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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

現代のイスラエル 4

2013年04月21日 | 日記

    庭のナデシコ 

あなたは本物のクリスチャンになれる 6

あなたが、善を行い、清くなろうと望むことは正しいことである。しかし、そこで満足してはならない。多くの人は、本物のクリスチャンになりたいと望んでいるが、自分の意志を完全にキリストに屈服させようとしないので、失われてしまうのである。あなたは今、本物のクリスチャンになるために、自分の意志をキリストに捧げなければならない。

 しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。(Ⅱペテロ3章14節)

神様は、私たちが手におえないことをするようには命じられない。神様のすべての命令や勧告には、それを支える約束、すなわち非常に積極的な約束がある。神様は、私たちが、しみもなくきずもない完全な者になることができるように、すべての必要を備えておられるのである。私たちが、邪悪で曲がった意志をさしはさまないで、神様の備えられた恵みを受け入れるなら、この事は必ず成し遂げられるのである。

 

     現代のイスラエル 4 過去の失敗は現在の問題と重なる

そして、ご自分のしもべ、ステパノを通して、教会の指導者たちに最後の訴えを神様がなさったわけです。これは神様からの最後の訴えでありました。ところが今日になって、多くのアドベンチストが、ステパノの言わんとしていたことを理解していないわけです。私もしばらくの間ステパノの説教の意図がよくわかりませんでした。しかし、彼のメッセージをよく読み、繰り返されている部分に注目していくうちに、彼の言わんとしていることがだんだんよくわかってきました。それがわかって来たとき、心が悲しみに満たされてきました。目には涙があふれてきました。このステパノのメッセージが私の心を強く打ったのです。

なぜなら、彼のメッセージは現代のイスラエルである私たちに、この教会のことに、よくあてはまるということがわかったからです。彼のメッセージは、残りの教会であるSDA教会のためのメッセージであります。すでに申し上げました通り、神様は、SDA教会をまず最初にお裁きになります。なぜなら、この教会が神様からの光をはじめに受けたからであります。これは公平なことであり、理にかなったことであります。これこそ、聖書を通しての原則なのですね。裁きに関する原則です。「裁きが神の家から始められる時がきた」(1ペテロ4:17)

 

 


現代のイスラエル 3

2013年04月20日 | 日記

 

                     庭にイワツツジ(ミツバツツジ)が咲いています

  『もう罪を犯してはいけない』 5 ほとんど救われている人は完全に失われている人

世の中には、この高価な真珠を探し求めているように見える人がいる。しかし彼らは、罪の習慣を完全に断ち切ってしまわない。彼らは、キリストが心に住まわれるように、自分に対して死なない。それだから彼らは、高価な真珠を得ることができない。彼らは、不純な心の野望と、この世に対する愛着を完全には捨て去っていない。彼らは、十字架を背負って、耐え忍んで自己犠牲の道を歩まれたキリストについて行こうとしない。彼らは、ほとんどクリスチャンであるが、完全にはクリスチャンではない。そのような人は、ほとんど天国に近いようであるが、天国に入ることはできない。救いをほとんど得たが、完全に得ることはできなかったという人は、実は完全に失われた人という意味なのだ。

 

   現代のイスラエル 3 教会としての恩恵期間の終了

お断りしておきますが、これは個人個人の恩恵期間の終了ではなくて、教会としての恩恵期間の終了についての預言です。つまりこの恩恵期間の終了後、ユダヤ教会は神様の特別な選びの民ではなくなったのです。どういうことでしょうか。神様は、彼らを救うためだけに彼らを選民として選ばれましたか? 選民とはどういう意味のものだったのでしょうか。それだけではなかったですね。神様は地球上のすべての人を救おうとしておられました。神様は最初、イスラエルの民を選んでおられましたね。神様が特別にイスラエルを選ばれた理由は、彼らに光を与え、受けた光を彼らが世界に輝かし、世界中の人々がその真理の光に浴するためでありました。しかし神様は、もうこれ以上、ご自分の光を掲げる者として、ご自分の代表者として、イスラエルを用いることができなくなりました。そこで神様は、選民としての恩恵期間を閉ざされようとしていたわけです。そして、福音の働きを代表する別の民を選び、起こそうとしておられたわけです。ステパノの殉教の日は、まさにそのことが起ころうとしていた年、月、日であったわけです。


現代のイスラエル 2

2013年04月19日 | 日記

  

                                     庭のツツジ

 『もう罪を犯してはいけない』 4 キリストにすべてを捧げる

キリスト・イエスにすべてを捧げること、この世のものすべてを捨てることが、とても大きな犠牲だと思うだろうか。多くの人は、すべてのものを捨てることなど不可能だという。筆者は、そのような言葉を聞いたり書いたりすることを恥ずかしく思う。

キリスト・イエスは、私たちのために何を捨てられたのだろうか。天の栄光と地位、神様と天使たちとの愛の交わり、美しい天国・・・、キリストは、私たちを救うためにそれらのすべてを捨てられたばかりでなく、ご自身の命までもお与えになられた。キリスト・イエスはご自分を極みまで低くされた。それを知るなら、私たちが自分を低くしなければ救われないなどと不平をいうことはなくなるであろう。

  

   現代のイスラエル 2 失敗したユダヤ人教会

このあたりを読むと神様のお心がわかるようになっています。ここはあがないの重要な部分なのです。見てみましょう。ダニエル書9章24章をお読みします。「あなたの民とあなたの聖なる町については70週が定められています。これはとがを終わらせ、罪に終わりをつげ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、まぼろしと預言者を封じ、いと聖なるものに油を注ぐためです」

