危険を察することができない親や子どもが相手では、普通に遊んでいても加害者となってしまう

2015年06月01日 | 日記
天気の良い日が多く、休日は6歳の娘と海や山、公園によく出かける。

日曜日、午前午後それぞれ別の公園に出かけたのだが、とても気になることがあった。

ブランコはどの公園でも人気のある遊具で、たいていふさがっており順番がついている。

ブランコは振り幅が大きいので周りには柵がある。「この範囲は危ないですよ」という意味だ。ふり幅ギリギリのものもあれば、けっこう余裕のある柵もある。娘は柵の幅がどうであれ、6歳なのでブランコの前後が危険であることを知っている。

よちよち歩きの乳幼児は揺れるブランコに興味を惹かれ近づいてくる。親は通常小走りで慌てて止める。危ないからだ。ぶつかれば大参事になることだってある。

ところが、乳幼児がブランコの真ん前に行ったのに、のんびり歩きながら見ている親がいた。慌ててブランコを止めたのは、ブランコを押してやっていた別の親の方だった。気づくのが遅くてぶつかっていたらと思うと、よかった~ぶつからなくて、なんて気分にはなれなかった。

それと、他の子どもが乗っているブランコの前後を普通に通る小学生以上の子どもが多いことも非常に気になる。

うちの娘はそんなおにいちゃん・おねえちゃんたちを見るたびに「危ない!!」と叫んでいた。男の子の中には、うまくヒョイと体をそらす子もいたが、多くは無頓着で、ぶつからないのは運がいいか偶然でしかないように見えた。

ぶつかったらブランコに乗っている子もけがをする可能性がある。そういう場合、親の責任とかはどうなるんだろう。動き出すのがわかりきっている遊具の前に飛び出す子もいる。やはり就学期に達している。

4歳ぐらいの子どもに、補助なしの自転車を練習させている親もいた。

楽しいはずの公園で気分が沈んでしまった。

自分の子どもがけがをしてもいい、事故に遭ってもいいなどと思っている親はいないはずだ。親なら誰だって、子どもが事故に遭わないように、大きなけがをしないように願っているはずだ。それなのに、危険を教えず、自らを危険から守る方法を教えず、危険に向かわせようとしている。

生きる力を育てようってやつがずいぶん前から主流だが、結果はこれか?

公園では加害者となるリスクが大きい…
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