スタッフ募集の掲示版からはいろんな思惑がみてとれます

2015年06月05日 | 日記
大型ショッピングセンターのスタッフ募集のコーナーに立ち寄ると、50店舗ほどで求人が出ていました。

パート・アルバイトが主で、時給は800円~950円が多かったです。

コメント欄があったので、そこだけをざーっと見ていますと、職場環境の良さをピーアールするものが多いなと思いました。

楽しい職場です。楽しく働きたい方はぜひどうぞ。
明るく楽しい仲間がお待ちしております。
従業員同士わいわい楽しく仕事してます。
フレンドリーなパートナーと笑顔の職場で一緒に働いてみませんか。

労働条件が悪い分、せめて気持ちの良い仲間と楽しく働きたいという思いは誰しもあります。

楽しい職場と言われて本気にする人がいるのか?と思うかもしれませんが、この社交辞令的な文言を真に受ける人はけっこういるものです。みんないい人ばかりで、わいわい楽しいとこだよ、と言われたけど全然違う!って怒る人がいますから…

「楽しい」「明るい」「笑顔」などをピーアールしなければならない内情・実情はなかなか察してもらえないようです。

初期教育をしっかりいたします。
イチから丁寧に教えます。
知識がなくても大丈夫です。
未経験のかたでも、ステップアップしていけるお店です。

と書かれていたら、きっちり確認しましょう。

20(30)代~40代の女性が活躍してます…って、男性やその年代から外れてる人は応募できないじゃないか。こんなのってありか?女性向けの商品を扱っているわけでもないのに。

あと、「明るく元気な方」を求めるお店が多いが、明るく元気な方は騒がしくてがさつな奴が多いぞ。「暗くて元気のない方」に来てほしくないのはわかるが、「明るく元気な方」という書き方だと、落ち着きのある控えめな朗らかな人は応募しづらいぞ。

紋切型の文言じゃなく、もっと工夫を凝らさないとダメじゃないか!!

応募する人も文言を真に受けるんじゃなく、実際そのお店で買い物をしてみたり、イチャモンをつけてみるなど、事前調査をしないとダメだぞ!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「保証しませんよ!」というときこそチャレンジのときです!

2015年06月04日 | 日記
数年前の雑誌を読み返していたら、数学者:秋山仁さんのインタビュー記事がありました。

秋山さんって、中高生のころから数学の才能に秀でた神童だったのかと思っていましたが、そうではなかったのですね。ときどきひらめくように数学で一番を取ることもあったそうですが、決して優秀な成績ではなかったようです。

進学相談の際、数学者になりたいと言うと、先生は3分間絶句したあとこう言ったそうです。「5年10年して才能がないといってあきらめるのなら、今からやめたほうがいい。でも本気で生涯を数学に賭ける覚悟があるなら先生は反対しない」

秋山さんは数学者への道を進みますが、イバラの道だったと言います。今まで以上に失望・挫折・屈辱の連続。でも才能のない人間が、かけがえのない自分の道を得るには、努力しかない。屈辱をバネに努力を続けること、これこそ自分の才能だと自負している。

力強い言葉です。

成功した人の後日談、と言ってしまえばそれまでですが、「成功の保証などない」という点では、才能のある人もない人も同じです。成功したから言える、なのかもしれませんが、少なくとも保証のない時点であきらめなかったということです。

小さな小さなチャレンジさえもせず、あきらめることで傷つかないようにしている人。ちょっとしたことで(もちろん本人にとっては地球が引っくり返るような大問題ですよ)なにもかも見限ってしまう人。
そんな人が多いな…と思っていたので、それはもったいないことだということを言いたかったのです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

FAX送るくらいなら門前払い覚悟の飛び込み営業の方が得るものがあります

2015年06月03日 | 日記
電話やFAX、電子メールにダイレクトメール、訪問など個々の方に働きかける営業活動はいろいろとあります。

訪問や電話は時間が取られるのでいやだとか、郵送はゴミが増えるのでいやだとか人それぞれに好き嫌いがあると思います。

相手の都合などおかまいなしの営業はどれも辟易はするんですが、それでも訪問・電話はメールやFAXよりもマシだと思っています。

なぜかっていうと、人とのかかわりがあるからです。第一声、挨拶の内容、断った時の反応、服装、化粧、顔かたちといったものから得られるものがあるからです。数秒で終わる(断るだけですから)会話であっても、なかには「ふふん、今はそういうやり方もあるのか。面白いな」と思うこともあります。

郵送や電子メールはスルーして削除、ゴミ箱なのであまり気にしません。郵送の場合、受け取り拒否と赤字で書いてポストに入れたら返送されるらしいですが…

一番ウンザリするのはFAXです。

首都圏の税理士さんからよく営業FAXが来ますが、これほんとうに辟易します。

都会の方では当たり前で、こんなことで辟易したらやっていけないのかもしれませんが、どの人の営業FAXも似たり寄ったりで、営業セミナーかなんかのひな形があるのかもしれませんが、どれがどれだか区別がつきません。

千三つとかいう言葉があるそうです。チラシだかDMだかを千通だしたら反応は3件程度ということです。やらないよりはマシなのかもしれませんが、聞いただけでくたびれてきます。

