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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

現代のイスラエル 12

2013年04月29日 | 日記

  

 もう罪を犯してはいけない 14 キリストのように生きる

彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。(マタイによる福音書1章21節)

 

イエス様は、この地上におられる間、私たちと全く同じ立場で試練と誘惑を受けられた。しかしイエス様は、聖霊の力と、毎日祈られることで罪に勝利することができるという完全な手本を見せて下さった。

信仰の兄弟姉妹の皆さん。キリストにある品性の標準を人に求めないで、聖書と、聖書が証するキリストの生き方に求め、キリストのように生きることを求めなければならない。

「彼におる」という者は、彼が歩まれたように、その人自身も歩くべきである。(ヨハネ第一の手紙2章6節)

私たちは自分の薄弱な意志で罪に勝利することは絶対にできない。それは100%不可能だ。私たちはすでに、数えきれないほど罪を犯してきた。だから私たちは毎朝、静かな時間に私たちの心の中に聖霊の神様を受け、神様の臨在を毎日体験しなければならない。このような体験なしに生きるクリスチャンはにせ物だ。

 

   現代のイスラエル 12 ユダヤ教会の真の目的と私たち                   

神様は、聖所の儀式の様々な働きを通して、務めを通して、ご自分の品性をお示しになろうとされました。 神様は、人間をどのようにして罪の奴隷状態から救い出すかというご計画を、聖所の働きを通して示そうとなさったわけです。テモテ第1の手紙によると、教会は神の真理の基礎、真理の柱であると述べられております(3章15節)。しかし、教会自体が神となることはできないということ、従って教会は権威を直接振りかざすことはできないのです。そういった神の権威を振りかざそうとするならば、神の教会であっても反キリストに変わってしまいます。では、教会とは何でしょう。教会とは神の民のことです。教会とは神の光、真理がおさめられる所であります。教会というのは、真理、聖書の真理、神の真理を支持するための機関なのですね。

そしてステパノがここで指摘していたのは、イスラエルという神の教会であったはずの機関が、キリストの王座でなくて別の存在の王座にとって代ってしまったと、言っていたわけです。あなたがた神の教会が、神の教会でなくなり、かえって神の義を擁護する人たちを迫害する側に回ってしまったということをステパノは指摘していました。これは本当に力強い証であります。そのことを理解した時に、私の心は強く打たれました。涙があふれて来ました。なぜなら、ステパノは私たちの教会、私たちの霊的状態について述べている、指摘しているのだということが分かったからです。神の教会は、神の真理を擁護する立場にあります。福音、ご自分の義を全世界に述べ伝えるという目的を果たすために教会をお建てになったわけです。その結果、罪に終わりをきたらせることができるということでした。そして永遠の義が示されるようになる、これこそ、イエス様がこの世界にご自分の教会をお建てになった理由だったのです。このメッセージを、まず私たちは、世界に対して宣布しなければなりません。これこそが永遠の福音なのです。これこそが私たちの教会の目的なのであります。神様が、私たちをどのように罪からお救いになるのか、世の人々に説明するようになっていたのです。ところが、当時のユダヤ教会は、その働きに携わっていませんでした。かえってその働きを妨害し、壊していたのです。さらに、義人たちを罰するという、自分たちがあたかも神のようになって、権力をふるっていたわけです。そして、教会に対する神様の目的を曲解し、この地上の一時的な王国を打ち立てるのが、神様の目的であるかのように彼らはふるまっていたわけです。