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元号廃止論  バリケイト伊東

2019-03-04 09:41:39 | 政治
  東京は雨だ。2日連続して雨だ。気持ちが少しうつになる。日本は変わらず閉塞と虚構のくそ溜まりで、もだえてる。毎日、詐欺、横領、いじめ、虐待、芸能人、美容と日本的話題で盛り上がってる。政治的話題は乏しい。もうすぐ5月には新元号で日本は動き始める。しかし、社会全体では元号に対しての関心は薄い。そもそも元号なんて日本しか通用しない時間システムだ。世界的に見れば西暦が標準だ。これこそガラパゴス化の典型的な例だ。日本独特の古来からある時間表記、時代表記システムだ。元号が変わる時は、天皇が死亡や退位して、新天皇が誕生する時だ。日本に天皇という存在が誕生したのはいつの頃なのだろうか。日本書紀や古事記の頃かららか。神話の世界だ。その時ぐらいから面々と元号が続いてるのだ。恐ろしく長く続いてる時代表記システムだ。西洋に日本が触れた1600年頃、関ケ原の戦いの頃には十分に西暦表示に変換できたのだ。しかし、日本はそうしなかった。徳川政権になって、鎖国政策を取り始めて西洋と距離を取るようになった。その間も天皇は代変わりして、元号の時代表記は続いた。徳川政権が倒れ明治なって、ようやく日本も西洋化の針路をとり始めた。国民の多くも元号と同時に西暦表示も意識するようになった。学問の世界では、西暦表示が必然となった。日本だけで独特の世界観を持ち続けるのは、困難になり始めたのだ。しかし、明治になってからのほうが、立憲君主制になり、天皇が政治の中心になった。元号が表向きな意味を持ち始めた。再び、1945年の敗戦により、日本の天皇は政治的権力を失った。それでも、その当時の昭和天皇は昭和という元号を維持した。アメリカも黙認した。アメリカは、日本の政治、経済、社会システムを欧米化したが、天皇制を維持し、元号も黙認した。仮にアメリカが天皇制を廃止しても、明治、大正、昭和という元号は国民の間で使われ続けたであろう。そして、今、平成時代が終わりに近づいてる。新しい元号が模索されてる。何になるのか興味深々である。今の天皇は象徴の天皇であり、政治的権力は持ってない。今の多くの日本人にとって元号が変わったところで、生活は何も変わらない。むしろ、コンピューターのソフトを変えたり、面倒くさい手間がかかるだけだ。新元号の制定は天皇家の中だけで行われればいいのだ。日本政府が積極的に関与する必要はない。ファシズムおたくの安部にとっては、新元号の制定にともなう儀式は、天皇の権威を輝やかせるのに絶好の機会であろう。しかし、もしかしたら、元号の時代表記システムは消えるかもしれない。天皇家の人々が誰もいなくなったら、元号を作る必要もなくなる。今の天皇家の人々は女性が多い。天皇を男性に限ると、皇太子と秋篠宮と秋篠宮の息子しかいないのだ。直系の愛子様は女性だ。彼女が天皇になれるかは、微妙だ。彼女が天皇になれなくても、彼女が結婚して10人もの男子を出産すれば、元号のシステムは安泰だ。元号なんて私にはガラパゴス化の典型に見えるが、日本人の生活には害を与えてない。役所の提出書類の生年月日ぐらいは、西暦表示に変えたらいいのではないか。西暦ならすぐに年齢がわかる。頭の固い役所はこの元号問題をどう思ってるのだろうか。私の元号廃止論は今の日本ではかなりの異端論だ。多くのマスコミも元号の廃止なんて論調は、書かない。今は異端でも、未来には正論になるかもしれない。

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