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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

現代のイスラエル 2

2013年04月19日 | 日記

  

                                     庭のツツジ

 『もう罪を犯してはいけない』 4 キリストにすべてを捧げる

キリスト・イエスにすべてを捧げること、この世のものすべてを捨てることが、とても大きな犠牲だと思うだろうか。多くの人は、すべてのものを捨てることなど不可能だという。筆者は、そのような言葉を聞いたり書いたりすることを恥ずかしく思う。

キリスト・イエスは、私たちのために何を捨てられたのだろうか。天の栄光と地位、神様と天使たちとの愛の交わり、美しい天国・・・、キリストは、私たちを救うためにそれらのすべてを捨てられたばかりでなく、ご自身の命までもお与えになられた。キリスト・イエスはご自分を極みまで低くされた。それを知るなら、私たちが自分を低くしなければ救われないなどと不平をいうことはなくなるであろう。

  

   現代のイスラエル 2 失敗したユダヤ人教会

このあたりを読むと神様のお心がわかるようになっています。ここはあがないの重要な部分なのです。見てみましょう。ダニエル書9章24章をお読みします。「あなたの民とあなたの聖なる町については70週が定められています。これはとがを終わらせ、罪に終わりをつげ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、まぼろしと預言者を封じ、いと聖なるものに油を注ぐためです」

「とがを終わらせ、罪に終わりを告げる」、と書いてありますね。罪が永遠にあがなわれる、不義があがなわれるのです。そのように書かれています。そして「永遠の義」がもたらされると・・・。ご自分の民の恩恵期間として70週という期間を告げられた、これが神様の目的であられたのです。そして、「いと聖なる者に油を注ぐ」とありますけれども、その油注がれた方、メシアを殺害してしまったわけですね。彼らは自分たちの利己心のままに預言の解釈をしていました。神様のみ心ではなくして、自分たちの欲望に従って、預言を実現させようとしていたわけですね。そのために、本来は彼らの罪の状態を清めてあげようとして救い主は来られたのですが、その方を救い主として認めることができなかったのです。

これは、本当は救いの日、あがないの日の経験となるべきでした。しかし、その経験にあずかることに失敗してしまいました。とても残念な、不幸なことでした。そして紀元34年、この、ユダヤ教会のために定められていた恩恵期間が永久に閉ざされようとしていたその年、その月、その日になりました。

 


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