SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

神の火  第7回

2015年09月16日 | 日記

自己に死んでいない!

ある人は、私はとても繊細な心を持っている、という人がいるかもしれません。色んな人の言動によって、とても傷つきやすい性格だというわけです。なぜそういう人はそのように傷つきやすいのでしょうか。その人の心の状態というのは、常に自己が元気に生き続けているからなのです。そうです。その人の自己は死んでいなのです。もしかしたら、皆さんは、他の人から見たら、本当に素晴らしい、人格のできたクリスチャンに見えるかもしれません。しかし、誰かが、何か憤慨するようなことを言ったり、やったりしたとすると、善良に見える人でも、プライドを傷つけられて、顔色が変わって、すぐにそれに反応してしまう、怒りをあらわにしてしまう、そういう人のうちには、まだ自己が生きているわけです。心の王座を、まだイエス・キリストに明け渡していないんですね。自分が自分の神として君臨しているわけです。自分のプライドを傷つける者には、いっさい我慢がならないわけです。そして、自分の人生において、利己的な目的を抱いているのです。

もし皆さんが、心の中に、色んな不平不満を多く抱いているタイプの人だとするならば、皆さんの何かが間違っています。もし神様に対して、不平不満を漏らしたり、あるいは不平不満の精神をだれか個人や団体、教会にぶつけやすいタイプの人であるならば、これは特定の問題について言っているわけではありませんが、もし皆さんが、何らかの間違ったことをしている、言っている、個人、教会、団体に対して、何らかの悪意や、あるいは恨みを抱き続けているなら、皆さんの霊的生活、生き方がどこか間違っているわけです。何らかの憎しみ、恨みをまだ心に抱いたままにしている人、ここにいらっしゃいますか。不平不満を、今でも何かに対して抱いていらっしゃいますか。何かに、あるいは誰かに、そういった精神を抱いていますか。

あるいは神様に対して、「神様、どうして私なのですか。ほかの人たちはうまいことやっているのに、何で私だけこんな目にあっているのですか」という思いを持ってはいませんか?

今日、皆さんはどのような精神を抱いておられますか。このような病んだ精神を抱き続けることが、やがては死に至る罪へと発展してしまうのです。こういった恨み、憎しみを抱き続けること、そして、本当に自分は繊細で傷つきやすい、すぐに人の言葉で傷ついてしまう、それは、皆さんのうちに問題があるのです。そういった品性の傾向を持っているとするならば、決して生ける神の印を受けることはないでしょう。そして、ついには死に至るのです。非常に危険な状態なのです。聖霊に心のうちに入っていただいて、そのような傾向、罪を、焼き尽くしていただきましょう。