今ある仕事がどのようなルートを辿って自分のところまでやってきたのかを考えると、メールや電話、FAXという営業方法が壮大な無駄のように思えてなりません。

相手にされないのはわかり切っているけど、飛び込み営業やります。と言う方がいました。それでいいと思います。効率は悪くとも、仕事に直接つながらなくとも、直接相手のテリトリーに踏み込むことで得られるものは大きいです。

ひとつの事業所を客の目で見るのと、仕事を得たい営業マン、出入りの業者、監査指導の役人、従業員の目で見るのとは、それぞれの見える風景は異なるはずです。

第一印象は1回こっきりです。飛び込み営業なればこそ経験できるのです。

私は1年以上やってない。門前払い覚悟で再度挑戦してみよう。

横浜の税理士の営業FAXを一瞬チラ見してゴミ袋に放った後決意しました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無期転換って未来永劫永遠に雇い続けるってことなのか?

2015年06月02日 | 日記
定年退職した従業員を1年ごとの契約更新という条件で再雇用したら、5年後に無期雇用になってしまうじゃないか!もうやめさせられないのか??!!大変なことになる!!未来永劫永遠に雇い続けなきゃならなくなる!!

こんな経営側の心配を酌んで、特例ができてしまった。

定年後継続雇用期間は通算契約期間に算入しないので、何年継続雇用しても無期転申込権は生じない。

だって。ふーん。

何年継続雇用してもって…5年以上雇う気があるのか?これからの人手不足に備えてもーしかしたら、つなぎで使うかもしれないからってことか?そんときに無期転換がどうのこうのと主張してきたら七面倒くさいから、法律でじいさんばあさんは頭打ちにしてくれってことか?

一応、厚労大臣の認定を受けなきゃならないことにはなっているが…

定年後再雇用された人に限らず、専門的知識を有する人(どんな人?)や研究者や教員なども特例の対象になっているが、拡大されていくんじゃないかという心配は当然ある。だって、いっつもそうだもの。

残業代ゼロの陰で目立たないけど。裁量労働制の対象者も広げようとしてるし。

無期転換の大騒ぎからわかることは、「契約」とか「契約の期間」というのは、ずいぶん恣意的で、契約者の一方(経営側)にとってのみ使い勝手がいいということだ。

契約者のもう一方の当事者である労働者にちょっと肩入れした規定ができただけで、既得権益が失われてしまったかのような騒ぎぶりはどうなのか。

しかも、その大騒ぎを受けて特例を作っちゃって…

忖度ってやつでしょうか。

ところで、1年契約の非正規社員にも、退職を申し出てから2週間で辞めていいよ~が適用されちゃうような就業規則を見受けますが、適性をきちんと見極めてから正規雇用にしたいと言いつつ、契約期間を全うせずやめちゃうのは別にいいのか…この人使えるわ!と判断したら未来永劫永遠に雇い続ける覚悟を持っているのか…

定年とか、契約期間とか、何を意味しているのかよくわからないというのが正直な感想です。なんやろな~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

危険を察することができない親や子どもが相手では、普通に遊んでいても加害者となってしまう

2015年06月01日 | 日記
天気の良い日が多く、休日は6歳の娘と海や山、公園によく出かける。

日曜日、午前午後それぞれ別の公園に出かけたのだが、とても気になることがあった。

ブランコはどの公園でも人気のある遊具で、たいていふさがっており順番がついている。

ブランコは振り幅が大きいので周りには柵がある。「この範囲は危ないですよ」という意味だ。ふり幅ギリギリのものもあれば、けっこう余裕のある柵もある。娘は柵の幅がどうであれ、6歳なのでブランコの前後が危険であることを知っている。

よちよち歩きの乳幼児は揺れるブランコに興味を惹かれ近づいてくる。親は通常小走りで慌てて止める。危ないからだ。ぶつかれば大参事になることだってある。

ところが、乳幼児がブランコの真ん前に行ったのに、のんびり歩きながら見ている親がいた。慌ててブランコを止めたのは、ブランコを押してやっていた別の親の方だった。気づくのが遅くてぶつかっていたらと思うと、よかった~ぶつからなくて、なんて気分にはなれなかった。

それと、他の子どもが乗っているブランコの前後を普通に通る小学生以上の子どもが多いことも非常に気になる。

うちの娘はそんなおにいちゃん・おねえちゃんたちを見るたびに「危ない!!」と叫んでいた。男の子の中には、うまくヒョイと体をそらす子もいたが、多くは無頓着で、ぶつからないのは運がいいか偶然でしかないように見えた。

ぶつかったらブランコに乗っている子もけがをする可能性がある。そういう場合、親の責任とかはどうなるんだろう。動き出すのがわかりきっている遊具の前に飛び出す子もいる。やはり就学期に達している。

4歳ぐらいの子どもに、補助なしの自転車を練習させている親もいた。

楽しいはずの公園で気分が沈んでしまった。

自分の子どもがけがをしてもいい、事故に遭ってもいいなどと思っている親はいないはずだ。親なら誰だって、子どもが事故に遭わないように、大きなけがをしないように願っているはずだ。それなのに、危険を教えず、自らを危険から守る方法を教えず、危険に向かわせようとしている。

生きる力を育てようってやつがずいぶん前から主流だが、結果はこれか?

公園では加害者となるリスクが大きい…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする