ブラタモリ、旭川へ!今回の舞台は、北海道第2の都市・旭川へ、若いとき4年も住んでいた第二の故郷。旭川は全国に先駆けて斬新な展示方法を生み出し年間140万人以上が訪れる“旭山動物園”が有名ですが、もとはといえば熊も出るような大原野。いったいどうして“北のトップランナー”に生まれ変わったんでしょうか?
明治時代まで荒野だった旭川に、北の防備と農業を兼ねる「屯田兵」の暮らしていたお宅を訪ねたタモリさん。厳しい寒さの末に手に入った広大な農地で稲作を可能にするため、生み出された大発明「たこ足」の種もみを時下蒔きで労力と生育を助けたそれに段差の田んぼがより開拓の手を速めた。春日台でスキーを覚えた私は、富良野方面の田んぼで、寒さで稲が実らずにいる姿を見て驚き、-18℃で二重のガラス戸のガラスに氷が張ることも体験、一番寒いときは-29で、靴を履いて歩くと、始めは地に足がついているかが分からない感じであった。また、町から神居古潭方面の郊外にアイヌがあり、祭りで、口に入れ墨をした女性の踊りが今も目に焼き付いている。
旭川を代表する観光名所、市内では霧氷がきれいな石狩川の神居古潭(カムイコタン)は険しい蛇紋岩の狭谷で、日本初の蛇紋岩克服トンネルが明治31年札幌と旭川を結ぶ鉄道と旧駅舎。この鉄道開通で人口が急増した旭川の市街地。そこには膨大な量のリベットが打たれた 見事な橋が。その傍らには風光明媚な公園。駅から旭橋を渡り右手に護国神社が、向かいに陸上駐屯地が、その裏手に住んでいた。写真は昭和31年札幌雪祭りと争う雪像と現在の旭橋。
林田アナ念願の「旭山動物園」。垂直に立った円筒状の水槽を上に下に気持ちよく泳ぐアザラシを満喫する二人。実は、旭山動物園は、動物の生態をありのままに見せる「行動展示」を全国に先駆けて取り入れた事で知られています。水に泳ぐ姿と水辺でくつろぐ姿、その両方をまるごと味わえる斬新なアイデアが生まれたのは、斜面の地形をそのまま生かすという逆転の発想が北のトップランナー・旭川である。懐かしい感動!
明治時代まで荒野だった旭川に、北の防備と農業を兼ねる「屯田兵」の暮らしていたお宅を訪ねたタモリさん。厳しい寒さの末に手に入った広大な農地で稲作を可能にするため、生み出された大発明「たこ足」の種もみを時下蒔きで労力と生育を助けたそれに段差の田んぼがより開拓の手を速めた。春日台でスキーを覚えた私は、富良野方面の田んぼで、寒さで稲が実らずにいる姿を見て驚き、-18℃で二重のガラス戸のガラスに氷が張ることも体験、一番寒いときは-29で、靴を履いて歩くと、始めは地に足がついているかが分からない感じであった。また、町から神居古潭方面の郊外にアイヌがあり、祭りで、口に入れ墨をした女性の踊りが今も目に焼き付いている。
旭川を代表する観光名所、市内では霧氷がきれいな石狩川の神居古潭(カムイコタン)は険しい蛇紋岩の狭谷で、日本初の蛇紋岩克服トンネルが明治31年札幌と旭川を結ぶ鉄道と旧駅舎。この鉄道開通で人口が急増した旭川の市街地。そこには膨大な量のリベットが打たれた 見事な橋が。その傍らには風光明媚な公園。駅から旭橋を渡り右手に護国神社が、向かいに陸上駐屯地が、その裏手に住んでいた。写真は昭和31年札幌雪祭りと争う雪像と現在の旭橋。
林田アナ念願の「旭山動物園」。垂直に立った円筒状の水槽を上に下に気持ちよく泳ぐアザラシを満喫する二人。実は、旭山動物園は、動物の生態をありのままに見せる「行動展示」を全国に先駆けて取り入れた事で知られています。水に泳ぐ姿と水辺でくつろぐ姿、その両方をまるごと味わえる斬新なアイデアが生まれたのは、斜面の地形をそのまま生かすという逆転の発想が北のトップランナー・旭川である。懐かしい感動!