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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

二つの契約 8

2013年04月25日 | 日記

 

   『もう、罪を犯してはいけない』 10

      Chapter3 あなたにとって十字架とは?

そこで主は、火のへびを民のうちに送られた。へびは民を噛んだので、イスラエルの民のうち、多くのものが死んだ。民はモーセのもとに行って言った、「わたしたちは主にむかい、またあなたにむかし、つぶやいて罪を犯しました。どうぞへびをわたしたちから取り去られるように主に祈ってください」。モーセは民のために祈った。そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた(民数記21章:6-9節) 

     偶像になった青銅の蛇、偶像になった十字架

イスラエルの民は、荒野で火の蛇に噛まれて死ぬことになった。死んでいく人々が、神様の命令に従って、モーセが掲げた青銅の蛇を見上げたら助かった。ところがその後、イスラエルの民は、その青銅の蛇を偶像あつかいした。長い間彼らは、その青銅の蛇に向かって香をたいていた。

ヒゼキヤはすべて先祖ダビデがおこなったように主の目にかなう事を行い、高き所を除き、石柱をこわし、アシラ像を切り倒し、モーセの造った青銅のへびを打ち砕いた。イスラエルの人々はこの時までそのへびに向かって香をたいていたからである。人々はこれをネホシタと呼んだ。(列王記下18章3,4節)

今日も、全く同じ精神が、十字架を仰ぎ見るというクリスチャンの中にある。彼らは、教会に、家に、ネックレスにさえ十字架をつけている。 

愛する兄弟姉妹の皆さん、あなたにとって十字架は何を意味するのだろうか? 十字架は、あなたがこれまでに犯した罪を赦すことだけで終わるのだろうか? そうであるなら、あなたにとって十字架は偶像なのである。十字架が、罪を赦すことの象徴であるだけなら、あなたにとって十字架は、イスラエルの民が偶像のように仕えた青銅の蛇のような存在でしかない。あなたにとって十字架は、過去に起きた一つの偉大な出来事、それ以上の意味はないのである。

       現代のイスラエル 8 ステパノの説教と現代の教会

当時パレスチナ地方は地理的に重要な位置にありまして、多くの主だった国々がそこを通って、色々な、貿易とかに行ったんです。中心的な地理関係にありました。そこで神様は、神の民をその中心的な場所に置いて、世界中にその光を広げる、伝える役目を果たすように意図されたのです。そこで、あのような場所にイスラエルを置かれた神様の目的は何であったかと言いますと、教会を興して、メシヤがそこに現れることを告げ知らせる、ということだったのです。ところが、「約束の子孫」、そういうことを言っただけで、当時のユダヤ教会の指導者たちは、非常に憤慨してしまいました。なぜでしょうか。なぜなら、彼らの目的は自分たちの地上の王国を建てることだったからです。そして、イスラエル国家が繁栄して、全世界に誇れる国を造ることだったのです。大きな地上の教会を設立すること、それが彼らの目的だったのです。この聖句の中に、今日の私たちの状況を見出すことができますでしょうか。今日の真の霊的状態をステパノは人々に指摘したのではないでしょうか。その通りなのです。まったくその通りです。近い将来、私たちは恩恵期間の終了に直面します。その時にあります。