、呼吸できずに早く死ぬようにしました。ところがイエス様はすでに亡くなっておられました。イエスは十字架の苦痛ではなく、心臓が破裂して 息が絶えられたのです。兵士が、こんなに早くは死なないと、確認のためわき腹を槍で突きました。すると水と血が流れ出ました。すでに心臓が破裂して、血液が血清と血漿に分離していたからです。そのため足を折りませんでした。イエス様を象徴する過越の羊は、何をしてはいけませんでしたか? 骨を折ってはいけないとありました。預言は正確に成就されたのです 


心を燃やす聖書の預言 第17回 ソン・ケムン

2017年04月22日 | 日記

今短い時間で旧約全体のイエス様預言を見てきました。「この聖書は私について証ししている」とのイエス様の言葉通りでしょうか?

しかも約束のメシヤが、何年 何月 何日に、それも何時に亡くなると預言されていたとするならどうでしょうか? 

 マタイ26章2節を読みます。イエス様が亡くなられたのは、過越祭の時で、ユダヤ暦の1月14日でした。イエス様は過越の1月14日に、ご自分が亡くなられることをご存知でした。どのようにして知っておられたのでしょう? 

 BC600年頃に記録されたダニエル書9章の70週の預言から、メシヤの亡くなる時期が計算できます。全て説明するには時間が足りません。

イエス様がバプテスマを受けてから、3年半後に亡くなることがわかります。これは万有引力を発見したニュートンが計算したもので、これによると、イエス様はAD27年にバプテスマを受けて、3年半後のAD31年に亡くなるのです。イエス様はその年を知っておられました。

それでマタイ福音書24章で最後の説教をされました。そして、ダニエル書を熱心に研究するように訴え、昇天されました。

 ですから私たちも熱心に研究する必要があります。 別の機会にその研究をしましょう。 


心を燃やす聖書の預言 第16回 ソン・ケムン

2017年04月21日 | 日記

詩篇22篇16節を読みます。

まことに、犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた
これが詩篇に記録されたイエス様の死刑の方法です。国によって死刑の方法が違います。ユダヤ人たちはどのように死刑にしたでしょうか?ステパノはどうやって殺されましたか? 石で打たれて殺されました。当然ユダヤ人であるイエス様も、石で殺されるはずでした。ところが詩篇には、手足を刺し貫かれて亡くなると預言されていました。手足が刺されるとは、まさに十字架刑のことです。 

十字架刑はフェニキアから導入された最悪の死刑法でした。あのイゼベルがフェニキア人で、太陽神バアルを崇拝しました。十字架に両足を釘で打ち付けられた時の最大の苦痛は呼吸困難です。十字架に釘づけにされた体を持ち上げなければ、息ができません 。体が下がると酸素不足で関節が痛みはじめ、骨は外れてしまいます。それで再び体を持ち上げると足が破れそうになります。息をして再び力を抜けばすぐに胸が圧迫されて全身がしびれます。

 それでお酒を飲ませます。イエス様はあまりの苦痛のため、酒を飲んでも構わなかったのです。しかし お酒だと知って拒否されたと書かれています。今日、多くのクリスチャンが、お酒をためらわずに飲むことに驚きます。ある牧師たちも「酔っぱらわなければ大丈夫だ」と言います。皆さん イエス様の十字架を眺めるなら、決してお酒を飲むことの言い訳ができないことを、み言葉から悟ることができます。 

 聖書の中心は十字架ですね。ところで、十字架は新約だけでなく、すでに旧約にあったのです。聖書の中心に詩篇がありますが、私は詩篇が一番好きです。誰でも 聖書の真ん中を開くと、ちょうど詩篇になりますね。聖書の中心に位置する詩篇に、イエス様の十字架の預言があるのです。


心を燃やす聖書の預言 第15回 ソン・ケムン

2017年04月20日 | 日記

では マタイ福音書27:6~10には何とありますか?

大祭司たちが「これは血の代価だから 宮の金庫に入れるのはよくない」と言ってそのお金で陶器師の畑を買ったとあります。

祭司長たちは、その銀貨を拾いあげて言った、これは血の代価だから、宮の金庫に入れるのはよくない。そこで彼らは協議の上、外国人の墓地にするために、その金で陶器師の畑を買った。そのために、この畑は今日まで血の畑と呼ばれている。こうして預言者エレミヤによって言われた言葉が、成就したのである。すなわち、「彼らは、値をつけられたもの、すなわち、イスラエルの子らが値をつけたものの代価、銀貨三十を取って、主がお命じになったように、陶器師の畑の代価として、その金を与えた」  

 皆さん!預言はそのまま成就したのです。 

 

ユダはイエス様を裏切って殺そうとしたのではありません。イエス様が奇跡的に

危機から脱することで、王の位につく手助けをしようとしたのです。ところがイエス様は素直に死に引き渡されていったのです。ユダは後悔して、罪のない方を裏切ったと、受け取ったお金を返そうとしましたが、結局断られました。ユダはその金を宮の床に投げつけ、出て行って自殺します。祭司たちは血の代価なので宮に収めず、「陶器師の畑を買おう」と言います。実にその事が起こる500年前に、そのまま記録されていたのです。