「とがを終わらせ、罪に終わりを告げる」、と書いてありますね。罪が永遠にあがなわれる、不義があがなわれるのです。そのように書かれています。そして「永遠の義」がもたらされると・・・。ご自分の民の恩恵期間として70週という期間を告げられた、これが神様の目的であられたのです。そして、「いと聖なる者に油を注ぐ」とありますけれども、その油注がれた方、メシアを殺害してしまったわけですね。彼らは自分たちの利己心のままに預言の解釈をしていました。神様のみ心ではなくして、自分たちの欲望に従って、預言を実現させようとしていたわけですね。そのために、本来は彼らの罪の状態を清めてあげようとして救い主は来られたのですが、その方を救い主として認めることができなかったのです。

これは、本当は救いの日、あがないの日の経験となるべきでした。しかし、その経験にあずかることに失敗してしまいました。とても残念な、不幸なことでした。そして紀元34年、この、ユダヤ教会のために定められていた恩恵期間が永久に閉ざされようとしていたその年、その月、その日になりました。

 


現代のイスラエル 1

2013年04月18日 | 日記

 

 

     高価な真珠

マタイによる福音書13章には、イエス・キリストのたとえ話がある。

また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。高価な真珠1個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。(13章45,46節)

良い真珠の価格は、1億、2億円ではない。その価値は、その商人が持っていたすべてに匹敵するものだった。キリストが命じられたすべてのみ言葉に喜んで服従する生活に入るためには、自分自身のすべてをキリストに捧げなければならない。自分自身と、自分が持っているすべての能力はことごとく主のものなので、そのすべてをキリストに仕えるために用いなければならない。私たちが、自分自身を全面的にキリストに捧げる時に、キリストは、み国のすべてと同時に、ご自身を私たちに下さる。そして私たちは、高価な真珠を得るようになるのである。

 

 現代のイスラエル  デイビッド・カン

        ユダヤ人教会の恩恵期間の終了

今朝のお話はステパノという人物についてです。使徒行伝7章を見るとステパノの説教を読むことができます。多くの信者がこの説教の中にある大事な点を理解できないのですね。とても重要な点なのですけれど……この説教こそ、地上歴史最後の時代に住んでいる私たちにあてはまるメッセージなのです。

その頃、今にもユダヤ人教会は、教会としての恩恵期間が閉ざされようとしていました。私たちも実はそうなんですね。ですから私たちこそ、彼が何を言わんとしていたかを理解しなくてはいけないわけです。

ユダヤ人教会に対する恩恵期間が閉ざされた時、それは何時でしたか? 紀元34年のことでした。

ステパノは執事でありまして、自分の大事な教会に向かってこのメッセージを語っていたのですけれども、その教会が彼のメッセージを受け入れようが受け入れまいが、重要な、非常に重要であることを意識していたが故に、彼は大胆に語ったわけなのです。自分たちの民族としての恩恵期間が閉ざされるという、重要な局面にいたわけです。

ユダヤ人に対する恵みの期間は、神様によって与えられていました。それが490年という期間だったのですね。ダニエル9章の予言で、70週の期間として表わされています。神様はご自分の教会がどのようになることを望み、期待しておられたのでしょうか?

イエス様は教会のために何をしようとしておられたのでしょう。教会がどのようになることを望み、期待しておられたのでしょうか。まずダニエル書9章を開いて神様がどのような計画を持っておられたか見てみましょう。このことについては、ダニエル書9章24節に見ることができます。24節が70週の預言の始まりなのですが、ここで神様が初めて恩恵期間という長い、70週すなわち490年という期間をお示しになっているわけです。


二つの契約 37

2013年04月17日 | 日記

     

                  庭のシャクナゲが咲き出しました

「 もう、罪を犯してはいけない」 (昨日の第2章はページが飛んでいました。一昨日のメッセージから、今日のメッセージにつながります)

   主の道を備えよ

「主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ」。すべての谷は埋められ、すべての山と丘とは、平らにされ、曲がったところはまっすぐに、わるい道はならされ、人はみな神の救いを見るであろう。 (ルカによる福音書3章4~6節)

 あなたは本物のクリスチャンになりたいだろうか? 山のように高くなっている傲慢な心が低くされなければならない。谷のように深く食い込んでいる汚れた思いや利己心が消えなければならない。妥協して、適当に生きていく曲がった心が真っ直ぐにされなければならない。あなたの性質の中のとがった角が削られなければならない。私たちは、神様が来られる道を平らにしなければならないのである。

愛する兄弟姉妹方よ、神様が与えられた道を忘れてはならない。強く、また雄々しくあれ。犠牲がついてくることを恐れるな。私たちの希望は天のみ国にあるのだから。

     永遠の福音・・・罪を犯せない生活 38

ヨハネ第一の手紙3章8節9節を読みましょう。何と書かれてありますか。「私たちは罪を犯すことができない」とまで書かれています。罪を犯すことが不可能になるわけです。それが福音の力であります。神様の恵みによる福音の力であります。なぜなら、今は印する時でありますから、今こそこの経験に入る時であります。

     お祈りいたします。

天のお父様。私たちはその経験をいただきとうございます。新しい契約の経験をいただきたいと思います。父なる神様、私たちに新しい心を与えてください。あなたの聖霊を私たちにお造りください。真の永遠の福音を経験したいと思います。イエス様、私たちは罪を憎み、義を愛します。この新しい契約を、心に維持することができるように助けてください。あなたの素晴らしい救いを感謝いたします。イエス様の御名を通してお祈りいたします。 アァメン

これでデビット・カン先生の『二つの契約』のメッセージを終わります。