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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

同性婚と新世界秩序への入口 第12回

2015年09月08日 | 日記

差別禁止法と宗教

差別禁止法というのは、最後の時代において、神様の真理を宣言出来ないように、すでに法的に制度化しておいたものです。宗教多元主義の、すなわちイスラム、仏教、各種土着信仰など、すべての宗教に救いがあるという主張に基づいて、他の宗教に反対する者は差別禁止法に抵触するのです。反キリストの正体を明らかにし、神様の戒めに従わなければならないと言えば、まさにこの差別禁止法を破るようになるということです。

 

人類が創造された時、エデンの園で制定された制度が2つあります。一つは、家庭制度と、もう一つは、神様を礼拝する安息日制度です。この安息日も《国家的な法令》によって無惨に踏みにじられる日がすぐにやってくるでしょう。それがどのように来るでしょうか?私たちは、今回の同性結婚合法化を見る時に悟ることが出来ます。かつて、同性愛は倫理的な問題でした。善悪の問題でした。罪か否かの問題でした。ところが、不思議な時代になりました。同性結婚が合法化されたのです。これから先は、倫理的な基準で同性愛を罪と言うことができない時代になったのです。同性愛を罪と言った瞬間、あなたは罪人になります。私たちが、同性愛を罪と言うことができる根拠は、聖書にあります。ところが、聖書の話をすると、罪人になるということなのです。

同性婚の容認は、男女間の結婚が間違っているから定められた法律ではありません。聖書が間違っているとして定められた法律でもありません。単に人権と平等のために、同性結婚もふさわしいという法なのです。宗教を強制したのでもありません。何かの守るべき道徳を強制したのでもありません。単に新しい秩序を再編しただけです。美しく暖かい社会秩序を維持するために、幸福と平和を尊重するかのような新秩序を打ち出しただけなのです。ところが、これが、聖書の教え通りに信じている人を、罪人として捕まえることのできる法となるのです。同性結婚の合法化と呼ばれる法令には、全く宗教的な意味が含まれていないのに、聖書に基づいて、その法に反対する人々を、犯罪者として取り締まれるのです。人類への贈り物として与えられた家庭制度と安息日制度の中で、家庭制度は、同性結婚合法化という法によって全く宗教を用いずに、聖書を無惨に踏みにじったのです。安息日制度はどのように踏みにじられるのでしょうか?宗教を用いずに、聖書の教える通りに信じる人々をどのように犯罪者に仕立て上げるのでしょうか?

教皇が《世界家庭の日》のイベントを推進していますね?バチカンで日曜日を法令化するためのキャッチフレーズは何でしょうか? 「日曜日は神を礼拝する日です」。そうでしょうか?そうではありません。「職場での苦労が多かったでしょう。健康のために一日は休みましょう。家庭を回復しましょう。子供たちは、お父さんと一日ぐらいゆっくり過ごすことを望んでいます。家族のために奉仕してください」。TV広告で、各種メディアで、学校で、このようなキャンペーンが行われていきます。

日本の学校では日曜日は家庭の日という教育をしていて、公共機関では、日曜日はお休みの日というキャンペーンを行っています。これはとてもいいことです。どこにも問題はなく、誰も反対する理由がありません。宗教ではなく、新しい秩序を作っています。しかし、新しい秩序を作って、そこに宗教的な意味を付与していきます。宗教を先に強制するのではなく、秩序を立てて、自然に宗教の意味も加えるということです。これまでは、日曜日を守るか否かは個人の選択の問題でした。ところが、日曜日が聖なる日として法制化されると、「それは聖書的ではない」と発言することが出来ない時代が来るということです。

同性結婚が合法化されるなど、皆さん、夢にも思わなかったことではないでしょうか?同様に日曜日を合法化して、その日を聖なる日としない人は、罪人になる時代が近づいています。私たちが日曜日は神の日ではないと言うことができる根拠は、聖書にあります。ところが、聖書の話をすると、罪人になるということなのです。