ブログ仙岩

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新地町のこと

2023-02-14 05:08:20 | エッセイ

福島県の最北東の町相馬郡新地町で、阿武隈高地の水脈が東流扇状地の沿岸に出来た町である。我が山河小泉武夫著より。

釣師浜と言って,写真の挿絵の鹿狼山から流れ出る伏流水扇状地で、五社壇から、地蔵森からの扇状地でもある。

新地貝塚,三貫地貝塚などや、鹿狼山には老いた鹿と白狼を可愛がる神がおり、お腹がすくと神の長い手が伸びて浜の貝を採り食べていたという伝説が残っている。

新地城、駒ケ嶺城は相馬氏が統括していたと著者は書いているが、近くには旗巻き峠あり、中村藩は仙台藩との争いがあり、新地などは仙台藩に属していた。

また、新地の北の福田には、福田諏訪神社が鎮座しており、楽しい神楽を見ることができる。

元々新地町は、新地村、駒ケ嶺村と福田村の3村が合併して新地村になり、相馬郡新地町となった。

釣師浜の海水は流れが速く、海水浴では死者が出ることがあり、その荒波にもまれたカレイ、ホッキ貝が大変美味しい。

だから、釣師のアイナメはいわきのアイナメの味とは比較にならない。また、無花果やワインの名産品の地でもある。

鹿狼山の麓には「鹿狼の湯」があり、そこの旅館のソバが大変美味であると著者はいう。昔は羽黒の湯が有名で、利用していた時には鹿狼の湯はなかった。

しかし、3.11では大津波で、私の姪も52才で犠牲になった。118人の慰霊碑には名前が刻まれている。

本当に、新地町と言っても、そこには数々の歴史があり、

人は生まれた故郷を一生忘れることがないのは、それへの思い出、憧憬、郷愁、思慕などが脳裏の奥に深く刻み込まれているからである。